ネタバレ『20世紀少年 完全版』検証:「ともだち」の正体に近づくために不可避な認識(その5)理科室編(後)

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初出:2026.03.08

このページは「(その1)サダキヨ編」「(その2)チョーさん編」「(その3)理科室編(前)」「(その3)理科室編(中)」を前提にしている場合が多々在ります。

このコンテンツはネタバレです

以下のコンテンツはネタバレです。特にもし假に内容が正しかったとしたら、ものすごいネタバレになります。また假に内容が間違っている場合でも、少しはネタバレになると思います。ネタバレされたくないかたは、ぜひ読まないでください。このページが検索エンジンで表示されて、それがネタバレにならないように、少なくともタイトルにはネタバレを含まないようにしました。

関係するウェブページ・ブログ等や書籍を中途半端に私は読んでしまいました。その読んで覚えている内容とは重ならないような内容を以下書きます。忘れていたり読んでなかった著作物と一致していたり、或いはそれと正反対の事を書いてしまうかもしれませんが、そのことはもし判明したら可能なら対処するかもしれません。要するに「意図的な盗作」はしないように以下努めます。

このコンテンツは『完全版 20世紀少年』のほうを参照しています

この件に関連して、私が書いている「ネタバレ含『20世紀少年 完全版』検証:教科書体とその周辺(序文編)」のに重要事項が書かれています。これに先に軽く目を通してからのほうが良いと思います。

必要に応じて「参考資料:『20世紀少年』全話リスト」を参照してください。

ヴァーチャルアトラクションの法則「フクベエだったらどうしただろう?」

理科室関係の話題を追求するうえで、「ヴァーチャルアトラクション内での理科室」という話題が重要な位置を占めています。その点を考えるためには、結局のところ「ヴァーチャルアトラクションとは何であったのか問題」を避けて通ることはできません。

ヴァーチャルアトラクションとは何であったのか。それについての真正面からの答えを出すことは今はやめておき、その前段階として「ヴァーチャルアトラクションはどのような条件を満たしていなければならないか?」を考えてみます。すると一つ明らかなものが浮かびます。「ヴァーチャルアトラクションのコンテンツを考案したのがフクベエであるかのように見せかける」これです。ヴァーチャルには、万丈目や高須が話題としており、ユキジたちもその存在に気づいた「“ともだち”の嘘」が混入していました。その際、その「嘘」というのは、フクベエが隠したい事柄のための「嘘」、フクベエがそう思い込ませたい「嘘」であるかのように見えることが、重要な条件でした。その観点を携えたうえで、「ヴァーチャルアトラクション内での理科室」を検討してみます。

実際の「ともだち」つまりカツマタは、ヴァーチャルアトラクションのコンテンツを構想する際に「フクベエだったらどうしただろう?」と四六時中つぶやいていた、と私は想像しています。そのように想像すると、理科室問題にも光が当たるように私は思うのです。

ただしヴァーチャルアトラクションには、物理的・システム的な制約がおそらく存在していました。「あまりに大がかりな現実改変はできない」これです。例を挙げて検討してみます。たとえば1970年の嘘は、フクベエが万博に行くことができず、そのため期間中に東京に居た事を必死に隠そうとしていたという「現実」を隠すためのものでした。ならばヴァーチャルのコンテンツからは、首吊り坂肝試しツアーにフクベエが参加していたことを抹消すれば良いはずです。しかしそういった「大がかりな改変」はシステム的に困難だったのでしょう。そのため、ジジババの新聞のほうを1971年のものに入れ替えたり、フクベエがいかにも純朴そうな表情を浮かべているといった「嘘」が必要となりました。その改変のほうが些細なので容易だったのでしょう。

招かれざる客:モンちゃんとコンチ

第151話「スプーン曲げの男」では、ヴァーチャルの中で、水槽のスイッチを入れるために、モンちゃんと、そして怖がるモンちゃんの道連れに、ドンキーとあとケロヨン・コンチが夜の理科室を目指しました。そこで第三小学校の校門を入ったあたりで、コンチが「今誰か後ろにいたみたい…」と言い、モンちゃん・ケロヨンともども怖がって、走って校舎の方向に逃げようとしました。そして、彼らを遠巻きに観察していた小泉響子も「今、あたしも人影がひとつ多く見えた」といったことをヨシツネに報告します。このシーンはどのように解することができるでしょうか。

対応する同じ出来事が第005話「理科室の夜」で描かれますが、これはセリフの書体が教科書体なので、「モンちゃんの回想」として描かれます。つまりモンちゃんの勘違いや記憶違いが描写に混入している可能性が在ります。そして、ここではそのあてにできない絵に拠れば、校門を通り抜けた人物は5人です。モンちゃん・ドンキー・ケロヨン・コンチであと1人は判りません。そしてそれは「影だけ」のオバケということはなくて、ちゃんと本来の身体も備えている誰かです。ただし、そのとき一緒に居た者が誰だったのかモンちゃんの記憶は曖昧です。本当に5人だったのかも曖昧です。なので、ヴァーチャルに対応した「現実」の描写も読者は充分には与えられていないことになります。

この頃、同時並行的に理科室の中では、「フクベエの死と復活」の怪しげな儀式ないしその準備が進行していたはずです。「フクベエだったらどうしただろう?」、私には明白のように思えます。もしこのコンテンツをフクベエが構想するとしたら、モンちゃんやコンチには絶対に理科室に来てほしくないに決まっている、だから彼らが中に入って来ないように設定する、これしか考えられません。モンちゃんついでコンチは、1年前の首吊り坂幽霊屋敷で、フクベエが満を持して構想した「顔のないテルテル坊主」を見て真っ先に吹き出して笑った者たちだからです。つまり彼らには「前科」が在るのです。もしこんな連中に入って来られたら、理科室での「死と復活」の儀式もきっと失敗に終わります。なので、もしフクベエだったら、この二人には絶対に理科室に入って来られないように、追い出そうとするはずです。…と、そのようにカツマタはきっと考えたことだと思います。

門での「正体不明の人影」も理科室の窓に映ったフクベエ風の怪しい人物も、またそもそも夜中に小学校の校門が開けっぱなしだったことも、モンちゃんらの臆病な者が入って来られないようにする、ヴァーチャル内での仕掛けでした。フクベエだったらきっとそのような仕掛けをする、そのようにカツマタは考えて仕掛けをしたと私には思えるのです。

水槽のスイッチ問題とその周辺

「ドンキーは結局水槽のスイッチを入れたのか入れていないのか問題」が在ります。ですがこの問題には私はまだ解明できていません。なのでその代わりに、判る範囲での整理事項をひとまず記しておきます。

第128話「アルコールランプの下」では、山根がオッチョに当時のことを話します。ただそこでの描写は二つの点で少しイレギュラーです。一つは、絵に描かれているドンキーにはセリフが無いので、「山根の回想」なのか「過去の事実の描写」なのかが判然としないことです。もう一つは、山根がそこでナレーション的な語りをオッチョに対してするのですが、そのセリフが「シッポの無い風船型フキダシ」というイレギュラーなものなので、通常のナレーションとは違った扱いになっている可能性が在ることです。ちなみにセリフの書体は通常書体です。このような、描写の「モード」が今いち不明な状態での絵や山根のセリフによれば、ドンキーは当時自分自身でスイッチを入れたことになっています。要するに、山根の記憶違い等ではないかどうかが、明瞭ではないことになります。

他方、ヴァーチャルアトラクションの中では、当時ドンキーは、水槽のスイッチを入れませんでした。すでにスイッチが入った状態だったからです。こちらもヴァーチャルアトラクション内での出来事なので、ヴァーチャル外での本来の「現実」どおりかどうかは、判然としません。

スイッチ問題はまだ解決できていないので、別の問題を取り上げます。それは「フナの解剖実験がいつだったか問題」です。

なぜこの事柄が問題になるかと言えば、ナショナルキッドの少年(カツマタ)がフクベエに「お前は今日で死にました」と言われたのが小学校5年夏なので、「カツマタ君」が死んだとされているフナの解剖の日程までに期間が空きすぎている疑いが濃厚だからです。期間が空きすぎているのに、「カツマタが万引きの濡れ衣で死んだことになった」、したがって「フナの解剖の前日にカツマタは死んだという噂が立った」とそういう「因果関係」的なつながりが想定されているのです。そこは疑って良いポイントだと思います。

フナの解剖の「年月」「日程」の調査は今鋭意進めておりますが何も確証が得られないだろうという前提で以下書きます。まず、フナの解剖は学習課程としてはわりと「高度な」内容だと思うので、普通に考えて小学5年よりは小学6年の時のほうが可能性が高いでしょう。そして、ユキジの回想によれば(セリフは回想シーンのときの教科書体で書かれています)、ユキジも山根も少し厚着をしており、やや寒い日であるということは判ります。そして、まず間違い無いと思うのですが、ヴァーチャルアトラクション内のケロヨンの言動からして、或いはドンキーの葬儀の集まりの時の会話からして、明らかに「理科室でのフクベエ死と復活の儀式」よりも前の出来事であるはずです。

フナの解剖の年月・日程が充分に判らなくても、次の点は推測可能です。それは「理科の授業のフナの解剖」以外に、もう一つ(以上)「生物部での解剖実験」も在り、そちらこそ、カツマタが万引きの濡れ衣を着せられ「お前は今日で死にました」宣言をされた日と近接している可能性が在る、これです。フナの解剖当日には、山根はユキジに対して「今は部員は一人」と言っていますが、これ以前の時期でも部員が一人だったかどうかは判りません。そして山根が大福堂製薬の片腕的存在の戸倉に語った内容では、理科の実験が好きなコがその前日に死んだというのは単に「解剖実験」としか言われておらず、フナの解剖であるという保証は在りません。「フナの解剖」以外の別の解剖実験の前日に「死んだ」(多分譬喩)という話だったかもしれないのです。生物部での解剖実験は何度やっても良いものなので、次のように都合良く想定することができます。

  1. カツマタが万引の冤罪で「死んだ」ことにされた。
  2. その後短期間の間に、生物部の解剖実験が行なわれた。
  3. 1年弱の後、理科の授業でのフナの解剖実習が少し寒い日に行なわれた。
  4. 1971年8月31日から9月1日にかけての夜中に、理科室でドンキーが「フクベエの死と復活の儀式」を目撃してしまった。
  5. その「死と復活」でフクベエが「嘘をつきそこなった」あとに、生物部部長の山根は、「死んだ」フクベエとそこでさらに(解剖等の)実験を続けて行なった。
おおむねそのような出来事の生起順序であろうと推察されます。なお、普通なら生物の解剖というのは「実験」とはあまり呼ばれませんが、ここでは「実験」という呼び方も併用しています。

ところで、理科室の水槽は二つ在りました。一つは教室後ろ扉から入って左手に在る水槽であり、モンちゃんがスイッチを入れ忘れたという水槽です。フナもたぶんこちらで飼育されていました。他方、入って右手を教室の前方に向かって進んだところにもう一つ水槽が在り、そちらは山根が「キリコ」と名づけた個体を含むクマノミたちが飼育されています。水槽は形状から言っても、位置関係から言っても、二つ在りました。なので、「解剖実験」のほうも二回(以上)在りましたという話になっても良いのではないかと思います。そうすれば、「生物部の解剖実験」と「お前は今日で死にました事件」とが近接し、「死んでしまったため解剖実験ができなかった」子供(カツマタ)が居たことになります。その時点ですでにいろいろおかしな話になっているわけですが、それと「理科の授業でのフナの解剖」とがさらに混線して、「都市伝説のカツマタ君」の話になったということが、無理なく推定できます。その後フクベエも「死んだ」ので、山根とそのフクベエとがさらに「実験」を続けた話が戸倉に伝わったというわけです。

あとはついでのことながらきわめて重要な確認をしておけば、少なくともジジババでの万引冤罪事件でカツマタに対して「死にました」宣言をしてしまったときには、フクベエはもちろんのこと山根も、ナショナルキッドのお面少年がサダキヨだとは思っていません。5年4組のカツマタだと判っています。したがって、理科室でドンキーが「フクベエの死と復活」を目撃してしまったときにも、同室していた山根やフクベエは、ナショナルキッドお面の少年が「カツマタ君」であることを当然知っています。

フクベエと「ともだちマスク」の怪人物

理科室で死んだフクベエが生き返るというストーリーは、ユキジとオッチョに対して、そして高須と敷島娘に対して、見せつけることができました。なので、「フクベエが死んでまた生き返る」というストーリーをしんよげんの書を援用して行なうプロジェクトももう終わりつつありました。「ともだち」が次にやりたい事は、しんよげんの書に自分が書き加えた内容を現実化することです。その内容を、フクベエになりすましたまま続けるつもりはみじんも在りません。なので、「ともだち」はフクベエではない、という認識にそろそろ移行させていく必要が在りました。

ヴァーチャルアトラクションは「フクベエだったらどうしただろう?」という方向性で作られているので、理科室での「フクベエの死と復活」の儀式も成功するという内容に当然なっているはずです。そこへ、「服部が死んだ」と思い込んですっかり憔悴ぎみの万丈目が侵入したわけです。この機会を最大限有効活用することを「ともだち」(カツマタ)はもくろみました。まず万丈目にはぜひとも「“ともだち”の中身が服部(フクベエ)から別の誰かに入れ替わった」と積極的に信じてもらいたい。そのためには、まず死んだはずの服部の遺体が生き返ったという、そういうトリックを入れ替わった側が仕掛けた、というふうに信じ込ませることが必要でしょう。少し穿った見方をすれば、入れ替わった者が服部に対して敵意や復讐心をもっており、それゆえに入れ替わったのだ、くらいに思わせても良いでしょう。「ともだち」(カツマタ)がそこまで想定していたという推測もさほど奇異ではないと私は思うのです。するとそのためには、入れ替わった謎の人物が服部(フクベエ)を殺す、というのが最も効果的なものになります。これは、「ともだち」教団の幹部のなかでは少年時代の服部を唯一知っている万丈目にのみ有効な手段でした。そのためには、「フクベエの死と復活」の儀式を失敗させることになります。ヴァーチャルは通常だと「フクベエだったらこうするはずだ」式に作られているので、そこを「ともだちマスクの怪人物」という外部からの闖入者によって強制的に変えてしまおうというわけです。

ヴァーチャルの中で、服部少年(フクベエ)を「ともだちマスクの怪人物」は殺そうとしました。ヴァーチャルであるにも関わらず、万丈目を筆頭に、ヨシツネやカンナもその場面を見るのに耐えかねて阻止しようとしました。その事件のあと、万丈目はヘッドマウントディスプレイを「ともだちマスクの怪人物」に外され、ヴァーチャルを強制終了されてしまいます。もしヴァーチャルでの出来事が無ければ、万丈目もまた、高須や敷島娘と同様に「服部が死んでまた生き返った」と現状把握をするはずです。しかしヴァーチャルでの出来事が在った状態だと「服部が死んでまた生き返った、というふうに中身が入れ替わったこの怪人物が信じ込ませようとしている」と把握することになります。万丈目はこの時はまだ呆然としていますが、その後の言動から判断する限り、そのような「入れ替わり説」を強固に信じ込んでいくことになります。これはオッチョたちが「死んだふり説」(「ともだち」の正体はずっとフクベエのまま説)をおそらく想定していくことになるのと大きく違う認識です。

現実の万丈目が、1971年当時何をどこまで見て知っていたのかは、不明です。おそらく事件当日には第三小学校に侵入して理科室の中を覗き見していたのでしょう。フクベエの「死と復活」も見たことでしょう。ただ、それが「仕掛けが外れ」て無様な失敗に終わったことまで見ていたかどうかは判りません。もう少しよく考えれば判るのかも知れませんが、その件は私はこれ以上今何か名案は在りません。それが判らないままでも、「事件の真相」は或る程度明確に把握できるように思っています。ただし万丈目がそのような覗き見をしていたことは、「ともだち」(カツマタ)にはバレていたことでしょう。当時、山根は万丈目に「今夜すごいことが起こる」と宣言していましたし、万丈目が覗きに来ることはどのみち予想できる事柄だったのです。「ともだちマスクの怪人物」(要するに「ともだち」=カツマタ)は、「これが真実だ」と万丈目にヴァーチャルで強い調子で告げました。万丈目はフクベエが当時失敗したところまでは知っていたが、その後時が経過して本当に死んでしまったことは知らなくて、それを想定したうえで「ともだち」はそのような語り方をしたのかもしれません。そのように想像することならできます。

高須の無能は「ともだち」と万丈目には筒抜けだった

万丈目はヴァーチャルアトラクションに入るにあたって、「“ともだち”の頭の中を知る唯一の方法………か……」と述べています。こういう言い方を高須がかつてしていたという可能性も否定はできません。しかし普通に読んだ読者なら、この把握の仕方は、ヨシツネの秘密基地でカンナが小泉に述べた「死んだ“ともだち”の頭の中をのぞける唯一の手段よ」というセリフの引用だろうと想像します。つまり、万丈目はヨシツネの秘密基地又は出入りする誰かに対して盗聴器等を仕掛けていた、という疑いをもつことが可能になります。カンナの発言は万丈目に筒抜けだったというわけです。

またその件が假に無くても、ヴァーチャルに入った万丈目と、「ともだちマスク」の怪人物(つまり「ともだち」)は、ヴァーチャルの中に、ヨシツネは無論のこと、カンナや小泉響子まで入ることが出来ていた、と嫌でも気づくことになります。ともだちランドに設置され、通常の経路で侵入することも、それどころかその存在すらも知ることが不可能なそのヴァーチャルに、なぜヨシツネ・カンナ・小泉響子が入ることができたのか問題に対して、万丈目と「ともだち」がどう考えたかは、おのずと明らかになります。一言で言えば「高須の無能」ということです。だって、假にもヨシツネはともだちランド又はワールドの従業員である(この時も!)はずです。高須の管理下に居る部下の中によりによってヨシツネが紛れ込んでいただけでも高須は「絶交」ものなのに、あまつさえ、ヴァーチャルアトラクションに侵入すらされ、そのことによってともだちランドに招集された「有望な若者」二人がおそらく死んでいるのです。にもかかわらず、高須が絶交される気配は皆無だったどころか、その後万丈目にとって替わって権力機構の中心にまんまと収まっていきます。

しかし「高須の無能」という件について、万丈目はもはや「やる気無し」、他方「ともだち」は「利用価値が在るうちは使う」という態度で接していったようです。そしておそらく利用価値は在ったのです。万丈目は「“ともだち”は中身が入れ替わった」という入れ替わり説を信じていましたが、高須はそういう説自体を表向きは否定する態度に移行していきます。その方が組織の中での保身に役立つからでしょう。全体として高須は業務は全く無能だが、保身にだけは長けているというタイプのように私には見えます。そしてその保身の中心に在ったのが「中身が誰であれそこに居れば、それが“ともだち”」という思想でした。高須はまさにこの転換期に、「ともだち」にとって最も利用価値の高い部下になっていったのです。

余談ではありますが、高須のその思想が特にともだち暦以降の保身に役立つものだったのと引き換えに、「最初から“ともだち”の中身は何人も居た」というふうに認識していたらしき者が存在します。長髪の殺し屋(のちの関東軍総統)です。この男だけは、どうやら初期の頃から「ともだち」の「中身」が複数の人物による入れ替わりではないかと疑っていたようです。そしてその疑いをうっかり「ともだち」に漏らしてしまいました。ここには「背信の種」が胚胎していました。若い頃から「ともだち」とこの「長髪の殺し屋」との会話は、どこか狐と狸の化かし合いのような趣がありました。「ともだち」の教義にも13号と違って忠実ではなさそうでした。この男を全面的に信用することは危険だ、しかし敵に回すのも危険だ、と「ともだち」は感じていたのでしょう。まずは殺し屋の仕事を13号にばかり回すようになり、徐々に「長髪の殺し屋」の仕事を少なくしていき、管理職の席に座らせておいて、ともだち暦に入る頃に一気に閑職に追いやったということではないかと推察できます。世界規模のウィルス散布テロの実行部隊すらどうやら任せてもらえなかったもようでした。「りりりん」と電話を鳴らしてその際に「運がよければまた会おう」とも言ってもらえませんでした。それもこれも、元をたどれば「ともだち」の中身は最初はフクベエ(服部)だったと信じてもらわないと困るということだったのでしょう。

再びヴァーチャルアトラクションの法則「フクベエだったらどうしただろう?」

ヴァーチャルアトラクションの法則に関連して少し補足的に検討しておきます。

まず理科室での「フクベエの死と復活の儀式」のときの、主にナショナルキッドのお面少年の言動についてです。この少年の正体がカツマタであることははっきりしています。この少年は山根とともに、フクベエの首吊りのセッティングを手伝ったはずです。さてここで質問、「フクベエだったらどうしただろう?」。カツマタが実際にはヴァーチャルのコンテンツを構想しているのだから、この少年(カツマタ)の悪いイメージを形成するようなコンテンツは避けるはずです。ただフクベエがそうするという気はあまりしません。しかしそれでも確かなのは「サダキヨのことは悪いイメージで設定する」ことです。そのような卑怯な手段だったらフクベエがやりそうだし、カツマタにとっても悪い話ではありません。そういうわけで第一弾、理科室に居たナショナルキッドの少年がサダキヨであるように思いこませる、これが重要な初期設定になります。

この初期設定に基づいて、ナショナルキッドのお面少年は、ドンキーに同意するかのように「怖くて言えなかったけど僕もトリックだと思っていた」という趣旨の発言をし、フクベエに「いいのかそんなこと言って」と威嚇されています。このお面少年のキャラクターがいかにもサダキヨ的であることに注意したいと思います。ここでも初期設定にしたがって、見る人が見ればですが、この少年がサダキヨであったかのような錯認をすることになります。サダキヨという奴はこんないかがわしい儀式の共謀者であるというわけです。そして「いいのかそんなこと言って」というフクベエの発話は、第176話「人間以上」ではお面少年に向かっては発せられておらず、ドンキーに対してのみです。単に描写が省略された可能性も在りますが、ヴァーチャルのほうがその点でも「嘘」が混入している可能性も在るのです。ともあれヴァーチャルのほうでは、「いいのかそんなこと言って」というフクベエの発話がドンキーに向けられたものであることが明瞭ではなく、「絶交だ」という発話に対して、ナショナルキッドのお面少年が服従的に行動することも少し唐突に見えます。おそらくこの一連のやりとりのどこかは作為的に改変されたものだったのでしょう。

このような見方を形成しておくと、1970年の首吊り幽霊屋敷での会話のちぐはぐさのほうも解明の糸口が得られます。この点に気づいて論及している人は多そうなのですが、それらの見解をあまり参照しないまま私も検討してみようと思います。

顔無しテルテル坊主のシーツの中で、二人の少年が会話をしています。片方は上履きを履いています。外側からでは足元しか見えません。さて、第174話「本当の首吊り坂」では、この出来事がセリフの書体から判断すると「過去事実の描写」として提示されています。つまり「事実」です。それによれば、「おまえ、なんでこんなことしたんだって聞かれたら、うるさいな、なんだっていいだろって答えるんだ!!」とフクベエ(普通の靴)がサダキヨ(上履き)に必死の表情で命令しています。ところが第087話「話し声」ではヴァーチャルアトラクションの中で、上履きの少年のほうが「おまえ、なんでこんなことしたんだよ」と発話し、普通の靴の少年が「うるさいな、なんだっていいだろ」と答えています。普通の靴のフクベエ一人の話した内容が、二人の会話であるということに偽装されているわけです。しかもその役割が反対であるとも思えます。そのため、片方の少年がもう片方の少年を一方的に脅迫や威嚇しているような印象を持ちにくくなっているわけです。

もともとヴァーチャルアトラクションは「フクベエだったらこうしただろう」的内容になるので、サダキヨに罪を着せたりフクベエのイメージを悪くなりすぎないように作為をすることは予想できるポイントです。そしてそれに加えて、アトラクションの参加者がシーツをめくって「顔」を見てしまう可能性にも備えています。参加者がシーツをめくって「顔」を見る可能性は全く普通に在ります。現にヨシツネは小泉がそうすることを危惧しているかのようであり、ヴァーチャル内のヨシツネ少年までもそういう想定で動きます。「顔」を参加者が見てしまった場合に、フクベエのイメージが悪くなりすぎないように、そしてフクベエとサダキヨとが支配-被支配関係に在ることに気づかれにくいように、と、そういう偽装もおそらく準備されていたことだと思います。セリフのちぐはぐさもその一環だったのでしょう。

ヤン坊マー坊の出番

理科室に関連してヴァーチャルアトラクションの話題を検討してきました。この時期にヤン坊マー坊は全く出番が在りません。そもそもこの二人は、「ともだち」の幼なじみである気配も全く無く、「ともだち」に取り入るときにも万丈目のほうに接近していきました。この二人が物語の全体のなかでどのような位置を占めるのかは私にはまだこれと言って名案は在りません。しかし双子の出番が少ないこの時期に随分と活躍しているこのヴァーチャルアトラクションが実はY&MCorporationのご自慢の製品だったりはしないでしょうか。どうもそのように私は思いたくてしようがありません。ただこういう話もまた寺本匡俊さんがどこかで書いていたような気がします。この話などほとんどパクリなのかもしれないのです。もし今後見つけたら、ここに記事のアドレスを記載したいと思います。