二度目以降のアクセスの場合、リロードを推奨します。参考:ホームページを更新したのに「内容が変わっていない!」を解消するスーパーリロードとは
初出:2026.02.22
このページは「ネタバレ『20世紀少年 完全版』検証:「ともだち」の正体に近づくために不可避な認識」「ネタバレ『20世紀少年 完全版』検証:「ともだち」の正体に近づくために不可避な認識(その2)」を前提にしている場合が多々在ります。
以下のコンテンツはネタバレです。特にもし假に内容が正しかったとしたら、ものすごいネタバレになります。また假に内容が間違っている場合でも、少しはネタバレになると思います。ネタバレされたくないかたは、ぜひ読まないでください。このページが検索エンジンで表示されて、それがネタバレにならないように、少なくともタイトルにはネタバレを含まないようにしました。
関係するウェブページ・ブログ等や書籍を中途半端に私は読んでしまいました。その読んで覚えている内容とは重ならないような内容を以下書きます。忘れていたり読んでなかった著作物と一致していたり、或いはそれと正反対の事を書いてしまうかもしれませんが、そのことはもし判明したら可能なら対処するかもしれません。要するに「意図的な盗作」はしないように以下努めます。
この件に関連して、私が書いている「ネタバレ含『20世紀少年 完全版』検証:教科書体とその周辺(その01)」の最初の3つの節に重要事項が書かれています。3つの節とは「はじめに」「完全版には「教科書体のセリフ」が登場する」「基本的な道具の整備」のことを指します。これに先に軽く目を通してからのほうが良いと思います。なおリンク先のそのページはまだ更新中のものであり、未完成です。
必要に応じて「参考資料:『20世紀少年』全話リスト」を参照してください。
『20世紀少年』の「ともだち」の正体という話題を、理科室に関連づけて解明しようとします。するとそこでキーになってくるのは「“ともだち”は何をやろうとしたのか」問題です。ミステリで言えば「ホワイダニット(whydunit)」「犯行の動機」です。その解明によって、物語内容の巨視的な骨格がかなり明瞭になります。それが明瞭になると、この作品が「前半は面白かったけど後半はつまらなかった」「序盤は面白かったけどあとはつまらなかった」といった感じ方をしていた人も見方が変わる可能性を秘めています。なので、そこからまず述べたいと思います。なお以下、完全版を「ケンヂだけが正しく真実を悟った物語」と前提したうえで、私の假説を少し独断的な調子で記します。
「ともだち」つまりカツマタは、「よげんの書」と「しんよげんの書」の内容を現実化することが、「犯行」の主目的の一つでした。その際カツマタは、憧れてやまなかったフクベエの実演しようとした「フクベエが一回死んでまた生き返る」というストーリーを重視していました。「しんよげんの書」には「かれはいちどしんでよみがえるだろう」という文言が在りました。山根とカツマタはその文言の存在を知っています。しかし少なくとも高須はこの文言を知らず万丈目も高須の認識を否定しませんでした。「“ともだち”の死などしんよげんの書のどこにも出てこない」というのが高須の認識でした。ちなみに20世紀少年 - Wikipediaの編集者(の一部)も同様の認識であり、この文言はしんよげんの書の内容として紹介されていません。ともあれ、この文言が書かれたページは「ともだち」によって厳重に隠蔽され、万丈目や高須には知らされないでいた疑いが強いのです。
話を戻すと「ともだち」(カツマタ)は「フクベエが一回死んでまた生き返る」というストーリーを、「しんよげんの書」の現実化のときには無論のこと、「よげんの書」の現実化のときにも、盛り込みたいと願いました。したがって、フクベエは二回死ぬ必要が在りました。「フクベエを二回死なせる、そして生き返らせる」―それが、『20世紀少年』の2/3近くのウェイトを占める箇所全体の「犯行動機の説明」になります。
この物語が、「二度在ることは三度在る」物語ではなく「三度目の正直」物語になったのもおそらくそのせいです。一度死んだ者が生き返るのは、各よげんの書で1回ずつ、計2回で充分なのです。それ以上生き返る必要は在りません。なので、円盤の墜落に巻き込まれて死んでしまった「ともだち」がもう一度生き返るというストーリーは、すごく在りそうなのにもかかわらず、現実化しませんでした。第一、フクベエでない者が生き返るのもすごく変なのです。そんなものこそシナリオにはなかったのです。
尤もこの物語は「すでに一度在ったのだから、『三度在ることは四度在る』ではなく『四度目の正直』だというのが正しいだろう」という風にも言えます。というのも、「フクベエが一回死んでまた生き返る」という物語を世界に現出せしめようとしたこの当人こそ、「本物のフクベエが一回死んだ」ためにその「生き返り」としてカツマタがフクベエになりすました姿だったからです。つまり繰り返しになりますが、「本当のフクベエが死んで、偽のフクベエ(カツマタ)が甦った。そしてその甦った偽のフクベエ(カツマタ)が、“フクベエが一回死んでまた生き返る”という物語を、各よげんの書につき一回ずつ行なった。なのでもうその次は無い。」…それが物語世界の全体像であると、より正確には言えます。
「ともだち」(カツマタ)は最初から「フクベエを二回死なせる」計画だったでしょうから、「替え玉」が少なくとも二人は必要になります。そのための科学技術としては江戸川乱歩『猟奇の果』程度のもの、せいぜいこれを21世紀の科学技術にバージョンアップした程度のものであれば、私自身は充分です(参考:「猟奇の果@青空文庫」)。この乱歩の作品の最後に「気違い博士」のような人物が登場して「外見がそっくりの人間」を生産する技術(「人間改造術」)を演説します。そういうわけなので「誰かにそっくりの替え玉」などはどうとでも作れるというふうに私は判断します。その際に、誰か最低二人の人間は犠牲にするわけですが、「ともだち」がそんなことで良心の呵責を感じる者でないことは明らかです。またその際、記憶や思考までもそっくりな人間にする必要が在るでしょうが、それは作品内に登場した「記憶の読み取り機」のようなテクノロジーで可能になるのでしょう。またバーチャルアトラクションを可能にしていたテクノロジーから判断すれば、「当意即妙の対応」ができるようなクローン人間を作ることも可能でしょう。そういった想像が許されています。
2015年元旦夜に第三小学校の理科室で起こった出来事は、次のように概括できます。山根に撃たれて死んだ男を「替え玉男B」と假に呼んでおきましょう。この替え玉男Bは「ともだち」にまんまと騙されていました。山根の件はあと回しにして、まず先にこの替え玉男Bが騙されていたという件について記します。
「ともだち」はしんよげんの書の内容のうち「あんさつされてしまうきゅうせいしゅ」のお話を「しんじゅくのきょうかい」ではない場所を舞台として実現させようと思っていました。つまり「しゅうかいで、きゅうせいしゅはせいぎのためたちあがるが、あんさつされてしまうだろう。」というくだりの「しゅうかい」は、新宿の教会が舞台ではなく、第三小学校理科室が舞台である、と少なくとも「ともだち」は想定して実行しました。この出来事は「ひみつ集会」である、と少年時代の山根立ち会いのもとちゃんと書かれ規定されています。そしてその筆跡は「しんよげんの書」の筆跡と似ています。でちなみに、「しゅうかい」は第三小学校理科室が舞台であるという解釈が可能であること、これは私の独創ではありません。どなたか先駆者がすでにその可能性を指摘していました。またそういった指摘を複数のかたがしていた可能性も在ります。もし判明したら、それはここに記載したいと思います。判明分:「『20世紀少年(完全版)』考察⑤」。
さて替え玉男Bは、「ともだち」にまんまと騙されていました。どの程度騙されていたのか多少の想定の幅が在りえますが、一番確かなのは次の点です。すなわち「山根は『彼がともだちだと思う男』を銃殺しに来る、最初からそのつもりで来る」ということを「ともだち」はとてもよく知っていたのに、替え玉男Bはそれを知らさせていませんでした、これです。替え玉はここで死ぬ「きゅうせいしゅ」は山根だと思い込んでいました。或る意味でそれは正しい認識でしたが、「ともだち」のほうが考えていたのはその程度の事ではありませんでした。「ともだち」はこの理科室の「しゅうかい」で、替え玉男Bのほうを「あんさつ」してしまうつもりでした。替え玉男Bはそのことを全く知らさせていませんでした。山根が銃を携えて現れることも知らされていませんでした。これが彼が「ともだち」にまんまと騙されていた点です。死ぬ間際に「こんなの予言にはないよ」と言っていたこともその事態の反映です。彼は、教団の中での栄達を「ともだち」にきっと「約束」されていたのでしょう。
一方山根のほうは何を騙されていたのでしょうか。多くの主要登場人物同様に、山根は「ともだち」の正体がフクベエだと完璧に騙されていました。フクベエと最も近しかった人物を騙したという意味では、最大級の大嘘でした。「嘘、嘘、嘘、嘘ばっかり」だったのです。山根は最期までその点で騙されたまま亡くなりました。
山根は理科室のひみつ集会に来るにあたって、フクベエとの過去をすべて清算するくらいの意気込みで準備してきています。武器の準備も心の準備もです。想定している相手がフクベエであるのは明らかです。たとえば「絶交」という語の独自の用法を使い出したのはフクベエです。ドンキーに対して「絶交だ」と宣言し、その「命令」に駆動されて一緒に動いていたナショナルキッドの少年の方をまさか自分が相手にしている、などという可能性を山根は全く想定していません。すなわち山根はここで「ともだち」の正体がカツマタ(というとるに足らない小物)であるというふうに想定していません。山根はここで銃殺しようとしている相手は、絶交という語の独自用法の発明者(=フクベエ)であるという想定で行動していました。
山根が騙されていた原因の一つは、しんよげんの書での「しゅうかいで、きゅうせいしゅはせいぎのためたちあがるが、あんさつされてしまうだろう。」の箇所は「しんじゅくのきょうかい」が舞台であるとして本来は書かれたことにも在るでしょう。なぜなら、この箇所には「多数の観衆」が描き込まれており、第三小学校理科室はそういった環境ではなかったからです。おそらくフクベエが描き、山根もその場に立ち会っていたその限りでは、しんよげんの書での「しゅうかい」はやはり「しんじゅくのきょうかい」でのことを指していたのです。それに関連して言えることですが、新宿歌舞伎町教会での銃殺騒ぎを山根が知っていたかどうかは不明ですが、もし知っていれば、「きゅうせいしゅのあんさつ」の件はとうに過去の出来事である、と認識していたはずです。こういった「原作共作者」ならではの理解を「ともだち」(カツマタ)は徹底的に利用して、騙しにかかっていたと思えるのです。穿った見方をすれば、そのように山根を騙すために新宿歌舞伎町教会での銃殺騒ぎは起こされたのではないかと思えるほどです。
ただし、しんよげんの書に描かれたその「多数の観衆」という設定が全く無駄に終わることも「ともだち」は好まなかったようであり、そのため一度死んだ「ともだち」がまた生き返るという流れは、多数の観衆のなかで劇的に行なわれることになりました。またその際にも、一回銃撃された者が生き返るという設定で行なわれました。この件に関しては、のちにもう一度検討します。
山根が「ともだち」の正体をフクベエだと思い込んでいたことは、「ともだち」が理科室で生まれただの死んだだのという語りを見ても明らかです。理科室で生まれただの、死んだだのという言い方が当てはまるのはフクベエただ一人であり、カツマタには該当しません。替え玉男Bを銃撃した山根がその行為を「一九七一年の再現」と定式化したのも同じです。それが「再現」であることに該当する人物はフクベエしかいません。山根はフクベエを銃撃したつもりだったのです。
山根が「ともだち」(カツマタ)に完膚なきまでに騙されていたことは、銃殺後の山根の油断したような態度でも明らかです。「かれはいちどしんでよみがえるだろう」などという事態が起きることへの警戒心などはまるで在りません。自分のほうが「あんさつ」されてしまう「きゅうせいしゅ」になってしまう可能性も想定していません。だから容易に撃ち殺されてしまいました。オッチョという「証人」の存在がその計画に好都合であったのも間違い在りません。オッチョはご丁寧に脈まで調べて、「“ともだち”(フクベエ)は確かに死んでいた」と証言する役目をその後担います。だから、替え玉男Bはともかくとして、「ともだち」のほうはオッチョをここで抹殺する気は無かったでしょう。そしてすべてが事前のシナリオどおりだったこの一幕に対して、マルオが感じたように警察の初動も不自然なくらいに早かったし、やはりシナリオに操られているかのような報道陣は「“ともだち”の暗殺」という、普通なら報道では使わない表現で最初から定式化していました。「ともだち」(カツマタ)の計画はこれ以降、みごとなほどに成功していきます。
上記の見解を手がかりにして、物語を遡行して再確認していきます。新宿歌舞伎町教会での銃撃事件はどのように理解することができるでしょうか。この事件の一番の謎は、「13番(田村マサオ)は何をやろうとしていたのか」という、これまた「ホワイダニット(whydunit)」「犯行の動機」的なものでした。13番は、海ほたる刑務所でオッチョに宣戦布告的内容を告げに行ったときは、場合によってはカンナを殺す可能性が在ることを譬喩的に示唆していました。これが在ったからオッチョは脱獄に一層執念を燃やして、見事に脱獄に成功したとも思えるのです。ところが実際に13番がやったことは、カンナを殺そうとしたホクロの警官を殺すことでした。それを13番は「この文章の謎はこれで解けた」などと述懐していますから、言わば「教義の正しい解釈」を現実化することが自分の役目だと自負しておりそれに成功したかのようです。その成功のためにはオッチョの存在がぜひとも必要であり、したがってオッチョが脱獄に成功することすら「ともだち」の事前シナリオのためには不可欠であったかのようです。オッチョがカンナを助けようとしなくても、13番がホクロの警官を撃ち殺すことは可能ではあったでしょうが、一応はホクロの警官も「プロ」ではあります。やはりオッチョの出現によってホクロ警官の注意力が少し散漫になったほうが、銃撃はしやすかったことでしょう。
さて全体の構図を確認しましょう。ホクロの警官の行動はまず間違いなく警察庁長官山崎からの命令で行われています。その山崎は「ネタバレ『20世紀少年 完全版』検証:「ともだち」の正体に近づくために不可避な認識(その2)」でも述べたように、「ともだち」の正体等に関してまんまと騙されているメンバーの一人です。つまり、ホクロの警官の行動もまた「ともだち」に騙されてのものである疑いが在ります。他方、13番の行動は、海ほたる刑務所所長の甘粕谷を通じて行われています。こちらは「ともだち」からの直接命令である可能性が在ります。甘粕谷のほうが13番に対して敬語を使っていることから、その権力関係が推察可能だからです。また、同じ13番は、万博にて「ともだち」が銃撃されるも未遂に終わり復活するという事前のシナリオ通りの事態を引き起こすために、「ともだち」を銃撃し未遂に終わらせるという難しい仕事を実行しています。明らかに事前計画通りの行動です。ここでの13番は「ともだち」からの直接命令で動いていたとしか思えません。その13番のことを、理科室「暗殺」事件の直後の円卓会議で幹部たちは相手にしていません。しかし万丈目を含む幹部たちというのは、皆「ともだち」の正体に関して騙されている疑いが強いわけです。それを考慮すれば、歌舞伎町町会での銃撃事件の時に、ホクロの警官の行動と13番の行動とで、どちらが「ともだち」の意図通りのものだったかはあまりにも明らかです。「カンナを銃殺しようとしたホクロの警官を13番が射殺する」―これこそが事前に計画されていたシナリオであり、13番こそが「ともだち」の直接命令で動いていた者だったのです。そうすれば、のちに起こすことになる理科室での銃撃事件がその再演にもなるわけです。
万博での「ともだち」銃撃事件で、それが未遂に終わったことが事前のシナリオ通りであったことを、万丈目など一部の者はようやく理解しました。しかしその理解もごく一部の者だけのものであり、たとえば北方検問所の芹沢などは「ともだちの嘘」にまんまと騙されていました。そのように騙されている者が、ともだち暦になってからの体制側の者の主流だったのでしょう。そして騙されていなかった者が中央政府から少しずつ居なくなっていたというわけなのでしょう。
2000年12月31日の「血のおおみそか」では、「ともだち」の替え玉である替え玉男Aが「活躍」したと言えます。ケンヂが1997年のクラス会でフクベエだと誤認したカツマタは、ケンヂたちと行動を共にし、メンバー内での「彼はフクベエである」という誤解を意図的に放置していました。そのカツマタの替え玉として替え玉Aがあらかじめ用意されており、ビルの屋上での一連の出来事はその替え玉Aが遂行していました。この事件がもし「フクベエが一回死んでまた生き返る」というストーリーのためのものなら、そのように判断できます。もちろん、この男も替え玉男Bと同様に、消耗品扱いです。当人がその点を知っていたかどうかは定かではないです。
このときにメンバーに紛れ込んでいたカツマタに対して、不思議な能力をもつはずの3歳児であるカンナは「父親である」という反応を全く示しませんでした。この件については、「倉庫の前でのカンナ抱き上げ事件」と併せて考える必要が在るので、ここでは深入りしません。ケンヂたちと、何か月かにわたって行動をともにしてきたのがすべて替え玉Aであったのなら、カンナが反応しないのは明らかですが、そこまで断定して良いのか私にはまだ不明です。この件は保留にしたいと思います。ただし現段階では私は、フクベエがケンヂたちと遊びたがっていたことは明瞭であり、フクベエになりきったカツマタも同様でしょうから、ケンヂたちと一緒に行動していたこの男は基本的にはカツマタ本人であったほうが、話としてはしっくり来ます。
替え玉男Aが、ノートパソコン「ハットリ君」男と一緒に高層ビルの屋上から転落した件で、「フクベエが一度死んだ」というストーリーは念が入った形で現実化したことになります。第一にまず、「ケンヂたちがフクベエだと思い込んでいる男」が死んだことになります。そしてもう一つ、一緒に転落した男が「ハットリ」なのでそれもまた「フクベエが一度死んだ」というストーリーに合致します。つまり二重に「ハットリ=フクベエ」が死んだという話になるわけです。余談ですが、このときフクベエとハットリが二人してビルから転落するという形になっても、なおかつかつての服部少年が「フクベエと呼ばないでくれ。ちゃんとハットリという名前で呼んでくれ」的なことを言っていたことをケンヂは思い出しません。もしこの時点でそれを思い出していれば、その後の展開も変わってきたと思いますが、そうはなりませんでした。またもう一つ余談をすると、この転落の瞬間に替え玉男Aは「サダキヨじゃない」と言い残して落ちていきます。これは読者に許された想像をするに、「ここで遊びを終わらせたくない。まだまだ遊ぼうよ」ということだと私は受け取りました。「あ、サダキヨだ」というふうにもし言えば、事件後にサダキヨの調査を生き残ったメンバーが大々的に行ない、真相が少し解明されてしまうかもしれません。なのでここで「サダキヨじゃない」というふうに言ったほうが、ゲームがまだまだ続行できるというわけです。まあこれは私の単なる想像であり、しかもよくできているとも言い難い想像ではあります。
さて、「フクベエが一度死んでまた生き返った」という話はケンヂに対してのみ開示された物語となりました。つまり、巨大ロボットとは呼びたくない何かの操縦席に乗り込んだケンヂに対して、今度こそおそらく本物の「ともだち」(カツマタ)がお面を外して素顔を見せました。他の者はそれを直接知りません。なぜそのような事を「ともだち」(カツマタ)がしたのか、と考えたときに、やはり「フクベエが一度死んでまた生き返った」ということを「ともだち」は既成事実化したかったからだと思えます。少なくともケンヂに対してだけはそのことを開示しておきたかった、というわけです。おそらくこの段階で、「ともだち」は自分が死ぬつもりもなければ、ケンヂを死なせるつもりもなかったことでしょう。それではまだまだ遊び足りないでしょうから。ケンヂがどの程度のダイナマイトを用意していたかといった事柄は「ともだち」(カツマタ)は当然知っていたわけですから、ここでケンヂを死なせない程度の爆破を起こすことも可能だったことでしょう。それに自分が死んでしまってはケンヂたちと「遊び」続けることができません。
「フクベエが一度死んでまた生き返った」という話はこの段階では大っぴらにはできない話でした。その代わりに、「ともだちが一度死にかかって、でも生き返った」という話を、国連総会を通して、世界中にばらまきました。そういうことだと思います。
理科室関連の謎はまだいろいろ残っているように思います。その点は次回で追求できればと思います。