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このページは、「中学生の語彙力(実践編1)」の続編として書かれている。以下「はじめに」は重複を厭わず同じ文章を記載する。
小中高生の12年間のうち、現代国語・日本語の能力をつけることが想定されているのは最初の6年間、つまり小学校のうちだけである。それすらも、小学校英語が義務化された特に2020年代以降では疑わしいが、相対的にはまだしも小学生時期がかろうじて該当するだろう。少なくとも中高の6年間のほうは英語学習か次いで古文・漢文学習(俳句や短歌や詩歌も含める)に費やされ、現代日本語の能力などどうでも良いという扱いである、というのが暗黙のお約束であることは間違いない。「どうでも良い」というのは、わざわざその学習に時間を割かなくてもできる者が高校入試に受かる、という状態であればそれで良いということだ。できない者ができるようにするためにわざわざ時間を割くことはさせないのだ。中高六年一貫校の生徒ならなおさら必要無いとなる。しかしこれだと高卒生が現代国際政治経済を理解する能力はおぼつかなくなり、また、文系大学進学者が「大学での学問の内容」によって志望校を決定することもおぼつかなくなる。つまり、高校生のうちに大学教員の書いたものが多少はわかることが必要なのにもかかわらず、それがおぼつかなくなるのだ。
しかし中学生にはできることが残っていると私は考える。こういうことだ。小学校の間に充分育成されないのは、次のような能力である。小学生のうちに身体動作を表す語彙を学ぶことはできる。たとえば五味太郎著『言葉図鑑 うごきのことば』(出版社公式)に記載されている語の大部分がそうだ。だが、この本では、身体動作と関係無く成立する「行為」に関する語、特に言語行為に関する語はほとんど扱われない。小学生向けの国語教材などを一瞥しても、同様にその領域はほとんど空白である。なので、そこに照準を当てて集中的に学習すれば、将来のためだけでなく、高校英語の学習にも大いに役立つ。普通の場合、高校英語は高校英語を学ぶことによって初めてできるようになるのだが、それに対して中学現代国語ができるようになることで高校英語がより一層スムーズにできるようになる、ということが期待できるのだ。だがそのカリキュラム構築のためには、言語行為に関する特に二十世紀後半~二十一世紀初期にかけての学知が僅かでも必要になり、その学知が小中高生に還元される可能性はほぼゼロだ。国語教員に専攻者がなれるようになっていないだけでなく、言語哲学の中でも「言語行為論」は傍流であり、社会学の中でも「会話分析」は一部の領域に過ぎないという在り方をしている。学識の在る人々が万一小中高の国語教員になれたとしても、その中ですらほとんど知られていないのに近いのだ。なので、その空白を埋めるようにしてカリキュラムを提案してみたい。
今少し述べる。なぜ「行為」なのか。たとえば「批判する」という語を考えてみよう。国語という教科ではおそらく「批判」という語のほうが基幹的であり、「批判する」という語は假に扱うとしても派生的という扱いになるだろう。この国語科的発想が決定的に良くないと思うのだ。私は反対に、「批判する」という語のほうが基幹的であり、「批判」は派生的という扱いをするルートを作っておきたい。その理由はいろいろ在るが、つまるところ「批判する」という語が欧米語の訳語として作られたものだ、という事情が根幹に在る。欧米語の場合、「批判」と「批判する」のような基幹/派生という関係にはまずなっていないだろう。このような関係になってしまったのは日本語訳を作ったときの事情に過ぎないのだ。第一、たとえば英語は、動詞をもとにして動名詞や不定詞を作れば「名詞」に代えることができる。動詞のほうが基幹的であり、名詞が派生的である、ということに説得力をもたせやすいのだ。なので、現代日本語を学ぶときにも「動詞が基幹的であり名詞は派生的である」という見方が可能なように行なうことが本質的なのだ。
なお、日本語は欧米語とは全く異なり、音声に文字がべったり貼り付いている。欧米語なら「字は読めないけど音声でのやり取りはできる」ことが在りうる。だが日本語の場合そうは言えない。「音声でのやり取りができる」のなら必ず「それを適切な文字(漢字)で書く事ができることを意味する」のだ。なので、言語哲学では絶対に扱われない「漢字」という単位でも国語力・日本語力を取り扱う必要が在る。ただし「漢字の意味」ということで中国での本来の字義がどうとか、そういう話題はどうでも良い。そういう事の専門家は高校国語の漢文辺りを担当していよう。だが、現代日本語としての漢字や、その用法から導出しうる「字義」を扱う者は居ない。なので、その空白を補いながら構築するのが、国語力や日本語能力の中高向けカリキュラムには重要となる。
なお、今回の試みと関連が深いコンテンツに、「母語日本語の語彙を習得するのにどのような段階が在るか」「中学生の語彙力:会話を描写する語彙」「幼児の言語獲得の、汎用性の高いモデル―清水哲郎の著作『医療現場II』に依拠して」などが在る。
「動作」語だけでなく、「行為」語・特に「言語行為」語を習得・整理するときに役立つのは「発語する/応接する」という組み合わせである。ただしどちらも日本語としてはややこなれていないし、また私のやりたい事を充分に表現できているわけでもない。私は「話しかける/応じる」という組み合わせを考えており、それに比較的近いものとして「発語する」と「応接する」を設定してみたのだ。このペアに類義語を加え、それを構成する「漢字」にも着目して語彙を増やしていくことができる。
言い始めること。言語を発すること。
話す行為
自分の考え・決意などを、はっきりあらわし示すこと。
声を出すこと
音声を出すこと。言語音を出すこと。
案を考え出すこと。ある案を最初に言い出すこと。
会議の席で意見などを言い出すこと。
法令・辞令・指示などを出すこと。
電気を起こすこと。熱機関などにより発電機を回転させ、電力を発生させること。
汗が出ること。汗を出すこと。
汽車・電車・バスなどが出発すること。
芽を出すこと。
病気の症状が現れること。
新聞・雑誌などの定期刊行物を出しはじめること。また、図書などを出版すること。
弾丸やロケットなどを打ち出すこと。
注文を出すこと。
情報などを知らせること。
何かに刺激されて精神を奮い起こすこと。
商品を売り出すこと。
図書・新聞・雑誌などを印刷して、世に出すこと。
地中に埋もれているものを掘り出すこと。
世間に知られていないすぐれた人やものを見つけ出すこと。
飛行機や軍艦・部隊などが、基地から出発すること。
自動車を発車させること。
荷物や郵便物などを送り出すこと。
まだ知られていなかったものを見つけ出すこと。
今までなかったものを新たに考え出すこと。特に、新しい器具・機械・装置、また技術・方法などを考案すること。
精神や気分が高まること。意気を奮い立たせること。
世間一般に知らせること。表向きに知らせること。
動き始めること。活動を始めること。
内部にたまったものが外部へ散らばって出ること。
物事の勢いなどが伸び広がって盛んになること。物事が、より進んだ段階に移っていくこと。
もっている能力や特性などを十分に働かせること。
からだ・精神などが成長して、より完全な形態や機能をもつようになること。
そのものの機能がより高度に発揮されるようになること。
目的地に向かって出かけること。
物事を始めること。
土地・鉱産物・水力などの天然資源を活用して、農場・工場・住宅などをつくり、その地域の産業や交通を盛んにすること。
物に触れて、発動・発射したり爆発したりすること。
なんらかの刺激を与えて、行動の意欲を起こさせること。
人が気づかずにいるところを教え示して、より高い認識・理解に導くこと。
他からの力をはねかえすこと。はねかえること。
他人の言動などを受け入れないで、強く否定すること。
物質が急激な化学変化または物理変化を起こし、体積が一瞬に著しく増大して、音や破壊作用を伴う現象。
抑圧されていた感情が急激に外に現れること。
液体がその表面から気化する現象。
人が家を出て行方不明になること。
内にこもっていたものにこらえきれず、にわかに過激な行動を起こすこと。
事件などが突然に起こること。
事件・事故などがたびたび発生すること。
多く発生すること。
むやみに発行・発布すること。
弾丸や矢などをむちゃくちゃに発射すること。
相手を刺激して、事件や紛争などを引き起こすように、また、好奇心や欲情などをかきたてるようにしむけること。
悪事や不正を明らかにして、世間に知らせること。
悪事などをあばいて世間に発表すること。
公の場であるにもかかわらず、自分たちだけでひそひそと勝手な話をすること。
いかにも自信ありげに大きなことを言うこと。
新語をつくること。既存の語を組み合わせるなどして新しい意味の言葉をつくること。
複数の人が互いに話すこと。
向かい合って話し合うこと。
話をすること。
ある事柄に関して、非公式にまたは形式ばらずに意見を述べること。
電話機を用いて通話すること。
電話で話をすること。
面倒をみること。尽力すること。
公的機関や企業などが、正式な情報として世間に発表すること。
文字や記号を用いて書き表すこと。
はっきりと表し示すこと。
善行・功績などを人々の前に明らかにし、ほめたたえること。
その中の一部であるものが全体をよく表していること。
直観的に心に思い浮かべること。
はっきり言いきること。
はっきり示すこと。
ある事柄が、よくわかるように述べること。
不明な点を探って、はっきりさせること。
道理や真理をつきつめて明らかにすること。
ある物事や判断の真偽を、証拠を挙げて明らかにすること。
自分の立場や考えを説明して、誤解や非難を解き、理解を求めること。
事情などを説明してはっきりさせること。
他人の非難などに対して、言い開きをすること。
あかりがついたり消えたりすること。光が明るくなったり暗くなったりすること。
「発語」がなされた場合、多くの場合は「それに対して応答して良い」ものとなる。またその中でもさらに「それに対して応答したほうが良い」ものも多い。この「応答しても良い」「応答したほうが良い」という在り方はかなり普遍的なものである。発語の中には、単に「応接する」だけでなくそれ以上の行為・応接を促すものも少なくないが、それは次回に回す。まず先に、「期待されている、弱い意味での応接」に関連する語を扱っておく。ただし辞書の解説をみるとわかるように、「応接する」は何か根幹的な事態の説明になっている、というわけではなく、限定的な意味あいしか無いのが通常だ。私のここでの用法が譬喩的・拡張的なものである、ということになる。
訪れた人を招き入れて、その相手をすること。
周囲の状況などに合わせて事をすること。
相手になって、受け答えすること。
問いかけや呼びかけに答えること。
ある事柄・状況に合わせて適当な処置をとること。
一方が呼びかけ、または話しかけ、相手がそれに答えること。互いに呼びかわすこと。
文中で、ある語とあとに来る語とが特定の関係を示すこと。いわゆる係り結びのほか、否定・仮定・疑問の呼応など。
外界からの刺激によって心が深く感じ動くこと。
募集に応じること。
敵の攻撃に対して戦うこと。
力を貸して助けること。
競技・試合などで、声援や拍手を送って選手やチームを励ますこと。
他の人と交渉をもつこと。
近づいて触れること。触れ合うこと。
身分の高い人が公式に会見すること。
身体の拘束を受けている被疑者・被告人と、弁護人などが面会すること。
直接に会うこと。特に、応募者や対象者に直接会って試問・助言などをすること。
客をもてなすこと。
二つ以上のものがつながること。
二つの金属の接合部を高熱で溶かして継ぎ合わせること。
向かい合って話し合うこと。また、ある事柄について二人で話し合うこと。
互いに向き合うこと。
囲碁または将棋の対戦を行うこと。
対立する者どうしが、にらみ合ったままじっと動かずにいること。
互いに勝利を争うこと。互いに張り合うこと。
両者が、面と向かい合って事の決着をつけること。また、困難に正面から立ち向かうこと。
相手を敵とみなして対抗すること。敵としてはむかうこと。
相対して戦うこと。競技などで相手となって戦うこと。
二つのものを並べ合わせて、違いやそれぞれの特性を比べること。
二つの事物を照らし合わせて比べること。