小学生しょうがくせいけの、記述式きじゅつしき試験しけん答案とうあんのお手本てほんになることを目指めざした文章ぶんしょう ―『烈車れっしゃ戦隊せんたいトッキュウジャー』を題材だいざいにして―

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このページの文章ぶんしょう適宜てきぎ追加ついか修正しゅうせいする可能性かのうせいがある。現在げんざいのところ、だい01~第12話までをげている。

小学生向けにかれている書籍しょせきの文章のおおくは、記述式きじゅつしき試験しけん答案とうあんもちいることが許容きょようされていない文体ぶんたいで書かれている。その文体をそのまま学習がくしゅうして記述式試験で使用しようするならば、おそらく大幅おおはば減点げんてんをされて、不合格ふごうかくになりかねない。だから記述式試験を受験じゅけんする小学生がそうならないためには、「試験の答案とうあんで用いることのできる文体」で書かれた文章を一度いちどみ、「文体のお手本」として習得しゅうとく理解りかいをする必要ひつようがあるはずだ。とくに「断定だんていしすぎない」かたや「曖昧あいまい内容ないようを曖昧であるままはっきりべる」言い方はすこ参考さんこうになる、とおもう。 …と、そのようなかんがえにのっとって以下いかの文章は書かれた。したがってこの文章もまた小学生向きに書かれている。

記述式試験で許容されていない文体とは、たとえば「敬体けいたいぶん」「会話かいわ頻出ひんしゅつするような文体」「かたりかけるような文体」「おし命令めいれいするような文体」「必要以外いがい体言たいげんめ」「助詞じょし述語じゅつご省略しょうりゃくおおすぎる文体」などがげられる。

試験しけん題材だいざいを『烈車れっしゃ戦隊せんたいトッキュウジャー』にもとめる。すなわち、この番組ばんぐみDVDディーブイディ視聴しちょうしたうえで回答かいとう解答かいとうするという試験を想定そうていすることとする。

この試験というのは、「けるようになる必要ひつようがある」というものではまったくない解答例かいとうれいめば参考さんこうにはなると思うので、読んでもらえれば良い。そうすれば内容ないようはともかくとして文体ぶんたいは参考になるはずだ。というのも、この種の文体で書かれた文章があまり生徒のまわりに多くないはずだからだ。あくまで文体にれるために存在する文章ぶんしょうだと理解りかいしてほしい。

なお、この番組は2014ねん2がつから2015年2月にテレビ朝日あさひ系列けいれつ放送局ほうそうきょく放映ほうえいされたものである。

解答例かいとうれいを、それにルビをったものに順次じゅんじえていく。ルビをそのまま答案とうあんくことはもちろんできないが、しかし「勉強べんきょう」の参考さんこうになら役立やくだつかもしれないからだ。

またこの文章と関係がふかのページにやはり、日本語にほんご述部じゅつぶ最後さいご位置いちするので、最後までぶん辿たどらないと大意たいいがわからない:寺村てらむら秀夫ひでおいた文章での検討けんとうがある。

最近さいきん更新こうしん記事きじ

トッキュウジャーだい12にじ定期券ていきけん

問1

第12話では、トッキュウジャーの五人の間に三つの掟があることが最後になってわかります。その一つは「絶対五人で助け合うこと。」というものでした。さて、今回の第12話では、どのようにして五人で助け合ったように見えましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

このかいでは「絶対ぜったい五人ごにんたすうこと。」という子供こども時代じだいあそびのなかでの「おきて」をはじめとする、「パス」というカードにかんする事柄ことがらをメンバーがおもす。この思い出すことそれ自体じたいが「五人で助け合って」思い出したようにかいすることが可能かのうである。すなわち、記憶きおくもどすことが五人の助け合いによって可能になったという物語ものがたりだと解することができるのである。

もっとも、記憶の回復はこの物語のなかでは、つね複数ふくすうによって達成たっせいされてきた。せっかくなので、そのてんいま一度いちど確認かくにんしておこう。ライトがトカッチの名前なまえを思い出したとき、ライトとトカッチはその点にかんして「ライトが思い出したということ」に同時どうじづいた。五人の故郷こきょううみったことを思い出したのは、ライトとカグラとが同時にみずんだことによって、二人で同時に思い出したのであった。トカッチがからちそうになったミオをたすけたことも、二人で同時に思い出した。ライトがものさがすのが得意とくいなのも、ライトの行動こうどうがきっかけでミオたちが一斉いっせいに思い出した。だからなのかどうか、掟の内容ないようや、その掟が記載きさいされたパスの存在そんざいを思い出すのも、複数というか五人が同時であった。と、そのように作品さくひんではえがかれている。

ライト以外いがい四人よにんは、当初とうしょ怪人かいじん催眠術さいみんじゅつによってちか過去かこの記憶やイマジネーションをうしなっていた。その四人のところを、ライトがたずねては記憶を取り戻させようとした。だが、カグラやヒカリは馬鹿ばか馬鹿しいとって相手あいてにしようとしない。だが、そのときライトにたいして「ライトがむかしいつもパスの話題わだいげていた」ことをつたえた。このことで、ライトの注意ちゅういが「記憶を失っているはずのかれらが、自分がパスの話題にふれることがおおいことだけはおぼえていること」の不思議ふしぎさにけられた。さらに、トカッチはライトが忘れていた重大じゅうだいことを記憶していた。つまり、「ライトが昔話題にしていたパス」というのが、現在げんざいトッキュウジャーで使っている電子でんし定期券ていきけんではなくて、昔、かみきで作ったカードのことをす、という点であった。ライトはこの手書きのカードのパスの存在を自分が完全かんぜんに忘れていたことに、気付きづく。さらに、ミオは、秘密ひみつ基地きちの「パス」にかんして「みんなでめたルール」が有ったことを覚えており、そういうものの存在をライトに伝えた。このルールの存在もまたライトは言われるまで完全に忘れていたのだ。ライトは四人とせっするなかからられたこれらをヒントにして、「手書きのパス」と掟を含むその記載内容ないようを思い出し、「える」ようにすらなった。そのとき、のメンバーもまた、各自かくじが手書きのパスが「見える」ようになっていて、それは同時だったのである。

この回は、ライトの視点してんから描かれているためはっきりとは言いれないが、他のメンバーが記憶を取り戻したのは、ライトとの接触せっしょくがあり、ライトからのはたらきかけがあったからでもあるだろう。今回のこの記憶の回復かいふくは、五人が共同きょうどう作業さぎょうてきおこなったとでも言えるものになっていたのだ。「絶対五人で助け合うこと」という掟を思い出すことになったのも、はからずも「五人で助け合」ったからにほかならなかった。その力は、ランプシャドーという怪人の催眠術をやぶるほどのものであったのだ。

問2

第12話からわかる、ゼットには見える「キラキラ」とはどのようなものか、君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

だい12でゼットが「キラキラ」を特徴とくちょうてきしめしたのは二回にかいあった。ひとつは、「五人ごにん絶対ぜったいたすう」というおきてのもとあつまって、「ライトのピンチを救助きゅうじょする」ことでまさにそれを達成たっせいしたときの五人に対してである。もう一つは、グリッタにたいしてである。この二つのケースには、独特どくとくのしかたで共通きょうつうこう見出みいだすことが可能かのうである。

トッキュウジャーの「五人で絶対助け合う」というそのときのかれらには、概括がいかつしてしまえば「友情ゆうじょう」とか「信頼しんらい」とかといったそういう「仲間なかま」どうしの感情かんじょう想定そうていされることになろう。それは、ランプシャドーの催眠術さいみんじゅつやぶるほどのちからがあった。

一方いっぽう、グリッタの場合ばあい、「シュバルツへの思慕しぼ」といった恋愛れんあい感情かんじょうてきなものがあり、これがその「キラキラ」の主要しゅよう要因よういんだと推定すいていしたくなる。ひとつの根拠こんきょは、まさにそのキラキラをゼットがみいしたちょうどそのときに、シュバルツからかつてゆずけたハンカチがヒラヒラとちる、といった出来事できごとからの連想れんそうである。つまり、放映ほうえいするがわが、そのキラキラと「ハンカチ」とを関連かんれんけて視聴者しちょうしゃ提示ていじしようという意図いとかんじられるのであり、それはつまり「キラキラ」が「恋愛感情に由来ゆらいする」ことの提示にほかならない。もう一つの根拠は、グリッタの母親ははおやであるノアには、ゼットからするとキラキラがられないことである。母親は自分じぶんむすめをキラキラにそだてたとゼットにべたが、そんなことがこの母親に可能かのうであろうか、というふうに視聴者には疑問ぎもんをもたせる。グリッタがキラキラを見せるとすれば、その要因よういんは母親以外いがいなにかであるはずだろう、と思わせるに十分じゅうぶんなのだ。

「友情」と「愛情」、この二つとゼットにしか見えない「キラキラ」とはどうやら関係かんけいふかそうであり、その「友情」と「愛情」というのは、共通項のある二項にこうなのである。つまり、どちらも同朋どうほうへのなにかの気持きもちといったものである。また、そうやってみるとわかることだが、シャドーのほうには「友情」だの「愛情」だのといったものはそうじて欠落けつらくしていそうであることも、見ていてかんじられる事柄ことがらである。幹部かんぶきゅうもの怪人かいじんとのあいだになら業務ぎょうむじょうでの信頼しんらい関係かんけいが見られることもあり、まだしもだが、幹部級の者どうしにはそういったものが欠落している。

ゼットが見出す「キラキラ」には、この段階だんかいではまだわからないてんが多いので断定だんていはできないが、それでも、「友情」「愛情」といった「じょう」のつくような概念がいねん関係かんけいのあるタイプの「キラキラ」というものはかなりその中核ちゅうかく位置いちするものであるようだ。「仲間なかまつめたい」ことによってそれでも「キラキラ」がえないかどうか、が実験じっけんで見たいのだとゼットもそう言っていた。やはり関係が有るのだ。そのことが第12話でわかる。

トッキュウジャーだい11やみ皇帝こうてい

第11話では闇の皇帝ゼットが、「キラキラ」したものや人を地球上に見出し、執心します。この「キラキラ」とは、この回ではどのようなものだと描かれていると思いますか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

ゼットが「キラキラ」を見出みいだすものには、大別たいべつして種類しゅるいまったべつのものがあるようにおもえる。そこがこのかい難解なんかいてんであるとわたしおもった。

一つは、銀箔ぎんぱくなどの装飾そうしょくひんに見られるような、物質的ぶっしつてきかがやきをはなっているものである。もうひとつは、ライトやトッキュウジャーのメンバーあるいはロボット、そして、遊園地ゆうえんちあそびにていた人々ひとびとなどにはり、そしてシャドーのメンバーにはられないという、ゼットにしかわからない「キラキラ」である。前者ぜんしゃは、まあだれが見てもかがやいているし、後者こうしゃはゼットにしかわからないようにけられる。

このわからなさにをかけるのが、ライトの発言はつげんに対するゼットの対応たいおうである。ライトがゼットにたいして「おにいさんも相当そうとうあかるいよね」とべたときに、ゼットが「本当ほんとうか?」とひどくうれしそうにし、そしてよりくわしい説明せつめいをライトにもとめたてんである。このときの「明るい」というのは、ゼットのう「キラキラ」とおなじタイプのものなのかが、視聴者しちょうしゃ一度いちど見ただけだとわからないのである。ただそれは明確めいかくがされなかっただけで、「ライトなどのふつうの人間の言う明るい」と「ゼットがかんがえる明るい」とはやはりことなるとみたほうが良い。だからここにはちがいが有る。ただ、物語ものがたりはその違いが明確めいかくになるといった展開てんかいはとらなかったのだ。

この二つの異なった「キラキラ」を統一とういつてき説明せつめいすることができる仮説かせつ提示ていじすることも可能かのうである。たとえば、そもそもなぜゼットは地球ちきゅうあらわれたときに、最初さいしょった場所ばしょが遊園地だったのか、しかもトッキュウジャーのメンバーがときに、という点に注目ちゅうもくしてである。車掌しゃしょうは遊園地をイマジネーションでいっぱいの場所であると規定きていしていた。イマジネーションの一つに「ゆめ見る」という要素ようそふくまれていて、その遊園地も「夢」を名前なまえに含むものだった。そのような遊園地に、しかもトッキュウジャーのメンバーが来た時に、おそらく本能ほんのうてきかれるようにしてゼットはった。ゼットの言う、そしてゼットにしか見分みわけられない「キラキラ」というのは、或いはイマジネーションや夢といった事柄ことがら関係の深い事柄なのかもしれない。遊園地のたとえば風船ふうせんなど物理ぶつりてきかがやきをはなっていた物体ぶったいも、遊園地でないようなことなった場所だとゼットには「キラキラ」に見えないのかもしれない。と、そのような仮説ならてることができるし、この回の中でとく矛盾むじゅんする点もさそうだ。

そのさいつぎ箇所かしょだけはになるはずなので、補足ほそくしておく。ゼットは人間とシャドーとの違いは「ひかってるかどうか」だと言い、それをべる際あたりをゆびしていた。しかもこれは「てにならない」というまえりとともに言われたので、「目が光ってるかどうか」も見た目でわかるとはかぎらない、むしろわからない場合ばあいが多い、と判断したほうがさそうだ。その判断はゼットにしかできないのかもしれない。ただ注意すべき点として指摘できるのは、このゼットのかた非常ひじょうにまぎらわしくて、この箇所かしょだけを視聴しちょうした人がもし居たなら「人間ではなくシャドーのほうが目が光っている」ように聞こえかねないようなものになっていることだ。しかし、前後ぜんご関係かんけいから判断はんだんする限り、そのぎゃくで「シャドーはまず目が光っていないが、人間は目が光っていることもある」としか導出どうしゅつすることはできないだろう。いずれにせよ、これはゼットのかんかたであって、者には知覚ちかくできない話なのである。この箇所のせりふが少々しょうしょうわかりにくくなっていて、矛盾むじゅんにも見えかねないので、そうではない上記じょうき解釈かいしゃくるべきだ、と指摘してきしておこう。

トッキュウジャーだい10「トカッチ、ゆうけにす」

第10話で、ヒロキの「自分を信じる」とトカッチの「イマジネーション」とは、どこが違うと描かれていましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

ヒロキは「自分じぶんしんじろ」とわれて自分を信じたのに、野球やきゅうのバッティングがうまくいかなかった。他方たほう、トカッチは、自分のイマジネーションを使つかって、タイプライター怪人かいじんあたらしいタイトルをつくらせてしまい、それによってかえって、相手あいてたおすことまでもができた。このちがいはどこにったのだろうか。

ヒロキはこの違いがどのようなものかを、ほとんど一部いちぶ始終しじゅうていたことでいろいろとづくことができた。「自分はいのっていただけだ」というふうにだ。トカッチはそのイマジネーションを使って、てきのタイプライターを利用りようしてタイトルを作るという作戦さくせんかんがき、イメージトレーニングという方法ほうほうによって作戦ができるように、それを練習れんしゅうもしていた。そのほとんどをヒロキは見ていた。ヒロキは、トカッチの戦闘せんとうシーンを見ていて、そのイメージトレーニングどおりに戦闘をしていることをとどけた。

ヒロキが野球の試合しあいのぞんだときになにをやったのかは、ヒロキしからないが、おそらくイメージトレーニングのようなものはやっていなかったのだろう。また、そのイメージを実現じつげんするための練習の考案こうあんといったものも、充分じゅうぶんではなかったのだろう。「自分を信じろ」と監督かんとくに言われたときも、結局けっきょくそれはうらけのない「お祈り」になってしまっていたのだろう。その違いを、トカッチの練習や態度たいどを見て、ヒロキはかんったのにちがいない。そして、そのことにづくために、トカッチが言った「イマジネーションはお祈りとは違う」という言葉ことばもヒントになったに違いない。それ以降いこう、ヒロキは自分のやったことは「お祈り」でしかなかった、ととらえるようになったからだ。この場合の「お祈り」というのは、「やるべきことをやったうえでてんまかせる」ようなものでもなく、「そのやるべきことすら充分ではない」ものだったのかもしれない。

トカッチの体現たいげんしてみせた「イマジネーション」は種類しゅるいのものがふくまれていたこともすこ重要じゅうようてんかもしれない。これは野球のほうに適用てきようするほうがわかりやすい。一つは、自分のプレーやその成功せいこうする瞬間しゅんかんをたとえばあこがれの野球やきゅう選手せんしゅなどにせるようにして、イメージするというものだ。もう一つは、その似せるためにはどのような練習をすればいのかを考える構想こうそうりょくとでもいったものだ。トカッチは、その両方りょうほうをタイプライター怪人相手に体現してみせたのだ。一つは、そもそもどうやってこの怪人相手につのかの作戦を構想するイマジネーション、もう一つはそのために、具体的ぐたいてきなタイピングやそのための戦闘の仕方しかたおもかべたり想像そうぞうしながら、それに沿って練習する、というものだ。この番組ばんぐみ全体ぜんたいが、後者こうしゃの「思い浮かべたりする」能力のほうを強調きょうちょうしがちなものだが、作戦を構想する能力のほうだってイマジネーションに含まれるのである。

たぶん、ヒロキの「自分を信じる」には、特にその「勝つための作戦を構想する」の部分ぶぶんおおきくけていたのだろう。

ただし、次の点には注意ちゅういする必要ひつようがある。ヒロキが「自分を信じる」というアドバイスと、トカッチの「イマジネーション」とを一緒いっしょくたにしていた理由りゆうにあるのは、おそらくトカッチがすでにして「自分を信じる」態度をあらわにしていたことでもあろう。トカッチは、年下としした少年しょうねんには「自分はなにえらそうなことは言えない」と言いながら、その一方で、自分の作戦や練習にはかなりつよ自信じしんを見せていた。ようするにトカッチという人物は「自分を信じる」態度もかなり見せていたのだ。そのためもあってか、ヒロキは「自分を信じたってダメだ」という言い方で「イマジネーションなんてダメだ」とも言うように最初さいしょなっていた。なので、この回の言わば「教訓」というものが「想像」や「構想」の重要性を訴えるものではあっても、「自分なんて信じたってダメ」というものではなかったことは、多少たしょう強調きょうちょうしておいても良いことかもしれない。その部分の否定ひていではなかったのだ。

以前いぜんいた記事きじ

トッキュウジャーだい01特急とっきゅう烈車れっしゃこう」

この回でのライトの、トッキュウジャーというチームのメンバーとしての特徴はどのようなものだと思いますか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

ライトの、トッキュウジャーというチームのメンバーとしての特徴とくちょうは、「ほんのすこあとから単独たんどくでチームに加入かにゅうした」ことにある。そして、後からはいったとはとてもおもえない活躍かつやくぶりにある。

ライトは、まだトッキュウジャーのメンバーをらないうちから、かれらの戦闘せんとう勝手かって参加さんかてきのシャドーを攻撃こうげきしようとこころみた。その素顔すがおのトッキュウジャーメンバーとい、それがじつはかつての仲間なかまとの再会さいかいであることがわかった。その後、トッキュウジャーのメンバーとして車掌しゃしょうらに認可にんかされたあとも、終始しゅうしのメンバーよりも率先そっせんして敵の陣地じんちかい、たたか能力のうりょくるかどうかもわからないうちから敵と肉弾にくだんせんひろげた。また、ライトは変身へんしんの戦闘でも「え」というわざしてしまい、そのやりかたもちいた戦闘にメンバーたちをたちどころにむことに成功せいこうした。

後から参入さんにゅうしたにもかかわらず、ライトの戦闘の仕方しかたは、他のメンバーをっぱり方向づけするような影響力えいきょうりょくをもっていた。そのためたった一回いっかいの戦闘だけでリーダーとしての不動ふどう位置いちめてしまったかのような展開てんかいとなった。

その特徴とくちょう簡単かんたんにまとめてしまえば「まれながらのリーダー」とでもいったものになろう。

なお、このかい全体的ぜんたいてき概要がいようは、筆者ひっしゃいた「あらすじ・アブストラクト・要約ようやく」で程度ていど提示ていじしている。また、以下いかのページでもこのかい詳細しょうさい解説かいせつしている。「会話かいわ構造こうぞう(そして中学生ちゅうがくせい語彙力ごいりょく):烈車戦隊トッキュウジャー第01話

トッキュウジャーだい02おれたちはここにいる」

この回を通じて、ヒカリの他のメンバーへの態度はどのように変化しましたか。説明しなさい。

解答例(ルビ付き)

「なぜこの五人ごにんがトッキュウジャーにえらばれたのか」というミオのいにたいして、車掌しゃしょう片腕かたうでてき存在そんざいのチケットくんは「五人が“んでいるも同然どうぜん” だからだ」というこたえかえした。その、五人の記憶きおくから固有名詞こゆうめいしとうのほとんどの細部さいぶ欠落けつらくしていることが判明はんめいした。そして、その記憶のさとさきの「死んでいるも同然」発言はつげんとを同一視どういつししたヒカリはその事態じたいをもっと重視じゅうしするべきだとのメンバーにうったえた。つまり物語ものがたり当初とうしょ、ヒカリは他のメンバーがのんきすぎるとおもってかれらに批判的ひはんてき態度たいどだった。

情勢じょうせい変化へんかさせたのはシャドーがえき占領せんりょうして人々ひとびところいをさせて恐怖きょうふのどんぞこおとしいれている状況じょうきょうがわかったことでであった。シャドーとの戦闘せんとうや人々の救助きゅうじょ優先ゆうせんするかそれとも自分じぶんたちの問題もんだい検討けんとうするのかのてんで、ヒカリとライトとで態度がはっきりかれた。自分たちの問題を重視するヒカリに対して、それをいなすようにして「たいした問題ではない」とあつかい、シャドーとの戦闘を優先しようとするのがライトであった。他のメンバーもそれに賛同さんどうしているそぶりであった。

その物語の終盤しゅうばんけて、ヒカリの態度が融和的ゆうわてきになっていった。その誘因ゆういんになったことがふたつあった。ひとつは、おもにミオが「ライトはしたらかないからしようがない」「ヒカリは、猪突猛進ちょとつもうしんするライトの行動こうどうおさえようとする。だからヒカリのように慎重しんちょうな態度のものることがこのチームには重要じゅうようだ」というふうにヒカリを説得せっとくしたことだ。もう一つは、戦闘のなかでヒカリもまた「自分は“死んでいるも同然”ではない、いまここに居る」と実感じっかんすることができるようになったことだ。その後、ライトが先頭せんとうっててきたたかうのをサポートする役目やくめをヒカリが自発的じはつてきけるまでにいたった。その役割やくわり分担ぶんたんによってシャドーに勝利しょうりしたこともあって、ヒカリの批判的な態度もなりをひそめた。

トッキュウジャーだい03おもいこんだらいのちがけ」

カグラがこの回で遂げた成長とはどのようなものだと君は思いましたか。説明しなさい。

解答例(ルビ付き)

車掌しゃしょう片腕かたうでてき存在そんざいチケットくんによって、「シャドーとの戦闘せんとう行動こうどう生活せいかつ中心ちゅうしんとすること」と「自分じぶんたちの故郷こきょうさがたびをすること」とは両立りょうりつできない選択肢せんたくしである、と五人ごにんのメンバーはげられた。その両立のできなさの宣告せんこくがいちばん直撃ちょくげきしたのはカグラであった。カグラはのメンバーにいくぶんひけめをかんじていた。この原因げんいん映像えいぞうないにはっきりと描写びょうしゃされてはいないが、カグラが変身へんしんまえ状態じょうたいだと戦闘せんとう能力のうりょくたかくなくてこわがりでもあり、変身したときの戦闘も自己暗示じこあんじちからってなにつよものになりきる「なりきり」という変化球へんかきゅうてきわざが中心であるため、自身じしん元来がんらいたたかいにいていないという自己じこ認識にんしきがあったことだろう。そのひけめにくわえて、自分じぶん記憶きおく欠落けつらくしていて故郷がまったくおもせないことのさびしさというものもつよかった。そのため、故郷さがしを断念だんねんしてまでトッキュウジャー戦士せんしつづける自信じしんというものがかった。ところが、シャドーによって子供こどもたちがとらわれて不安ふあん恐怖きょうふ姿すがたて、カグラの精神せいしん変化へんかこる。「子供たちをたすけたい」というちが自分のなかでつよいことをカグラは自覚じかくし、そのためにトッキュウジャーをやりたいとねがうようになっていた。ここでは、いままであまりけていなかった「自分よりもさらによわ立場たちば」というものに直面ちょくめんしたことがきっかけになったとえる。さらにシャドーとの戦闘せんとうのなかで「喪失そうしつした記憶がよみがえる」体験たいけんもしたことによってカグラはさらにまえきな気持ちになれた。つまり、その記憶回復かいふくのようなことがこるのだからトッキュウジャーをやりつづけることがそのまま故郷探しの旅になるのだ、という可能性かのうせいをライトに示唆しさされ、カグラも賛同さんどうできたのである。

このかいでのカグラをもし「成長せいちょう」という把握はあくするなら、それはつぎのようなものになるだろう。カグラは物語のはじめでは「自分よりもちからのあるもの」しか目にはいっていなかった。そのためのメンバーにひけめをかんじ、自分のことをたか評価ひょうかすることができないでいた。ところが、トッキュウジャーでないふつうの子供だと、自分のもっている戦士せんしとしての武器ぶきっておらず、「自分のほうが力のある者」になってしまう。そのことのづきがあったことがこの回でのカグラの成長と呼べるだろう。

カグラの「第二のピンチ」というのはどういう事柄だと君は思いましたか。説明しなさい。

解答例(ルビ付き)

カグラの「なりきり」はトッキュウジャーになってから開花かいかした能力のうりょくではなくて、もともとカグラがもっている心理的しんりてき傾向けいこうであり、能力であった。その「なりきり」というのは、カグラ自身じしんでコントロールしきれないものであるし、また、客観的きゃっかんてきての危険きけん判断はんだんもできにくいものであった。そのため「第一だいいちのピンチ」があってそれに対処たいしょするべく「なりきり」の状態じょうたいはいっても、それでけっして安全あんぜんとはえない。コントロールも危険の判断も充分じゅうぶんではなく、自滅じめつしてしまう可能性かのうせいがあるのである。たとえば危険なのにもかかわらず、けるべき対象たいしょう真正面ましょうめんからぶつかってしまうことがこりうる。そのような判断やコントロールのできなさを、ライトは「第二だいにのピンチ」とんでいたとおもう。

なお、このかい内容ないよう検討けんとうしたページには「物語ものがたり基本きほん設定せっていがわかりにくいトッキュウジャーのだい03」がある。

トッキュウジャーだい04わすものにご注意ちゅういを」

トカッチがこの回で遂げた成長とはどのようなものだと君は思いましたか。説明しなさい。

解答例(ルビ付き)

このかいのトカッチはトラブルの原因げんいん不注意ふちゅういやすいでつくしてしまっており、ことのほかてんたらない。そして、そのようにトラブルをこしてしまったという精神せいしん状態じょうたいもあってだろうか、トカッチは「自分じぶんがいかになんのとりえもいか」というなやみをミオにけて吐露とろしてしまう。もともとトカッチのくない点のひとつが、そういう自意識じいしきをもっていることなのである。つまり「自分には良いところがい」と当人とうにんかんじているために、それをカバーしようとして良くない結果けっかをよけいにこしやすいというタイプであったのだ。無茶むちゃやまのぼりを率先そっせんしておこなってしまい、結局けっきょく足手あしでまといになったのがそのれいだ。

トカッチの欠点けってんというものは「自分には良いところが無い」という自意識からまれているめんがあるので、したがって、この物語ものがたりでのトカッチの成長せいちょうというのはその自意識に変化へんかきるというかたちでのものとなった。その変化は、ミオの方も「イマジネーションの不足ふそく」という劣等感れっとうかんをもっていてにしていることをいたことによってであった。そのことで、「のメンバーも自信じしん満々まんまんなわけではない」ことをり、また、ミオのほうのちをはげましたり、危険きけんにあったときに救助きゅうじょしたりすることで、トカッチは「自分じぶんにもできることがある」と認識にんしきなおしたのである。その励ましのさいせた懸命けんめいさは変身へんしんまえのトカッチの、この回でのかずすくない「良いところ」だったとおもえる。また「自分のほうがイマジネーションはあるから、そのめんでミオをたすけることができるかもしれない」とトカッチはづくことができただろう。シャドーとの戦闘せんとうにその気分きぶんすこあらわれている。そのような形で「自分には良いところが無い」という自意識に多少たしょうでも変化へんかこすことができたのが、トカッチのこの物語ものがたりでの成長せいちょうえる。

ミオがこの回で遂げた成長とはどのようなものだと君は思いましたか。説明しなさい。

解答例(ルビ付き)

ミオはこのかいでほとんど成長せいちょうしなかったようにいっけんおもえる。というのも、トカッチと対照的たいしょうてきにもともとなにをやってもできていたからだ。この回でも、トカッチがパスを紛失ふんしつして列車れっしゃれない事態じたいになってもすぐに適切てきせつ対処たいしょ提案ていあん実行じっこうし、そのもあまりたよりにならないトカッチをカバーするべく終始しゅうし行動こうどうできている。また、トカッチがんだときのはげましも適切なものであった。自分じぶんのほうに「イマジネーション不足ぶそく」という唯一ゆいいつかもしれないひけめがあっても、「コンプレックスあるものどうし、がんばろう」などとトカッチにうことができるのである。これらの行動にみられるのは「成長」ではなく「もともとデキるひと」という人物じんぶつぞうであろう。こういう人が、はりきりすぎて、つね完璧かんぺきすあまり精神せいしんいためつけてしまうというのもありうるストーリーだが、この物語ものがたりはそういうはなしではなかった。

なので、もしミオの成長せいちょうということをこの回の出来事できごとそくしてべるならば、それは変身へんしん戦闘せんとうさいでのものになるだろう。というのは、変身して戦闘にはいってからのトカッチはむしろ活躍かつやくしており、その活躍するトカッチにわばられるようにして、ミオも活躍するからだ。イマジネーションにるものかどうなのかわからないが、戦闘せんとう段階だんかいではトカッチのほうが戦略せんりゃく工夫くふうがありミオのほうがややあといしているかんがある。と同時どうじに、物語ものがたり中盤ちゅうばんまでまったくダメダメであったトカッチが、自分じぶんはげましによって、変身へんしんにはすっかりたよれる戦士せんしになっていることをたりにしたことも、ミオに影響えいきょうあたえうるだろう。この回でのミオの成長せいちょうというものがあるとすれば、それは「自分じぶんの励ましがひとやくつことがある」ことのづきだろう。また戦闘めんではのメンバーのたたかかたからまなぶという成長をることも可能かのうであろう。そのようにおもう。

トッキュウジャー第05話「えた線路せんろのむこうがわ」

第05話ではどのような「問題の解決」が描かれていましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

だい05では、あく組織そしき戦闘員せんとういんによってまち人々ひとびと食料しょくりょう強奪ごうだつされ、人々はえでくるしんでいた。飢えのために人々は無気力むきりょくになり、さらに他人たにんには食料をあたえないような排他的はいたてき行動こうどうひとまでもがいた。これがえがかれていた「問題もんだい」である。悪の組織の戦闘員が戦隊せんたい打倒だとうされたことによって、食料が強奪ごうだつされてしまう問題は解決かいけつし、人々は、普通ふつうに食料がはいるような生活せいかつふたたもどった。そのような「解決かいけつ」が描かれている。

第05話ではどのような「成長」が描かれていましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

このだい05ではおも種類しゅるいの「成長せいちょう」がえがかれていた。ひとつはまち人々ひとびと戦隊せんたいったことによってこった「成長」であり、もう一つは戦隊メンバーの「成長」である。

町の人々が戦隊メンバーに出会ったことによって起こった成長にもさらにこまかくえば、ふたつの種類のものが指摘してき可能かのうである。一つは、自分じぶんたちが被害ひがいこうむったことによってさらなる他人たにんにも被害をおよぼすと、大変やましいちになるということをさとった、というものである。こういうことだ。物語ものがたり登場とうじょうするキャンプのメンバーは、あく組織そしき食料しょくりょうをほとんどうばわれており、かくっていた最後さいごの食料をあたえないために、気絶きぜつしてだおれていた戦隊メンバーのライトを見捨みすてて遺棄いきしようとしていた。そしてライトがたことによって最後の食料がだいしになりそれにはらてたキャンプメンバーたちは、ライトを自分じぶんたちのテリトリーから追放ついほうした。しかしそのことでメンバーたちは平和へいわになるどころか、かえって疚しい気持ちや罪悪感ざいあくかんにかられるようになった。このように、たとえ被害者ひがいしゃ立場たちばであっても、自分たちがさらなる被害者をすような行動こうどうをとると、かえって精神的せいしんてきには苦痛くつうになることがある、あるいは反対はんたいに被害者どうしでたすうと、精神的にすこらくになることがある、そのことを悟ったというキャンプメンバーの成長が描かれていた。

いまひとつ物語が示唆しさしていた成長が、指摘可能である。それは「必要ひつようなものがあらかじめ用意よういされていない場合ばあいは、自分たちで用意すればい」という「世界せかい法則ほうそく」を登場とうじょう人物じんぶつが悟ったこと、というものだ。これは二つの並行的へいこうてき事態じたいてとることが可能なさとりである。

一つは「食料」についてである。この物語は、加害者かがいしゃである悪の組織も被害者である町の人々も「ものというのは、食品しょくひんや食料のかたちであらかじめだれかによって準備じゅんびされたものである」というわくぐみなかで行動している。そのてんでは加害者と被害者とは同一どういつの行動原理げんりうごいている。ところがそこに共同体きょうどうたい外側そとがわから戦隊のライトが登場し、こともなげに食用しょくようとなるヤマメやたけのこ発見はっけんする。これは加害者にも被害者にもとされていた「食材しょくざい」である。そのことをたりにしたキャンプのメンバーにとっては、「あらかじめ食品や食料として準備されていない食材」というものがありうること、あるいは発見しうること、をった契機けいきとなった。これはキャンプメンバーにこった成長である。

他方たほう、戦隊メンバーはこれと並行的な、ある成長をげている。それは巨大化きょだいかしてカーキャリアレッシャーをもふくめて合体がったいした事後じごの、そのカーキャリアの「使つかみち」についてである。ライトは「自分たちでスゴくするんだよ」と豪語ごうごし、その発言はつげんどおり、カーキャリアの性能せいのう活用かつようした攻撃こうげき方法ほうほうをそのしてみせた。そもそもカーキャリアレッシャーは合体できることすら当初とうしょられておらず、合体可能であることもそれをもちいて攻撃できることも、すべてライトが即興そっきょう考案こうあんしたものである。この一連いちれんの行動から「あらかじめ武器ぶきとして準備されてはいない」装備そうびであっても創意そうい工夫くふう次第しだいで武器として活用することができる、そのことをライトはの戦隊メンバーに悟らせた。この悟りが物語が示唆する今一つの成長であり、それは食料に関してのキャンプメンバーの悟りと並行的であるというるのである。

トッキュウジャー第06話「さがしものはなんですか」

第06話ではどのような「問題の解決」が描かれていましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

だい06では、行方ゆくえ不明ふめいになったサポート列車れっしゃ発見はっけんして無事ぶじ回収かいしゅうするという任務にんむ戦隊せんたいあたえられた。ところがあく組織そしき幹部かんぶもまたこの列車れっしゃしがっており、戦隊がサポート列車を発見したところで収奪しゅうだつしようと企図きとしていた。まず前半ぜんはんで、この幹部の人質ひとじち作戦さくせんからまもりつつ、サポート列車をさきんじて発見し回収するという「解決かいけつ」がえがかれた。そして後半こうはんでは、運転うんてんしているサポート列車に対して悪の幹部が列車での攻撃こうげきくわえてきた。それにたいして防御ぼうぎょ撃退げきたいするために、戦隊がわではサポート列車の未知みち性能せいのうを発見する必要ひつようがあった。つづく後半では、その発見に成功せいこうし悪の幹部を無事ぶじ撃退するという「解決」が描かれた。

第06話ではどのような「成長」が描かれていましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

集団しゅうだんのリーダーというてんかんして、おもにライトとトカッチの「成長せいちょう」がえがかれていた。

トカッチは、集団にはリーダーが必要ひつようであり、そのリーダーというのはのメンバーよりも余裕よゆうをもち、他のメンバーの不足ふそくおぎなたすけるほどの能力のうりょくがなくてはならない、としんじていた。そしてリーダーという地位ちいたいしては、過剰かじょうあこがれているがゆえに、自分じぶんにはかえっていであるとおもっていた。そのため、「リーダーはべつにトカッチでいいんじゃない」というふうに他のメンバーに消極的しょうきょくてき信任しんにんされたことで、思ってもみない展開てんかい俄然がぜん奮起ふんきした。しかし、てきとのたたかいをつうじて、自分じぶんいだいていたリーダーかんにふさわしい振舞ふるまいができていなかったとかんじた。つまり、自分にはできることしかできない、他のメンバーがしゅならそのじゅうになるようなサポートが自分にふさわしい、と適性てきせい再認識さいにんしきすることとなった。ところがその点をライトに「サポートが得意とくいなリーダーもいてい」とわれ、さらにライトによって全員ぜんいんに「○○リーダー」とあだをつけられることによって、固定こていしたリーダーぞう集団観しゅうだんかん見直みなおすきっかけがあたえられた。このように、自分の適性を再認識し、なおかつ「それで良い」という是認ぜにんが与えられて固定的こていてきかんがえから解放かいほうされるようになったことがトカッチの「成長せいちょう」としてえがかれていた。

ライトは、そのトカッチが「リーダーらしくわなければならない」という「固定観念かんねん」にとらわれることで、かえって行動こうどうることができ、もともともっていた、自分自身じしんの身のたけに合った行動だけをとるという消極的しょうきょくてき姿勢しせいやぶるきっかけとなった展開てんかいたりにした。それまではライト自身は戦隊せんたいという集団しゅうだんにリーダーなど不要ふようだとかんがえていたが、その考えをすこし見直すこととなった。すなわち、リーダーというかんがかたがもたれることで成員せいいんの行動が方向ほうこう変化へんかすることがありうることを実感じっかんしたのであった。そのため、状況じょうきょうおうじてかくメンバーがそれぞれ得意とくい分野ぶんや発揮はっきすれば良いという考え方から、少し変化させた考え方をもつようになった。それが、各自かくじの得意なめんかして全員がリーダーとして振る舞う、という集団観であった。このように「リーダーという考え方」自体じたいがメンバーに与える影響えいきょうふか理解りかいしたということがライトの「成長」として認識にんしき可能かのうなように描かれていた。

トッキュウジャー第07話「やるせなく、やるなく」

第07話ではどのような「問題の解決」が描かれていましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

このかいではふたつの「問題もんだい」がえがかれていた。ひとつは、シャドー怪人かいじん特殊とくしゅ能力のうりょくによってトッキュウジャーのメンバー3にんふく何人なんにんもの人々ひとびと強度きょうど無気力むきりょくさせられ、あわや危険きけんにさらされたことである。もう一つは、それ以外いがいのトッキュウジャーチームのメンバーたちが、普段ふだんちいさな違和感いわかん否定ひてい感情かんじょうかさねで、人間にんげん関係かんけいがこじれてしまったことである。その「解決かいけつ」の糸口いとぐちとなったのは、関係のこじれの直接的ちょくせつてき原因げんいんになった事項じこう利用りようしてシャドー怪人をたおせたことであった。その成功せいこう体験たいけんによってわだかまりがけたとでもいった「解決かいけつ」をむかえることができたのである。

人間関係のこじれのおおもとは、カグラとヒカリのあいだしょうじた。カグラが特殊能力である「なりきり」によって忍者にんじゃになりきっていたときに、ヒカリの愛用あいようのけんだまこわしてしまい、しかもあわや怪我けがまでさせかねない展開てんかいになった。カグラはその「なりきり」にかんして日頃ひごろからヒカリに軽蔑けいべつされているのではという不安ふあんかんじていたこともあり、このけんでヒカリにたいする恐怖きょうふ罪悪感ざいあくかんがないまぜになった感情かんじょうたされんだ。他方たほうじつはヒカリのほうもいかりの感情を制御せいぎょできず表出ひょうしゅつしたことに罪悪感やまずさをかんじて、カグラたちをけてべつ車輌しゃりょうきこもっていた。

いまひとつのこじれは、車掌しゃしょう本音ほんね代弁者だいべんしゃともとれるチケットと、人造じんぞう人間にんげん車内しゃない販売員はんばいいんであるワゴンとのあいだこった。チケットは日頃ひごろからワゴンのことを「無思慮むしりょ軽薄けいはく」とかんじており、他方、ワゴンのほうはやとぬしである車掌にたいして「労働ろうどうった対価たいかをもらっていない」と日頃から感じていたということが、あたかも顕在化けんざいかしたかのように事態じたいは展開した。すなわち、チケットがワゴンをつよめの言葉ことば罵倒ばとうしてしまったため、おこったワゴンは職務しょくむ放棄ほうきし、車掌に対してストライキをこしたのである。

問題もんだいの「解決かいけつ」は、偶然ぐうぜんのきっかけによってもたらされた。上記じょうき経緯けいいで、たよることができるメンバーがなくなりヒカリとカグラとはいやおうなしにうことになり、双方そうほうとも謝罪しゃざいのきっかけをさがしていたこともあって、ヒカリが怒っていなくてむしろ罪悪感を感じていたことが判明はんめいした。その、おおもとの原因げんいんであった「“なりきり”を軽蔑けいべつされているのでは」というカグラの不安も解消かいしょうされることとなった。まず、シャドー怪人をたおすためにヒカリが考案こうあんした作戦さくせんは、カグラの「なりきり」の特殊能力を活用かつようするものであった。その後、二人で合議ごうぎ協働きょうどうすることで「なりきり」をふくむ作戦で怪人の特殊能力を解除かいじょすることに成功せいこうした。さらにその後も、カグラの「なりきり」体験たいけんを活用するかたちてきを倒すことができた。この成功体験によりカグラは自分の能力に引け目を感じていた状態じょうたいから段階だんかいだっすることができた。これが物語のなかで描かれていたおもな「問題の解決」である。

今ひとつの「問題」であった、車掌やチケットとワゴンとのこじれもなしくずしてき解消かいしょうした。ワゴンが不満ふまんのありかをはっきり表明ひょうめいしたことと、車掌がそれをかるあつかわず一定いってい必要ひつよう対処たいしょをしたため、ストライキも終了しゅうりょうし、機嫌きげんなおしたワゴンは平常へいじょう勤務きんむもどったのである。

第07話では「問題の解決」によってもたらされた、どのような「事態の進展」が描かれていましたか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

トッキュウジャーという物語ものがたり全体ぜんたいとして「うしなわれた記憶きおくもど故郷こきょう帰還きかんする」ために戦隊せんたいメンバーがたびをしている物語である、とえる。つまり全体としてれば「成長せいちょうの物語」よりは「回復かいふくの物語」の解釈かいしゃく枠組わくぐみつよい。このかいでもそのように位置いちづけることができる「進展しんてん」がられた。それは「ヒカリがなぜけんだま愛用あいようしているのか」についての記憶にかんするものである。

けん玉をカグラにこわされたときにヒカリが表出ひょうしゅつしたいかりの感情かんじょうは、ヒカリ自身じしんがとまどうほどのものであった。そこにヒカリがづいていない重要じゅうよう意味いみがある可能性かのうせいにカグラは気づいた。カグラは「けん玉はヒカリにとって大切たいせつだれか」にもらったものであり、またその記憶をヒカリが喪失そうしつしているという可能性があるという推測すいそくを、ヒカリにげた。そのことになにかしらおもたるところがあったヒカリの反応はんのうをみて、カグラがまだヒカリに感じていた不安ふあんまでも、今度こんどこそあたかも雲散霧消うんさんむしょうしたかのようであった。

その気づきによってヒカリは「何についての記憶を取り戻せばよいか」という「問題もんだい所在しょざい」がはっきりして、今後こんご目標もくひょうることができた。これがこの回で「問題の解決かいけつ」によってもたらされた「事態じたいの進展」である。

トッキュウジャー第08話「レインボーラインだい爆破ばくは

第08話でシャドーラインの側は何に成功して、何に成功しなかったと言えるでしょうか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

だい08ではネロ男爵だんしゃく指揮しきのもと活動かつどうがおこなわれた。ネロ男爵は、自身じしん目標もくひょう達成たっせいすることには成功せいこうした反面はんめん、シャドーの幹部かんぶ意思いしとく考慮こうりょれなかった。なので、そのてんについては特に成功しなかった。つまりまとめると、ネロ男爵は自分じぶん自身の目標を達成たっせいすることにのみ成功し、組織そしきのチームワークをたかめることには成功しなかった、と総括そうかつできる。

ネロ男爵の目標は、あらたなステーションをつくるために、陽動ようどう作戦さくせんによってトッキュウジャーの注意ちゅういべつ事柄ことがらけておくことであった。具体的ぐたいてきには、怪人かいじん特殊とくしゅ能力のうりょくによってトッキュウジャーの車輌しゃりょうのブレーキを破壊はかい暴走ぼうそうさせ、かつ、トカッチの身体しんたい爆弾ばくだん装着そうちゃくしてしまうことで、トッキュウジャーの総力そうりょくおおくをその対策たいさくけさせることができ、自分の活動のほうにづかせなかった。そのことにまんまと成功したネロ男爵は新たなステーションを作る見込みこみができた。

一方いっぽう、ネロ男爵は、他のメンバーの意思をかなえることは特にしなかった。ノア夫人ふじんがトッキュウジャーを邪魔じゃま存在そんざいになった、と憂慮ゆうりょしていたにもかかわらず、ネロ男爵の作戦でトッキュウジャーを全滅ぜんめつさせることはできなかった。また、そのことをかれは特に失敗しっぱいだとはとらえてもいなかった。つまりノア夫人の意思は考慮にまったく入れなかった。だから、ノア夫人の意思をかなえることにはあまり成功しなかった。

他方たほう、シュバルツ将軍しょうぐんは、トッキュウジャーのサポート列車れっしゃ略奪りゃくだつすることに執心しゅうしんしていた。もし将軍がこの作戦に関与かんよしていれば、ライトが成功したジーゼル列車の帰還きかんをきっと妨害ぼうがいしていただろう、また、その結果けっかとして、ジーゼル列車の帰還がおくれて、トッキュウジャーは車輌の暴走をめることにも失敗して壊滅かいめつてき被害ひがいこうむっただろう、…とそのように推測すいそくできる。しかしネロ男爵はシュバルツ将軍の協力きょうりょくあおぐことなく、独断どくだんことすすめた。そのため、ジーゼル列車の帰還をふせぐことができず、トッキュウジャーを壊滅させる千載一遇せんざいいちぐう機会きかいのがすこととなった。だが、そもそもシュバルツとはなったりもしていないため、その不成功ふせいこう顕在化けんざいかしなかった。

第08話においては、シャドーラインの側の遂行すいこう包括的ほうかつてき評価ひょうかする主体しゅたいはまだ登場とうじょうしていない。そのため、チームワークをいたかく幹部ごとの独断専行せんこうの活動を「全体ぜんたいとして成功か失敗か、一体いったいどちらなのか」というふうに位置いちづける活動も特にられない。ただ、視聴者しちょうしゃの側からある程度ていど包括的にながめた場合ばあい、ネロ男爵は自分自身の目標を達成することにのみ成功し、他のメンバーとの協力体制たいせい構築こうちくすることには特に成功しなかった、…と、そのようにならいうる。

第08話でトッキュウジャーの側は何に成功して、何に成功しなかったと言えるでしょうか。君の考えを述べなさい。

解答例(ルビ付き)

トッキュウジャーのがわは、こった出来事できごとへの対処たいしょには成功せいこうしたが、その原因げんいんとなった状況じょうきょうへの対処に成功したとはあまりえそうにない。そのように総括そうかつすることができるだろう。

トッキュウジャーはふたつのことに成功した。ひとつはサポート列車れっしゃであるジーゼル列車をうごくようにし、かつ、レインボーラインに帰還きかんさせることに成功したことである。このかなりの部分ぶぶんはライトの努力どりょくとイマジネーションのちからによって達成たっせいされた。もう一つは、シャドー怪人かいじんによって、列車のブレーキを破壊はかいされ暴走ぼうそうしたことと、トカッチの身体しんたい爆弾ばくだん仕掛しかけられたことの二つを、チームワークと機転きてんによってどうにか解除かいじょ解決かいけつすることに成功し、ついでに怪人もたおすことができたことである。前者ぜんしゃにあたってはまたしてもライトとあと車掌しゃしょうついでヒカリの尽力じんりょくが大きい。ジーゼル列車を帰還させ、トッキュウジャーの車輌しゃりょう連結れんけつさせ反対はんたい方向ほうこうることで、どうにか暴走ぼうそう鎮静ちんせいさせることができた。後者こうしゃのほうは、トッキュウジャーのライト以外いがいのメンバーや、乗務員じょうむいんのワゴンの一体いったいとなった協力きょうりょくによって、どうにか成功した。シャドーの側がまるでチームワークをいていたのとちょうど好対照こうたいしょうのようにして、トッキュウジャーはチームワークの力で危機ききえたようにえがかれている。

この番組ばんぐみかいは、上記じょうきの二つの成功をちょうどはじまりからわりまでで一区切ひとくぎりになるように情報じょうほう提示ていじされている。つまり「トッキュウジャーの成功物語ものがたり」として一区切りになるように出来事がられて、番組されている。この番組の特にこの回というのは、うなれば「トッキュウジャーの立場たちばからの物語」なのである。そのためもあって、トッキュウジャーの「成功せいこう」については気付きづかないままにわる可能性かのうせいおおきい。しかしその徴候ちょうこう各所かくしょ見出みいだされる。二点にてんげる。

トッキュウジャーの「成功しなかったこと」の一つは、今回のこの列車爆破ばくは危機ききの「意義いぎづけ」である。この回での危機というのは、番組が始まっていちばん最初さいしょの「トッキュウジャーを攻撃こうげきすること自体じたいしゅ目的もくてきであるシャドーの活動かつどう」であったことに由来ゆらいする。いままでの戦闘せんとうというのは、シャドーの側からすれば「自分じぶん領地りょうち・活動領域りょういき」にんできたトッキュウジャー(という侵略者しんりゃくしゃ)を撃退げきたいするためのものがおおかった。または、トッキュウジャーに先手せんてをうって攻撃こうげきする場合ばあいでも、攻撃自体が主目的なのではなく、あくまでサポート列車の奪還だっかんのほうが主目的であった。だが、今回の場合はそうでなく、陽動ようどう作戦さくせんのレベルとは言え、はっきりとトッキュウジャーを先手で攻撃することそれ自体が主目的であった。場合によってはトッキュウジャーが壊滅かいめつしてもいっこうにかまわない、くらいの攻撃ではあったのだ。トッキュウジャーは前回までなら言わば「攻撃こそが最大さいだい防御ぼうぎょ」とでもいう指針ししんのっとってポジティブにかまえていればかったのだが、この回でははっきりと「自分たちを先手で攻撃してくる敵」にそなえた「防御体制たいせい」が必要ひつようである、というステージに移行いこうしたのである。そのような状況じょうきょう判断はんだんをすることに、番組のこの回ではトッキュウジャーは成功したようにはえがかれていない。

トッキュウジャーの「成功しなかったこと」の二つめは、怪人の今回使つかった「んだふりによって攻撃する」という能力のうりょくへの対処たいしょである。この怪人は攻撃されるとすぐに「爆死ばくししたふり」をすることによって自身の身体を気体きたいし、分身ぶんしん生成せいせいする。気体化と分身化によってびて自在じざい潜入せんにゅうし、攻撃を準備じゅんびすることができるのだ。たしかにトッキュウジャーも不穏ふおん予感よかんがしたため、以前いぜんのように盗聴器とうちょうき仕掛しかけられたときのことをかんがえると随分ずいぶん不徹底ふてっていだとは言え、車輌ないそう点検てんけんをある程度ていどしたりはした。この活動かつどうそのものは評価ひょうかできる。しかしこれに失敗しっぱいして、てきの分身を一度いちど見落みおとした、そしてそれにもかかわらず、怪人かいじんをようやく捕獲ほかくしたあと、車外しゃがい投擲とうてきしふたたび「爆死したふり」をさせてしまっている。これがまったく評価できない。いかに、車輌が暴走して危機的であるとは言っても、怪人を爆発させてしまえば一般人いっぱんじん危害きがいくわえる可能性かのうせいだってある。怪人のこのような能力をある程度ていど把握はあくし、一度失敗しているにもかかわらず、ふたたび怪人を「爆発」させてしまったこと、これがトッキュウジャーの怪人への対処の「不成功」である。それがさらなる危機をまねかなかったのはたんに怪人のまぐれや偶然ぐうぜんによるものでしかなかった。本来ほんらいなら怪人の身体もろともトッキュウジャーのだれかが車外に避難ひなんし、爆発させないようにしながらたお方法ほうほうを考えるべきだっただろう。同じような不用心ぶようじんさが怪人が巨大きょだいしたあとのトッキュウジャーの側の攻撃態度たいどにもられる。巨大化したさいの攻撃がうまくいったのはあくまで偶然であり、きちんとした死亡しぼう確認かくにんが本来ならば必要だったはずなのに、それをしないうちに安心あんしんしきっているからだ。

出題者しゅつだいしゃから追記ついき

今回こんかいのシャドーのがわ不成功ふせいこうと、トッキュウジャーの側の不成功とが、ともに象徴的しょうちょうてきあらわれているのが、怪人かいじんとトッキュウジャーのメンバーとが市街地しがいち遭遇そうぐうしたときの場面ばめんである。両者りょうしゃともに「相手あいてがなぜここにるのか?」という問題もんだい意識いしきっていないか、かりに持っていても必要ひつよう用心ようじんをしていないのである。この遭遇はいままでのおおくのかいのものとはちがう。今までの場合ばあい、シャドーにられたえきの市街地にトッキュウジャーがあとからんでいくことで両者りょうしゃは遭遇していた。だがこの回は違う。この駅はシャドーによって乗っ取られている気配けはいい駅なのである。トッキュウジャーには「なぜシャドーがここに居るのか?」の問題意識や「サポート列車れっしゃねらっているのでは?」という用心が決定的けっていてきらない。他方たほう、シャドーの側も最初さいしょからトッキュウジャーに遭遇するようなつもりでいるため、やはり、「なぜトッキュウジャーがここに居るのか?」をにしていなさすぎなのである。つまり、「相手が居たので好都合こうつごう」くらいにしか事態じたい認識にんしきしていないのである。そのためにサポート列車の帰還きかん作戦さくせん感知かんちできず、結果けっかてきにはそれがトッキュウジャーをたお千載一遇せんざいいちぐうのチャンスをつかそこねることにもつながったのである。

なお「トカッチの身体に爆弾を仕掛けられた。」と書かないで「トカッチに爆弾を仕掛けられた。」と書くと、文意二通ふたとおりになってしまう。つまり「怪人がトカッチに爆弾を仕掛けた。」の意味いみと、「トカッチが爆弾を仕掛けた。」の意味と、両方りょうほうることができてしまう。なので、今回こんかいは「トカッチの身体に」というかたをして誤解ごかいふせいだ。

トッキュウジャーだい09おもいは片道かたみち切符きっぷ

第09話には「物語の最後までついに明らかにならなかった不思議な点」がいくつかあったと考えることが可能です。その不思議な点がどんなものなのかを説明し、また、「可能な解明」を行なうような仮説を提示してみなさい。

解答例(ルビ付き)(あやまりをつけたので、最小限度さいしょうげんど修正しゅうせいをしました)

だい09にはふたつの不思議ふしぎてんがあったとわたしおもった。ひとつは、なぜトッキュウジャーのメンバーは「千葉ちばという男性だんせいとラブラブ障害しょうがいぶつというゲームでペアで出場しゅつじょうしていたわか女性じょせい」のことをだれ一人ひとりとしてにもめず話題わだいにもしなかったのか、というてんだ。もう一つは、おなじような手口てぐち男性だんせいによって危険きけんから救助きゅうじょされた女性たちがみな同じようにしてその男性に恋愛れんあい感情かんじょうをもってしまったのもまた、シャドー怪人かいじんあやつられていたためなのだろうか、それともちがうのだろうか、というてんだ。この二つの不思議さは、まとめて考察こうさつして仮説かせつしたほうがいだろうと私はかんがえている。

後者こうしゃの不思議のほうからさきに考えよう。私の推察すいさつでは、女性のほうが救助してくれた男性に対して一律いちりつに恋愛感情をもってしまったのもまた、これもシャドーのあやつりの結果けっかである、というふうにおもえる。そのことを明示めいじする映像えいぞうい。しかしそう考えて良い理由りゆうを二つげることができる。一つは、そもそもの話として、危険から救助されたというだけでだれもが救助してくれた相手あいてに恋愛感情をもったりするはずがないということだ。あるいは、かり好意こういくらいはもったとしても、その女性のほうがみな恋人こいびとないシングルばかりである、というのは偶然ぐうぜんぎるからである。その恋愛感情のかたみなたようなかたちのものであったことも偶然が過ぎる。なので、これらの恋愛感情の発生はっせいからそのあらわかたいたるまで、シャドーによる操りや催眠さいみんの結果であったとなすほうが自然しぜんである。もう一つは、トッキュウジャーのメンバーであるミオにたい対してだけは、シャドーのたくらみが充分じゅうぶんにはかなかったことだ。ミオは、千葉という男性から好意こういみにじられる結果になっても被害者ひがいしゃの女性ほどにはネガティブな精神せいしん状態じょうたいにならずにいて、シャドー怪人があせるほどであった。その要因よういんにはミオのほうに「男性にまもられる一方いっぽう」であることへの違和感いわかんのこつづけていたこともあるだろうが、それだけではなく、ミオがシャドーのやりくちに対して一定いっていれや免疫めんえきをもっていたからでもあるとかいすることが可能かのうである。もしそうでないならば、そのあらわれたシャドー怪人に対してすぐさま物理的ぶつりてき攻撃こうげき可能かのうだったことの説明せつめいがつかない。これらの事柄ことがらあわかんがえると、女性が男性に対していだいてしまった恋愛感情やその発現はつげん仕方しかたもまた、男性がわ行動こうどう同様どうように、シャドー怪人による操りや催眠の結果であり、そのためトッキュウジャーのメンバーであるミオだけは、その影響えいきょう比較的ひかくてきちいさくてんだのである、とかいすることが充分に可能かのうである。

この点をまえて、前者ぜんしゃの不思議について考えてみよう。「千葉という男性とラブラブ障害物というゲームでペアで出場していた若い女性」のことを、なぜトッキュウジャーチームのメンバーは誰も気にかけたり言及げんきゅうしたりしなかったのか、という不思議さである。この話をしているときに、まず車掌しゃしょうとその片腕かたうでてき存在そんざいのチケットはほん車両しゃりょうのメンテナンスのために不在ふざいである。きちんとした判断はんだんができる可能性かのうせいめる「おとなの男性」はこの話題わだい関与かんよしなかったのである。また、恋愛に関心かんしん相当そうとうたかくて、その点をいちばんにかけそうにおもえるワゴンは、障害物ゲームの現場げんばなかったため、その男性に恋人こいびとがすでにるという可能性について、考慮こうりょれるほどの判断はんだん材料ざいりょうきしておらず、もっていない。そして、他のトッキュウジャーメンバーの場合ばあい、まず前提ぜんていとして、ミオとライトもまた、本当ほんとうのカップルではないのに賞品しょうひんてのためにカップルだと自称じしょうして出場しゅつじょうしたという認識にんしきがある。つまり、出場していたペアが本当にカップルであるとはかぎらない、という認識がまず先行せんこうしていた。そのため、千葉という男性にすでに恋人が居るという可能性があまり念頭ねんとうかれないということが、ありうるものになっていた。また、トッキュウジャーのメンバーが皆ひとしく、この千葉という男性を正確せいかく認識にんしきしていたかも少々しょうしょううたがわしい。たとえば、ライトが名刺めいし写真しゃしんて「ゲームのひとか」というふうにべたが、写真はゲームに出場したときの顔と髪型かみがたとうの点で、すごくているというほどではなかった。そのため、まさかカップルとして出場していたあの男性のことをライトがしているとは、他のメンバーのなかには思わなかったものたという可能性もある。ライトがあまり似ていない写真でも識別しきべつできたのは、彼だけが本心ほんしんから賞品しょうひんしくて本気ほんきでレースにのぞんでいて、レース場面ばめんでの千葉をライバルとして見なし対抗たいこう意識いしきをもったからであったかもしれない。また、ミオは状況じょうきょうをそこまで詳細しょうさいに皆に説明せつめいしたわけでもなく、レースがわってのシャドーに襲撃しゅうげきされた以降いこうはなししかしていない。下手へたをするとミオ自身じしんが、レースで競争きょうそうしたあの相手あいてと、シャドーに襲撃されたときに守られることとなったあの千葉という男性とが、同一どういつ人物じんぶつであるかどうかをにしていない可能性がある。なのでミオの断片だんぺん的な報告ほうこくいただけののメンバーなら同一どういつ人物じんぶつであるかどうかを気にしなくなりやすい。

さてしかしじつうと、少なくとも一人、その点を考慮こうりょしている可能性のあるメンバーが居るのだ。カグラだ。というのは、駅前えきまえで、いくつものカップルがたようなかたち無残むざん破綻はたんするシーンを目撃もくげきし、えきがシャドーにられていることにメンバーがづいたときに、まずその点をミオに関連かんれんけて気づいたのはトカッチであったが、次にカグラが「だまされていたんだ」というかたをした。この言い方がふたとおりにれりうることに注目ちゅうもくしたい。この発言はつげんをライトあたりはきっと「ミオがシャドーに騙されていた」とるだろうし、のメンバーもそうかもしれない。それにたいして、少なくともカグラはそのりと同時どうじにもう一つ、「ミオが千葉に騙されていた」というふうにも解していると思える。千葉という男性がミオに対してどのように振舞ふるまったために「ひとめぼれ」てき状態じょうたいにミオがなったのか、その経緯けいいはメンバーは誰一人見聞けんぶんしていなくて、そこは完全かんぜん想像そうぞう領域りょういきになっている。その「想像」の中に「ミオが千葉に騙されていた」というものをカグラはくわえていただろうと、思える。もちろん、それも結局けっきょくはシャドーの操りにるものだとも気づいてはいるが、現象げんしょうとしてみれば「千葉がミオを騙した」というふうな形をとっているだろう、ともカグラは解したのではないかと思える。そのように考えると、変身へんしんにカグラがミオに「たまには学級委員がっきゅういいんやくをやらせてね」というふうにかなり顕著けんちょな形で「ミオがふかきずついているはずだ」という想定そうていをあらわにした態度たいどととてもよく整合せいごうする。また、もしそういう方向ほうこう事態じたいを認識しているのなら、千葉に本来ほんらい彼女かのじょるか居ないかは二次にじ問題もんだいぎなくなる。というのも、居る場合でも居ない場合でもそれなりの「騙し方」というものはあるからだ。ただし、視聴者しちょうしゃがわからわかる範囲はんいでの、千葉のミオへの実際じっさいせっかたはそこまで不実ふじつなものではなく、すでに恋人が居るのならもうすこひかにしたほうがいだろう、程度ていどのものでおさまっていて、「騙した」とまではれない。その「もう少し控え目にするほうが良い」ような態度は、すでにシャドーの操りのもとにあったためだろう。しかしともかく、カグラはかなりひどい騙しの可能性も考えたと思えるし、そうだとすると、少なくともカグラは千葉にカップルの相手が居た点も考慮に入れていておかしくはないと見なすことができる。なお、これはシャドーのたくらみをミオの一件と最初に関連付けたトカッチにもあてはまりうる想定である。

このような不思議な点がのこるのは、つまるところ「千葉という男性が、若い女性と一緒にカップルとして出場していた」という事態が、すでにシャドーの操りによる一種いっしゅのカモフラージュや戦略せんりゃくであったのか、それともその場面はまだそうではないのか、が不明ふめいであることとも関係かんけいしている。もしそれも戦略のうちだとすれば、この女性とカップルであったかどうかすらも疑わしいわけであるし、当初とうしょは、犠牲者ぎせいしゃはこの若い女性のほうになる予定だったのかもしれないわけだ。ともかく言えることは、トッキュウジャーはシャドーをたおすことには成功せいこうし、そのたくらみも頓挫とんざさせることには成功したとまあえるが、そのたくらみの全貌ぜんぼう解明かいめいしたりしたわけではなかった、ということなのだ。そのことへのにしなさというものと、千葉に彼女が居たのか居なかったのかを気にしていない態度とは、あいつうじるものがある。それと対照的たいしょうてきに、皆ミオの言動げんどうに対しては相当に関心かんしんが高いとも言え、その結果けっかの点がすごされたとも言えるのだろう。