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この文章は、「知られていなかった、中学受験実績が高くて住民平均寿命の長い地域」「新版:東京23区の格差を縮小していた東大入試」「佐野眞一「ルポ下層社会」の後始末」「準拠集団・学歴社会・「社会国語力」」等の文章と関連性が在る。
この文章では、市区町村別の「平均寿命」から、居住地格差を抽出する方法を提案する。市区町村別の「平均寿命」のデータとして用いるのは少し古くなったが、以下である。厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態・保健社会統計課による「平成22年市区町村別生命表の概況」(URL)ページからリンクされている、「2概況 - 04」(URL)」中の「統計表1 市区町村別平均寿命」、これを用いる。これは事実としての「平均寿命」ではなくて、判明しているデータに基づいて推定された「期待値」である。
筆者は統計的手法にはまったく不慣れである。そのことも在って、次のような考えに基づいて、かつ、量的な程度の判断に対してはいくぶん恣意的な基準を設け、そのうえでこのデータから格差を抽出していくことにする。
…と、このような考えに基づいて、まず男女の平均寿命の「首都圏内順位」が或る程度近接している市区町村を抽出し、次いでこれらを「平均寿命が近い、地理的隣接関係に在る複数の市区町村のグループ」に分ける。もちろん、このような考えに基づく抽出は、市区町村の区切り自体が「地域的特性」を消去するような仕方で行なわれている場合には、全く無効である。たとえば、高台と低地の地域が半々くらいになるように「市」や「区」を設定してしまえば、そういった抽出では、標高に起因する特徴は把捉されない。しかし、そういう場合が一定程度成立していることは確かであろうが、それでも、そうでない場合もまた多いだろう。そのため、多少雑駁であるが巨視的な図柄をある程度描き出すことは、なんとか可能であるだろう。
調査対象とする市区町村は、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県の各市区町村とあと、茨城県の取手市とする。取手市を入れる理由は、「難関中学に合格した生徒数が多い公立小学校」が、首都圏と同レベルで1980年代には存在していたことが確認されているからだ。これで市区町村の数は251となった。男性と女性の平均寿命ごとに別々に順位を算出する。そして、男性の順位と女性の順位との差が「40位」以内の市区町村だと、「男性と女性の平均寿命の順位が近い」と見なすこととする。このような基準で、「男性と女性の平均寿命の順位が近い」市区町村を抽出する。
「男性と女性の平均寿命の順位が近い」市区町村を、男性の順位と女性の順位とを単純に平均して、「平均寿命の平均順位」なる架空の数値を算出する。つまり男女比などは考慮しないというやり方をとり、まるで男女が正確に半々であるかのように見なし、調査の簡便化を図るのである。
そして、今度は市区町村ごとのこの「平均寿命の平均順位」が、差が「約30位」以内でありかつ、地理的に隣接している市区町村というグループを見つけ出し、隣接している市区町村どうしで「グループ」として一括する。その際、厳密に30位以内だと意味のある組み合わせが多少漏れるという場合が在ったので、少しだけ基準を緩めて「30位+アルファ」以内としたのである。
このようにして見いだされたグループ内での「平均順位」を算出する。市区町村ごとの人口の違いなどは一切考慮せず、まるで各市区町村が人口が皆同じであるかのように見なして単純に市区町村ごとの「平均寿命の平均順位」を足し合わせ単純に平均する。このようにして「平均寿命の平均順位の平均順位」というまったくもって架空のような数値を算出する。
全体で251市区町村なので、目安になるように、50位ずつ区切る。このグループごとの平均順位が50位までの群を「特に平均寿命の長い市区町村」、50位未満から100位までの群を「やや平均寿命の長い市区町村」、100位未満から150位までの群を「平均寿命が普通の市区町村」、150位未満から200位までの群を「やや平均寿命が短い市区町村」、200位未満から251位までの群を「特に平均寿命が短い市区町村」と假に命名しておく。
結果を次にまず羅列する。
「特に平均寿命の長い市区町村」として抽出されたグループは以下の通りである。
「やや平均寿命の長い市区町村」として抽出されたグループは以下の通りである。
「平均寿命が普通の市区町村」として抽出されたグループは以下の通りである。
「やや平均寿命が短い市区町村」として抽出されたグループは以下の通りである。
「特に平均寿命が短い市区町村」として抽出されたグループは以下の通りである。
上掲の結果の活用のしかたはさまざまであろう。筆者も特段の名案が在るわけではない。上掲の結果を見てただちに看て取ることのできる点を一点だけ指摘する。それは「地域的特性」に起因する「寿命の格差」というのは、行政区分では把捉しきれない、ということである。たとえば次のような群である。
これらの群をみてわかることは、このグループの存在はもし「都道府県別」に別々にカウントしていたら判明しなかった、ということである。前者のグループでは「町田市」だけ東京都だから入らなかっただろうし、後者のグループでも、「東京都北区」と「川口市+鳩ケ谷市」とで別々にまとめられてしまう。
同じことは政令指定都市の区分でも言える。前者のグループをもし、「横浜市」と「川崎市」で別々に算出していたら、きわめて重要な地域的特性を見逃すことになる。
このような見逃しが実際に行なわれているのが、「東京23区の格差を縮小していた東大入試(改訂版)」でも参照した東大が行なっている「学生生活実態調査」の集計である。たとえば『学内広報No.1277』の巻末の「IV-表 現在の居住地」では、東大に在学する自宅生の居住地を「横浜市」「川崎市」などと別々に合計している。この調査には独自の目的も在るだろうから文句を言ってもしかたがないのだが、少なくともこのやり方だと「寿命の格差」と関係するような格差の実態は把捉できない。なぜなら「特に平均寿命の長い市区町村グループ2」のように横浜市(の一部)・川崎市(の一部)・東京都町田市とが一体となった地域というものに、それが表われているからだ。
実を言えば最初にも少し述べたが、市区町村の区切り自体もしばしば事態を不明瞭にしている。たとえば高台と低地とが半々になるように市区を区切れば、そこからは「標高」に起因する特徴は消滅する。だから今回の調査では「市区町村の区切り」が「意味のある」区切りになっているような市区町村をまず選抜する必要があった。その基準として「平均寿命の首都圏内順位が男性と女性とである程度近い」というものを用いたわけだ。これと同じことが、より大きな区切りでも言える。たとえば「横浜市」と「川崎市」とで別々に集計して合計することによって、何が把捉され、何が見逃されるのか、ということに社会調査は意識的になるべきだろう。
同じことは東京23区を小グループに分割するときにも言える。先の東大の学生生活実態調査では、台東区と豊島区とを一緒のグループにしていたり、中野区と杉並区とを一緒のグループにしていた。しかし、こと「寿命の格差」という観点に限れば、このグループ化には意味が無い。むしろ重要な特徴を見失わせる可能性が在る。反面、千代田区と中央区と港区とを一緒のグループにすることには、「寿命の格差」という点からは意味が在ると言える。これは単なる一例だが、寿命の格差からわかる地域的グループが多少でも判明すると、既存の社会調査でのグループ化という操作に対して、一定の距離を置くことができる。
結果を見て今一つ気づくことは、平均寿命順位が大きく異なるグループが隣接しているというケースが在ることだ。もっとも極端なのは、おそらく次の隣接関係である。
上記の極端な隣接分断は、地図を素人が眺めてもおそらく発見することができない。「海側の地域」か「高台にある地域」かという区分よりも、いくぶん、見かけではわからない地域的特性によるものだろうと思われるからだ。
ここまで極端ではないが、次の二つのグループの隣接関係も重要である。
ここで「東京23区内の東西格差」という話題がなぜ取り上げられやすいのか、の理由の一端が掴める。それは上で示したような隣接関係に言及する際、すべて「東京特別区」だけを用いて提示することができるから、というものだ。対照的に、先の神奈川県の隣接関係ではそうでなかった。すなわち「特に平均寿命の長い市区町村グループ4」には横浜市だけでなく、鎌倉市や葉山町などが含まれている。またこれらは青葉区あたりとは異なり、「いわゆる横浜都民」というわけでもない。東急沿線の横浜市だと「あれは横浜とは別」と認識できても、それ以外の横浜市はたいていの人はよく知らないのである。だからこれでは話がわかりやすくない。わかりやすくない話には人は飛びつかないのである。
より一般的に言って、「名前の無いもの」を把捉し考えることは、人は概して不得手である。東京23区内の格差に言及するときには、「山の手」「下町」といった「名前」が假にも在る。だが、他の地域を示す場合、概して適切な名前など無いのだ。あるいはむしろミスリードするような名前すら在る。たとえば「多摩ニュータウン」と「多摩田園都市」とを混同していた社会学者がいたが、これなどはその一例である。行政区分というのも名前の一つである。行政区分自体が最初から格差を隠蔽しようとして行なわれ命名された場合、その裏をかいて事柄を明確にすることは難しい。
寿命格差と関係の深い変数にどのようなものが想定可能か、を考えてみた。筆者が思いついた一つの候補は「大手証券会社の営業所」と「進学塾の校舎」の両方が在るか否か、というものだ。大手証券会社として、野村・大和・日興の3つをとりあげ、進学塾はめんどうなのでサピックスの小学部(中学受験)と中学部(高校受験)のみとりあげる。結果もあまり詳しく語らず、ごく大まかに、「人の口にのぼりやすい」ような話だけする。
「特に平均寿命の長い市区町村のグループ」には、非常に多くの「証券会社とサピックスの両方が在る都市」が存在している。たとえば荻窪や自由が丘や成城学園や青葉台やたまプラーザや新百合ヶ丘や町田や日吉や吉祥寺や鎌倉や柏や大宮である。ところが、「特に平均寿命の短い市区町村のグループ」にはこのような都市が見当たらない。川口や赤羽や上野や北千住や錦糸町や亀戸には証券会社は在るが、サピックスの校舎は無い。このグループでサピックスの校舎が在る場所は、王子と豊洲である。ここには大手証券会社の営業所は無い。このように、特に平均寿命の長いグループと短いグループとでは以上述べた違い方が見られる。そして、それよりも中間的なグループでの結果がこれを量的に覆すということも無い。
上記の「発見」が何かを意味するかはにわかにはわからない。あくまで假説的な話をするなら、こうだ。上記の「荻窪や自由が丘や成城学園や青葉台やたまプラーザや新百合ヶ丘や町田や日吉や吉祥寺や鎌倉や柏や大宮」のうち大宮と鎌倉は少し別にしたほうが良いかもしれないが、他は次のことが言えるだろう。これらの都市というのは「オフィス街」のなかに証券会社を設置したという都市ではない。むしろ、「住宅街の中に商店街や証券会社や進学塾が埋め込まれた都市」だと思った方が良い、これである。要するに、これらの都市に証券会社が設置されているのは、そこがオフィス街だからというのではなくて、周辺居住住民が裕福であるから、なのだ。そして、そこには小中学生が通塾する進学塾の校舎も安心して設置することができる。なぜなら住宅街の中にできたこれらの都市は繁華街では(あまり)ない、からだ。のみならず、進学塾の校舎を設置して元がとれる程度に「交通」も便利である都市だ。なお、この假説は、大手都銀の分布を調査することでより精密化することが可能だろうが、それは今はめんどうなので、しない。
あとこの結果のうち米軍基地のある「綾瀬市」がなぜか「特に平均寿命の長い市区町村グループ7」に加わっている理由は、以前にも述べたが相変わらず不明である。「耳の遠い老人ならば米軍基地の近隣に居住していても苦痛ではないので寿命に影響しない」かつ「自然環境はおそらく良い」という変な假説くらいしか思い浮かぶものが無い。
以上、相当雑駁であるが、ググってすぐに登場するようなサイトに書かれているものよりは、より現実的で重要な話をしたつもりである。