東京23区の格差を縮小していた東大入試(改訂版)

参考資料「「東大に多く合格する高校の付属中学」に80年代に多く合格していた公立小学校の分布」へのリンクを付記しました。また他に関連の強い記事としては「「平均寿命」に表われる首都圏の居住地格差」「佐野眞一「ルポ下層社会」の後始末」もあります。(2019/02/20)

データを少し補正して、主に横浜市関連の記述を修正しました。大勢に影響はありませんが結果の表は変化しています。(2019/03/02)

データを入れ替えて、後半を中心に大きく書き直しました。(2019/02/12)

まえがき

「東大入試は東京23区の格差を縮小していた、という疑いが強い」これは書き間違いでもなければミスプリでもない。しかもその事態は、「東大生の親の年収が慶應義塾大学の親の年収を抜いた」以降の東大入試についてこそ当てはまるのだ。これは、意外というほどではないにせよ、殆どの者が積極的には想定していない事態であり、むしろ殆どの者がその真逆こそを想定していたであるような事態ではないだろうかと思う。

この主張を断定的に述べるためには、1990年代初頭頃の「学生生活実態調査」のデータがぜひ必要であるが、しかし筆者はそれを現在持っていない。またその概要も知らない。したがって「疑いが強い」という弱めた書きかたになった。

さて、宮台真司は次のように談話で語っている。神保・宮台・鎌田「格差社会はなぜ生まれたか」,(→神保哲生+宮台真司+山田昌弘+斎藤貴男+本田由紀+堤未果+湯浅誠+鎌田慧+小林由美『神保・宮台(激)トーク・オンデマンドVII 格差社会という不幸』(2009,春秋社))(amazon

日本はどうかというと、すでに一九八〇年代の後半の段階で、東京大学の新入生の親の平均年収が、保護者が裕福であることで名高い慶應義塾大学の新入生の親の平均年収を抜くという事態が起こっていました。ところが、それから二〇年間何の手当てもなされず、そのことを呪う世論もなかったわけです。

このような話を聞くと、きっと次のように想像する人が多いはずである。

  1. 東大生には親が裕福な人が多い。
  2. 東大生には、裕福な家が多い地域の人が多い。
  3. 東大生には、裕福な家が多い地域の人が多く、裕福な家が少ない地域の人が少ない。
  4. 東大入試は、裕福な家が多い地域の人をたくさん合格させ、裕福な家が少ない地域の人をあまり合格させない。
  5. 東大入試は、東京23区の「山の手(西部)と下町(東部)との格差」を拡大させている。

上記のこのありがちな推論が間違いである疑いが強い、と筆者は言いたいわけである。それも、宮台が語っている「慶應大学よりも裕福な家庭の学生が多くなった東京大学」についてこそそうだ、と言いたいわけだ。つまり「慶應大学よりも裕福な家庭の学生が多くなった東京大学」というのは、「23区の東西格差」が東大入試によって縮小された結果なのである、ということが実は言えるのである。

筆者が行なったデータ処理

宮台発言とは無関係に筆者は、次のようなデータ処理を進めていた。その結果が、宮台発言にたまたま関連づけうるものになっていたというわけだ。ともあれ、それを紹介する。

まず当時の『サンデー毎日』を参照して、1988年~1993年の出身高校別東大合格者数を調査し、その上位校を抽出する。関東甲信越地方に限定して「ランキング」を作成する。そのうち「中学受験を行なっている男子校及び共学校」をマークする(図だと黄色)。ただし「お茶の水女子大附属」は男子は中学から高校に全く進学できないシステムなので、含めない。その結果を次の画像で示す。

1990年頃_関東_東大合格者数ランキング

ここで抽出された「男子中学受験枠のある(その過半は男子枠のみ)上位校」は、開成・学芸大附属・麻布・桐蔭学園・筑波大付属駒場・私立武蔵・栄光学園・筑波大付属・駒場東邦・桐朋・巣鴨・海城・聖光学院、そしてだいぶ差がついて浅野、となる。

ここで地理を確認しておく。東京大学は目黒区と文京区にキャンパスを有する。一方、高校は次のようになっている。開成は、東京都荒川区だが、実質的には荒川区・文京区・北区の交叉する位置である。学芸大附属高校は東京都世田谷区(その附属中学4校は、東京都文京区と東京都世田谷区と東京都練馬区と東京都小金井市にある)。麻布は東京都港区だが渋谷区にもほど近い。桐蔭学園は現在の区分では神奈川県横浜市青葉区(当時は現在の緑区と分かれておらず、併せて緑区と呼ばれていた)。筑波大付属駒場は東京都世田谷区だが、実質的には世田谷区・目黒区・渋谷区の交叉する位置である。私立武蔵は東京都練馬区(豊島区・中野区もごく近い)。栄光学園は神奈川県鎌倉市(横浜市栄区・戸塚区もごく近い)。筑波大付属は東京都文京区(豊島区も近い)。駒場東邦は東京都世田谷区だが、実質的には世田谷区・目黒区・渋谷区の交叉する位置であり、筑波大付属駒場のすぐ「裏側」である。桐朋は東京都国立市。巣鴨は東京都豊島区(板橋区も近い)。海城は東京都新宿区。聖光学院は神奈川県横浜市中区。浅野は神奈川県横浜市神奈川区だが、鶴見区との境界線に近接している。以上「確認」と書いたが、筆者も実は今調べて初めて正確になったという事項も含まれている。

東京大学に当時多く合格していた関東地方の高校のうち、中学受験男子枠のある(あるいはそれしかない)高校は、東京都と神奈川県に集中していることがこれでまずわかった。

なお、神奈川県の栄光学園と聖光学院はともにカトリック系の私立学校である。そのため、神奈川県の横浜駅以西在住者で、プロテスタント志向だったり仏教徒だったりなど、カトリックが合わないという家庭の生徒は、多少遠方でも同程度の難易度の別の中学を志望せざるをえなくなる(だろう)。この点もわりと重要かもしれない点である。

また、上記のうち国立(コクリツ)の中学は、受験資格を得るためには無作為抽選によって選ばれないとならないこと(つまり出願すれば誰でも受験できるというわけではないこと)、また居住地制限があること、も知っておいて良い。

1988年~1993年に現役合格可能な年次に対応している、1982・83・85・86・87年の四谷大塚進学教室の中学校合格者名簿というものを筆者は所有している。この名簿から、開成・学芸大附属世田谷(男子)・同竹早(男子)・同大泉(男子)・同小金井(男子)・麻布・桐蔭学園(男子)・筑波大付属駒場・武蔵・栄光学園・筑波大付属(男子)・駒場東邦・桐朋(男子)・巣鴨・海城・聖光学院の各中学合格者を抽出し、人数を調査する。また、栄光学園の判明合格者が定員の2~3割程度しかいないため、その補正・補充のために浅野の合格者のうち、神奈川県在住者のみを補足追加する(栄光学園は神奈川県在住者でないと入学できないので)。これらの合格者の出身小学校をリストアップし、出身が公立小学校でありかつ在住行政地区と異なる小学校の出身者である場合を除外して、また私国立小学校出身者も除外する。そのうえで、上記の各中学校のどれかに合計3人以上合格している公立小学校というものを、ここからリストアップする。生徒1人が何校も合格している場合であっても、あくまで1人として算出するのである。そのようにして「上記難関中学に3人以上合格させている公立小学校」というものを抽出し、それを基礎単位として各市区町村ごとに合格者数の合計を算出する。

追加修正します。上記の数値を算出したのち、高橋隆介・安藤明『有名中学完全攻略本―合格する子・させる親』(1987,光文社)のP104~105に掲載された「これが首都圏の優秀小学校だ!」と題するリストを用いて補正操作を行なった。この表は、最近の麻布、開成、武蔵、栄光学園などの合格者の出身小学校を調査して、編集部で作成しました。という説明がある。このリストには掲載されており、上記の調査では非抽出であった公立小学校の分を、「1校につき2人」というふうに加算し、データを補正する。この補正によって特に横浜市の公立小学校が21校分、データに追加された格好になり、栄光学園等の未判明の点を少し補足できる。

栄光学園だけの合格者数は、名簿掲載の分で243人であり、おおよその定員の27%程度しか判明しない。これに浅野中学の合格者数を加算すると(栄光・浅野両校合格者は重複を除外して)583人となり、浅野の合格者を栄光の合格者に置き換えたものと見なした場合、栄光学園の定員の65%程度が判明した恰好になる。この補正に加えて、栄光学園と浅野の立地の違いからくる補正を、先の「高橋本」のリストでの補正で行なった、と見てもらうと良い。

データの基礎となった四谷大塚進学教室について補足説明する。四谷大塚進学教室は週一度の試験を中心としている進学教室であり、東京都中野区に拠点をもち、試験会場も東京都の千代田区等で占められていた。しかし、1986年に新横浜(神奈川県横浜市港北区)に校舎を新設した(ウィキペディア:四谷大塚に拠る)。浅野中学の合格者数が、82・83年頃に比べて、85年で2倍程度、86年で目算で5~6倍程度に急増しており、神奈川県に新校舎を設置したことの効果はその年次から顕著に出ていると見ることができる。要するに、四谷大塚進学教室の合格者数のみで判断すると、とりわけ神奈川県の結果は「揺動的」「不安定」「不確定」になるほかない、ということが重要だ。

結果の概要

さて、東大が行なっている「学生生活実態調査」では実は本編よりも良い資料が掲載されている。それは、巻末の「資料」のページにおいてである。この巻末資料に前回の結果とおぼしきものを、本編よりは細かい項目別で集計したデータを掲載しているのだ。「IV-表 現在の居住地」という表である。その分類項が少しだけ細かいこととあと、その結果のほうが、中学受験データの時期にわずかに近い、というメリットがある。なので、そちらを参照することにする。この表から東大男子自宅生の居住地の地域ごとの集計結果を抽出するのである。

まず、2000年調査結果が掲載されている(『学内広報No.1227』)の当該ページより「1998年調査」における東大男子自宅生の居住地結果のほうを抽出する。同様にして次に、2002年調査結果が掲載されている(『学内広報No.1277』)より「2001年調査」における東大男子自宅生の居住地結果のほうを抽出する。

この集計と同じしかたで、先に算出した中学受験難関校合格者居住地の結果を地域ごとに集計する。

その三つの結果群を、一枚の表画像にまとめたものを以下に掲載する。ただし地域を表す項目名は少し改変した。

居住地ごとの難関中学男子合格者と東大男子自宅生居住地の比較

これらを見比べると次のような事項が、正確・精密に計算することなく看取できる。

なお、参考資料「「東大に多く合格する高校の付属中学」に80年代に多く合格していた公立小学校の分布」も必要に応じて併せて参照されると良い。

結果のありうる解釈

次のような箇所は、「解釈」の必要のあまりない箇所である。すなわち、「難関中学合格比率」よりも「東大男子自宅生比率」のほうがだいぶ上回っている箇所である。ここには不思議はなく、ややこしい「解釈」は不要であると思う。以下説明する。

その理由は一つは、上掲のランキングでの県立高校の合格者ということで説明がかなりつくから、というものだ。「他神奈川県(横浜・川崎以外)」がだいぶ多いのは、県立の湘南・厚木高校等が貢献したからだ、でだいぶ説明がつく。同様に「さいたま・川口・蕨」の多さも県立浦和高校が貢献したからだ、でだいぶ説明がつくし、「千葉・船橋・市川・習志野」の多さも県立千葉・船橋高校が貢献したからだ、でだいぶ説明がつく。

もう一つ、県立高校だけでは説明がつきづらいと思える場合は、「中学受験が難関である高校の高校受験で合格した層」で説明がつくことが多いのも理由だ。たとえば、「他埼玉県(さいたま・川口・蕨市以外)」の多さは県立川越高校分だけでは少し無理があるように思える。同様にたとえば「他千葉県(千葉・船橋・市川・習志野市以外)」の多さも県立東葛飾高校分だけでは少し無理があるかもしれない。だが、それらの分というのは、「中学受験枠もある難関高校」の高校受験組ということで説明してよい。開成、学芸大附属、筑波大付属駒場、私立武蔵、筑波大附属、桐朋、巣鴨、海城はこの当時高校受験枠でも生徒を募集していたと思う(桐蔭学園もやっていたようだが、ちょっと自信がない)。これらの中高に高校受験で合格した層というのが東大入学者のなかで一定の割合を保っており、特に「他千葉県」と「他埼玉県」の枠にそれが顕著に表れているのだ、と、そのように考えることができる。

以下説明を前回から修正します。「横浜市」「川崎市」の場合、難関中学受験合格者比率と東大自宅生比率とで大差がない。四谷大塚の名簿を主資料とした限りだと「実際の人数」より少し少な目に出ているかも知れないが、現状でできる「補正」は行なったので、それに期待するしかない。また、桐蔭学園のような超大規模校かつスポーツも重視という特殊性が何らかの形で「横浜市」「川崎市」の結果に影響するかもしれない、と想定することも可能である。ただ、「3人以上難関に合格している公立小学校」から桐蔭学園に合格しているうち、筑駒・開成・麻布・武蔵・栄光には合格していない分だけをカウントすると、「横浜市→163人、川崎市→74人」であるが他方「目黒渋谷世田谷区→109人、東京都23区以外→71人、新宿中野杉並区→25人、品川大田区→37人、その他神奈川県→23人」といった結果なのである。なので、「横浜市と川崎市と東京都市部」には影響しないが、「目黒渋谷世田谷区と新宿中野杉並区」には影響する、というタイプの事象を、桐蔭学園の特殊性で説明することには、どうも無理があるらしいとわかる。

だから、「解釈」が最も求められるのは「中野・杉並・新宿」「世田谷・渋谷・目黒」「品川・大田」といった「東京23区西部」でのみ、「難関中学合格者比率」に対して「東大男子自宅生比率」が半数程度以上減少しているという点についてなのである。のみならず、この地域には都立の戸山高校と西高校からの合格数分も加算されるので、難関中学受験組の減少はさらにもっと多いと見なければなるまい。これはどういう事態なのだろうか、と問うことが関係各位の今後の課題となるであろう。問い方にもいろいろなやり方があるだろう。

とにかく、ここまでで暫定的に言えることというのは、「東京23区の東西格差(中学受験上の格差も含める)」という話題と「東大生の保護者の年収が慶大生のそれよりも高い」という話題とは、安易につなげて一つのストーリーに統合してしまってはいけなそうだ、ということなのだ。

そのうえで、苅谷剛彦が有名な著書で述べた次の有名なフレーズが、苅谷の意図とは少し違った形で今でも検討に値するものとして屹立していることだけは、確認できるだろう。『大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』(中央公論社,1995)(amazon)、p65。

すなわち、東大入学に有利な階層の子どもたちは、有名進学塾に行くための教育費や、私立の中高一貫校の授業料が負担できる「財力」のみによって、有利な立場にあるのではない。それ以上に、この階層とむすびついた財力以外の要因が東大入学までのチャンスを強く規定しているということである。

個人的な回想

以下の回想はまったくもって個人的なものだが、しかしこの件に関心をもつ人にとってはすこぶる重要なものでもある。今回の「結果」を見る限り、この主観的な回想は記録しておいたほうが良いと思えるので、記録する。

筆者は今回の調査のために、過去の『サンデー毎日』を参照した。その際、筆者自身の該当年次のその号も当然しっかりと確認させていただいた。その時の不思議な印象というものを筆者は忘れることができない。

開成高校からの東大合格者一覧を見たときが本当に驚きであった。「四谷大塚の歴戦の勇士の名前が全然無い!」、これだったのだ。四捨五入すれば二百人になろうかというその合格者一覧のなかに、「四谷大塚の順位表等で見慣れた名前」は現役の年次も、一浪の年次も十人強しか見当たらなかった。「こんな名前も居たような気がする」という「中間的な知名度」の氏名すら一人、二人しか見当たらない。「いかにもよくできた」十人程度の名前以外が、「全く見覚えの無い名前」でことごとく占められていた。

同じような疎外感は、少しましとは言え、筑波大附属駒場高校からの東大合格者一覧にも感じた。違うのは「こんな名前も居たような気がする」という「中間的な知名度」の氏名が開成高校よりは居たことである。だが、いずれにせよ、四谷大塚等で「いかにもよくできた」数名と、「こんな名前も居たような気がする」数名以外は、やはり「全く見覚えの無い名前」だったのである。

麻布高校と私立武蔵高校には、そこまでの疎外感は感じなかった。たぶん「こんな名前も四谷大塚で見たような気がする」という、「中間的な知名度」の氏名がある程度多かったからだろう。

その一方で、facebookというメディアで、開成や筑波大附属駒場の自分の同期のメンバーを検索し、その「友達」などを見てみると、四谷大塚の「歴戦の勇士」や「居たような気がする名前」は、ちゃんといる(特に後者)。「そうそう、こんな名前も居たような気がするね」と思える。やはり居るのだ。つまり、こういった名前が想定以上の割合で「東大合格者(京大も含める)」には入っていなかったし、しかしにもかかわらずちゃんと存在はしたわけだ。筆者の記憶も正しかったわけだ。また、検索エンジンで少しだけ調べてみると、東大合格者に入っていなかった「歴戦の勇士」のなかには、医者や医学部の教員になっている者がやや多いようだった。しかしこれはほんとうに数名なので、あまり強く主張したい事実ではない。また、先の『サンデー毎日』調査で、「歴戦の勇士」のなかで一橋大に合格している者は何人かいたことは、確認した。

ともかく、ここで強く感じたことというのは、「中学受験のときの優等生」が大学受験のときには、進路や学力がそれなりに散らばってしまう、という事実のほうではない。そんなことは分かりきっている。そうではなくて、「四谷大塚等で見慣れた」中学受験のときの上位というグループとはまったく別の経路の人たちが、開成高校や筑駒高校からそれをはるかに凌ぐ勢いで大量に東大に合格している、という事実のほうなのである。おそらく高校受験組もかなり多いのだろう。あるいはまた四谷大塚以外の進学塾も当然いろいろあるので、その経路からの人も多いのだろう。また塾・進学教室に一切行かないで難関中高に合格したという者もなかにはいるだろう。いずれにせよ、東大入試というものは「中学受験のときには成立していた格差」というものを、何がしか完全リセットできるほどの何かである、ということを強く強く感じた。今までもうすうすとはそのことを知っていたが、この『サンデー毎日』調査は、その「完全リセット」が「個人的な知り合いの範囲」をはるかに超えていることを確認させるものとなった。

念のため言っておく。開成中学合格者というのは、おそらく同レベルの他の中学に比してよほど「23区東西格差」やそれに類するものが少ないほうである。23区東部からの合格者が多いほうだし、首都圏全体から広く薄くまんべんなく合格している印象が強い。その点、筑駒・麻布・私立武蔵のほうがよほどその東西格差は強い(参考資料:「80年代「男子御三家」合格者の居住地傾向概観資料」PDFファイル)。だが、筆者の個人的な体験としては、開成中高こそが中学からの合格者の優位性というものを「完全リセット」する力が強いというものであった。東大入試というものは23区東西格差を縮小させる力があるような格好になっているが、開成の場合、いちばん東西格差が小さい学校であるにもかかわらず、むしろ中学受験の優等生が有利になっていないかのようであった。ここに「社会学者によって解かれてよい難問」が控えている、と筆者は感じる。

一つのありうる「解答」は、中学受験時には東京23区西部に居住していた生徒が、大学受験時・東大入学時には東京都の市部や他県に転居していたというものだ。これはこれで一定数はあるだろう。当時の生徒保護者の多くは「持ち家志向」であるだろうし、そうとなれば自宅は「郊外」になることが多いはずだからだ。だが、そのような転居による層が大群をなしており、データの大勢を左右していたかと言えば、そう言える自信は筆者には無い。数ある要因の一つ程度にとどめておいたほうがよいだろう。

補足:苅谷本への異論

同じ内容を考えている人も多いだろうし、表明している人すら見た記憶があるが、筆者も一応述べておく。と言うかすでに述べたことがあるが、このページでも述べておく。p64に「上層ノンマニュアル」と呼ばれる社会階層が提示され、以降その階層の存在を前提とした論が続く。その内容はしかしまったく異なった二つのものをごちゃまぜにしているだけのように、筆者には思える。「医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職」と「中小企業の経営者」という二つである。経済的な格差について論じるならこの二つをごちゃまぜにしても良い。だが、学歴に現われる格差についてなら、ダメだ。なぜなら、「中小企業の経営者」に「なる」ため、さらに「成功する」ために、学歴は全く不問の場合が多いからだ。一方、「医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職」に当時・現在の日本社会で「なる」ためには、ある程度以上の学歴は必ず取得しなければならない。今「弁護士は学歴なくてもなることは可能だろ」という声も聞こえてきたが、そんなことを知っているというだけでも限られた層だろう、周囲に大卒者が少ない環境の者がそんな事を知っているとは思えない、と筆者は考えたので、この声は無視したい。

だからこの「医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職」と「中小企業の経営者」とを合計した集団を一括して「上層ノンマニュアル」と呼び、その割合が東大生のなかで長期間永続的に一貫して高くあり続けていたとしても、それだけでこの判明結果がインパクトがあるわけではないのだ。おそらくこれはマルクス主義の残滓であり、「経営者」(資本家!)というだけですでに資本主義社会の勝利者であり、したがって「大企業の中間管理職よりも中小企業経営者のほうが上」という感覚があってのことだろう。ともかくこの「中小企業の経営者」という項目を削除してみての割合がどの程度一貫しているのか、まずはそこからだ、と筆者は感じる。同感の読者も今までいたはずであろう。その点を付記しておく。