新版:東京23区の格差を縮小していた東大入試

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主要参考資料として「「東大に多く合格する高校の付属中学」に80年代に多く合格していた公立小学校の分布」へのリンクを付記した。以下はこのリンク先を一瞥したことが前提になる。また関連の強い他の記事としては「知られていなかった、中学受験実績が高くて住民平均寿命の長い地域」「「平均寿命」に表われる首都圏の居住地格差」「佐野眞一「ルポ下層社会」の後始末」も在る。

まえがき

「東大入試は東京23区の格差を縮小していた、という疑いが強い」これは書き間違いでもなければミスプリでもない。しかもその事態は、「東大生の親の年収が慶應義塾大学の親の年収を抜いた」以降の東大入試についてこそ当てはまるのだ。これは、超意外というほどではないにせよ、殆どの者が積極的には想定していない事態であり、むしろ殆どの者はその真逆こそをうすうす想定していたような事態だと思う。

この主張を断定的に述べるためには、1990年代初頭頃の「学生生活実態調査」のデータがぜひ必要であるが、しかし私はそれを現在持っていない。またその概要も知らない。したがって「疑いが強い」という弱めた書きかたになった。

さて、宮台真司は次のように談話で語っている。神保・宮台・鎌田「格差社会はなぜ生まれたか」,(→神保哲生+宮台真司+山田昌弘+斎藤貴男+本田由紀+堤未果+湯浅誠+鎌田慧+小林由美『神保・宮台(激)トーク・オンデマンドVII 格差社会という不幸』(2009,春秋社))(amazon

日本はどうかというと、すでに一九八〇年代の後半の段階で、東京大学の新入生の親の平均年収が、保護者が裕福であることで名高い慶應義塾大学の新入生の親の平均年収を抜くという事態が起こっていました。ところが、それから二〇年間何の手当てもなされず、そのことを呪う世論もなかったわけです。

このような話を聞くと、きっと次のように想像する人が多いはずである。

  1. 東大生には親が裕福な人が多い。
  2. 東大生には、裕福な家が多い地域の人が多い。
  3. 東大生には、裕福な家が多い地域の人が多く、裕福な家が少ない地域の人が少ない。
  4. 東大入試は、裕福な家が多い地域の人をたくさん合格させ、裕福な家が少ない地域の人をあまり合格させない。
  5. 東大入試は、東京23区の「山の手(西部)と下町(東部)との格差」を拡大させている。

上記のこの在りがちな推論が間違いである疑いが強い、と私は言いたいわけである。しかも、宮台が語っている「慶應大学よりも裕福な家庭の学生が多くなった東京大学」についてこそそうだ、と言いたいわけだ。つまり「慶應大学よりも裕福な家庭の学生が多くなった東京大学」というのは、「23区の東西格差」が東大入試によって縮小された結果なのである、ということが実は言えるのである。

結果の概要

さて、東大が行なっている「学生生活実態調査」では実は本編よりも良い資料が掲載されている。それは、巻末の「資料」のページにおいてである。この巻末資料に前回の結果とおぼしきものを、本編よりは細かい項目別で集計したデータを掲載しているのだ。「IV-表 現在の居住地」という表である。その分類項が少しだけ細かいこととあと、その結果のほうが、中学受験データで対象になっている生徒が学生時代を送った時期にわずかに近い、というメリットが在る。なので、そちらを参照することにする。この表から東大男子自宅生の居住地の地域ごとの集計結果を抽出するのである。

まず、2000年調査結果が掲載されている(『学内広報No.1227』)の当該ページより「1998年調査」における東大男子自宅生の居住地結果のほうを抽出する。同様にして次に、2002年調査結果が掲載されている(『学内広報No.1277』)より「2001年調査」における東大男子自宅生の居住地結果のほうを抽出する。

この集計と同じしかたで、先に算出した中学受験難関校合格者居住地の結果を地域ごとに集計する。

その三つの結果群を、表にまとめたものを以下に掲載する。ただし地域を表す項目名は少し改変した。

1980年代男子中学受験難関校に合格した小学六年生の居住地分布と、「自宅東大生」の居住地分布との比較
居住地域 1982~87 難関中学合格男子判明分人数 1982~87 難関中学合格男子判明分比率 1998 東大生自宅男子比率 2001 東大生自宅男子比率
足立・葛飾・荒川 202人 2.9% 2.0% 1.8%
江戸川・江東・墨田 252人 3.6% 3.3% 1.8%
台東・文京・豊島 272人 3.9% 6.6% 2.0%
千代田・中央・港 206人 2.9% 1.3% 2.0%
板橋・練馬・北 563人 8.0% 5.1% 5.5%
中野・杉並・新宿 740人 10.5% 6.1% 6.5%
世田谷・渋谷・目黒 967人 13.8% 7.4% 7.5%
品川・大田 424人 6.0% 3.0% 3.4%
23区外東京都 923人 13.1% 12.4% 14.6%
横浜市 802人 11.4% 11.9% 13.8%
川崎市 345人 4.9% 5.1% 6.5%
他神奈川県 188人 2.7% 5.1% 6.5%
さいたま・川口・蕨 144人 2.0% 5.3% 5.3%
他埼玉県 387人 5.5% 7.6% 8.1%
千葉・船橋・市川・習志野 212人 3.0% 6.1% 6.5%
他千葉県 381人 5.4% 8.1% 6.1%
その他(首都圏近圏) 17人 0.0% 3.3% 1.4%
無答 0.3% 0.2%

これらを見比べると次のような事項が、正確・精密に計算することなく看取できる。

結果への在りうる説明の仕方

次のような箇所は、「踏み込んだ説明」の必要のあまり無い箇所である。すなわち、「難関中学合格比率」よりも「東大男子自宅生比率」のほうがだいぶ上回っている箇所である。ここには不思議は無く、ややこしい「説明」は不要であると思う。高校入試の合格者によって増えたのだ。

ただし、桐蔭学園の特殊性をどのように捉えるか、は重要である。桐蔭学園は他の高校の数倍以上の卒業生を輩出している、と言える。ということは、東大に落ちている卒業生の数もまたはんぱでない多さであるはずだ。この高校がなんらかの形で「東京23区東西格差の縮小」に影響している可能性を考える人は多いはずだ。だが、そのことは今回のデータ上だけではあまり断定できないのだ。以下その説明をする。

桐蔭学園は一学年の卒業生の当時の人数は1600人以上程度(おそらく男女合計)とも言われており(桐蔭学園中学校・高等学校 - Wikipedia)、他の高校とはケタが1つ違いかねない。また、その進路は「勉強」方向のものだけでなく、スポーツ関係も同等に多い。なので、この学校のデータを混ぜることで混乱が起きるのではないか、と危惧されもするだろう。だが、忘れてはならないのは、このデータは「四谷大塚進学教室から桐蔭学園中学に合格した層」に限定されているということだ。この層というのはつまり「四谷大塚進学教室と桐蔭学園と両方にダブル合格した」層だと見なしてもらうと良いと思う。当時の四谷大塚進学教室は、いわゆる「ふつうの公立小学校でもまずまず上位の成績の児童」に該当しない者が合格できる余地はほとんど無い。最終的な合格校が相当に易しい学校であったとしても、である。その程度には当時の首都圏には「四谷大塚進学教室に合格するための塾」もまた氾濫していた。「四谷大塚に入ること」がまず最初の「ゴール」になってしまっている生徒がそれだけたくさんいたのだ。なので、今回の調査対象である桐蔭学園の合格者の多くは、そのまま順当に「勉強方向の進路」を選択する層に限定されている、と見なして良い。まずこれが一点め。

次に「桐蔭学園から“東大の不合格者・東大受験の断念者”が大量に出ることによって、東京23区の東西格差だけが縮小するか」問題である。その点に関しては「データからそう言えるということは無い」と言うほか無い。このページで従来記載してきた旧データに基づいてになってしまうが説明する。「3人以上難関に合格している公立小学校」から桐蔭学園に合格している者のうち、筑駒・開成・麻布・武蔵・栄光には合格していない分だけをカウントする。それらに合格した層が桐蔭学園に入学する可能性は低いからだ。そうすると「横浜市→163人、川崎市→74人」であるが他方「目黒渋谷世田谷区→109人、東京都23区以外→71人、新宿中野杉並区→25人、品川大田区→37人、その他神奈川県→23人」といった結果である。これらの合格者のうち、「神奈川県」の260人と「東京都23区外」の71人は順調に東大に合格した者が多かったが、「目黒渋谷世田谷新宿中野杉並品川大田」の171人のほうはわずかしか東大に合格しなかった、のならば「東京23区の東西格差だけが縮小する」ことは起こりうるだろう。だが、そもそもそんなふうな事態が起こると想定して良い根拠が何も無い。なので、結局桐蔭学園がこの結果に大きく影響したと見なす根拠はデータ上には無い、と判る。

ついでに桐蔭学園からの東大合格者の性別については、該当するサンデー毎日の一部を一瞥した印象にすぎないが、「9割以上は男子」と考えてもらってよいのではないか、と感じた。要するに、「女子の合格者の影響」は特に考慮しなくても良い、…とそのように考えている。一方、学芸大付属高と筑波大付属高は特に調査はしていないが、女子比率は高そうだ。だが、それで男子東大合格者の人数が半減したとしても、「ランキング」には入るはずだろう、と私は楽観している。

だからそういうわけで、「説明」が最も求められるのは「中野・杉並・新宿」「世田谷・渋谷・目黒」「品川・大田」といった「東京23区西部」でのみ、「難関中学合格者比率」に対して「東大男子自宅生比率」が四割程度減少しているという点についてなのである。のみならず、この地域には都立の戸山高校と西高校からの合格数分も加算されるので、難関中学受験組の減少はさらにもっと多いと見なければなるまい。これはどういう事態なのだろうか、と問うことが関係各位の今後の課題となるであろう。問い方にもいろいろなやり方が在るだろう。

とにかく、ここまでで暫定的に言えることというのは、「東京23区の東西格差(中学受験上の格差も含める)」という話題と「東大生の保護者の年収が慶大生のそれよりも高い」という話題とは、安易につなげて一つのストーリーに統合してしまってはいけなそうだ、ということなのだ。

そのうえで、苅谷剛彦が有名な著書で述べた次の有名なフレーズが、苅谷の意図とは少し違った形で今でも検討に値するものとして屹立していることだけは、確認できるだろう。『大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』(中央公論社,1995)(amazon)、p65。

すなわち、東大入学に有利な階層の子どもたちは、有名進学塾に行くための教育費や、私立の中高一貫校の授業料が負担できる「財力」のみによって、有利な立場にあるのではない。それ以上に、この階層とむすびついた財力以外の要因が東大入学までのチャンスを強く規定しているということである。

「理系偏重である中学受験などで文系重視の東大入試に対応できるのかな」みたいな思いつきのおしゃべりをしてみる

かなり以前にこのコンテンツを書いたときには「開成は四谷大塚等の中学受験時のランクをリセットしてしまいかねない学校である」と解釈し、その前提でいろいろ書いた。その或る点は間違いであり、中学入学者のうち上位50位くらいまでに入れる者ならおおむね中学受験時と同様に優秀であり、東大に入学できる程度に学力が高い。ただ、開成高の高校入学者の勢いはものすごく在り、中学からの上位者がサンデー毎日の合格者一覧では霞んで見えるほどだ。今でも依然として「四谷大塚出身者は開成に限っていえばいくぶん他の層より不利だったかもしれない」疑念が消えてはいない。そこで私が前回書いた思いつき的なコンテンツを以下にも掲げる。

前回思いつき程度のものとして書いたコンテンツは、「四谷大塚と開成とがともに理系偏重であるのに対して、東大受験はそれよりはだいぶ文系の学力重視だったり或いは記述式であったりする」事態を踏まえたものだった。四谷大塚進学教室ではこの調査対象の時期には、クラス分け試験を「算数200点、国語100点、理科50点、社会50点」満点で行なっていた。そしてそのほとんどは客観テストに毛が生えた程度のものであり、記述式中心のものではなかった。四谷大塚は当時は完全に開成に照準を合わせている進学塾だったのだ。なので、その四谷大塚や開成の入試に適応しすぎた者が、東大入試ではいくぶん文系学力で不利になりやすい可能性が在るのではないか、と書いたのである。以下は、それと整合しやすい見解と、それに対する一定の「歯止め」になる私の見解である。

まずここで、同系統の見解を自分の主観として提示している石原千秋のものを紹介しておく。上記の時代の10年後以上頃を対象とした見解だが充分参考になると思う。石原千秋『秘伝 中学入試国語読解法』(1999,新潮社)(amazon)、p407-408。

中学校の側からすれば、入試問題の傾向や難易度を調節することで、学校の個性や伝統を作ることが出来る。つまり、入試問題で学校のデザインが出来るわけだ。

たとえば、開成の国語は偏差値に比べて実に易しく、かつ大学入試のセンター試験と同じような形式になっている。ところが、開成の算数と来たら極めつきに難しい。一四二七分の八七六などという数字を、どんな受験生なら正解だと自信を持って書けるのだろうか。開成にとって国語はいわば一次試験のようなもので、合格ラインに届くような子供ならだいたい八十点位は取ってしまうに違いない。開成の受験生はそこでようやくスタートラインに立つわけで、それに算数の点をどれだけ積み上げるかが勝負なのである。算数に強い子を集めるには、算数を難しくするだけでは十分ではない。国語を誰でも得点できるくらい易しくしておく必要があるのだ。これが開成の校風を作っている。

麻布の国語も同様の意味を持つ。この非常識なまでにヘビーな国語がある限り、麻布は、東大入試の前期試験では開成と勝負にならないだろうし、一方後期試験では互角に勝負できるだろう。たぶん、これは麻布の先生には分かりすぎているくらい自明のことだ。しかし、麻布が麻布であり続けるためには、麻布は相も変わらずあの非常識な国語を出し続けるのである。そして、麻布は個性豊かな子供を育て続けるだろう。

そういうわけで、入試国語は必ずしも上位校が難しいとは限らない。(後略)

この観察はたぶん的確なのだろうと筆者も半可通ながら思う。そして開成がその程度に理系偏重なのは、ライバルが(麻布高や筑駒高などではなく)灘高とラ・サール高であったからだろう。というのも、この時代では、東大の理系受験生のなかで模試の成績上位は灘高をはじめとする西日本の学校の生徒で軒並み独占されていたのだ。つまり開成でトップであっても、全国模試で理系だと上位30位以内に入れるかどうかも疑わしいほどだったのだ。大学受験での開成高校の優秀性は東大でも「文科一類(法学部進学課程)」へ送り込む生徒の優秀さのほうに多くを依存していた。つまり、例の「国語は誰でも解けるほど易しく、算数の難問で勝負が決まる」という中学入試で入ってきた生徒の上位がぞろっと東大文科一類に行く、という形でそうなっていた。理系は西日本の学校の出身者と比較した時、大学受験学力に限って言えば大いに見劣りしていた。

話は大いに逸れるがついでに書くと、中学受験が理系偏重になりがちなのは、開成一校のためだけではない。大学進学実績を競う、超のつかない難関校・ブランド校やそれらを追い上げようと図る男子校中高の多くが、理系にはっきりと力を入れているからでもあるのだ。そのことが窺える内容も上掲書から引用する。p123。

男子校の学校説明会を回って分かったことは、「理系に強い」ことを売り物にしている学校が多いことだ。かなり極端に文系志向の強い息子の場合、相性の合う学校はそれほど多くはないことになる。桐朋以外では最も魅力を感じた浅野もまた、理系に強い学校なのである。

ただし国語の試験が易しい学校が必ずしも国語力を判定できないわけではない。たとえば算数・理科・社会科の、超長文である場合も在る出題文を正確に読み取ることができるかどうかでも、国語力と呼ばれがちな能力は多少は判定できる。そこで求められる能力の中心に在るのは日本語文法に関係するものだろう。この方向は石原をはじめとする国語教員の得意分野では、通常ない。彼らは文学の専門家なのだ。だからあまり関心も無いのだろう。筆者の時代に比べて現在の中学入試の算・理・社は全体的に出題文が長文傾向にあるようなので、当初気づかないでいた。なので、上掲の石原のコメントをそのままストレートに受け取ることはいくぶんミスリードである。その点は注意喚起したい。

調査困難な「医学部進学者」という存在

東大合格者の「東西格差」が縮小したからと言って、安心はできない。「西側の難関中学合格者」の減った分は、東京医科歯科大医・千葉大医・筑波大医・横浜市立大医、あと学費の高額な私立になるが慶大医・慈恵会医・日本医科大医…といった進路に行った者も充分多いはずである、また首都圏の合格者で寡占されてしまうわけでは全くないが北大医・東北大医・九州大医・神戸大医・阪大医・名大医という進路に行く者もいる、これらは少なくとも東大理科二類よりは難しいはずであり、進学する者の学力も東大生並みであると言ってよいはずだ、…とこのような立論も可能だろう。あと決して特に多いわけではないのだが、東大に合格可能な者が(医学部以外も含めた)京大に合格・進学している場合も在るには在る。京大はとりあえず措いておくとして、東大・京大と違って、これらの各大学医学部の合格者情報はオープンにはなっていないし、全貌を掴むことは難しいだろう。そこで、あまりあてにならないが、自分と同学年の者に絞って私が開成高校の卒業生を調査した感じでは、「開成は、東大にも合格可能な上位層の1/4~1/3程度」の人数がその種の医学部に進学したように見える。ただそれは開成でも「上位層」の話であるし、まして彼らが皆「23区西部」出身者である保証も無いのだ。この分野は調査の手の届かない論題にとどまることになると思う。

この点に関係する記述を知られていなかった、中学受験実績が高くて住民平均寿命の長い地域に追加した。偏ったサンプルであるとは思うが、参考になるだろうか。以下である。その際に、「 開成中学判明合格者居住地1982~1987年 警察署域 」も参照すると良い。

以下、修正します。タイプ3のように、合格者が特定の地域・特定の沿線に多いということが多少は在っても、全体的には首都圏の広範囲からわりと満遍なく合格している学校だと、地域格差というものは感じにくいはずだ。…とそう思って、もう一度開成のデータを洗い直したら少し私の考えは変わった。私の同学年で、開成高校から東大・京大・難関医学部に合格したうち、中学受験時に四谷大塚でよくできたと思える者と四谷大塚に籍だけ置いて他塾でトップクラスだったと推察される者とを、29人セレクトした。私国立小学校の出身者や通学小学校を越境していた者は、他のデータ集計と同様に除いてある。追記:このセレクトの段階で「常磐線沿線千葉」がかなり減った。で、そうして抽出された居住地は、「首都圏の広範囲(主に神奈川県以外)から各地域ごとに少しずつ合格している開成中学の合格者居住地分布」とは大きく異なっていた。「千葉県がグッと少なくなっている」「港区・千代田区が相対的に多くなっている」「世田谷区・目黒区・渋谷区も相対的に増えている」「千葉・埼玉の遠方からの者は多くも少なくもなっていない」「東京東部(北・荒川・足立・葛飾・台東・墨田・江東・江戸川)も多くも少なくもなっていない」という印象である。ただし、この29人という人数は、開成高からの東大合格者の中では割合としては全然少ないため、上記の点は当事者にも第三者にもまず気づかれないだろう。また気づかれないだけでなく、全体の動向のなかでは埋もれてしまうことにもなるだろう。言えることは、「新版:東京23区の格差を縮小していた東大入試」での「23区西部」の大幅な減少という傾向に対応する開成での現象というのは「千葉県がグッと少なくなっている」というところに表われているのかもしれない、ということくらいだ。

ちなみに難関医学部進学者に関して言えば関係する項目は「港区・千代田区が相対的に多くなっている」という点である。また反対に「千葉県がグッと少なくなっている」というのを食い止めているのも難関医学部進学者であった。

補足:苅谷本への異論

同じ内容を考えている人も多いだろうし、表明している人すら見た記憶が在るが、私も一応述べておく。と言うかすでに述べたことがあるが、このページでも述べておく。p64に「上層ノンマニュアル」と呼ばれる社会階層が提示され、以降その階層の存在を前提とした論が続く。その内容はしかしまったく異なった二つのものをごちゃまぜにしているだけのように、私には思える。「医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職」と「中小企業の経営者」という二つである。経済的な格差について論じるならこの二つをごちゃまぜにしても良い。だが、学歴に表われる格差についてなら、ダメだ。なぜなら、「中小企業の経営者」に「なる」ため、さらに「成功する」ために、学歴は全く不問の場合が多いからだ。一方、「医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職」に当時・現在の日本社会で「なる」ためには、或る程度以上の学歴は必ず取得しなければならない。今「弁護士は学歴無くてもなることは可能だろ」という声も聞こえてきたが、そんなことを知っているというだけでも限られた層だろう、周囲に大卒者が少ない環境の者がそんな事を知っているとは思えない、と私は考えたので、この声は無視したい。

だからこの「医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職」と「中小企業の経営者」とを合計した集団を一括して「上層ノンマニュアル」と呼び、その割合が東大生のなかで長期間永続的に一貫して高く在り続けていたとしても、それだけでこの判明結果がインパクトが在るわけではないのだ。おそらくこれはマルクス主義の残滓であり、「経営者」(資本家!)というだけですでに資本主義社会の勝利者であり、したがって「大企業の中間管理職よりも中小企業経営者のほうが上」という感覚が在ってのことだろう。ともかくこの「中小企業の経営者」という項目を削除してみての割合がどの程度一貫しているのか、まずはそこからだ、と私は感じる。同感の読者も今までいたはずであろう。その点を付記しておく。