ネタバレ含『20世紀少年 完全版』検証:教科書体とその周辺(その01)
直近の暫定更新:2026.02.01-少し大きめの加筆修正「基本的な道具の整備」など。同02.02-続きの加筆修正。
はじめに
2026年現在、浦沢直樹『20世紀少年』が予言の書に見えてくる情勢になってしまった。私と同様に、そのように思う読者も少なくない。そのため「社会情勢のお勉強」の準備としてこの作品を読むのもそう悪くない、という事態になっている。のみならず、作品中のマンガ家と同じような目に浦沢直樹氏が遭うことすら、荒唐無稽な空想ではなくなっていると私は感じる。ぜひそうならないで欲しい。
『20世紀少年』に「完全版」という別バージョンが在ることを私は2025年中盤頃知って、のけぞった。そこで14年ぶり(!)にこの作品を掘り返し、まず昔から在るほうのバージョン、すなわち「通常版」を何度も読んだ。こちらのバージョンには「通常版」という記載は特に無いので、注意されたい。ネットカフェに行くと置いてあるのは、まずこちらだろう。それに対して、紙の形では全然出回っていない「完全版」というものが在り、ここで調査検討の対象にしているのは、そちらである。なお特に断らない限り、私は『21世紀少年』も含めている。完全版ならば「12巻」に相当し、通常版ならば「23巻」「24巻」に相当する。
通常版と完全版との違いの一つは本のサイズである。掲載誌スピリッツのサイズはB5なので、スピリッツのサイズに比較して、通常版B6は70%、完全版A5は80%となる。掲載誌の大きさで浦沢氏は描いているだろうと推測され、通常版だとそれが結構縮小される。通常版を先に読み完全版を次に読む場合は、115%拡大される格好になる。
『20世紀少年』の通常版と完全版の最大の違いは「最終回」(『21世紀少年』)である。この点に関しては、今後繰り返し検討していく。で、次に大きな違いは、「西暦2000年の血のおおみそか」でのケンヂとカンナの別離シーンと、「ともだち暦3年」の万博会場でのコンサート会場でのケンヂとカンナの再会シーンであろう。ここで見開き2ページ分の新たな絵が追加され、情感揺さぶるような場面になっている。で「血のおおみそか」での別離シーンも、それと呼応するように新たな絵を追加している。それ以外の相違点はのちに少し検討する。
完全版には「教科書体のセリフ」が登場する
通常版になくて完全版には在るものの代表は「教科書体で書かれたセリフ」である。通常版のときは細い明朝体だったと思う。なので、書体の区別が完全版のほうは種類が増えている。大まかには次の4パターンを押さえておくと良い。これより細かい区別が存在する場面は在るが、それはあとから見直せば良いだろう。そうすると、完全版では次のようになる。これらは私が暫定的に定式化した「假説」「たたき台」であって、結論ではない。どういう場合にその書体を使うのかに関して、より適切な假説が在りそうならそちらに私は乗り換える。
- 完全版『20世紀少年』で使われている主な書体




いずれにせよ、完全版になって新たに「教科書体のセリフ」に書き換えられたのは作者たちのチームの意図的行為の結果である。したがって、通常版と完全版の相違を調べたり完全版での特に最終話の変更に及ぼす影響を調べる際に、無視しない方が良いと私は思った。
以下、特に教科書体のセリフである箇所を中心に、書体の検討を進めていく。過去や場合によっては未来の出来事の描写であると思えるケースを検討し、「誰かの回想の描写」なのかそれとも「過去の事実描写」なのか、といった検討を加えてゆく。ミステリなどのフェアプレイの原則をここに持ち出すならば、「誰かの回想の描写」には回想者の誤りや嘘が入りうるが、「過去の事実描写」には誤りや嘘は混入しないはずである。
ただし電子機器での音声はこの教科書体の使用のような修正方針と関係があまり無いので、ここでは中心的には扱わない。
以下「第○○○話」と書くのはすべて通算の数にする。そうすれば、完全版の読者も通常版の読者も計算ができ、参照も可能になる。
基本的な道具の整備
「完全版と通常版の違い」という話題とは一応別の問題になるのだが、書体の検討をするときに使う、基本的な概念の整理・整備をしておいたほうが便利だと感じた。なのでそれを少し記す。この話題は今後少しずつ加筆修正していく可能性が高い。
まず、「通常のセリフ」という言い方である。これについてはいろいろな呼び方が存在するようだが、ひとまずこの「通常」というのは、「事実の描写」が行われている場面を指す…という呼び方にしておく。「事実」というのは、現在の事実と過去の事実とが在る。稀に未来の事実という場合も在るかもしれないが、そのあたりは臨機応変に対応したい。ともかく、「事実の描写」が行われているときに、登場人物が会話や独り言など声を発する場合はそれはフキダシに囲まれて表現され、そこで「通常のセリフ用の書体」が使われているわけだ。
次に「内面」と「ナレーション」である。この二つが同じ書体で表現されるのは理由が在って、「どちらも現実の声に出さない」という共通点が在る。但しもしマンガをアニメや映画などで音声つきの作品に作り替えるとしたら、「内面」や「ナレーション」は必ずや「声」として表現されるに違いない。これらは恐らく「登場人物が別の登場人物に伝えようとする言葉」ではなくて「登場人物が読者・視聴者に伝えようとする言葉」という特殊な存在なのだと思われる。
そして「内面」と「ナレーション」とは違いも在る。暫定的な假説を立てておこう。「内面」も「ナレーション」も、絵の描写に随伴する。この絵というのは事実の描写である。「内面」というのは絵で表現されている「事実」と同時進行である。それに対して、「ナレーション」というのは絵で表現されている「事実」よりもあとの時点からの「後づけ」「回顧」でなされている。典型的には「まさか後になってそのような恐ろしい事が起こるなどとは、皆は知る由も無かったのである。」といったタイプの言語表現である。
それに対して「回想」というのはまた異なる。「回想」というのは「事実の描写」ではなく「誰かの記憶・想起・想像・妄想などの描写」を指すことにする。だから事実の描写と一致していても構わないのである。つまり、記憶が正確な人物の記憶や想起を描く場合であっても当てはまるのである。で、この作品の中では、「回想」の中での登場人物のセリフは、他と違った「教科書体」という書体が一貫して使われている、と私は判断した。で、この書体が1ページの中でずっと連続している場合は読者は容易に気づくが、一箇所だけこの書体が使われており、しかも少し大きいサイズで記載されているなどの場合、少し太い文字に見えるため他の書体との区別がつきにくいことが在る。その点では読者に識別の手間を少しかけさせる場合も時には在る。その点に注意したい。
上記の点にしたがって、以下の検討を今後少しずつ修正していく。
セリフ書体の検討:完全版第1巻
- 放送室占拠事件(第001話「ともだち」)


- この事件の犯人は顔が描かれていない。フキダシで顔が隠れている。犯人が(数ページあとに大人になって登場する)ケンヂであるというのは、このだいぶ後の物語から事後的に判るものだ。長方形のフキダシの中の「声」もこの犯人の声であり、したがって後になって読者はケンヂの声だと判ることになる。内容が回顧的・俯瞰的なものなので「ナレーション」であると言える。「ケンヂの声によるナレーション」。完全版にのみ在る、最後の「でも…………」で言われなかった箇所を勝手に推察すると、「かなり後」の時期、たとえば「最終話」の頃になってからの回顧・俯瞰であると思いたくなる。なお、今後も頻繁に登場する横長長方形の枠に囲まれた「年月の情報」は細いゴシック体で書かれている。セリフは通常の書体で書かれているので、絵やオノマトペや、声に出されたセリフは「過去の事実」の描写である。つまり描かれている事実とナレーションとは、異なった時点のものである。描かれている事実は1973年、ナレーションは推定「最終話」の頃にケンヂが(読者向けに心の中で発した)ものであるわけだ。なお、ここからしばらくケンヂの過去出来事での人物のセリフは「通常の書体」で記載されることが多く続く。そして物語のさらにあとになって、ケンヂは過去の多くの出来事を思い出せない状態であることが判る。したがって今私が行なっている検討では、その初期の段階で、「通常の書体」は「誰かの回想の中でのセリフ」には使われない、ケンヂが回想できない過去だから「過去の事実を表す通常の書体」が使われているのだ、と判断できるようになる。さらにそのことに拠り「誰かの回想内でのセリフを表す書体」はそれとは別に設定されている、と推察ができるようにもなる。
- 国連総会(第001話「ともだち」)

- セリフがすべてマイクの声なので、全部電子機器でのセリフの書体である。内容からして、2001年になってさほど年月が経っていない頃の出来事なのだろうが、しかし「描写なのか回想・想像なのか」とか「現在事実の描写として提示されているのか、過去事実の描写として提示されているのか、未来事実の描写として提示されているのか」などは判断できない。そういう判断ができるようなセリフの書体やその他の記号的な目印が無い。ただし、後続する物語が1997年と明示されているので、読者は「未来事実の描写として提示されていた」つまり一種の「予告」である、と何とはなしに受け取ることになろう。
- 夜中に飛び起きた謎の女性(第001話「ともだち」)


- セリフが通常の書体なので、絵は事実の描写である。長方形の枠内の言葉は内容的には、絵と同時進行だとも未来時点での「回顧」だとも解釈できる。ただ多くの読者は「今でも飛び起きる」と書いてあるので、絵で描かれているときも飛び起きているし、今も飛び起きる、というふうに「も」を受け取り、「回顧的なナレーション」と受け取るのではないだろうか。絵に描かれている人物は2014年以降のカンナであるが、読者にはまだ全く知らされていない。謎の女性である。なので「謎の女性(実はカンナ)の声によるナレーション」と見なす場合が多いだろう。この時点では読者は判らないが、すぐあとにこの女性が乳児である1997年の物語が後続するので、そこから事後的に判断すれば絵に描かれているのは「未来の事実」の描写であり、再読する読者の立場になれば「未来の事実として描写されている」とも言えることになる。長方形枠内の言葉が「絵より未来の時点からの謎の女性の回顧的なナレーション」とも「絵と同時に進行している、謎の女性の内面の報告」とも解釈可能なのも、絵の内容が「現在の事実」として描写されているのか「未来の事実」として描写されているのかが、初読の時点では未決定だからであるだろう。
- 秘密基地に気づかなかったらしい凶悪な双子、そして俺たちだけのマーク(第001話「ともだち」)

- セリフがすべて通常の書体であり、「1969年」とゴシック体で明示されているので「過去の事実の描写」と判定できる。1997年現在に敷島家の勝手口の脇に描かれた「怪しいマーク」をケンヂが思い出せないという事実の描写が2回在り、その間に挟まれるように提示された「過去の事実」描写である。なので、そもそもそれが「過去の事実の描写」という形をとっているのは、ケンヂが思い出す事ができない過去であるため「ケンヂの記憶や想起」の描写という形をとることができないからそうなっているのだ、ということまで示唆されている。
以下、また後日に検討の追加修正は続く。
- ケロヨンの結婚式、懐かしの、蛙帝国と忍者部隊の対決(第002話「カラオケ」)

- 誰かの回想ではなく、非人称的な過去描写。ケンヂには具体的な記憶は甦って来なかったということが書体で示唆されている。ただし蛙帝国や忍者部隊という単語は覚えている。
- どうやって敵と戦うのかも判らず、また、ウッドストックを盆踊りかと思った、楽しいケンヂ(第003話「ギターを買った少年」)


- ケンヂには具体的な記憶は甦って来ないので「ケンヂの回想」になり損ねた、無人称的な過去の描写。
- ほうきギターを山口に笑われ、クラシックギターも山口に笑われたケンヂ(第003話「ギターを買った少年」)


- ケンヂには具体的な記憶は甦って来ないので「ケンヂの回想」になり損ねた、無人称的な過去の描写。
- 武道館をいっぱいにした人と知り合いだったケンヂ(第003話「ギターを買った少年」)


- なんでバンドをやめたのかの記憶も薄らいでいるケンヂ(後日判明する)は、それよりもっと以前の学生時代の記憶もやはり薄らいでいるのだろう。なので「ケンヂの回想」になり損ねた、無人称的な過去の描写。
- 家が傾いていたドンキーに命を救われたケンヂとマルオ(第004話「鼻水タオル」)


- 「ケンヂの回想」になり損ねた、無人称的な過去の描写。
- ドンキーの死亡の原因になったかも知れない、先生に大目玉を食らいたくないモンちゃんと理科室から飛び降りたドンキーの話(第005話「理科室の夜」)


- 初の回想シーンはモンちゃんの回想であった。記憶が確かなのだろう。そしてナレーションも内面の声ではなく、普通のセリフと同じ書体である。過去の回想を同席の友人たちに話している場面なのだ。ちなみに気づく人も多いと思うが、校内に侵入するときは人の姿が(のちのバーチャルの時より)一人分多い。
- 月や畳に着陸したり旗を立てたりコリンズがかわいそうだったりする(第006話「月に立つ旗」)


- 「ケンヂの回想」になり損ねた、無人称的な過去の描写。コリンズの件も含めてケンヂにはきっと思い出せない。ヨシツネもきっと同様だ。
- お茶の水工科大学学生課受付にてのケンヂ(第007話「ソフトボール」)


- 初のケンヂの回想。数日以内に見聞きしたドンキーの奥さんの発話を想起している。ふきだしの形が非常に特殊であり、假に「線香花火型」と名づけておく(なお、ネット検索する時は「集中線」を検索ワードにすると探しやすい)。
- 田村は叫ぶ「絶交だー!」(第008話「穴を掘る」)


- 遠藤チヨが新聞記事を眺めているときのシーン。田村の叫びが、回想シーンで用いられる筈の教科書体である。しかし遠藤チヨの回想ではありえない。そこだけ田村マサオの回想なのだろうか。なお通常のセリフはチヨのもの。
- 漢字の勉強になったポスターと秘密基地の解散式(第009話「メッセージ」)


- 「ケンヂの回想」になり損ねた、無人称的な過去の描写。
- 史上最悪の双子と史上最強の女子ユキジ(第011話「“ゆうりき”」)


- ユキジが記憶していてもおかしくない出来事だが、形式から言えば「ユキジの回想」ではない。ナレーションの内容がユキジの立場からのものではないからかも知れない。
- マークの発案者がオッチョであるとユキジがケンヂに言う。(第012話「オッチョ」)


- ユキジの発話を聴いて急に記憶が戻ってきたのだろうか、「ケンヂの回想」として描かれている。
- 双子相手にあわやユキジ大ピンチ。とそこへ白馬の王子が…。(第012話「オッチョ」)


- ケンヂのモノローグに後続し、ユキジの沈黙で終了するこの場面が、ケンヂ・ユキジのどちらかの回想なのかが少し決めにくい。そのせいかどうか、非人称的な過去描写という形式を採っている。
- 俺たちの仲間に入って悪と戦おうぜ。(第012話「オッチョ」)


- ナレーションがはっきりとユキジのセリフになっている。そのためここでの回想は「ユキジの回想」と断定でき、回想シーンの書体になっている。
- チョーさんと山崎の会話:宗教評論家(第013話「チョーさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:ピエールこころの会幹部(第013話「チョーさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:宗教評論家(第013話「チョーさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:過去に在籍していた宗教団体のメンバー(第013話「チョーさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:ぽかぽか弁当のおばさん(第013話「チョーさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:卒業アルバムを前にしたチョーさんの独り言(第013話「チョーさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:コンビニの店長ケンヂ(第013話「チョーさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:大竹にしぼられるケンヂ店長(第014話「ヤマさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- チョーさんと山崎の会話:口を利かない裕美子(第014話「ヤマさん」)

- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。裕美子は口を利かないので教科書体のセリフは無い。なのでここが回想であるというのは前後関係からの判断である。
- チョーさんと山崎の会話:担任の関口先生・スプーン曲げ事件(第014話「ヤマさん」)


- 山崎相手に語る際のチョーさんの回想という形式である。
- 刑事変死事件を当時は知らなかったケンヂ(第014話「ヤマさん」)


- 形式では回想でない。想うというよりは、過去の出来事を語るケンヂという形式。
- 少女マンガが嫌いだったユキジだが…(第015話「人類滅亡の時」)


- 形式では回想でない。想うというよりは、過去の出来事を語るユキジという形式。
- これからチベット行くオッチョを見た商社マン(第015話「人類滅亡の時」)


- 商社マンの話を回想してケンヂに伝えるユキジ。つまり、ユキジの回想。ただしその中には商社マンの回想が含まれている、なので「商社マンの回想を包含しているユキジの回想」と言える。
- 陸上生物の人間なのに浅いところで溺死しそうになったケンヂ(第017話「姉貴の引き出し」)


- ケンヂの回想ということで良さそうな話だが、形式ではケンヂのナレーションに基づく非人称的な過去描写になぜかなっている。
- ボウフラのせいで溺れそうになったケンヂ(第017話「姉貴の引き出し」)


- こちらはちゃんとケンヂの回想という形式になっている。
- 姉貴の受験機会を自分のバイク事故で潰したケンヂ(第017話「姉貴の引き出し」)


- こちらもちゃんとケンヂの回想という形式になっている。
- 姉貴が唯一わがままを言ってケンヂとチヨを驚かせるキリコ(第017話「姉貴の引き出し」)


- こちらもちゃんとケンヂの回想という形式になっている。
- 父親の葬式でもブツブツ言っているケンヂ(第018話「姉貴の恋人」)

- こちらもちゃんとケンヂの回想という形式になっている。
- 楽器屋のギターを見つめるケンヂ(第018話「姉貴の恋人」)

- ケンヂの回想のようにも思えるが、セリフが無くナレーションのみなので、特別に回想形式を採っているとは言えない。
- あたいがお母ちゃんになるという話(第018話「姉貴の恋人」)

- ケンヂが無事生まれることになった出来事を遠藤チヨが回想する。
- キリコがケンヂにギターを買ってくれたお話(第018話「姉貴の恋人」)


- ちゃんとケンヂの回想という形式になっている。こういう話はケンヂは忘れていないようである。
- ゴジラがメスだったのがショックだったケンヂ(第020話「予言者」)


- ケンヂの回想のようであるが、形式的には「非人称視点の過去描写」と見なすことになるだろう。
- 食い放題の世界征服のためには細菌兵器を使うのが良くて、その細菌兵器が世界のどこを襲うかについて秘密基地で話す4人。(第020話「予言者」)


- 死にそうな男の話を聞きながら少しずつ記憶が戻って来るケンヂだが、まだ充分な記憶でないためか、「ケンヂの回想」という形を採ってはいない。「非人称の過去描写」。
- 最期まで危険を訴え続けたドンキー。(第020話「予言者」)


- 死にそうな男の最近の過去の記憶なので鮮明であり、「死にそうな男の回想」という形式。
セリフ書体の検討:完全版第2巻
- 死んだ男に対して「どうしろと言うのだ」と叫びながら走るケンヂ(第22話「ギターを持った英雄」)


- ケンヂの回想である。
- 新聞を開きながら死んだ男を思い出すケンヂ(第22話「ギターを持った英雄」)


- ケンヂの回想である。
- 新聞を開きながらよげんの書を書いたときを思い出すケンヂ(第22話「ギターを持った英雄」)


- サンフランシスコとロンドンを選んだときのことを思い出すケンヂの回想である。
- レーザー銃を取り出しながら死んだ男を思い出すケンヂ(第22話「ギターを持った英雄」)


- ケンヂの回想である。
- ともだちコンサートでともだちに「次の細菌兵器の襲う場所はどこか」と聞かれ、よげんの書を書いた時の自分を想起する。(第25話「ブラザー」)


- ケンヂの回想である。
- ともだちがかぶっていたお面(ハットリ君)と同じお面をかぶった子どもが、思い出の中に突如登場する。(第25話「ブラザー」)


- 遊びの誘いをするお面少年を思い出す、ケンヂの回想である。
- ともだちコンサートでの「カンナの父親」に関するともだちの発話を、ユキジとの対話中に思い出すケンヂ(第26話「クラスメート」)


- ケンヂの回想である。
- 同窓会に来たフクベエ風の男が、秘密基地を勝手に見に行った件をケンヂに話す場面(第27話「もう一人…」)


- フクベエ風の男の回想である。ただ最終話まで読んだ後だと、この書き方では少し言い足りない、という気分になる。この本人の回想であるかどうかは疑わしいからだ。「フクベエだったらどうするだろう?」と考えた上での「偽の回想」と見たいところだ。この辺りは追々また検討するだろう。
- 同窓会で、スプーン曲げ事件のことを皆に話す関口先生(第27話「もう一人…」)


- 関口先生の回想である。
- 泥酔したフクベエ風の男がケンヂに「もう一人よげんの書を見た者」はサダキヨだ、と言う。(第27話「もう一人…」)

- 「誰かの回想」の時に使われる書体が使われていない。なので「回想」ではないようだ。というのも、この場面はフクベエ風の男かケンヂのどちらの回想なのか、曖昧であるからだ。お面(ハットリ君)少年がさっそうと駆ける姿だ。なお、ここでのフキダシも「線香花火型」である。
- 怪しいのはオッチョではなくサダキヨだと、フクベエ風の男に言うケンヂ。(第28話「サダキヨ」)

- ケンヂの回想である、と言いたいところだが、回想内容はさっそうと駆けるハットリ君のお面少年の姿であり、セリフが無いため、断定だとは(一応)できない。
- 叩き起こされたマルオがケンヂに、サダキヨに関して思い出した情報を教えたときのケンヂの反応である。サダキヨの姿を次々と思い出す。(第28話「サダキヨ」)

- サダキヨのことを必死で思い出そうとしているのはケンヂなので、ここはケンヂの回想である、と言いたいところだが、回想内のサダキヨも無言でありセリフが無いので、回想だと断定は一応できない。ナレーションが「線香花火型」のフキダシでずっと占められている。
- サダキヨがもし生きていたらという想像をマルオの前でするケンヂ。ともだちコンサートでのハットリお面をかぶったともだちの姿を思い出す。(第28話「サダキヨ」)

- ケンヂの回想である、と言いたいがここでのともだちもせりふを言わないので、回想だと断定は一応できない。
- よげんの書の草案を四人で練っていたときに、当時はお茶目だったオッチョが恐ろしいアイデア(人々に逃げ道の無い恐怖を味わわせる)を発案した場面を、ケンヂが思い出す(第28話「サダキヨ」)


- どうやらかなり記憶を取り戻したケンヂの回想である。
- 成田空港でユキジがブルースリーを相手に「お別れ」をしながら、そうなったいきさつを振り返る場面。三ツ木監視官にユキジが抗議するものの否定的に対応されるという内容である。(第29話「空港爆破」)


- ユキジの回想である。回想内でのブルースリーの「ヘッヘッ」といった呼吸までも教科書体で書かれている。
- このご時世では誰も信用しないほうが良い、と万丈目に言われたユキジがとっさに監視官を思い浮かべた。(第29話「空港爆破」)

- ユキジの回想である、と言いたいがセリフが無いため断定は一応できない。
- 焼け跡を掘り返しながら昔書いた日記を思い出すケンヂ。世界征服をしなくてもスイカ食い放題になるように努めた過去。(第31話「それから…」)
- ケンヂの回想である、と言いたいがここでは特殊な書体が使われている。おそらく「日記の文面」であるときに使われる例外的な書体で、細いゴシック体の文言を楕円形のフキダシに囲んで提示するもの。
- ショーグン(オッチョ)が翔太の夢を見ている。(第33話「ゆーみん党」)

- 私の事前調査では「夢の中」の場合はセリフは通常時と同じ書体なのだが、ここでは翔太のセリフは「内面」「ナレーション」のときと同じ細い明朝体である。とりあえず夢の中であることは間違いないので、いったん保留にしておく。なおこの作品では「友民党」にフリガナを振っているときは多分統一して「ゆーみん」であり「ゆうみん」ではない。
- フジヤマトラベルのイソノに業務報告の電話をしているショーグン(オッチョ)(第34話「逃走」)


- ホテルで死んだ男のいきさつを話し他殺であると訴えるオッチョが、話しながら行なっているオッチョの回想である。なお、この死んだ男に関して寺本匡俊さんが「二人の刑事」で述べる説に、私も賛同している。その説によれば、この男はチョーさんと一緒にケンヂのコンビニに聞き込みに来た刑事である。
- バッヂを見ながら死んだ男の発言を思い出しているショーグン(オッチョ)(第34話「逃走」)

- 死んだ男のセリフが教科書体であるのでこの場面はオッチョの回想である。
- メイを救助して逃げる途中に襲ってくるチャイポンの部下と戦いながら師匠のことを思い出しているショーグン(オッチョ)(第34話「逃走」)

- 師匠のセリフとオッチョの呼吸音が教科書体であるのでこの場面はオッチョの回想である。
- 「強くなりたい」と念じながら師匠の居る場所で修業を続けるショーグン(オッチョ)(第35話「つながり」)

- 過去の出来事なので回想と呼びたいところだが、形式的にはオッチョの「内面」「ナレーション」になっている。修行中に話したセリフではなく、その時のオッチョの「内面の声」なのでだからだろう。この内面のフキダシは枠線が無い特殊な種類のものである。
- 師匠のことをメイに話して聞かせるショーグン(オッチョ)(第35話「つながり」)

- オッチョの回想である。平和な時にオッチョは独特の表情を見せる。この場面もその一つ。
- 1969年、既にオッチョが(一旦)来なくなった秘密基地を双子がぶち壊し、ヨシツネやマルオが泣き、オッチョは中村のお兄さんを偶然やり込め、ヨシツネとマルオの訴えをラブ&ピースの思想で(一旦)退けといった、一連の流れ。(第36話「愛と平和」)


- この一連の流れ自体はセリフが通常時のセリフであり、非人称的な過去描写と言える。ただしその中に、マルオの回想が埋め込まれている。その箇所はセリフが教科書体だからである。そしてその回想の背景と同じデザインが、ヨシツネの発話にも使われており、その箇所も回想であると見なしたくなる。どちらもヤン坊マー坊の顔の背景のデザインである。
- 上記の過去描写の中に埋め込まれた、ケンヂがマルオに問いただすときに登場するヤン坊マー坊の顔。(第36話「愛と平和」)


- セリフが教科書体であり、マルオの回想である。背景が同じデザインでありただしセリフは無いがヨシツネの回想と見なしうる箇所も在る。
- ケンヂからの電話で「万丈目」の名を聞いたときにオッチョが思い浮かべる。(第36話「愛と平和」)



- まずオッチョはメイのセリフを思い出す。この箇所はオッチョの回想である。そして次に万丈目の顔を思い出し、オッチョの「内面の語り」が入る。その両方とも、「線香花火型」のフキダシで提示されている。
- ムボーなケンヂとラブ&ピースを一時中止したオッチョとで双子に立ち向かう。(第36話「愛と平和」)

- この一連のシーンは「過去の出来事」であることを示す記号的・デザイン的な目印が、信じがたいほど無い。セリフは現在の出来事を描写するときと同じ書体であり、ナレーションなども入らない。内容と前後関係だけで、言わば「勝手に」過去の出来事だと読者が判断していることになる。
- 修行時代のオッチョ(アリンコ)を滝つぼに突き落とす師匠(第37話「七色キッド」)

- オッチョの回想。
- 七色キッドのメガネ男がオッチョに何か映像を見せようとする。(第37話「七色キッド」)


- 師匠の言葉を思い出す。オッチョの回想。
- 滝つぼに落とされたオッチョ(アリンコ)の描写。(第38話「光」)

- オッチョの回想と言いたいところだが、水の中なので「セリフ」は無く、現在視点からのナレーションのみである。
- 七色キッドを飲んだところ突然現れる、オッチョの過去。商社マンになり結婚するも家庭を顧みない夫になってしまった頃までの一連の過去。(第38話「光」)


- オッチョの回想である。
- 七色キッドを飲んだあとに出現する、師匠に嵌められて(?)毒キノコを食べてしまったオッチョ(アリンコ)の話と翔太が事故に遭って危篤になった話。(第38話「光」)

- オッチョの回想である。
- 師匠の言葉と同じような事を七色キッド男に述べるオッチョ。(第38話「光」)


- 師匠の言葉を思い出すオッチョの回想である。
- 七色キッド男にやさしく語り聞かせるオッチョ。滝つぼに落ちたときの話をしている。(第38話「光」)


- ほとんどは通常のセリフの書体で長方形のフキダシで語られるが、一箇所「ブハッ!!」という水面から顔を出すときの声が、回想シーンでの書体になっており、オッチョの回想である、と言える。オッチョはまさかこの男がケンヂの敵であるとは勿論知らない。それにしてもオッチョが成人男性にここまで優しいことは滅多に無い。しかも敵側に近い相手であるのにだ。
- 落合家の墓にフジヤマトラベルからの花を届ける業者の人。(第40話「秘密基地」)

- この箇所は過去の非人称的描写と位置づけて良いだろうが、それは内容からの判断であって、記号的な目印は何も無い。セリフはすべて現在描写と同じ書体であり、ナレーションも無い。
- 1997年のロボット会議の様子。(第41話「ロボット会議」)

- この箇所は1997年と初めに明示され、物語は2000年が現在である以上、この会議の様子は過去のものと位置づけることも可能だろうが、過去であることを示す記号的な目印などは一切特に無い。3年前の出来事を過去と扱って良いかもよく判らない。
- 1998年にお茶の水工科大学をケンヂが訪れ、いつものメガネの学生に敷島教授の娘の話を聞く場面。(第42話「地下の帝王」)

- この箇所は1998年と初めに明示され、物語は2000年が現在である以上、この一連の会話は過去のものと位置づけて良いとも思えるが、過去であることを示す記号的な目印などは一切特に無い。ただ先ほどと異なり、後続する2000年の出来事の初めに「2000年、現在―」と現在時点を特に明記することがなされている。
- ケンヂが敷島娘に「いつも一緒の長髪の男は誰だ?」と尋ねる。(第42話「地下の帝王」)

- ごく最近の過去の出来事であるからかどうか、セリフの書体では過去の出来事であるかは判断できない。通常のセリフと同じ書体だが、長方形のフキダシの中に入っており、ナレーション的な扱いである。なお店名の「パパイヤ」によって、まあ普通に単純に考えれば、敷島娘が父親のことをあまり好きでないことを暗示しているのだろう。
- 洞窟にボールが飛び込んでしまい、オッチョに突き飛ばされたケンヂは一緒に入るも怪奇現象に恐れをなして二人とも逃げてしまう。(第43話「闇の奥」)


- 誰かの回想であるという記号的な目印が無いので、これは非人称的な過去描写と判断するしかない。逃げ足の遅いはずのマルオのほうがヨシツネよりは逃げ足が早い。
この続きは「ネタバレ含『20世紀少年 完全版』検証:教科書体とその周辺(その02)」にて行なう。