コメント:斎藤美奈子『学校が教えないほんとうの政治の話』
斎藤美奈子『学校が教えないほんとうの政治の話』(筑摩書房)
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内容的には高校生に薦めたいほうに入る書だが、いくらか気になる点も在る。
この本は情報量が多く、またそれでいて分類軸が錯綜していて、重複も多い。そのため、頭から順番に律儀に読んでいくと最後までたどり着けない。読書がお勉強になってしまいすぎる。というかもっと言うと、本書の順番で読まないほうが初心者は良いと思う、そういう順番で書かれている。
私が薦めたいのは、「プロローグ→5章→4章→1章→2章→3章→エピローグ」といった感じの順番である。肝腎なのは、最初に5章を読んでまず「左派≒反戦/右派≒軍拡」という第一印象をもつことだ。この第一印象をもつことは、この書が書かれた2016年前後ごろの状況を理解するために、ほんとうに有用な分類軸だと思う。この第一印象の上に、いろいろ錯綜した分類軸を上書きしたり付加していけば良い。おおむねいって「反戦・反米であり、全体主義にも反対の左派である人物」というものをまず原点のイメージとして確立しておくことができると、それに対抗する項との組み合わせや差異で、だいたいの章のだいたいの事柄は把握できるように思う。
個人的には、この書のなかには「第5章的な左派がなぜ人々の支持を得られにくいのか」に関していくつかの事柄を述べていて、その箇所は役立った気がしている。
著者は「体制派」とは自分自身が属する「左派」のことにほかならない、と述べその根拠に、憲法と出版状況とを述べるが、この判断には私は違和感が強い。言論や出版の中では(東京大学の中でも)左派は或る意味では中心であるが、そもそも言論や出版というもの自体が、この社会の中の主流ではない。多くの人は新聞やテレビに主に接し、たとえば自民党支持で日経新聞・讀賣新聞やNHKを支持する人々或いは、フジテレビの若者向け番組を好む人などといった人たちこそが「体制派」であったように私は感じる。岩波や筑摩からリベラルな本を出すような人は出版の世界ではまあ体制派と言えるのかもしれないが、その領域自体が体制派的ではない。そして、言論の世界で左派が「まあ体制派と言える」のも或る時期までであり、少なくともこの著書が書かれたころには、言論の世界ですら体制派から転落して、「右派」的な排外主義的な勢力に取って替わられたように感じる。まあこれは感じ方だ。
この本に対しては読者の好き嫌いがかなりはっきり出る。特に最後のほうの4章、5章あたりの現在の話に近づいてくると、読者が、普通に読める人と、読むのが不快で読むに耐えないと感じるという人とに分かれる。その分かれ方自体がその人の政治的立ち位置を表示しているようにも思える。この本が不快であるという人向けの啓蒙書も多分あるのだが、私は特には知らない。