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「東大王」はWikipediaによると2017年4月に開始されたクイズ番組であり、2024年9月に終了する見込みであるらしい。私はいろいろな事情によりこの番組を特定の時期以外はほとんど録画・視聴していない。そのため限られた時期・回を視聴しての印象に基づいて以下述べる。
この番組が注目に値する一番の理由は、この番組での中心人物であり、クイズのチャンピオンプレーヤー・評論家・著述家として位置づけられている伊沢拓司氏の影響力の強さである。非常に多くの中高生が氏を尊崇し憧れており、それを動機としてクイズを始めたという生徒も多い。少なくとも番組ではそのようにはっきりとアナウンスしている。そもそも世間ではあまり気づかれていないが、現在では特に高校だと決して少なくない生徒が「クイズ研究部」に所属しているのであるし、その前提として「クイズ研究部」といった部活が少なからぬ高校に存在しているのだ。追記する。クイズを推奨・承認している学校や教員というのは、おそらく生徒がマスメディアに触れることを望ましいことであると考えているからだ。私はそう思っていない。以上追記終わり。で、その伊沢氏が「東京五輪の聖火ランナー」の一人であったという点は見逃すことができない(朝日新聞デジタル「聖火リレーに参加 クイズ王伊沢さん「最適解」考えたい」)。言うまでもなく、「東京五輪の聖火ランナー」というのは、「福島第一原発事故は収束している」という誤認識に国民を誘導するために要請された存在であり、大変に政治的である面をもつ。その政治的なポジションに就いた人物を尊敬している中高生という存在が多数産み出されていたのだ。で、その母体となったのがTBS「東大王」という番組なのである。現在の日本の政治状況に少しは批判的な関心の在る人々のなかで、このクイズ番組に注目している者はたぶん私のほかにいない。なので、私ができる範囲で、この番組を振り返って総括しておきたい。
2017年4月に開始されたこの「東大王」という番組は、「東大が今後落ち目になっていく」ことがかなりはっきりしてきた頃に世に出て来たということが注目される。知っている人はとても知っているとおり、国立大学は研究者にとっては21世紀に入って、特に2010年代を通じて非常に居心地の悪い環境になってきており、私立大学や専門の研究機関に脱出する者は少なくない。東大や京大ですらもその影響は地味に出ている。なのでその時期に「クイズに強い東大生」を登場させようというこの番組は、その凋落傾向を隠蔽する効果を発揮するはずである。特に、この番組が期待されている機能のうちの一つはまぎれもなく「聖教新聞を購読している中高生」を「高偏差値大学」に向けて焚きつけることに在るわけだが、そのためにも「生きて実際に動いているナマの東大生」を是非登場させ憧れさせる必要が在ったわけだ。もちろん、聖教新聞の購読者でない、大多数の中高生も東大・東大生に憧れて構わない。
この番組を企画していた者はおそらく東大入試や東大の制度などをあまり知らない者であったように私は見ている。たとえば進学振り分け制度などは知らなかったように見受けられる。追記箇所の前までを部分的に補筆修正する。初期の頃は東大王の主要メンバーが院生(文二経由の経済学部卒)とあと学部生は文一・理三経由および進学振り分けをとうに済ませた理学部生だったため顕在化しなかった。が、しかし、その後理一などの進学振り分け以前の段階の学部生がメンバー入りした頃には、希望する専攻への「進級」の問題などが生じ、おそらくそういった事情が出場者の扱いにも影響して、番組の制度が不安定なままだった時期をもつ。理一・理二・文三からは、希望する専攻に進むためには高得点が要求されることも在り、ケースによっては留年してでも成績を高くしたほうが良い場合も在ったわけだ。追記する。なので、この番組が東大に合格した一年生をいくら出場募集したところで集まるはずが無い。彼らは、特に理一・理二・文三の学生はそこから東大生を相手にした激烈な競争を始めることになるからだ。この番組の基本コンセプトからして非常に危うい地盤の上でしか成立しない。以上追記終わり。さてその一方で、出場していた東大生の中には、ほとんど首席相当で学部を卒業したと思われるメンバーも複数おり、「東大生をロールモデルとして視聴者に与える」番組としては案外適任だったという面も在る。
「東大王」は1990年代初頭頃にTBS等で全盛だったクイズの在り方というものをかなり変えた番組である(RECO0012)。90年代に頂点を迎えた競技クイズは知識クイズであり、文章を音声で読み上げることで行なわれる。そのような文章読み上げ問題に特化した「対策」も立てられ、西村顕治氏のようにその「対策」を理論的に極めつくしたような出場者も現れた(参考動画:西村顕治 伝説の0.9秒ポロロッカ! 出題文の「アマゾン川」に後続する助詞によって解答が変わってくる…らしい)。この種のクイズに関しては私の書いた「早押しクイズと準拠集団」も在る。で、こういった典型的な競技クイズを踏まえたうえでの、それとは異なるようなクイズは2010年代頃から各所で見られたが、そういったものをワンセットのものとして「東大王」は提示した。知識を問う出題が、問われる対象の全体が少しずつ判明するような映像や音楽の形で与えられるといった形式をとることが増えた。これだと知識さえ在れば十分ではなく、直観や推論もかなり必要となる。また漢字や語彙の知識が不必要なほどに求められることも増えた。ひらめきや頓智のような出題が大幅に増えたが、そのなかにも、知識が必要になっている出題が含まれていた。そしてまた非常に顕著な特徴は、「最近発見されたなにがし」「最近歴史上初めて起こったなにがし」など「最近の時事」に重点が在ることだ。これはクイズ対策に時間をかけることが困難な忙しい東大生メンバーにとって時間の節約にもなり、コスパの良い対策が採られるようになった。またダイレクトな知識問題以外のものが大幅に増え、とりわけ勝敗を決める段階で出題されることが多くなった。それはたとえば直観像資質を高水準で持っている者が有利になるような出題だったり、ごく短時間のうちに与えられた情報をできるだけ多量・正確に視認できる訓練された視力が必要になる出題だったり、数理的処理や数覚に長けていないと解けない出題だったりした。
追記する。「東大王」では、世界地図がまるごと頭に入っていることを前提とした「脳内世界旅行」といった出題を、「クイズ甲子園」という高校生参加の大会で行なったことも在った。さらには成り行き上、国名だけでなく首都も知っていないと解けない出題にレベルアップさせた。これらの知識は在れば在ったで大いに役立つ可能性を秘めている。このことを追記しておきたい。私はこの種の出題は度が過ぎないのなら、一定程度評価したいのだ。
東大王では「最近の時事問題」が多いのだから、当然政治的な話題が出題されることも在った。その場合は、しばしば現政権への追従・追認だったりした。現代だけでなく、たとえばコロンブスやペリーを「偉人」扱いで出題するなど、歴史的事象についてもきわめて「政治的」な出題である場合も在った。これらは時事問題や歴史上の人物に対しては現政権等への無批判的な姿勢が形成されていないとなかなかに対策が困難であると言えそうであった。政権に批判的であるとあまり興味がもてないような出題だった、と言っても良いだろう。選挙権を有する高校生が存在する現行制度のなかでこういう出題をすることには疑問符をつけたいと私は感じる。
東大王は、クイズ番組・クイズ大会のもつ或る固有のアポリアに対する一つの新しい解答を提示した番組であるとも言える。こういうことだ。クイズというイベントは特にテレビ番組の場合、「出題者や正解判定者と司会者とが異なる」という一大特徴をもつ。そのことが司会者の役割に与えている影響は小さくない。「なぜ正解を知らないこの人がこんなふうに仕切っているのだろう」と視聴者に思わせないようにしないといけない。その点で東大王は独自の工夫をしていた。それは「司会者ではなく、解答者が自身の解答を正当化しないといけない」という暗黙ルールの導入であった。この番組ではしばしば司会者によって「あなたはなぜ判ったのですか」といったことを解答者に質問する。そのやり取りによって、「なぜ正解を知らない司会者がこの場を仕切っているのだろう」という疑念を起こさせないようにしていたのだ。このルールは実際にはきわめて緩く、解答者がまぐれで当たったときや司会者の質問に答えていない時でも、それに対するサンクションはめったに司会者はおこなわなかった。場の雰囲気とニュアンスによって、ごくまれに「そういう回答をしないように」と注意を与えることが在ったが、そういう事態はかなり例外的であった。また、少なからぬ出題ではこういった質問や正当化が行なわれないことも多かった。で、この暗黙ルールによって、視聴者の側には或る程度の背景知識が与えられることになり、教育的な効果ももつようになっていた。特にクイズ対策をしようという立場の者に好影響を与えるようになっていた。
上記のような事に鑑みて、この番組は、裏番組であるテレビ朝日の『ミラクル9』と比べても見劣りしない程度に、クイズ番組に新しい要素を持ち込んだものだったと私は感じている。ただこの番組を手放しで称賛するには、あまりに時期が悪すぎた。日本国の政情、さらには国際社会的な情勢が急速に危機的なものになっていくちょうどそんな時期である現在は、「クイズなんかやっている暇があったらもっとSNSで信頼できる情報を把握し、しかるべきアクションをおこさないと大変なことになる」というふうに思う。日本国が壊憲し戦争国家に変貌していき、国際的にも第三次世界大戦前夜かもしれないほどには、現在の見通しは暗い。そういう時期だからこそ、「癒し」となるようなこういう呑気なクイズ番組が必要だった、とは言えるだろう。少なくとも私はそうだった。だが、特に若者はクイズはクイズとして、政治情勢に対する危機感は自衛のためにも必要であるはずだが、この番組を視聴していると若者はかなり本気で全く危機感をもっていないように見えてしまう。この番組のクイズで勝つためには、ありったけの時間をクイズ対策に捧げてもよいくらいだからである。だが本当はそんな暇など無いはずなのだ。世界史的な時代の分水嶺に在ってこの番組が終了するのも、何かの因縁なのかもしれない。