早押しクイズと準拠集団

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日本には、一定以上の自然災害リスクが多種類、半ば恒久的に在り、各地域に広く分布している。そのため、「社会的階層の高い者が住みがちである自然災害リスクの少ない地域/社会的階層の高くない者が住みがちである自然災害リスクの少なくない地域」というふうに国土が分かれている。自然災害リスクを決定的に克服できる段階に人類の科学技術のレベルがまだ達していないため、この社会的階層の棲み分けや格差は、世代を超えて固定されていく。

また、それに応じて、人災リスクの高い設備もまた自然災害リスクに応じて配置されていくことも起こる。たとえば地震・津波のリスクの大きい土地に原発が配置されがちなのは、決して偶然ではなく、地震・津波のリスクの少ない土地に住む社会的階層の高い人々の近傍に原発を設置することなど在りえないからだ、という事情も在るわけだ。もちろん原発と米軍基地のように、ともに人災リスクが高いがしかし両方を近接させることなど在りえない、というようなタイプの関係も在りうるわけであり、事態は単純ではない。

さて、社会的階層が空間的に棲み分けられているため、棲み分けられているというその事態はなかなか空間的に目に入ってこない。高偏差値者の周囲には高偏差値者が多いことが多く、高卒者の周囲には高卒者が多い、というような関係が日本全体にまんべんなく成立している。そのため、自分の周囲の似たような相手との比較による社会的判断を行ないがちになる。

たとえば、高校での学力が高くても自分の親族や同級生が高卒ばかりだと「大学に進学しよう」という積極的な動機をもたないため大学に進学しない、ということが起こる。その真逆ももちろん多く、自分の親族や周囲が高偏差値者だらけなので、高校での劣等生であっても「自分はやればできる」と思い込んで、短期間の猛勉強でしかるべき大学に進学したりすることが在る。

このような社会的判断をする際に準拠している集団のことを、準拠集団と呼ぶことが在る。集団と言っても地理空間的に、あるいは電子空間的に、一ヶ所に固まった集団である必要はまったく無い。世界中に、あるいはインターネット上に少しずつ散らばっていたりしても良いわけだ。ただし集団の成員どうしがお互いに可視的であることからは独特の影響が生じえ、その影響が重要なときも在る。なので、相互に可視的であるような準拠集団も在れば、もっと捉えどころが無いけど影響は受けているというような準拠集団も在る、とまとめることができる。


準拠集団について考えるための効果的な話題の一例として、早押しクイズを取り上げてみる。早押しクイズというのは、一見すると反射神経を競っている競技のようにも思えるが実はそう単純でもない、ということを、以下言おうとしている。

早押しという名前なので「いかに早く押すか」を競っているように聞こえるわけだ。だが、実際には「いかに必要最小限の量だけ出題文を聞いて答えるか」を競っているわけである。「単に最小限の量」を競うのなら早さを競っているのとほぼ同じになる。だが「必要」最小限を競っているのであるからして、「早ければ早いほど良い」とはならない。「必要なだけ」出題文を聞く必要も在る。つまり「適度に遅く押す」ことが求められる局面もまた在るのだ。

ともかく出題文の全部を聞かないで回答するのが通常であるような競技である。だから出題文を全部知った上で回答する筆記試験のようなものとは、求められているものがいくぶん違う。すなわち、出題文を全部知った上で回答する筆記試験ができるのは当然であり、その上で何が必要になっているのか、を解明しなくては早押しクイズはわからない。

早押しクイズの「全盛期」(1990年代前半)のテレビ番組映像を或る程度見ていると、だいたいわかってくる。「全盛期」の早押しクイズでは実質的に次の二つを競っている。

  1. 「Aという質問の答がXであることを知っている」
  2. 「『答がXであるような出題文A』が存在することを知っている」
以上の二つである。後者について述べる。

一般的なクイズや試験では前者の知識が在れば一応良いとされている。ただし一般的な試験ですら時間制限が在ったりするので、実際には後者の知識が在る方が有利である。まして、出題文自体を当てるという早押しクイズにおいては、後者の知識が在ることがとりわけ決定的に有利になる。そのことはしばしば見落とされている。見落とされている理由の一つは、早押しクイズでも「X」だけを回答させるため、「Aの存在」を知っているかどうかが検証されないからである。しかしもし早押しクイズで「X」の代りに「A」を答えさせれば、「X」を回答できる者ならだいたい「A」も回答できるはずだろう、という推測は容易である。

例を挙げる。「11月3日の天気は晴れが多いなど、或る気象条件が偶然とは考えられない確率で起こる日を何と言う?」という出題文が在ったとする(実際在った)。これを「11月3日の天気は晴れがお」くらいまで聞いて、早押しし正解できたクイズマニアがいたとする(実際いた)。今見れる動画だとRECO0012の5分34秒~40秒くらいの箇所である。さてこの回答者は、出題文の全文を知ってそれに対して「特異日」と回答することはもちろんできるわけである。だがそれだけでなく、そもそもこの出題文自体をあらかじめ知識として知っていた、と判断できる。つまり、事前にクイズに備えて準備しているときにすでにこのような出題文を学習し練習しただろう、と判断できる。「11月3日の天気は晴れが多いなど、或る気象条件が偶然とは考えられない確率で起こる日を何と言う?」と聞かれて「特異日」と回答できることに加えて「“M月N日の天気は晴れが多いなど、或る気象条件が偶然とは考えられない確率で起こる日を何と言う?”という出題文が存在する(出題されうる)という知識」も持っていたように思えるわけである。

そうでなければこのタイミングで押すことはできない。そう言いたくなる。

比喩で言えばこんな感じである。通常の学校優等生・受験優等生というのは、「問題集に載っている問題ならどんな問題でも解ける」という人であるとする。それに対して、クイズマニアというのは言わば「それもできるし、それに加えて、問題集に載っている問題ならどんな出題文でも全部覚えているし全部答えることができる」という知識をも備えているのも同然なわけである。早押しクイズというのが、「出題文自体を当てる」ことを前提にしている競技である以上、それは当然のことだとも言える。

もう一つだけ述べておく。「Aという質問の答がXである」という出題文の難易度と、「Aという出題文を当てて、早押しする」という早押しの難易度とは全然一致しない。むしろ出題文に回答するのが容易であるようなものほど、早押しで出題されたときには難易度が高いことすら多いと言える。というのは、易しい出題、ありふれた出題の場合、「何が正解になるか」からして不定である、ということが言えるからである。たとえば「XであるYはZである」という関係から、Xを問う出題も、YやZを問う出題も作ることができる。或いは「XであるYはZですが、ではX´であるY´は何でしょう?」という出題も作ることができる。なので、易しい知識・ありふれた知識を問うように見える出題は早押しクイズとしては「押すのが早すぎてはいけない」出題になることが多く、結果的に難易度が高いほうの出題になりやすい。

さてここまでだと「準拠集団」の話題と関係ないが、実はここからが大いに関連してくる論点になる。

それは「早押しクイズの出題文は有限であり、その“全部”を学習することが不可能ではない」というものである。次に示す。

自身が早押しを含むクイズマニアである長戸勇人氏は著書『クイズは創造力<理論編>』(情報センター,1990)で、早押しクイズを百人一首になぞらえた。すなわち、百人一首という競技は全部の句を即座に想起できるだけではおそらく不十分であり、「“きみがため”で始まる句は二つ在る」とか「“む”で始まる句は一つしか無い」というふうに、記憶対象の全体に照準した知識もまた、勝つためには有用・不可欠である、…というわけである。

これと同じ判断ができるようになることは早押しクイズでも有用・不可欠になる。さて、一見すると早押しクイズの出題文は無限に在りうるように思える。そのため「〇〇という出題文は一通りしか無い」とか「××を問う出題文は存在しない」という「知識」は成立不可能のようにも思える。しかし実はそうでもないのだ。「Aという出題文によく似た出題文A´やA´´が存在する」とか「Xを問う出題文は出ない」とか、そういう知識も案外可能であることが多いのだ。つまり、出題文と正解の組み合わせが有限であるかのように、クイズマニアは振る舞うことができるのだ。なぜであろうか。

二つの要因が在る。一つは、早押しクイズの回答者と出題者とは同じタイプの人であるということが在る。実際かつてクイズマニアで回答者としても有名だった者が後に出題者の側になることも在る。そしてもう一つこちらのほうが一層重要なのだが、早押しクイズというのは、「早押しクイズのマニアが解ける問題が解けるようになること」しか対策が無いため、「早押しクイズのマニアが知っている知識」を学習することができる者しか有用な対策が取れないのだ。つまり、早押しクイズに強い者というのは「早押しクイズに強い者が知っている事柄を知っている」者だということになるのである。

先の長戸氏の著書でも紹介されている。クイズマニアたちは定期的に集会を開き、その中でいろいろなゲームを行なう。そのなかの一つに「いちばん多くの正解者を出したクイズを考案した者が勝ち」というゲームも在る。この種のゲームによって「クイズマニアの知っている知識」というものがクイズマニアの間で可視化される。そこから「クイズマニアの知っていそうな知識」という予想もしやすくなる。クイズマニアの知っていそうな知識を問う出題文を出題文ごと記憶することが、結局は早押しクイズ対策になるわけだ。そのためには「クイズマニアの知っていそうな知識」という予想が立てられることが有用であり、それは「クイズマニアの集団」という準拠集団を想定できるようになることと等価なわけである。特にテレビなどの早押しクイズの場合、出題者もまたこの準拠集団の一員なので二重に有用なのである。

早押しクイズの出題文はいっけん無限のように思えるわけだが、それは「クイズマニアという準拠集団」を持たないからなのであって、そういう想定ができる者にとっては違うわけだ。「こんな出題、マニアは誰も解けない」「この出題だとマニアの正解率は〇〇%くらいだろう」という判断・予想がマニア同志ではできるわけである。そのため、早押しクイズ対策としてとられる事前の準備学習も「マニアが知っていそうな知識」に絞ることができるわけである。そのため出題範囲も実は有限と言っても良く、したがって「〇〇という出題文は出ない」とか「Xを問う出題文に似た出題文は三通りある」などのメタ認識すらも可能になるわけである。

ちなみに特に最近のテレビ番組での早押しクイズはこのような資質をあまり求められていないように見受けられる。つまりもっと出題のレベルを落として、多くの回答者が一斉に早押しをするように仕向けているように見える。そのようにすると誰が勝つか事前の予想がつきにくくなるからであろう。実際、「全盛期」のような早押しクイズを続けていると次第にメンバーが固定化し、誰が勝つかも大体は予想がついてしまい、視聴者に飽きられてしまうものだ。なのでここ20年くらいはクイズマニアが出場するクイズ番組自体ほとんど無く、「博識な芸能人」による或る程度レベルを下げた早押しクイズが多く見られるようになった。そう言ってもいいと思う。