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戸田山和久『新版 論文の教室』(2012,NHK出版)には、連体助詞「の」を使うための示唆が書かれている。p224-225にかけてのその箇所を引用してみよう。
「の」はいくつかの語をダラダラと続けて、ミニ物体Xを生みだす。「アメリカの自動車の社会的費用の最も大きなもの」や「交通事故の被害の経験者の累積の人数」がそうだ。「の」が連続するとみっともないということもあるが、それだけではない。日本語の「の」はじつにたくさんの役割をもっている。たとえば、「犬のおまわりさん」「犬のお医者さん」「犬のスヌーピー」「犬のしっぽ」「犬のシャンプー」「犬の交尾」「犬の煮込み料理」……に出てくる「の」はすべて働きが異なる。したがって、「の」ばっかりで語をつないでいくと、それぞれの語の関係が曖昧なフレーズができてしまう。
そこで対策。原則として「の」は二つ以上続けて使わない。できるだけ他の表現で言い換える。たとえば、「アメリカにおいて自動車にかかる社会的費用のうち最大のもの」や「交通事故の被害を受けた者の累積数」とすればよい。
この箇所を読み、それで満足できればそれでいい。しかし私はもう少し見通しがほしいと感じた。そこで『現代日本語文法2 第3部格と構文 第4部ヴォイス』(2009,くろしお出版)の該当箇所を参照してみたが、やはり見通しが得られた気がしなかった。そこで自分なりに独自考察をしてみることにした。
上掲引用の「犬のシャンプー」を活用してみることにした。上掲の「犬のシャンプー」は「飼い主が犬をシャンプーする事」の意であるが、それ以外にも語意を持ちうる。それを見るために、少しこじつけめいたものも含めて、「犬のシャンプー」を眺めてみよう。
「犬のシャンプー」は、まず「犬をシャンプーするために用いるシャンプー(という薬剤)」の意を持つことが可能である。これと同系なのは「犬のお医者さん」であろう。
次に、フィクションなどでは、犬が日本語を話したり人間に似たような行為をすることがある。そこで、犬が自分自身をシャンプーすることをも「犬のシャンプー」と呼ぶことができる。これと同系なのは「犬の交尾」であろう。
また同様にして、犬が自分自身の犬小屋などにシャンプーを所有していることも可能である。この所有関係を表すために「犬のシャンプー」と呼ぶことが可能である。戸田山の挙げている例には同系のものが見当たらなかったが、たとえば他に「犬の友達」などという言い方が可能だろう。
飼い主が自分の飼い犬に「シャンプー」という名前をつけている場合、「犬のシャンプー」と呼ぶことが可能である。これと同系なのは「犬のスヌーピー」であろう。「犬のおまわりさん」も構造は同じである。
あとはこじつけめいた場合である。一つは、假にそんなことが可能ならという話である。犬の体脂肪などを原材料にしてシャンプーを製造することができるとする。その場合、「犬のシャンプー」となる。これと同系なのは「犬の煮込み料理」であろう。
もう一つ。飼い主が犬をシャンプーする際に、いつも同じ箇所からシャンプーを開始するとする。そうするとその箇所、犬のその部位を飼い主が「犬のシャンプー」と呼ぶことが可能である。これと同系なのは「犬のしっぽ」であろう。
戸田山が「犬のシャンプー」を「飼い主が犬をシャンプーする事」と特定して例示することができるのは、常識や文脈があるからである。「の」の利用によって「この“の”は、どの“の”だろう?」と考え込むことが通常にはあまり無いのは、前後関係や常識によって語意が固定できるからである。
一方、特に学生や生徒が受け取る側のほうであり、文章を発信している側の教師などの相手が「この“の”は一義的である」と信じ込んでいる場合、その「読解」「聴解」がスムーズに行かないケースもありえよう。この問題は、既出の新井紀子著『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を補正するために必要な論点でも軽く触れた。「AのB」という箇所が、AもBも生徒・学生にはなじみの薄いものである場合、読解できないことがあってもおかしくない。その点を書く側・話す側が忘却しないためにも、「犬のシャンプー」という例は適しているだろう。
「AのB」という表現は、AやBになじみが薄い場合や、文脈・前後関係がはっきりしない場合には、通じないことが多いと自戒も込めて教訓としたいところである。なお、この文章を書くために他人の知恵を少し借りたが、ほぼまったく活用できていないと思う。お詫び申し上げたい。