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この書籍(高畠通敏/五十嵐暁郎・佐々木寛・編『平和研究講義』岩波書店、2005)(出版社による紹介)は、1993年の立教大学での講義をもとに編集されたものであり、相応の古さをもっている。と、同時に、「これは最先端や近年のトレンドや裏技をやる前に、まず先に押さえておくべき“基本”だな」とも感じた。特に、日本では1980年代前後に、「西洋の最先端の現代思想」というものがいくぶん表層的に流行したが、しかし本来ならそれは、本書のようなタイプの「基本」が、各種話題領域でそれぞれまず押さえられてからのほうが良かっただろう、と思う。いずれにせよ、日本で西洋発の学問をやるというときの「基本」のひとつの在り方を体現している書籍であり講義である、と思う。
さて、このページは、私が私的目的(「勉強」などのために)で制作している文書である。今後どのように追記・編集するかは未定である。また、この種のページを他の書籍をもとにして、再度制作するかどうかも未定である。このページを制作する際の問題意識に少しは関係の在るものを書いたはずのページとしては、「母語日本語の語彙を習得するのにどのような段階が有るか」というものも、在るには在る。
さて、世の中には、使用されている語彙を一覧表にまとめることによって理解や思考が向上するタイプの書籍と、そうでもないタイプの書籍とが在ろう。この書籍はまぎれもなく前者に属すると思う。理由の一つは、扱っている話題領域が実に多岐にわたるため、使用されている語彙の範囲が否応なしに広いことだ。今一つの理由は、この著者が、ほとんど同じような語であっても、少しずつ言い換えたりして違う表現をしたりするので、使う語の数をわざわざ増やしてくれているからでもある。そして、その事情のなかには、素人にはわからないがしかし専門家から見ると、「ほとんど同じ語に見えるだろうが、ほんとうは違う語なのだ」というケースが含まれている可能性も在るからだ。
掲載語を決めるに際して、「固有名詞をありったけ網羅しよう」などとは考えずに語を選んでいる。私の選んでみた語を眺めてみると、次のような諸類型の想定がうかがえる。「読んでわかるだけでなく、高校卒業までに使えるようになっておくと良いだろう語彙。」「読んでわかることに困難が無い易しい語であるが、その場面では焦点になっている重要な事柄を表す語彙」「読んでわかることに困難が無い易しい語であるが、その語の成立や使用状況にはさまざまな背景・特に学術的な背景が在り、それを知ることも時には有益である語」「領域固有の話題で使われやすい専門用語・準専門用語的な語彙」「まさかそんな語・語群が辞典・事典の見出し語にまでなっているとは予想もできなかったという、合成語を中心とした語彙。何と対比された合成語なのか把握するのが良さそうな語。」「知らないよりも知っているほうが得した気がきっとするだろう固有名詞。」、他にも在るだろうが、総じて言えば「私的目的で制作している」と最初に言い訳をしていることからわかるように、語彙の選択は相応に恣意的である。
「使用語彙メモ帳」と称するこのウェブページの編者としてひとこと程度、この本の内容に対してコメントしておく。2020年に思った私の考えとして言えるのは、「戦争」と対比したかたちで「平和」を構想すること自体が、かなり限界の在る態度に思えてならないことだ。そう考えるとときに、私が考慮に入れている事柄は二つ在る。ひとつは、ここ十数年を思うと、「対等な力をもつ者どうしの戦争」などというものよりも、「一方的なジェノサイド」「一方的なテロリズム」「一方的な空爆攻撃」などといったもののほうが、はるかに重要度を増しているように思える事だ。そしてそれらは、この書で「全体戦争」というふうに述べられているものと重なるものでもある(なお「全体戦争」はググっても出て来ない)。だが、これらの一方的な攻撃行動を「戦争」と呼ぶこと自体が、事態を曖昧なものにしかねない、と私は思うようになっている。もう一つは、「平和」のためにぜひ必要なこととして、もはや未来に備えることなど以前に、過去の後始末だけでもていっぱいだろうと思い浮かぶことだ。地球を何回でも破壊できるほどの核兵器が現在も地球上にいくらでも在るし、それらの安全管理がどの程度確実なものなのか私は知らない。核兵器以外にも、一世紀かかっても撤去しきれないほどの地雷が埋まっている地域も在る。これらはこの本からは学ぶことが難しい内容だ。新たに構想していく必要が在ろう。にもかかわらず、この著作に書かれて考察されたような事柄だって、今後も起こりうる事柄である。だからその意味では古びてはいないし、重要だろう。メモ帳の編者としてそう感じている。
本来なら大幅に追記・解説が必要なはずのリストだが、それが可能かどうかは不明であり未定である。
中距離核戦力」「
核ミサイル兵器」
国際労働機関。
主に北海道に居住している先住民族。」「
主として北海道に居住する少数民族。」「
アイヌは、日本列島北部に先住してきた独自の言語と文化をもつ民族である。」
心のよくない人。悪事を働く人。
壮麗なピラミッド・神殿・宮殿・美術品を造り,高度の文化を持っていたが,スペイン人コルテスにより1521年に滅ぼされた。
人を威圧する力。人に圧迫を加える力。
あの世・この世は仏教でいう彼岸・此岸に対応する語であり,その意味であの世は極楽・浄土または地獄をさす。一般にはもっと漠然と死後の世界,この世とは別の場所の意に用いられる。
19世紀後半から20世紀初めにかけて行われた,ヨーロッパの帝国主義列強によるアフリカの植民地化の過程
退職した高級官僚などが外郭団体や関連の深い民間企業の相当の地位に就任すること。」「
国家公務員法では,国家公務員がその離職後2年間は,離職前5年間に在職していた職と密接に関連のある企業の地位につくことを禁じている。官庁と企業の癒着を防止するための措置であるが,実際には,人事院の承認があれば天下りが可能であるため,多数の高級公務員が天下りしている。」
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神(あまてらすおおみかみ),大日?貴(おおひるめのむち),天照大日?尊(あまてらすおおひるめのみこと)などともよばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)生み,天(あま)の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。
ほとんどは白人との接触後,征服戦争,伝染病,強制労働,居住環境の変化などによって人口が減少し,社会・経済的には底辺にある人びとが多いが,さまざまな復権運動も行われている。」「
ヨーロッパ諸国のアメリカ先住民に対する接触の仕方の特色について、19世紀のアメリカ史家F・パークマンは次のように簡潔にまとめている。「スペイン文明はインディアンを圧殺した。イギリス文明はインディアンをさげすみ無視した。フランス文明はインディアンを抱擁し慈しんだ」と。スペインのコンキスタドレス(征服者)がカリブ海諸島、中米、南米、メキシコに侵入しインディオを「圧殺」したことはあまりにも有名である。」
政治的に影響力をもつ人間を、政治的、思想的立場の相違に基づく動機によって、非合法的かつ秘密裏に殺害すること。
アンシャン・レジームとは,フランス語で〈旧体制〉を意味する表現だが,フランス革命が産み落とした新しい社会と対比しつつ,革命によって打倒された旧来の社会体制を,こう呼んだものである。
第二次世界大戦中、戦地で、将兵の慰安を名目に、売春をさせられた女性。強制的に連れて行かれた者もいた。従軍慰安婦。
聖画像。特にギリシャ正教で崇拝されるキリスト・マリア・聖者の像や聖伝の場面を描いたもの。
イスラム教に基づく社会や文化。「イスラム世界」」「
イスラム教を国教とする国々、あるいはイスラム文化圏をいう。」
政治を行う者。
三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮(ないくう))と豊受(とようけ)大神宮(外宮(げくう))の総称。内宮は皇祖神である天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭り、神体は三種の神器の一、八咫鏡(やたのかがみ)。外宮の祭神は農業などをつかさどる豊受大神。白木造りで、20年ごとに遷宮を伴う改築がある。明治以後国家神道の中心として国により維持されたが、昭和21年(1946)宗教法人となった。社殿の様式は神明造り。伊勢大神宮。伊勢大廟。二所大神宮。神宮。
スターリンが唱えた,ロシア一国だけでも社会主義の建設は可能であるとする理論
多くの人を生かすために、害をなす一人を殺すこと。
グループやその場にいる人々の気持ちや考えが一つにまとまること。本書では「ネイションに一体感をもつ」という用法。
社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)において思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系。歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系。観念形態。」「
特定の政治的立場に基づく考え。」「
一般には、思想の体系・傾向、物の考え方や、教条主義的政治思想、保守的政治思想の意味で用いられる場合もあるが、唯物論の立場からは、観念論を批判する際に、科学的理論と対立する虚偽意識という意味でイデオロギーということばが使用される。」
プロレタリアートの団結と解放を目指し,運動の発展をはかるため結成された,労働者,社会主義者およびその団体の国際組織。
ほとんどは白人との接触後,征服戦争,伝染病,強制労働,居住環境の変化などによって人口が減少し,社会・経済的には底辺にある人びとが多いが,さまざまな復権運動も行われている。」「
ヨーロッパ諸国のアメリカ先住民に対する接触の仕方の特色について、19世紀のアメリカ史家F・パークマンは次のように簡潔にまとめている。「スペイン文明はインディアンを圧殺した。イギリス文明はインディアンをさげすみ無視した。フランス文明はインディアンを抱擁し慈しんだ」と。スペインのコンキスタドレス(征服者)がカリブ海諸島、中米、南米、メキシコに侵入しインディオを「圧殺」したことはあまりにも有名である。」
旧日本軍が終戦前年の1944年3月、連合国軍の補給路分断などのために、英領インド北東部のインパール攻略を狙って開始。食料や装備の補給を軽視して、大敗を喫した。兵力約10万人のうち約3万人が死亡し、約4万人の傷病兵が出たとされる。退却路は、飢えや病で多くの日本兵が倒れ、「白骨街道」と呼ばれた。」「
第2次大戦中の日本軍によるインド北東部の都市インパールImphalへの進攻作戦。1942年ビルマ(現ミャンマー)を席巻した日本軍はこの作戦を計画したが,成功を危ぶむ者も多く中止。しかし第15軍牟田口廉也司令官は再びこれをとりあげて44年1月より実行し,自由インド仮政府首班スバース・チャンドラ・ボース下のインド国民軍も参加,同市を包囲した。だが長い補給路,制空権のないことなどから惨敗。3師団長の更迭を生む混乱の中で撤退した。」
保守的,反動的,排外主義的な思想や運動をいう。左翼と対比して用いられる。フランス革命期の国民議会の議場で,議長席から右側の位置に極端な保守派が議席を設けたところに由来する。右翼思想の特徴は保守反動という言葉に要約されがちだが,保守と反動は位相を異にした概念である。保守は急激な社会変革を否定して漸次的な改革を主張する現実主義的な路線を選択する。これに対して反動は現実を全否定して過去の価値観や原理へと回帰することを主張する。両者に共通するのは左翼思想を特徴づける楽観主義的な進歩史観への懐疑だけである。
大英帝国に所属しており、その後独立した国々によって構成される機構
一般に、ある社会集団・民族を支配する倫理的な心的態度。
弾道ミサイルを
迎撃する
ミサイル。
民族集団への帰属意識,同類意識
戦後はGHQ(連合国軍総司令部)の民主化政策の一環として放送制度改革が進められ。NHKは日本で唯一の公共放送として53年2月にテレビ放送を開始し、受信機を置いた世帯が支払う受信料を財源に、新たな放送サービスの普及・発展の先導的役割を果たしてきた。2008年現在、テレビは地上波が総合と教育の2波、衛星がアナログとデジタルのそれぞれ2波で同様の内容を流すほか、ハイビジョン放送も行っている。ラジオはAM2波とFMの計3波。また、テレビとラジオの国際放送のほか、文字多重放送、音声多重放送も提供している。経営の最高責任は、国会の承認を得て内閣総理大臣が委員を任命する経営委員会にあり、経営委員会が会長を任命する。
欧羅巴ヨーロツパと亜米利加アメリカ。西洋。 「 -諸国」 「 -文化」
幕末・明治前期の政治家。木戸孝允(きどたかよし)、西郷隆盛(さいごうたかもり)とともに「維新三傑」の一人。薩摩(さつま)藩下級武士の出身。正助、一蔵と称し、のちに利通と改め、また甲東(こうとう)と号した。その生涯は、幕末討幕派の下級武士から維新政府官僚に成長、転身する前半と、政府の最高の実権者として独裁体制を確立し、富国強兵のための開明的政策を順次施行した後半の2期に区分できよう。」「
初期明治政府の中枢にあった政治家。通称一蔵。号は甲東。西郷隆盛とともに薩摩鹿児島藩の下級武士集団の中心人物。島津久光に信任され西郷,小松帯刀らと公武合体運動に尽力。やがて倒幕運動に転じ,西郷や岩倉具視,長州藩士らと結んで王政復古,戊辰戦争を主導し明治政府を樹立。以後木戸孝允らと版籍奉還,廃藩置県を断行した。岩倉使節団の副使として随行しビスマルク専制政治の影響を受けて帰国。1873年以後内務卿として事実上政府の実権を握り,地租改正事業,殖産興業政策を行い資本主義発展に努め,絶対主義的天皇制の布石をしいたが,紀尾井坂の変で暗殺された。」
会社が生活のすべてであり、仕事一途で他に趣味などもない人。仕事人間。[補説]日本経済の高度成長期に目立った生き方。
当事者以外の者が入り込むこと。争いやもめごとなどの間に入って干渉すること。「国際紛争に介入する」
外国の政治的支配から民族の主権と自由の回復を求める戦争。
形式的には独立しているが、実質的には他国によって操られている政権。」「
名目上は独立国でありながら,自国民の利益と意思を代表して統治を行うのではなく,実質的には他国の意思に従って統治を行う政府をさして用いられる名称。支配国あるいは占領国の意思は傀儡政権を通じて間接的に表現されるので,植民地的支配や侵略はしばしば偽装されあるいは一見緩和されて,傀儡政権統治下の民衆を欺瞞する効果を生みやすい。」
古くからの習慣・制度・状態・考え方などを新しく変えようとすること。特に、政治の分野で社会体制・政治組織を新しく変えること。また、変えようとする勢力。
核分裂や核融合など、原子核反応によるエネルギーを爆発的に発生させ、大量破壊や殺傷のために用いる兵器。
近代的な概念としてはrevolutionの訳語として用いられ,社会・政治構造などの大変革をさす(この語そのものとしては元来は中国政治思想の易姓革命に発する)。政治革命は旧権力の打倒と新権力の樹立を意味し,社会の発展段階に応じて,伝統社会における宮廷革命,近代社会成立期におけるブルジョア革命,20世紀におけるプロレタリア革命というような型に分けることもできる。また革命の方法からクーデタ,暴力革命,平和革命などの型を考えることもできる。政治的変革のなかで,権力の階級的移動を伴う社会革命のみに限定して使う場合もある。
共同利用が認められている耕作地・森林や未開墾 (みかいこん) 地などを柵 (さく) ・生垣 (いけがき) などで囲み,他人の利用を認めない私有地であることを表示する行為
国家を家族になぞらえ,家族主義を支配の根本原理にしようとする国家観」「
戦前の日本における封建的な天皇制国家が典型例。」
近世初期に発生、江戸時代の文化が育てた日本固有の演劇。先行の舞踊・音楽・科白劇(かはくげき)などの諸要素を集大成した、庶民的な総合演劇として今日に至る。歌舞伎劇。歌舞伎芝居。」「
江戸時代の庶民文化のもとに成立した演劇。能・人形浄瑠璃とともに日本の三大古典劇とされる。1600年ごろ京都で出雲のお国が始めた〈かぶき踊〉が前身。〈かぶき〉とは新奇・異様な行動の意で,〈歌舞伎〉は明治以後に当てられた字。それ以前には〈歌舞妓〉と書かれたこともある。」
コーヒーまたはコーヒー店の意。17―18世紀フランスや英国で流行し一種の社交場となった。日本では1888年東京下谷黒門町に可否茶館が開かれたのが最初で,1911年銀座日吉町にカフェ・プランタン,同年銀座尾張町にカフェ・ライオン,次いでカフェ・パウリスタができ,大正末には全国に普及した。形態はバーに近く,女給を置いて飲食のサービスをする一種の遊興場であった。
キリスト教で、神の支配・統治する国。中世ではカトリック教会とされ、近代では、倫理的・道徳的なもの、また現実的な世の終わりの待望として理解される。
有色人種
行政を執行する任命職の公務員の呼称。しかし実際には、行政組織ないし国家および地方政府の官僚制の構成員のうち、下級の事務職的職員や労働者を除く、中級および上級の職員をさすことが多い(例、特権官僚、高級官僚など)。このことばはまた、高級官僚などの権力を背景とした特権性、独善性、しゃくし定規などその官僚主義的行動様式を非難したり、悪くいう場合に用いられることが多い。
一定の合理的な方法で編制された行政組織が,そのことにより社会に対して統制力を発揮するに至ったとき,そのような作用,または作用の中核となる組織自体。」
日常語としては広く他国の人を意味する。自国以外の国籍を有する者および無国籍者をふつう指す。
しかし江戸時代300年の鎖国に慣れた多くの日本人の意識にとって,拡大されたムラの境界は,日本の国境を超えない。ムラ人=日本人と〈外人〉=非日本人との区別は,今日なお大きな意味をもちつづけ,〈外人〉は,日本人以上か以下である。たとえば中国人,朝鮮人は,1868年(明治1)を境として,日本人以上から以下に変わった。」「
家族、親戚、仲間、同宿などの範囲の外にいる人。無関係の人。疎遠な人。他人。また、その土地の人ではない人。」
西暦で、元年とするキリスト降誕の年以前。B.C.
騎馬戦術を用いて農耕地帯を略奪するか、または征服、あるいはそこへ移住した多くの民族の総称。
1898年の米西戦争の結果,米軍政下におかれ,1902年独立した。しかしプラット修正により,1934年まで事実上米国の保護国であった。その後はバティスタが米国のキューバ支配の支柱となるが,1959年カストロらのキューバ革命が成功,土地改革,産業の国有化など社会主義国の建設が開始された。1962年米国と断交したが,グアンタナモに米海軍基地がある。1962年10月,ソ連の中距離ミサイルが持ち込まれたことから,米国がキューバを海上封鎖し,〈キューバ危機〉に発展したが,ソ連のミサイル撤去で戦争の危機は回避された。
明治天皇の名のもとに、明治23年(1890)10月30日に発せられた「教育ニ関スル勅語」。教育の根本を皇祖皇宗の遺訓に求め、忠孝の徳を国民教育の中心に据えた。昭和23年(1948)、国会でその失効および排除を決議した。
軍事的、経済的に強い勢力をもつ国。
共産党政権のもとにある諸国の総称。社会主義圏とも呼ばれる。かつてのソビエト連邦やポーランド,ドイツ民主共和国 (東ドイツ) ,チェコスロバキア,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,ユーゴスラビア,アルバニアの東ヨーロッパ諸国,モンゴル,中国,朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) ,ベトナム,キューバなど。これらの国は,1948年にユーゴスラビアが追放されたほかは,ワルシャワ条約機構 WTOや経済相互援助会議 (コメコン) を軸にソ連中心の結束を固めてきたが,1960年代に入り内部で多極化の傾向が目立つようになり,ついに 1989年,東欧革命と 1991年のソ連解体に伴って WTOとコメコンも解散。旧東欧・ソ連が政治的自由化と市場経済体制への移行に踏み切った結果,この概念は国際政治上,いわば死語になってしまった。
財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。古くはプラトンなどにもみられるが、現代では主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたマルクス主義思想をさす。」「
コミュニズムcommunismの訳。私有財産制を廃止し,生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り,人間社会の諸悪を根絶しようと説く思想または運動。このような思想・運動の中ではマルクス主義が最も有力になったため,マルクス主義と同一視される傾向が強いが,本来フランス革命(とくにジャコバン派)とコミューンの理想に淵源する。マルクス主義ではしばしば理想的状態としての共産主義は発展段階によって低次の社会主義社会と高次の共産主義社会の二つに分けられた。絶対的貧困とユートピア待望のエトスに支えられた伝統的共産主義思想の有効性は,現代先進諸国にあっては疑わしい。」
自分の生まれ育った土地。郷里。故郷。ふるさと。
家族や村落など、血縁や地縁に基づいて自然的に発生した閉鎖的な社会関係、または社会集団。協同体。
投獄・拷問・脅迫・処刑などの暴力的な手段によって反対者を弾圧し、政治上の目的を達成する政治。
一つの物を二人以上が共同で持つこと。「秘密を共有する」「共有財産」
共和制をとる国家。
主権が国民にあり、直接または間接に選出された国家元首や複数の代表者によって統治される政治形態。少数の特権階級に主権がある貴族的共和制・寡頭(かとう)的共和制などがあるが、一般には国民の意志に基づく政治が行われる民主的共和制をいう。」「
君主制をとらない国家形態一般をさす形式的概念となっている。かつて絶対君主制 (→専制君主制 ) との対比においてこの概念は意義をもっていたが,一方で君主制が立憲主義化,名目化し,他方で共和制が社会主義体制のみならず,民主制や独裁制もともに包含するに伴って,君主制と共和制との区別は今日では実際的意義をもたないといえる。」
仏教・イスラム教と並ぶ世界三大宗教の一。イエスをキリストすなわち救世主と信じる宗教。神の国の福音を説き、人類の罪を救済するために自ら十字架につき、復活したイエス=キリストを信仰の中心とする。ユダヤ教を母体として1世紀中ごろパレスチナに起こり、4世紀末ローマ帝国の国教となる。欧米を中心として世界各国に広まっている。ローマ‐カトリック教会・東方正教会・プロテスタント諸教会の三つの流れがある。耶蘇(やそ)教。
キリスト教徒。
時の為政者あるいは教会が治安維持,公共の秩序,信仰などの理由から,ある書物の刊行,販売,所蔵を禁ずること。またその書物。西洋では,16世紀に《禁書目録》が公刊されて以来,ローマ・カトリック教会で組織的な禁書が行われ,今日に及んでいる。第2次大戦中ナチスも禁書を行った。中国では,秦の始皇帝の焚書(ふんしょ)が古い例として知られるが,清の全盛期にとりわけ厳重に実行され,乾隆帝の時には浙江省だけで538種,1万3862部にのぼる書が禁書とされている(文字の獄)。日本では,江戸幕府が1630年キリシタン関係の図書32種の輸入を禁じ,以後も長崎に書物目利(めきき)などをおいて輸入書の検閲を行った。明治以後出版法(1893年)により多くの書物が発禁処分を受けたが,新憲法では出版の自由が保障されている。
封建的思想から解放され、合理的で自由な考え方をし、人間性・個性を尊重し、また能率的・機械化された状態などをいう。
法やしきたりなどにのっとったきまり。また、日常の立ち居振舞の作法。」「
公事(くじ)・神事・祭事・慶弔などの、一定の作法・形式で執り行われる行事。また、その作法。」
一般的には中・近世ヨーロッパにおける商工業者の職種ごとの仲間団体をさすが,このような同職仲間的な団体は,広く前近代の日本,中国,イスラム社会,インドにもみられる。ドイツ語ではギルドGilde,ツンフトZunft,インヌングInnung,フランス語ではコンパニオナージュcompagnonnage,イタリア語ではアルテarteとよばれる。日本では,同職組合,同業組合と訳されている。
黒人人口の多い南部各州に黒人議員が現れて,黒人の政治的進出がめざましかった。しかしその反動としてクー・クラックス・クランのような団体が生まれ,黒人に対するリンチが数多く発生した。→「KKK」
既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うこと。支配階級内部での権力移動であり、体制そのものの変革を目的とする革命と区別する。
実質を失い、外形だけが残ること。「産業の空洞化」「制度が空洞化する」
キリスト教プロテスタントの一派。」「
暴力否定,戦争反対の平和主義に徹し,良心的兵役拒否で知られる。」
独自の言語と文化を持ち、多くがイスラム教スンニ派。第1次大戦後、居住地域に国境線を引かれ、イラク、トルコ、イラン、シリア、アルメニアに分断された。
《船の色から》特に、嘉永6年(1853)、日本の開港を求めて相模(さがみ)国浦賀に来航したペリー提督の率いる米国艦隊のこと。幕府・国民に大きな衝撃を与えた。
君主の権力。
世襲的に国家を代表し、統帥する最高の地位にある人。
君主によって統治される政治形態。憲法などの制度により制約を受ける制限君主制と、君主の意思が何ものにも制約されない絶対君主制とがある。
政府や官僚機構,軍部,議会,財界や労働組合,政党や圧力団体,あるいは軍事技術の急速な進歩に伴って学界や研究機関などで構成され,これらが相互補完的に影響力を行使して軍事支出の拡大や兵器調達の増大をはかる強力な結合関係を構築している。
兵器・爆薬・航空機など軍事に必要な物資を生産・修理する工場。
軍備の開発,実験,生産,配備,使用などについて,国際的に合意された一定の規制を加えること。」「
ある政治的な意図をもって軍備の増強を双方向的に限定すること。」
多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと。「群雄割拠の世」
衣食住など物財の生産・流通・消費にかかわる人間関係の全体
アメリカの白人至上主義団体
血族相互を結びつけるきずな。血縁は産み産まれた生物学的事実の存在そのものをいうのではなく,これを親子関係あるいはその連鎖として関係者が認知しなければ,当事者は血縁親族として認められない。他面,親子の生物学的関係がなくとも,契約によって親子と認知しあえば親族となり,契約上の血縁が成立する。また,血縁が単に推定上のものでも,関係者が認知しあえば親族となり,推定上の血縁が登場する。血縁成立には,生物学的関係とともに,あるいはそれ以上に,社会的認知が重要となる。
権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度。
従来の民主主義と全体主義の二分法ではとらえきれない中間形態を権威主義体制と考え,「権威主義体制とは,制限されており,しかも責任の所在が不分明な多元主義を持ち,練り上げられた指導的イデオロギーはなく,内容の上でも高度な政治的動因もなく,指導者が形式的には無制限だが,実際には完全に予測可能な範囲内で権力を行使するようなシステム」と定義した。
社会保障の一つで,国民から所定の保険料をとり,疾病に際して給付が行われる制度.」「
一般的には、民間企業の雇用労働者を対象とする医療保険をさすものとして、自営業者などを対象とする国民健康保険(国保(こくほ))と対比して使用される。」
新しく国家をつくりあげること。
相手を威圧したり監視したりして自由な行動を妨げること。
演劇あるいはこれに類する技芸を上演する建物で,大きく分けて演ずる場である舞台と,それを享受する観客席から成る。演劇の場としての劇場の空間構成には,屋外,室内の別を問わず,大別して二つの形態が認められる。すなわち主たる演技空間(舞台)を観客席が取り囲む形のものと,演技空間と観客席が相対するものとである。演劇は原初的には神事,祭事から発生したので,最初期の劇場は必然的に演技空間中心の前者に近い形態をとったと考えられる。
〈演劇批評〉の略語とも考えられるが,日本では一般に,〈演劇批評〉はより広義に,戯曲,演出など演劇表現全般に関する批評,評論をいい,〈劇評〉の方は上演された演劇の具体的な舞台成果を,おもに俳優(役者)の演技を中心に直接的に批評する場合をいう。
インド=ヨーロッパ諸族の一民族。青銅器時代の末期 (前5~4世紀) には南スウェーデン,デンマーク半島,北部ドイツが居住地。北ゲルマン (デーン人,ノルマン人など) ,西ゲルマン (アングル人,アラマン人,サクソン人,フランク人など) ,東ゲルマン (東ゴート人,西ゴート人,バンダル人,ブルグント人など) に大別される。前2世紀頃から移動を始め,南東へ向ったものは遠く黒海沿岸へ,南西に進んだものはライン川方面に達した。初めてローマ人と接触したのは前2世紀末に南ガリアと北イタリアへ侵入して撃滅されたときであるが,その後もローマのガリア遠征軍としばしば交戦した。 375年東ゲルマンのゴート人がアジアのフン民族に圧迫されて移動を開始し,いわゆるゲルマンの民族大移動が展開され,ゲルマンの王国が各地に建設された。原住地バルト海沿岸にとどまっていた北ゲルマンもスウェーデン,ノルウェー,デンマークを建設したが,のちにヨーロッパ各地を劫略したデーン,ノルマンもその一部である。ゲルマンについて,現存する最古の記述を残した古代ローマの将軍ユリウス・カエサルによれば,社会生活の面では,本来農耕民族ではなく,牧畜民で彼らの食料の大部分はその家畜群から得ていたという。しかし農業を知らなかったわけでなく,農耕のための独特な共同体組織 (→ジッペ ) をもっていた。自由民から成る民会で政治的決定を行う伝統があり,戦時には首長が選ばれた。そこにローマ法と異なるゲルマン的な法観念の母体がはぐくまれた (→ゲルマン法 ) 。宗教的には,ゲルマン独自の宇宙観から成る宗教をもっていたが,4世紀の初め頃からキリスト教に改宗していった。
ウラン235,プルトニウム239などの原子核分裂の連鎖反応のさい放出される核分裂エネルギーを破壊目的に利用した核兵器。
(移住者に対して)その土地にもとから住んでいる人々。
核抑止が崩れても,全面戦争に至ることなく被害を限定できるとする仮定上の戦争。」「
その背景には,技術革新によって戦略核兵器の命中精度が向上し,核使用を限定できるとの認識が生まれたことや,旧ソ連が相互核抑止の中でもアフガニスタン侵攻をはじめとする巧妙な侵略政策を行なっている以上,核使用を含めた柔軟な対応をすべきだという軍事的要請があったとされる。」
おおやけのもの。公共のための機関。「新聞は社会の公器である」
広く社会一般に利害・影響を持つ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること。
共通の関心で結ばれているが,拡散して組織化されていない集団。」「
メディアを用いたコミュニケーションで結ばれている人間集団。」
社会システムのなかで構造化されている不平等 (資源配分に関する決定権の不平等) を,構造的・間接的な暴力と規定し,その発現である搾取,浸透,分断および辺境化を通して,第三世界における貧困,飢餓,抑圧,疎外などの社会的不正義が繰返し生み出されているとしたもの。」「
例えば工業国で牛肉の消費が増え、途上国から大量の飼料を輸入するようになり、そのため途上国の作付けが、自国民の消費用穀物から輸出用飼料に切り替えられ、子供たちの食糧が失われて飢餓に苦しむという場合には、結果は直接的暴力と同じだが、因果関係は複雑で暴力行使の主体は特定できず、しかも他者から食物を奪ったはずの人々はその自覚を持たない。このように、社会関係の非対称性を介して間接的に生命や人間の可能性を奪い去るような行為をガルトゥングは構造的暴力と呼び、制度や構造に内在した暴力の解消を積極的平和と定義して広範な論議を呼んだ。」
諸王に超越する王の称号。中国では、秦の始皇帝およびそれ以降の歴代王朝の統一君主。西洋では、古代ローマ帝国の統治者およびその名称と権威を継承する諸君主の称号。」「
王の中の王,諸王に超越する王の称号としての皇帝は,王権の及ぶ範囲が共同体や部族・氏族連合を越える広大な帝国の成立と結びついている。したがって,皇帝の称号の成立は,そこに含まれる国際関係を帝国の秩序に組み入れる観念の形成とも不可分といえる。」
政策・主義・方針などを世間におおやけに発表し、社会的に認められている政党。 ⇔ 私党
ある国家が政治,行政,法廷などで文書,口頭で公式に用いる言語。数種の言語を公用語に定めている国もある。
人々が正当であるとする議論、意見。世間一般に行なわれている意見。世論。輿論(よろん)。
自国の歴史・政治・文化などが他国よりもすぐれているとして、それを守り発展させようとする主張・立場。
国の政治。日本国憲法では、立法、司法、行政のすべてを含む。
一般的には国柄や国風を意味し,この用例は漢籍や古代日本にもみられる。」「
明治憲法下の日本では一般に〈国がら〉という漠然とした内容で,もっぱら万世一系の天皇が統治する尊い国という意で用いられた。」
国家を構成する個々人,あるいはその全体を指す。日本国憲法で〈日本国民たる要件は,法律でこれを定める〉とされているように,一方で国民は法律上の概念であるが,他方で国民主権や国民国家などの用法にみられるように,国民は主権や国家の基本的な性格を規定する政治上の概念でもある。政治上の概念としての国民は,すぐれて近代的な起源をもつ。すなわち中世あるいは古代の社会には,国民は存在せず,絶対主義国家の成立とともにようやく国民の形成が開始された。
国民感情(こくみんかんじょう)とは、国家においての一般庶民である国民が、自分の国家や国家の政治家に対して抱いている感情である。
国民兵で編成された軍隊。」「
フランス革命勃発と同時に第三身分(町人・職人・農民など)によって編成された軍隊。市民が革命を防衛するために自発的に組織した。」
同一民族または国民という意識によって形成された中央集権国家。絶対主義国家から市民革命を経て近代的な国民国家となったもの(イギリス、フランス)や、絶対主義国家権力の主導のもとで国民国家を形成したもの(ドイツ、イタリア、日本)、また、植民地や従属国で、民族独立運動に成功してなったものもある。
国民の人権や自由を尊重しつつ、民主的に国家を形成・発展させようとする思想・運動。ナショナリズム。
国家や社会や種々の集団に対して、それを構成している個々の人。一個人。私人。また、地位・身分などと切り離したひとりの人間。
もともと古代社会という概念は、ヨーロッパで、ヨーロッパの歴史のなかから発見されたものであるが、それは世界史のなかに普遍的に存在するものとされ、その普遍的特質を何に求むべきかが追究された。この特質を問題にする場合、この概念が生産関係を基軸とする社会発展を念頭において形成された経過からみて、マルクスによって提起されたアジア的・古代的生産諸様式が古代社会とどのようにかかわり、それらと奴隷制がどう関連するかが問題とならざるをえない。さまざまな論争を経て、アジア的生産様式が抹殺され、古代社会=奴隷制社会という定式が認められたのは、1934年のソ連においてであった。ここでは、大多数の民族は社会的発展のなかで奴隷制社会を通過するとされた。奴隷制社会において最初の階級分裂が行われたとされ、古代社会は、原始社会の崩壊後発生した最初の階級社会とされた。奴隷制社会は、ギリシア・ローマだけではなく、オリエントやアジアの古代社会においても現れたが、東洋的社会においては、土地国有、基本的生産手段の独占化などの古代奴隷所有者的構成の東洋的変形がみられるとされた。
一般に,一定の領土と国民と排他的な統治組織とをもつ政治共同体をいい,また一定の地域 (領土) を基礎に固有の統治権によって統治される継続的な公組織的共同社会ともいうことができる。 (1) 広義の固有の国家とは,統治の主体としての統治機構である政府と,統治客体としての人民をともに含んでいるが,政府だけをさして国家と呼ぶこともあり,語源的に国家とは,この狭義の概念に由来している。今日の国家の起源をなすイタリア・ルネサンス期のスタート statoは,統治者およびその属僚から成る実力的統治機構と考えられていた。このように近代ヨーロッパの国家とは,なによりも権力およびその支配機構を意味していたが,やがてそれが主権の観念と結びついて,国民国家 nation stateの機構を準備した。こうして国家とは合法的な物理的強制力の独占を背景として,社会秩序を維持,管理するための支配機構を意味するにいたった。
フランス語レーゾン・デタの訳。国家理由とも。国家は自己目的的存在として国家の維持・強化のみを最高原理として行動するという観念。近代国家の成立期,特に絶対主義時代に,中世の神学的秩序に対抗するものとして国家主権を樹立する必要から生まれた。のち国際政治における勢力均衡,パワー・ポリティクスという概念の原理ともなった。
共産主義インターナショナル Communist Internationalの略称。第3インターナショナル,第3インターとも呼ばれる。
大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。」「
白人入植者の間では植民地での生活に不満の声が上がり、周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。
これに対し、コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
インディアンたちはゲリラ作戦でコロンブスに報復を試みたが、スペイン軍の軍事力と彼らがばらまく疫病はインディアンの想像をはるかに超えていた。最終的に彼らは最善の策は「逃亡」であると決めた。 置き去りにされた作物は腐るにまかされ、やがてインディアンたちを飢餓が襲ったのだった。
コロンブスが何か月も病に臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。」
日本古代の兵役の一つ。〈さきもり〉は崎守の意。律令制では21~60歳の男子は3年間の防人の軍役につく義務があった。ただし,実際には,防人の軍役は東海道,東山道地域の人々に限られていた。
一般的には雇い主等が労働者等を低賃金で使用し、不当な利益を搾り取るなどの行為をさすが、搾取を階級社会の基本的な経済関係を意味するものとして厳密に分析し、いっさいの不労所得発生の源泉と規定し、経済学上の一大概念としたのは、K・マルクスである。すなわち、階級社会においては、基本的な生産手段を所有する支配階級が、非所有の直接生産者を、その生活の維持に必要な労働以上に働かせ、そこから発生する剰余労働の生産物を、その生産に要した諸費用の増加分、つまり剰余価値(物)として領有する。搾取とは、この剰余価値(物)の創出と取得の方法をいう。
劇場,演能場,相撲小屋などの観客席の一種。明治以前,客席が全部座席だった時代に,左右両側と2階正面に作られていた上等席のこと。ほとんどが椅子(いす)席になった現代でも,一部の劇場では左右に特別の座席を設け,これを桟敷と呼んでいる。元来は地上より高く作った台という意味で,平安時代の祭礼のとき,道路の両側に貴族の見物席を作ったのが始まりといわれる。
ヨーロッパ、特にフランスの上流社会で、邸宅の客間(サロン)で女性が主催して開いた、社交的な集まり。芸術・学問・政治などが論じられた。転じて、芸術家や学者などの集まりをいう。
陸地の表面が著しく盛り上がった所。高く険しい山が連なったり、より集まったりしている所。「山岳地帯」
18世紀後半に英国に始まった、技術革新による産業・経済・社会の大変革。19世紀前半にはヨーロッパ各国に広がった。機械設備をもつ大工場が成立し、大量生産が可能となり、社会構造が根本的に変化して、近代資本主義経済が確立したが、その過程で人口の都市への集中、小生産者・職人層の没落を伴った。
個々の経済主体が所有する財・サービスを,市場を通じて自由に売り買いすることにより,価格の変動により最適な資源配分をはかっていく経済体制。資本主義経済の基本をなすものであり,これに対するものを計画経済と呼ぶ。
法的規定以前に人間が本性上もっている権利をいう。伝統的「自然法」を社会形成の積極的な構成原理に援用した際に生れた近代的な観念である。」「
人が生まれながらにして持っているとされる権利。自己保存の権利、自由の権利、平等の権利など、国家権力をもってしても奪うことのできないもの。ロックを中心とする近世の自然法思想の所産で、フランスの人権宣言、日本の明治期の天賦人権思想などに表れている。天賦人権。」
共通の祖先をもつこと、あるいは、もつという意識による連帯感のもとに構成された血縁集団。
生産手段を所有し、労働者を使って事業を行い、利潤を得る階級。ブルジョアジー。
近代社会を構成する自立的個人で、政治参加の主体となる者。公民。
新興の産業資本家を中心とする市民階級が封建制を打破して、政治的・経済的支配権を獲得し、近代資本主義社会への道を開いた社会変革。17世紀のイギリス革命、18世紀のフランス革命など。ブルジョア革命。
近代において,封建的社会体制から解放され自由と平等を獲得した自立的個人である市民によって成り立つ社会。
資本主義の生み出す経済的・社会的諸矛盾を、私有財産制の廃止、生産手段および財産の共有・共同管理、計画的な生産と平等な分配によって解消し、平等で調和のとれた社会を実現しようとする思想および運動。共産主義・無政府主義・社会民主主義などを含む広い概念。」「
マルクス主義において、生産手段の社会的所有が実現され、人々は労働に応じて分配を受けるとされる共産主義の第一段階。」
社会主義を信じてその思想を唱え、その実現に努力する人。
ある社会を全体的に表した体制。民主主義体制・ファシズム体制・資本主義体制・社会主義体制・戦時体制など。
国民の生存権を確保することを目的とする保障。」「
国が国民の最低文化生活を保障する制度。」「
人が生活を営むなかで病気、老齢、障害、死亡、失業、貧困、要介護、出産、育児などに直面したときに、国や公共団体がサービスや現金を給付し、その生活の安定を図る制度をいう。」
広義には,宗教をめぐって起こったすべての戦争をさすが,とくに,西洋史の分野では,宗教改革後の16~17世紀に,カトリック,プロテスタント両派の対立を大きな原因として起こった一連の戦争をさして用いられる。そのおもなものは,オランダ独立戦争(八十年戦争),フランスのユグノー戦争,ドイツを中心とした三十年戦争があげられる。そこでは,信教の自由が争点となったが,ヨーロッパの覇権をめぐる政治的争いが戦争を大きく拡大したといえる。
ある国からの植民によって形成された地域。または、特定国の経済的・軍事的侵略によって、政治的・経済的に従属させられた地域。
中世末期から近世にかけて、諸大名をいう語。
皇帝や天皇がみずから政治を行うこと。また、その政治。
ニュースの速報を中心とする定期刊行物。時事報道,意見伝達,娯楽提供,広告媒体の機能をもち,世論の動向に大きな影響力がある。現代ジャーナリズムの主要なにない手であり,重要なマス・メディアである。商業紙が代表的だが,政党,労働組合,宗教団体など特定集団の機関紙,各業界の業界紙,学生新聞等あらゆる分野に存在する。日刊が多いが週刊,旬刊,月刊もあり,配布地域の面からみると全国紙,地方紙(数県を対象とするブロック紙,小地域を対象とするローカル紙など),米国の地方都市に多いコミュニティ・ペーパー(地域紙)などがある。
進歩とは本来語源的には〈前に進む〉という非常に広い意味の言葉であった。しかし類語と比べてみると,微妙な差異が認められる。〈進歩〉とは,たんに物体の位置の移動としての〈運動〉とも,物質の状態の変質としての〈変化〉とも異なる。また内蔵された要素のより複雑な展開としての〈発展〉とも異なる。進歩とは,そういった前進運動であるとともに,より高次の状態への価値的な向上を,つまり漸次よくなっていくことを指す。しかも〈進化〉が主として自然界についていわれるのに対して,〈進歩〉とは,すぐれて人間の精神・文化・社会など,人間界についていわれる言葉である。」「
人間の精神が時代とともに成長し,また歴史も時代を追ってより完成に向うという楽天的な信念。ヘブライズムに端を発する線分的な時間の観念に,キリスト教的な原罪と恩寵による救済および終末論思想と結びついて生み出されたと考えられ,17世紀のいわゆる新旧論争を経て,18世紀のフランス啓蒙思想によって完成した歴史観。コンドルセは理性の発達とそれに伴う諸科学の進歩を道徳の進歩,幸福の増大と直結して考えた。この考えはコントの三段階の法則やヘーゲルの歴史哲学にも受継がれ,マルクスの唯物史観やプラグマティズムにもその片鱗を残している。近年では西洋中心主義と文化批判の影響のもとで,進歩という観念に対する懐疑が高まっている。」
国際法上,侵略の定義はまだ明確になっていない。しかし一般には,直接武力をもって他国の領域に侵入しまたは他国の領域を攻撃すること,および紛争の平和的処理に関する法律上の義務に違反することをいう。また直接武力による場合を直接侵略,ひそかに武器・兵員を送り込んだり,経済的・政治的圧力が高度になる場合に間接侵略といわれる。今日国際連合憲章では侵略に対しては国連による強制措置がとられると定めているが,侵略の事実判定は安全保障理事会に一任され,実効性は希薄である。」「
自衛措置のような正当な理由もなしに,武力攻撃によって他国領土を?奪すること。何をもって侵略行為とするかの具体的な内容を明示することは困難な問題である。侵略側は決まって,自己の侵略行動を否定したり,また自衛や勢力均衡の保持のためなどとして正当化したり,あるいは被侵略側に責任を転嫁したりする。後述のように国連の安全保障理事会は,武力紛争が発生した場合,どちらが侵略国で,どちらが被侵略国(自衛権行使国)であるかを認定できることになっているが,その認定は事実上,政治的要素や拒否権の発動によって容易ではない。」
ある人種・民族を、計画的に絶滅させようとすること。
地球の磁場が急激かつ顕著に攪乱(かくらん)される現象のこと。太陽面での大規模な爆発により飛来する太陽プラズマ(太陽風)によって引き起こされる。磁気嵐が起こると、無線通信・人工衛星の障害やオーロラの発生などが見られ、磁気嵐の規模が大きいほどより低緯度の地帯でオーロラが観測される。
旧約聖書の出エジプト記にある、モーセがシナイ山でヤーウェ神から与えられた10か条の啓示。「わたしのほかに、なにものも神としてはならない」と唯一神への信仰を求める第一戒に始まり、偶像礼拝の禁、神の名の尊厳、安息日の厳守、父母を敬うこと、以下、殺人・姦淫(かんいん)・盗み・偽証・貪欲などを戒める。モーセの十戒。
11世紀末から13世紀にかけて、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回するため、前後8回にわたり行われた西欧キリスト教徒による遠征。信仰上の動機や教皇権拡大の意図などのほか、やがて東方貿易の利益など種々の動機が絡むようになった。結局、目的は達成されなかったが、イスラム文化との接触は西欧人の視野を拡大したほか、都市の成長や貨幣経済の発展などは、中世封建社会崩壊のきっかけとなった。
個人の権利や自由を基本とし、社会のあらゆる領域における個人の自由な活動を重んずる思想的立場。ロック・ルソー・アダム=スミスらがその代表。17、18世紀の市民革命の成立と、資本主義の興隆とともに発達。本来は国家の規制・干渉を最小限にとどめる自由放任主義の立場を唱えたが、20世紀以降は大資本に対する労働者や消費者の社会的自由を重視し、富の再配分を是認する思想も包含する。リベラリズム。」「
しかし各個人の諸自由を中核とした社会構造は,その国家形態からみれば,いわゆる消極国家,中性国家,夜警国家などに表象されるように,自由放任を生み,当然弱肉強食の現象を現出させることになり,社会的経済的に実質的な平等を求める広義の社会主義に挑戦されることになった。しかし,20世紀に出現した左右の独裁政治の実態は,自由主義が至上の価値としてきた内面的自由,政治的社会的諸自由などが,政治体制のいかんにかかわらず,普遍的価値があることを容認せしめ,近代西欧社会に主としてはぐくまれてきた自由主義は再評価されている。」
国際間の財貨・サービスの取引に際して,各国が原則的に貿易政策や為替政策による政府介入を行わず,市場の価格調整機能に任せること。
自分の思い通りにしたい二つの事柄のうち、一方を思い通りにすると他の一方が必然的に不都合な結果になるという苦しい立場。板ばさみ。」
人間が人間として当然に持っている権利。基本的人権。」「
人間の生存にとって欠くことのできない権利および自由で,憲法によって保障されたものをいう。たんに人権または基本権ともいう。人間にとって基本的な権利と自由を内容としているので,国の最高の法としての憲法で特別に保障されるようになった。」
近代国家において人または国民の基本的な権利を宣言・保障する一群の成文規定。
人類を骨格・皮膚・毛髪などの形質的特徴によって分けた区分。一般的には皮膚の色により、コーカソイド(白色人種)・モンゴロイド(黄色人種)・ニグロイド(黒色人種)に大別するが、この三大別に入らない集団も多い。」「
ヒトの分類の概念。今日では科学的妥当性は認められず,文化的概念とみなされている。」「
20世紀後半,遺伝学研究によって,いかなる生物学的意味においても「人種」は存在しないことが立証された。」
日本固有の民族的信仰に基づき,神(天神地祇(ちぎ),祖神,崇敬神,天皇,皇族,その他の人霊)をまつる一定の様式をもった建築物(拝殿,本殿,幣殿など)と,それを中心とする祭祀儀礼,信仰の組織をいう。」「
神道の信仰にもとづいて,神々をまつるために建てられた建物,もしくは施設を総称していう。やしろ(社),ほこら(祠)。一般には,神が鎮座する本殿,神を礼拝しさまざまな儀礼を行う拝殿,本殿・拝殿などを囲む瑞垣(みずがき),神域への門に相当する鳥居などからなり,そのほかに神宝を納める宝殿,参拝者が心身を浄めるための手水舎(ちようずや),神に奉納する神楽(かぐら)を奏する神楽殿,神官の執務のための社務所,神苑などさまざまな施設を併せている。」
永世中立が国際法上認められてから100年目に第一次世界大戦が勃発し、スイス中立は大きな試練を迎えた。スイスは直接攻撃を受けることはなかったが、共通の言語と文化を通じてドイツ語圏とフランス語圏にあるスイス人は、それぞれが敵対関係にある隣国に親近感を寄せ、精神文化の面から内部動揺・分裂の危機に陥った。また、周辺諸国が戦場と化したので、スイスへの食糧供給、原料輸入がとだえ、経済的困窮からゼネストも引き起こされた。単に中立を守ったのでは真の意味の平和は維持されないとして、戦後は連帯による平和を唱える国際連盟に加入した。ただし、国際連盟の経済制裁に参加するが、軍事制裁には加わらず、制限中立の立場を維持することは認められた(ロンドン宣言)。しかし、集団安全保障機能を国際連盟が果たせなくなると、1938年ふたたびスイスは絶対中立を宣言して事実上国際連盟から脱退した。第二次世界大戦の四面楚歌(しめんそか)のなかでもこの中立を維持したが、それにはアンリ・ギザン将軍の「レドゥイット(砦(とりで))・プラン」による徹底抗戦の構えが功を奏した。武装中立を維持して戦禍にみまわれなかったことは、「20世紀の奇跡」とたたえられた一方、ナチス・ヒトラー体制の犯罪性が明らかとなった時点でも中立を確保したことに対しては「中立野郎」という反感もおこさせた。」「
武装中立を維持するために、スイスでは国民皆兵制、しかも民兵制をとっており、したがって、良心的兵役忌避は原則として認められず、忌避者は非軍事的な労働奉仕を兵役期間の1.5倍強制される。武器、弾薬、軍服、その他の個人装備は民兵の各家庭に保管され、いざというときにはただちに出動できる体制がとられている。」
推理小説は1841年に発表されたE・A・ポーの『モルグ街の殺人』に始まる、というのが今日の定説である。単に犯罪や推理を主題にした作品はそれ以前にも多くみられる。とくに18世紀イギリスのゴシック・ロマンが広い意味で母胎とも考えられる。しかし推理の論理性と解決の合理性を近代小説に導入し、この形式を創始したのはポーが最初である。しかも天才的推理能力の持ち主である民間人(オーギュスト・デュパン)が凡庸な警察に先んじて犯罪事件を解決するというポーのパターンは、1世紀半たった今日でもいまだに多くの推理作家たちによって踏襲されている。
一般に君主の最高諮問機関の名称として用いられる。君主の任命する枢密顧問官の合議体で,絶対君主制のもとで重要な役割を果たしたが,議会の勢力が強まり,これに対応して内閣制度が確立すると,その役割は低下する。日本の場合,枢密院は官僚勢力の牙城で,しかも比較的早くから政党が内閣をにぎりはじめたため,これと対抗し牽制する役割を担い,長く活動を続けた。中国では五代以来,おもに軍政を担当する官庁の名称である。 日本の枢密院は,1888年4月に枢密院官制によって設置され,〈元勲及練達ノ人ヲ選ミ〉〈天皇親臨シテ重要ノ国務ヲ諮詢スル所〉とされた。
明治初期の朝鮮征討論 明治維新以来,政府は朝鮮にしばしば国交を求めたが,朝鮮は排外鎖国政策をとっており拒否されたので,1873年西郷隆盛・板垣退助・江藤新平らは,士族の不満を外戦に向けるため「征韓」を強く唱えて政府の方針を決定した。しかし欧米視察から帰国した岩倉具視・大久保利通らは内治を優先せよとしてこれに反対,西郷らは敗れて下野した(明治六年の政変)。士族反乱・自由民権運動の原因となる。
神聖な戦争。正義を守るための戦い。」「
イスラム世界における異教徒の改宗および勢力防衛・拡大のための戦い。コーランではイスラム教徒の重要な義務とされる。ジハード。」
通常は国家政治形態の区分,たとえば君主制,貴族制,民主制,共和制など一国の政治が行われる形態をさす。しかし特に日本では国法学において,いわゆる国体概念に対比する概念としても用いられ,論争されてきた。
政治上の主義・主張を同じくする者によって組織され、その主義・主張を実現するための活動を行う団体。」「
共通の政治的主義・主張をもつ者によって組織され、一定の政治的利益や政策の実現のために活動し、政権獲得をめざす集団。」
国家が武力をもって他国を屈服させ,その全領域を自国の領土とすること。戦争状態にある1国が相手国の全領域を軍事力をもって完全に占領し,その国の政府が国の内外ともに存在しない状態になり,かつ領有の意思をもってその国の全領域を支配下におくとき,法的に征服が成立する。戦争終了の一態様であり,領土取得の一方法であった。しかし戦争が違法化された今日,征服は有効な領土取得の方法とは認められなくなった。
互いの勢力がつり合った状態にあること。特に、諸国家が相互に敵対・友好の複雑な関係を結んで牽制(けんせい)し合うことで国際平和を維持すること。バランス‐オブ‐パワー。
一国の政治,経済,軍事面における排他的影響力の及ぶ他国領土の一部または全部をいう。第2次世界大戦後,中南米諸国がアメリカの勢力圏,東欧諸国がソ連の勢力圏と呼ばれることがある。
勢力が及ぶ区域、空間。勢力範囲。なわばり。
宗教的あるいは思想的に信条や主義を同じくする者の集団。分派。宗派。党派。また特に、新左翼の党派。「セクト間の闘争」「ノンセクト」
発展途上国と対をなす言葉で,工業が発達し経済が発展している国のこと。」「
発展途上の国に対して、経済・政治・文化などの面で比較的進歩している国のこと。」
他国の領域の全部または一部を自国の軍隊の支配下におくこと。(1)軍事占領,(2)戦後占領ないし混合占領,(3)平時占領,に大別される。
ほぼ16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ諸国で,国王の権力が絶対的ともいわれるほど強力になったので,そのように強力な国王の支配する体制を絶対王政(または絶対王制)と呼び,イギリスのエリザベス1世やフランスのルイ14世などの治世がその代表的なものとされる。
なにものにも拘束されない絶対的で無制限の権力をふるった君主であって,封建制から資本主義への過渡期に封建貴族と新興ブルジョアジーとの権力をめぐる均衡状態のもとで登場した。絶対君主は常備軍と家産官僚制とに支えられ,さらにイデオロギー的には王権神授説に支援され,分権的な中世国家を中央集権国家のもとに統一した。しかし,封建的社会構成や搾取関係の存続をはかるという反動的役割をも果した。
植民地などで、政務・軍務を統轄する官職。
内閣の首班としての国務大臣。首相。総理。
国家の総力を結集した戦争。現代の戦争にあっては単に軍隊が戦うだけでなく,交戦国は互いにその経済,文化,思想,宣伝などあらゆる部門を戦争目的のために再編し,国民生活を統制して国家の総力を戦争目的に集中し,国民全体が戦闘員化するにいたる。このような状況から総力戦という言葉が生れた。第1,2次世界大戦がその典型的事例である。
祖先から自分に至るまでずっと住んできた国。自分の生まれた国。また、外国にあって自分の国をさしていう。
国または地方公共団体が、その経費に充てるために、法律に基づいて国民や住民から強制的に徴収する金銭。
政治・経済・社会・文化のあらゆる領域で、大衆が重要な役割を果たす社会。特徴は、技術的合理性、役割の専門化、人間関係の非人格化、人口の集中化、またその反面の、孤独、個性喪失などである。
大衆に抵抗なく受け入れられる性質を持っているさま。大衆のものであるさま。
社会制度を全体として構造的にとらえ,統一的に解釈するときにいう。旧体制(アンシャン・レジーム)・新体制,封建体制・資本主義体制・社会主義体制,独裁主義体制・民主主義体制あるいは天皇制などのように用いる。とくに政治権力を中心とする複合体としてみる場合に用いることが多い。支配者は体制のわく内で権力を握り体制維持を図るが,この状態を否定しようとする動きがいわゆる反体制運動である。
大きな弾丸を発射する兵器。軍事用語としての大砲という概念はないので、どれくらいの口径をもって大砲というのかは、きわめてあいまいであるが、ここでは口径75ミリ以上の火砲を大砲とよぶ。ただし、これはあくまでも社会通念的な区分であり、軍事的には弾丸の中に火薬を充填(じゅうてん)できる30ミリ前後以上のものを砲としている。」「
第一次、第二次両世界大戦を通じて大砲の種類は増加した。これらをまとめて火砲とよぶが、大別すると、陸の陸戦兵器、海の砲熕(ほうこう)兵器、空の航空火力に分類できる。陸戦兵器は戦車の登場でより装甲化され、機動性が重視される傾向にある。砲熕兵器はかつての大艦巨砲主義とは逆に、小口径で速射性の高いものが追求されている。もはや艦隊決戦で砲が活躍する時代ではなく、むしろ対空火力として、対空ミサイルをかいくぐって襲来する敵機やミサイルに対抗する兵器として位置づけられている。航空火力は機関砲が主力で、対戦車および対航空機用が主流。コンピュータでコントロールされ、単位時間当りの発射弾量の多いものが使用されている。」
第2次世界大戦後にアメリカで採用された戦略。メガトン級の熱核兵器搭載ジェット戦略爆撃機および戦術核兵器体系の圧倒的優勢の保有により,ソ連に対して優位に立つことに基礎をおく。敵から攻撃された場合,優勢な戦略兵力をもって,相手の報復力を減殺して報復を封じ,同時にもしくは状況に応じて,国力の根源である都市攻撃を行い,あるいは敵の兵力特に第一線部隊に対しても戦術核攻撃を加えるなど,全面的核攻撃に転じる戦略である。その結果,核優位,人員節減のニュールック戦略が採用され,陸軍の師団も原子火力に重点をおくペントミック師団に改編された。 1954年 A.ダレス国務長官のアメリカ外交協会における演説は,この戦略を宣言したものとして有名である。しかしソ連戦略兵力の整備,特に戦略弾道ミサイルの実戦化,非脆弱化に伴い,大量報復戦略は弾力性を失った。こうして M.テーラー大将の柔軟反応戦略などが主張され,大量報復戦略批判が生れた。
ひとつの血縁からなる民族であるという考え方。 「 -国家」
ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商との対立を背景にヨーロッパを中心としておこった、植民地や勢力範囲の再分割をめぐる世界的規模の戦争。」「
ヨーロッパを中心に30余か国が参加して行った最初の世界戦争」
一般的には,欧米先進資本主義諸国 (第一世界) ,社会主義諸国 (第二世界) に対してアジア,アフリカ,ラテンアメリカなどの発展途上国をさす呼称。
核戦略用語。相手国から第一撃が先制的に打込まれたのちに,残存している核ミサイル,核搭載有人機などを用いて,相手国にただちに報復攻撃を加えられる能力をいい,この能力がそのまま核抑止力となる。
江戸時代,1万石以上の所領をもち,将軍と直接の主従関係にあった武士。本来は大きな名田の所有者という意味だが,のち有力武士をさすようになった。南北朝・室町時代の守護大名,守護大名を倒した戦国大名を経て,豊臣秀吉の政権下でほぼ原型ができ,江戸幕府によって制度化された。自己の領地に独自の政治経済機構を有し,家臣団を従えて領民支配を行ったが,幕藩制の成立期には厳重な統制を受け,改易,国替(くにがえ)が頻繁(ひんぱん)に行なわれた。
一国が直接戦争をすることなく、その与国的存在の国に身代り的に他陣営の国と戦わせる戦争で、自らが戦争に訴えた場合と同じ政治的効果をあげることをねらいとしている。」「
ある国が直接の当事者とならずに、他の国や集団を身代わりに立てる戦争。」
江戸時代、武士が自分の藩を離脱し、藩籍を放棄した行為をいう。とくに幕末に顕著となる現象である。1853年(嘉永6)のペリー来航によって始まる国外からの圧迫は、藩を国家として意識していた封建武士層の一部に、日本を国家とする意識を芽生えさせた。それはやがて尊王、攘夷(じょうい)、倒幕の思想へと発展するが、その実現のために奔走する者は、自ら藩籍を放棄するに至ったのである。
政治的反対勢力の政治活動を阻害,あるいは根絶するために,政治的支配層が国家権力(軍隊,警察,裁判所など)を行使すること。一般に支配層はあらゆる機会をとおして被支配層を馴化(じゆんか)しようとするものであるから,いかなる政治体制にあっても,反体制勢力の政治的影響力を抑止するためにさまざまな支配技術を用いる。したがって,その影響力が制度的に保障されている限りにおいては,教育,宣伝,説得などによる統合を試みるが,体制存立の基礎を否定するような政治的勢力の登場や戦争などの危機に際して,支配層はその体制を維持するために直接的に暴力を行使する。
社会的結合の基本契機が地理的近接性と,それにまつわる生活関連(相互扶助など)にある場合を指す。しかし地理的近接性がただちに社会的結合を導くわけではなく,たとえば前近代社会では,一定の地理的範囲の人びとの生活関連が相互に織り成すかたちで,重畳的・重層的な小宇宙,地域社会的統一を形成していた。このことは,地縁性と血縁性とを一本の太い線とする村落社会の共同体結合にとくに特色づけられる。人びとの小宇宙の解体と地縁,血縁性の紐帯(ちゆうたい)の稀薄化をもたらす近代社会を挟んで,現代社会では再度新しい地縁性の見直しがテーマ化している。
時代区分の一つ。この概念はヨーロッパ史において,ルネサンス期に成立し,古典文化の時代と古典文化の復活した時代との中間を意味した。中世とは封建時代を意味し,今日では,普通4~5世紀から 15世紀頃までの時代をいう。日本史では,ヨーロッパの中世の概念を受入れ,普通,鎌倉時代から戦国時代までを中世としており,封建時代即中世という習慣は固定していない。
国家主義の極端な一形態。外に対しては露骨な排外・侵略主義をとり,内に対しては国家権力による全体主義の体制がとられる。
古代~近世における天皇の政庁
人の所有する物を強制的に取り立てること。特に、軍需物資などを人民から集めること。「馬や食糧を徴発する」
帝国は、古代より、皇帝の支配する統治体や、複数の政治単位を統治する広域的支配を指し、近代以降は、植民地を領有する国家を意味した。近年では、米国内外の論者が米国を「帝国」と表現する。
帝国主義(ていこくしゅぎ、英: imperialism[1]、インペリアリズム)とは、一つの国家または民族が[2]自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して[3][4]、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し[3][4]、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策である[2][4]。」「
帝国主義という言葉には様々な定義が存在するが、なかでも最も帝国主義が強まったのは1870年代以降のことであり、狭義の帝国主義とはこの時期の動きのことを指す[17]。ただし、15世紀後半から19世紀前半にかけてのヨーロッパ諸国の世界進出と対比して、この時期の帝国主義を新帝国主義と呼ぶこともある。この時期、ヨーロッパ諸国やアメリカ・日本といった列強諸国が世界のかなりの部分を植民地化して分割支配し、独立を保っている地域も勢力圏におさめていった。」
劇場で、後方最上階の低料金の席。
日本国憲法(第1章)に定められた日本国および日本国民統合の象徴。天皇の地位をさす場合と、天皇の地位にある特定の個人をさす場合とがある。7世紀ごろ大和(やまと)朝廷の大王(おおきみ)が用いた称号に始まり、その権能は古代、中世、近世、近代と変遷を経て、現代の象徴天皇制に及んでいる。
もともとの天皇制という用語は、明治維新以降の近代国家の君主制機構とそれを正当化するイデオロギーを示す語として生まれた。明治維新によって成立した国家権力は、その政治支配の正統性根拠を、古事記・日本書紀の神話に由来する「万世一系」の天皇の統治に求め、それが日本の「国体」、すなわち変わらない国柄であるとした。そして天皇に統治権のすべてが帰属する政治体制をとりつつ、その下で文武の官僚機構が強大な力を発揮する専制的体制を採用した。
ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習。 「民族の-」 「 -を守る」
意見や苦情を書いた紙片を入れるために設けた箱。
多くの人口集団をもち,家屋その他の建造物が密集,住民の生産がおもに第2次,第3次産業に依存して発達した集落。村落に対する地域社会をさす。
同じ職業や業種の人。
同意する。賛成する。くみする。
同じ血筋・部族・系統に属していること。また、そのもの。
世俗的権威を否定し兵役忌避などを実行したのみならず、既成の宗教的権威であるロシア正教の組織や奉神礼、さらには聖書の神聖性やイエスの神性までも否定する。人間の内に神が宿るという性善説から原罪も否定する。 これらによりロシア帝国では弾圧を受け、多くの信徒が19世紀末にカナダへ亡命した。カナダでは同化の是非をめぐり幾つかの派閥に分裂したが、現在でも子孫数万人がおり、数千人が信仰を守っている。ドゥホボール派は、モロカン派と並んで、代表的な合理主義的セクトとされる[1]。 また、鞭身派、スコプツィ、モロカン派等の諸教派とともに、霊的キリスト教に分類される。
資本の集積と弱小競争資本の合併・吸収等により自由競争を排除し生産と販売の大部分を支配し,独占価格により独占利潤を手に入れている資本結合体。19世紀末から形成され,銀行資本と産業資本の融合した金融資本の確立をみ,国際独占資本も形成。帝国主義の基本的特徴をなし,国家独占資本に発展。カルテル,シンジケート,トラスト,コンツェルンがその主要形態。
独力で事を行ない、自己の人格と尊厳を保つこと。
長さ・体積・質量,またはそれらを測るものさし・ます・はかり。ふつう計量単位やその制度(計量法)をいう。
人間としての権利・自由を認められず、他人の私有財産として労働を強制され、また、売買・譲渡の対象ともされた人。
労働する人間の人格を無視して強制されるような労働。労働の目的も意義もわからないままに強制される労働。
国内の戦争。同じ国民同士の戦い。
内戦ともいう。一国内における複数の党派間の武力による権力獲得のための闘争。実質的には「戦争」とかわりはないが,主権概念との関係で戦争とは認定されない。しかし内乱が大規模となり,国家間の戦争に相当するような状態になり,反徒が一定の地域を占拠,支配するにいたった場合に,正統政府あるいは外国がその反徒を交戦団体として承認すれば,その内乱は国際法上の戦争に準じて扱われ,戦時国際法が適用される。」「
一国内において、政府の転覆を目的とする反政府勢力と政府側とによって行われる武力闘争。」
ナショナリズムの信奉者。民族主義者。国家主義者。国粋主義者。
民族,国家に対する個人の世俗的忠誠心を内容とする感情もしくはイデオロギー。普通,民族主義と訳されるが,国民主義,国家主義あるいは国粋主義と訳されることもある。しかしこれらの訳語はいずれもナショナリズムの概念を十分に表現しているとはいえない。ナショナリズムの概念が多義的であるのは,ネーション (民族,国民) が歴史上きわめて多様な形態をたどって生成,発展してきたことに起因している。歴史的な重要概念となったのは 18世紀末以後のことである。アメリカの独立とフランス革命がその端緒となったとされ,南アメリカに浸透し,19世紀にはヨーロッパ全体に広まり,ナショナリズム時代をつくりだし,20世紀に入って,アジア,アフリカで多くのナショナリズム運動が展開された。ナショナリズムはこうした諸国の独立をもたらす解放的イデオロギーではあるが,民族紛争と戦争の拡大をもたらす危険も大きい。
中世において大きな社会的勢力をなしていた寺社勢力を指す。南都とは、北に位置する平安京に対する平城京すなわち奈良の都をいうが、とくに、中世になって都市的発展をみせたかつての外京地域に位置する東大寺・興福寺などの寺院やその周辺地域を指していう。ひいては、これらの寺院のなかでもとりわけ強大な力を誇った興福寺を、また同寺およびそれを中核とする寺社勢力を意味した。一方、北嶺は直接には比叡山延暦寺のことであるが、南都北嶺と総称する場合には、園城寺(おんじょうじ)(三井寺)などを含むこともある。すなわち、南都北嶺という語は、平安時代以来、国家的崇敬を受けていたという由緒と正統性を誇り、院政期以降には巨大な実力を兼ね備え、社会的政治的影響力を行使した寺社勢力の総体を表現する場合に用いられている。そのなかで興福寺と延暦寺はそれぞれの中核に位置する代表的な存在であった。
外国に移住し、その国籍などを取得した日本人とその子孫。
日蓮系の宗派であり,これによって建立された諸寺共通の名称でもある。この派の指導者藤井日達(1885‐1985)は,1917年弘通(ぐづう)を始め,18年中国の遼陽に最初の日本山妙法寺を開き,以後中国各地および日本国内にも諸寺を建立,いずれも日本山妙法寺と称した。日本では,24年静岡県田子ノ浦に開創したのが最初である。藤井はインド,セイロン(スリランカ)その他にも弘通し,インドのガンディーの影響を受けたといわれるが,むしろ広島,長崎の原爆被災を契機に非武装・不戦を主張するにいたり,原水爆禁止・軍事基地反対などの平和運動を展開した。
国民。国。国家。また、民族。なお、高畠本自身でも次のように言及している。「
そのように、ネイションという言葉は、民族と翻訳され、国民と翻訳され、国家と翻訳される。すなわち、われわれはヨーロッパの市民的ナショナリズム、ブルジョア・ナショナリズムがもった全体像を日本語で捉えることはできないといわざるをえないのです。」
土地を耕して穀類・野菜・園芸作物などの有用な植物を栽培し、また植物を飼料として有益な動物を飼育して、人類の生活に必要な資材を生産する産業。広義には、畜産加工・林業も含む。
農業および農村社会を国の本とする考え方。商品経済が浸透した封建末期や帝国主義段階の後進資本主義国で農業の危機に際して唱えられた。
農業生産に従事する人。
自己の属する集団外のもの、特に外国人や外国の文物・思想などを排斥すること。 「 -思想」
自分たちが属している集団の内的一体性を前提として,他の集団・民族・国家に対してとる排斥的,敵対的,攻撃的な態度,行動,イデオロギー,政策などを広く指す。ショービニズムともいう。 排外主義の原形は,どの集団にも多少とも見いだされるエスノセントリズム(自集団中心主義)にかかわりがある。伝統社会においては,集団への帰属と依存の意識が強まって,親密な〈内〉の心情つまり〈内集団〉感情が形成されるとき,同時に,他の集団については異質の標識が強調されて〈外集団〉として識別される。
《神武紀の「八紘をおほひて宇(いへ)とせむ」から》全世界を一つの家にすること。第二次大戦期、日本が海外侵略を正当化する標語として用いた。」「
大東亜共栄圏建設の理念として用いられた言葉。第2次近衛文麿内閣が決定した基本国策要綱の中の〈八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神〉に由来。日本書紀の〈八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ〉を全世界を一軒の家のような状態にすると解釈したもの。日本の大陸進出正当化に利用された。」
儒教の政治理念で、武力や権謀をもって支配・統治すること。⇔王道。
不可触民(ふかしょくみん)のこと。神の子の意で、カースト差別撤廃を唱えたガンジーによる呼称。」「
不可触民のこと。 〔神の子の意。カースト差別撤廃を目標とした M =ガンジーがこの語で呼ぶよう提唱〕」
ハリネズミ防衛論とは、日本の安全保障のあり方を示すものとして昭和50年代頃に使われていた用語。動物のハリネズミは、普段は人や動物に積極的に危害を与える存在ではないが、肉食獣などに襲われると身体を丸めて体表にある「針」を広げ、大きな音を出して身を守るという性質がある。それになぞらえて、日本の防衛の在り方を語る際に、自己防衛のためにのみ武器を使い、他国を攻撃することは無いという理想論としての位置付けで使用されていた。
江戸時代、大名が支配した領域およびその統治機構。
仏教用語で「智慧」の意。般若の概念は,古くウパニシャッドにアートマンが智慧 (般若) の塊として説かれ,智慧から成るアートマンが万有の根源としてのブラフマンとされた。大乗仏教における般若は,万物の真実相を直観的に把握する智慧を意味し,この智慧の獲得のために,6度の行の実践が説かれた。
幕府の臣下。将軍直属の家臣。旗本や御家人。幕人。
武家政権の政庁。また、その権力組織。源頼朝が建久元年(1190)に右近衛大将に任ぜられたことからその居館を幕府と称するようになった。」 「
征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)を長とする武家の政権。本来,中国で出征中の将軍の幕営をいい,日本では近衛(このえ)府の唐名で,転じて近衛大将やその居館をいった。1190年源頼朝が右近衛(うこんえ)大将に任ぜられ,やがて辞退したが,その居館が幕府と呼ばれ,以後武家政治の首長の居館は近衛大将の官と関係なく幕府と称された。現在では,武家政権そのものを意味する歴史的概念として,鎌倉・室町(足利)・江戸(徳川)幕府という。」
劇場の2階席。桟敷。
愛国心。愛国主義。転じて、愛郷心、愛社精神。
芸術家や芸人または特定の団体などを経済的に援助する人。後援者。
公にかかわるさま。公のものであるさま。公共に関するさま。社会全体にかかわるさま。 ⇔ プライベート 「この問題は-な性質をもっている」
近世初期以降、封建的身分制で最下層に位置づけられた人々を中心に形成され、現在もさまざまな差別を受けている地域。
戦争をすべきではないとする議論・主張。反戦論。
一八世紀後半のフランスで刊行された百科全書に執筆もしくは協力した思想家たち。編集主任のディドロ、ダランベールのほか、ボルテール、グリム、チュルゴー、ケネー、マルモンテル、ドルバック、ジョクールらがいる。彼らは合理主義や懐疑主義に基づく啓蒙思想の普及に努めた。
一国の公用文や教育・放送などで用いる規範としての言語。」「
その国または社会の公的生活における言語の規範となるもの。一般に、方言の中から選ばれた言語を基礎として、これに修整・整理を加えた形で定まる。」
歌舞伎劇場で、舞台の正面に広がる見物席。土間または切り落としなどと称したが、桟敷と土間の間に一段と高い高土間を設けるようになってから、従来の土間を区別していうようになった。ひらば。
貧困は時代や社会によりそのあらわれ方は大きく異なるが,現代資本主義社会における社会問題としての貧困は資本主義そのものの所産である。また貧困の原因は,怠惰,無知などの個人的責任や天変地異その他にあるとされていたが,資本主義の進展とともに,むしろ社会そのものにあると考えられるようになった。労働力以外に生産手段をもたない労働者階級が成熟するなかで,極貧の過剰人口が累積し,膨大な沈殿層を形成していく。こうした貧困者は生活が非常に低位にあり,必然的に肉体的・精神的荒廃をもたらし,社会的に見放され,制度的に遠ざけられ,陰蔽される。
元来はギリシア語euangelionで語義は〈よい知らせ〉。古典ギリシア文献では,たとえば戦勝の知らせを指して用いられる。ローマ時代には,皇帝を神的存在とみなし(皇帝礼拝),その即位等の知らせを〈よい知らせ〉と呼ぶことが行われた。旧約聖書では,この語に対応するヘブライ語名詞の用例には見るべきものがないが,同じ語根の動詞から出た〈喜びの使者〉の,とくに《イザヤ書》52章7節(前6世紀後半)での用例は,新約聖書の〈福音〉との関連で注目を要する。」「
イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。また、福音書にしるされているキリストの生涯と教え。」「
もとは一般的によい知らせを意味し、戦いの勝利の知らせとか、子供の誕生の知らせなどに用いられた古典ギリシア語「エウアンゲリオン」euaggelion(eu〈よい〉+aggelion〈知らせ〉)の訳語である。」
兵役を解かれて帰省すること。「外地から復員する」
公的な配慮・サービスによって社会の成員が等しく受けることのできる充足や安心。幸福な生活環境を公的扶助よって作り出そうとすること。「公共福祉」「福祉事業」
明治政府の掲げた国家目標。明治維新は尊王攘夷運動を基盤に行われたが,新政府は開国和親を布告し,万国公法の遵守を表明した。それと同時に万国竝立(へいりゆう),万国対峙(たいじ)を掲げ,欧米列強に伍して国家的自立と強国化をめざした。そのためにはみずからを未開明として西洋文明の積極的導入(文明開化)をはかるとともに,経済力と軍事力の強大化を必要とした。このことを国家目標として端的に示したのが,〈富国強兵〉のスローガンである。
大正6年皇居前でうちわ太鼓をたたき法華経(ほけきょう)の題目をとなえて,衆生教化の布教をはじめる。日本山妙法寺を中国,日本各地にひらく。昭和8年インドでガンジーにあい,その非暴力主義に共鳴。戦後,各地に仏舎利塔をたて,平和運動をすすめた。
強国が弱小国に対して従属に近い地位を強制する条約。おもな内容は,外国人租借地,租界,領事裁判権,外国人の関税管理権,鉄道付属地の設定など。近世初頭以来,トルコが西ヨーロッパ諸国と締結した領事裁判条約,アヘン戦争の結果イギリスが中国に押しつけた南京条約などが有名。また日本が 1858~67年欧米諸国と締結した通商条約は,領事裁判権を認め,関税自主権を放棄した不平等条約であった。今日では,国家の主権平等の基本原則に反するこのような条約の効力は問題とされている。
すべてのものに共通しているさま。すべてのものにあてはまるさま。 「 -な真理」
1930年代以降、フランクフルトの社会研究所に参加した一群の思想家たち。マルクス主義・精神分析学・アメリカ社会学などの影響のもとに批判理論を展開、現代社会の総体的解明をめざした。ホルクハイマーを中心に、アドルノ・フロム・マルクーゼ・ベンヤミン・ノイマンらがおり、第二次大戦後はハーバーマス・シュミットらが活躍している。
スペインの軍人・政治家。ファランヘ党党首。1936年人民戦線政府に対して反乱を起こし、ドイツ・イタリアの援助で勝利を収め、1939年国家主席に就任して独裁政権を樹立。第二次大戦には中立を保ち、戦後は親米政策をとって、36年間に及ぶ長期政権を維持した。
日本の武士階級に発達した道徳。鎌倉時代から発達し、江戸時代に儒学思想と結合して完成した。忠誠・勇敢・犠牲・信義・廉恥・礼節・名誉・質素・情愛などを尊重した。士道。
中世ヨーロッパで、上層の貴族・僧と下層の労働者・農民との中間に位置した商工業者。市民。町人。
生産手段を私有し賃金労働者を雇って利潤を得る資本家階級。」「
一般的には,富裕な商工業者や財産所有者で構成されている社会層をいい,有産者階級などと訳される。」
明治初期,日本の近代化現象をさす言葉。政府は〈殖産興業〉〈富国強兵〉をスローガンに1871年ころから近代技術・社会制度等の輸入を図り,学制の施行,留学生の派遣,御雇外人を招く等の文化政策を実施した。民間では新聞雑誌等の発行,明六社による啓蒙活動等が行われた。また鉄道が敷かれ,蒸気船が走り,郵便が開始され,西洋館が建てられガス灯が設置され,洋服,洋食,散髪などが国民の生活に入った。やがて上からの近代化政策は,自由民権運動と対決し,近代思想の十分な摂取・発展を妨げた。
ローマ・カトリック教会,東方正教会とならぶキリスト教の三大勢力の一つ。宗教改革の結果キリスト教世界に成立したルターやカルバンの福音主義的信仰,ないしはその伝統を受けついだ諸教派の総称」「
教会の伝承ではなく聖書を唯一の信仰のよりどころとする聖書原理,善行の功徳によってでなく信仰によって義とされるとする〈信仰義認説〉,また,信仰者は等しく祭司であるとする〈万人祭司説〉をとる。」
物質や物事の性質が変わること。「この薬品は空気に触れると変質する」
ベトナムの統一をめぐる戦争。1960年に結成された南ベトナム解放民族戦線が、1961年、北ベトナムの支援のもとに南ベトナム政府に対して本格的な抗争を開始し、1969年には臨時革命政府を樹立。その間、1963年には米国が全面的に軍事介入したが、1973年の和平協定により撤退。1975年、サイゴンが陥落して南ベトナム政府は崩壊。1976年、南北ベトナムの統一が実現した。第二次インドシナ戦争」「
ベトナムの独立と統一をめぐる戦争。1960年結成の南ベトナム解放民族戦線は、北ベトナムの支援のもとに、南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い、69年臨時革命政府を樹立。73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退、75年南ベトナム政府が崩壊、翌年に南北が統一された。」
一般市民と同じ私服・民族服などを着用し民間人に偽装して、各種敵対行為をする軍人。」
人的階層制に基づいて社会秩序や生活が規定され、主従関係・外的権威の尊重や身分的・一方的な支配を基盤として成立している体制。」
「封土の授与と軍務の奉仕に基づいた主君と家臣との間の主従関係が、国王・領主・家臣に至る社会の支配者層内部に階層的にみられる政治制度。中世ヨーロッパに典型的。 」
古代の氏族・奴隷制社会と近代社会との中間に存し、領主制度をその基底とする社会。西欧では、ローマにおける農奴制の一般化、ゲルマンにおける血統貴族の領主化などが影響しあって、六世紀頃に確立した領主制度を基盤として成立した。国王・貴族・家臣・教会など領主層が土地を分割領有し、その支配下の農奴に耕作させ、農奴は年貢や労働を提供し、概して自給自足の自然経済を営んだ。日本では、上代における班田制の崩壊、荘園制の一般化にともない、平安中期頃成立した。鎌倉・室町時代を中世封建社会(封建社会前期)、江戸時代を近世封建社会(封建社会後期)と呼ぶ。
パーティーなどで、客を接待する側の男主人。また一般に、接待する側や、接待役のこと。「サミットのホスト国」
2か国の政府首脳が緊急時に直接対話できるように設置された直通の通信線。
第二次大戦後、日本とソ連(解体後はロシア連邦)との間でその帰属をめぐって争われている千島南部の地域のこと。一般に南千島(国後くなしり・択捉えとろふ)と歯舞はぼまい・色丹しこたんをさす。
国と国との間の商業取引。
カンボジアの武装革命組織クメール━ルージュ(赤色クメール)のこと。ポル=ポトを最高指導者とし、1976年に政権を樹立、大量虐殺をともなう恐怖政治を行なった。
イタリアの外交官・政治理論家。政治をキリスト教的倫理から解放し、近代政治学・史学の祖とされる。著「君主論」「ローマ史論」「フィレンツェ史」「戦術論」など。
芝居小屋や相撲場などの、方形に仕切った見物席。ます。
集団による儀礼行動の一つ。本来は原始・古代宗教の集団儀礼を総称し,現代では文化的に一般化されて,祝賀的な社会行事を呼称するのによく使われる言葉となっている。日本の祭りは伝統文化として重要であり,神社神道では今でも祭りを中心にしているほどだが,世界の宗教文化史上にも注目すべき社会現象である。
労働力。仕事などに投入できる人的資源。
地位や階級などと同様,社会における人々の序列的位置を指示する概念。階級が経済関係を基底とする人々の序列化であるのに対し,身分の序列化は法または慣習によって定まる。また,地位の配分には世襲による属性的地位と,業績による獲得的地位があるが,身分は属性的地位であり,地位移動すなわち身分の上昇・下降は非常に困難であり,固定的な序列として人々に観念される。
世間一般の人々。また、公の機関に属さない人。あるいは、戦闘員・軍人でない人々。
国家や政府間で行われる交流に対して、市民や民間団体による国の枠を超えた交流。
言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。「騎馬民族」「少数民族」
民族の独立や統一を達成しようとするさまざまな運動。」「
国籍を別にする同一民族が力を合わせて民族国家を建設しようとする運動。」
民族を基盤として成立した近代国家。資本主義が成長し始めると、統一された市場の存在が必要となり、政治的には、絶対君主のもとでの国家統一が行われた。しかし、こうして成立した絶対主義国家ではまだ民族的統一が不十分であり、資本主義の発展に伴って民族的統一が確立し、民族国家が成立する。複数の民族を基盤にして国家が成立する場合も多く、これを多民族国家といい、そのなかでの支配的民族と被支配民族の対立が民族問題として登場した。一方、植民地として支配されたアジア・アフリカでは民族国家の成立が暴力的に妨げられていたが、第二次世界大戦のあと次々に政治的独立を達成した。しかし、ここで成立した国家は、植民地時代に人為的に引かれた境界をそのまま国境とするなど、植民地時代の遺産によって不合理な要素を含んでおり、人民の自決権の確立、民族国家の形成がまだ課題として残されている。
自分の属する民族・国家を他から区別して意識し、その統一・独立・発展を志向する思想ないし運動。ナショナリズム。」「
「ナショナリズム(nationalism)」の訳で,近代的な民族国家の形成と発展をめざす思想や運動 強国の場合,利己的な排外主義になりやすい。現代では植民地・従属国の自立の運動をもさす。日本では幕末の攘夷論に端を発し,自由民権運動における国権回復・条約改正の要求として高揚するが,その後国家主義的色彩を強くし,昭和期には,超国家主義の出現をみた。」
ある民族が他の民族や国家の干渉を受けることなく、自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織を決定すること。」
生産手段をもたず、自らの労働によって得た賃金で生活している階級。無産者階級。プロレタリアート。 ⇔ 有産階級
南太平洋,フランス領ポリネシアのトゥアモトゥ諸島に属する人口3230人(1995)の環礁。タヒチ島南東約1200km。フランスは1966年7月から1974年までの9年間に,この環礁と,その南方約30kmにあるファンガタウファFangataufa環礁とで41回の大気圏内核実験,1975年―1996年5月には二つの環礁で153回の地下核実験を行った。フランスは1960年2月にアルジェリアのサハラ砂漠で最初の核実験に成功して核保有国となったが,1965年にアルジェリアが独立,サハラ砂漠を核実験場として使用することを拒否した。このためフランスはムルロア環礁をサハラ砂漠に代わる実験場と決め,大気圏核実験を行った。しかしオーストラリアやニュージーランドなど近隣諸国をはじめとする核実験反対の国際世論が高まり,1970年にはムルロア核実験反対委員会(ATOM)が結成された。1974年,ついに大気圏内核実験を中止し,翌1975年,地下核実験を始めた。1992年春,ミッテラン大統領はムルロア環礁とファンガタウファ環礁での地下核実験を中止したが,シラク大統領は1995年9月,4年ぶりに地下核実験を再開し,1996年5月まで8回続けた。
日本史における政治的革命。徳川将軍家が没落し,国の支配権は明治帝のもと天皇親政に戻り,明治時代として知られる政治的,経済的,社会的大変革の時代が始まった。この革命は日本に近代化と西洋化をもたらした。」「
始期・終期には諸説あるが、ペリー来航による開国から大政奉還・王政復古の大号令、戊辰(ぼしん)戦争、廃藩置県などを経て西南戦争までをいうことが多い。」
道徳。倫理。また、人生・社会に対する精神的態度。 「封建的な-」 「新しい-を求める」 「 -がない」
相撲、あるいはその他の競技で、前もって勝敗を打ち合わせておき、表面だけ真剣に勝負を争うように見せかけること。
日本人を構成する、主たる民族。
多民族国家ユーゴスラビアの歴史は複雑である。ユーゴスラビアを形成していた地域は、古来、東西文明の接点に位置しているため、諸民族の往来が激しく諸強国の支配下に置かれることが多かった。
1991年まで存続したいわゆる旧ユーゴスラビアは「社会主義実験の国」といわれたように、次々と新しい制度をつくった。だが複雑なこの国の政治をひと口に表現すれば、外に非同盟、内に自主管理ということになるだろう。1974年には実に四度目の憲法が制定された。解放戦争から戦後の国づくりでかつての大統領チトーの果たした役割は、最大限に評価されるべきであろう。それだけにチトー(1980年5月死去)後の混乱は内外から憂慮されていた。
金銭的報酬を条件に、契約に基づいて軍務に服する兵。
原則として地域社会または地域の農業生産に関わる事項について、農業集落の人達が協議を行うため開く会合をいう。
理性主義(りせいしゅぎ、英: rationalism)は、確たる知識・判断の源泉として(人間全般に先天的に備わっている機能・能力であると信じる)「理性」
を拠り所とする、古代ギリシア哲学以来の西洋哲学に顕著に見られる特徴的な態度のこと。
ドイツの宗教改革者。1517年、ローマ教皇による免罪符販売に反対して、九十五箇条の論題を発表し、宗教改革運動の発端をつくった。破門されたがザクセン選帝侯の保護を得て聖書を独訳し、現代ドイツ語の基礎を築いた。信仰のみによって義とされること、教会ではなく聖書のみが規範であること、信仰者はすべて神の前に等しく祭司であることなどに代表されるその神学思想は、プロテスタント諸教会の原理として大きな影響を及ぼしてきた。ルッター。ルーテル。
第2次世界大戦後,アメリカとソ連,およびその同盟国の間で展開された公然の,しかし限定的な敵対関係。冷戦は政治的,経済的,および宣伝工作の前線で戦われ,実際に武器をもって戦う場面は限られていた。
cold warの訳。第2次大戦後の米ソ両国間および両国を中心とする二大勢力の対立状態。この用語は1947年―1948年ころから使われ始めた。実際の戦争手段にはよらないが,背後に核兵器をかかえた〈恐怖の均衡〉状態で,単なる国家的対立ではなく,資本主義と共産主義というイデオロギーの対立でもある。1991年のソ連邦解体により冷戦は終結したといわれる。
ロシアの革命家・政治家。学生時代から革命運動に参加、流刑・亡命生活を経て、1917年、二月革命後帰国。ボリシェビキを率いて十月革命を成功させ、史上初の社会主義政権を樹立。人民委員会議長としてソビエト連邦の建設を指導した。また、マルクス主義を理論的に発展させ、その後の国際的革命運動に大きな影響を与えた。
意識のうえで他とつながっているという感情。同じ仲間であるという意識。仲間意識。
自己の労働能力を商品として雇主に販売し,一定時間の労働の対価として得る賃金や俸給によって生計をたてる階級をいう。」「
職業の種類を問わず、他人に使用されて労務を提供し、その対価として賃金、給料の支払いを受けて生活する者。」
資本主義社会のなかで、生産手段からも生活手段からも切り離されているために、資本家に雇用されて働き、その結果受け取る賃金で生活を成り立たせるほかない賃金労働者の階級。
20世紀初頭のロシアに起こった一連の革命。第一次革命は、ロマノフ朝の専制支配に対する不満を背景に、1905年1月の血の日曜日事件を機として起こり、全国ゼネスト、戦艦ポチョムキンの反乱などで頂点に達したが、国会開設勅令の発布やモスクワでの武装蜂起の失敗により鎮静化した。第二次革命は、第一次大戦での敗北や社会不安から、1917年3月(ロシア暦2月)に労働者や兵士が蜂起、帝政を打倒してケレンスキーの臨時政府が成立。さらに、11月(ロシア暦10月)、レーニンの指導するボリシェビキがプロレタリア独裁を目ざして武装蜂起し、史上初の社会主義政権を樹立した。」「
ロシアにおいて帝政を倒し史上初の社会主義国家を成立させた、1905年から17年にいたる一連の革命。専制支配に対する不満を背景として1905年「血の日曜日」を機に民衆が蜂起ほうき、ソビエト結成・戦艦ポチョムキン号反乱・全国的ゼネストが行われたが、政府の国会開設公約や武装蜂起失敗により退潮化し、ストルイピンの反動政治期となる(第一次革命)。第一次大戦の長期化により専制腐敗・食糧難などの社会矛盾が深刻化、17年3月首都におけるストライキとデモを機に労働者・兵士が蜂起、ニコライ二世が退位しロマノフ朝が終結、臨時政府とソビエトの二重政権となる(三月革命)。11月レーニンの指揮下ボルシェビキがプロレタリア革命への転化とプロレタリア独裁を主張して武装蜂起、ソビエト政権を樹立した(一一月革命)。」