「ボレロ」の謎(番外編コンテンツ)

追加:スコアを確認しながら聴くことができる動画もある。Ravel - Bolero (Scrolling Score) (2019/06/09)

追加:要点を把握するための簡単な説明図を文末に付けた。(06/08)その後少しだけ加筆した。(2019/06/09)

ラベルの管弦楽曲の「ボレロ」には、ちょっとした謎かけが仕込まれている。おそらくラベルによる意図的なものであろう。これは世界各国のオーケストラの指揮者や一部の奏者には自明の話である(はずだ)。だが、わかっていない人もいるようだ。たとえば「ボレロ」の演奏を撮影するカメラワークをデザインする人にはわかっていない人も多いと思う。また、この曲の紹介をする人や、場合によっては指揮者にすらも実はわかっていない人もいるのではないか、と推察される。また、わかっていて言語化している人が仮に過去にいたとしてもそれが日本でも知られているとは言えない状態なのではないか、とも思える。少なくともこの曲の紹介文で「わかったうえで知らん顔しています」という感じのものを私は読んだ記憶は無いからだ。そういうわけで、ラベルの仕込んだだろう謎かけを言語化する、という無粋なことを以下してみたい。

ラベルは次のような謎かけをした、と私は思う。「この曲の主旋律Bは、トランペットには完奏することができない。では、曲の終盤で音量がマックスになったときに、トランペットはどのように振る舞うか、推理してごらん」、これである。主旋律Bは主旋律Aに比してかなり音域が広い。主旋律Bを音域の点で完奏できない楽器はいくつかあり、その筆頭がトランペットなのだ。こんなことは世界中の管弦楽団のトランペット奏者には自明の事柄のはずなのだから、したがって世界中のオーケストラの常識でもあるだろう、と信じて良いはずだ。だがわかっていない人や楽団もまた確実に存在している、と思える。

ラベルの答は、最後に主旋律が途切れ、その後「ホ長調に転調する」であった。で、ここで二つの小さな謎が浮上する。一つは「ホ長調という調も推理できる事柄だったか?」であり、私の勘ではそれはおそらく推理可能な事柄なのだが、私にはそれを解読する能力が無かった。ただ「ミ」の音程というものは、主旋律Bの登場に先立ってチャイム音のような対旋律で強調されているので、「その音程が関係するかもしれないという予感はする」とは言えるのかもしれない。で、もう一つ、「どの地点でホ長調に転調するか、は推理できる事柄だったか?」という小謎も浮上するが、もう答は明らかなのである。ラベルは「少なくともこの地点までは転調(とかその他の変化を)しない。するとしたらそれ以降の地点だ」という箇所を、曲の中で少なくとも二回は予告しているのである。

最後の予告は、15回目のくり返しのサイクルで提示される。ここでは、主旋律Bがトランペットから途中でホルンに入れ替わる。しかも、ホルンだけなら最初から最後まで主旋律Bを完奏できるにもかかわらず、あえてトランペットからホルンへという入れ替わりが行なわれるのである。この入れ替わり地点というのがいわば「この地点までは各サイクル毎回必ず同じようにやる」という「法則」の存在を示唆しているのである。なので、最後に転調するとしても、それはこの地点以降になるに違いない、と判断できるのである。実際18回目の最終サイクルではこの入れ替わり地点での音を長く延ばしつつ言わば自然消滅させながら、つなぎのフレーズをそこに加え、その直後に大胆に転調する。

なので、15回目でのこのトランペットからホルンへの入れ替わりを動画に撮影したがらない撮影家は大変多いが、それは間違っていると言える。その入れ替わりは最後の18回目のサイクルでの変化や転調を予告する重要な儀式であるからだ。ではこれが初の予告なのか。違うのだ。すでに、8回目のサイクルで、ソプラニーノサックスからソプラノサックスへの入れ替わりが行なわれる。これもまたソプラノだけで完奏できるにもかかわらず、あえて入れ替わりをラベルは明確に指示しているのである。ここでも15回目とまったく同様の地点で入れ替わりが行なわれる。15回目はこの8回目の再演なのである。だから、このサイクルで入れ替わりを行なわずソプラノ一本で完奏するオケが実際にはほぼ全部だろうが(ソプラニーノサックスを用意することが難しいこととは言え)、しかしそれはやはり本当は間違っているのである。

※次の動画では、15回目のサイクルでトランペットからホルンに主旋律が入れ替わるときに、「トランペットが演奏を止める」シーンを結果的にカメラに収めてしまっている。13:13あたり。撮影しようというつもりはおそらく無かったのだろう。貴重な映像である。入れ替わりが音にも表れているのでその点も良い。演奏も私は好きなほうだ。(BOLERO DE RAVEL Royal Concertgebouw Amsterda, Holandaavi

次の点も指摘できる。なぜ最後の2回はパターンが変わるのか。最後の2回のサイクル(17回目、18回目)は、主旋律Aが1回と主旋律Bが1回となり、それまで2回ずつのパターンだったのが、変わる。(曲全体は「AABB→AABB→AABB→AABB→AB」のパターンである)。これも推測可能である。最後の2回はトランペットがフル稼働する。主旋律Bは、トランペットには完奏できない。ということは、主旋律Bを2回繰り返すことはできないのだから、したがってそういう事態は起こらない、つまり回数に関してパターンが変わるだろう、とそういうことが予告されているのである。したがって、ラベルの謎解きを聴きながら正解出来ている人は、そこから遡って、最後の主旋律Aもまた、繰り返しは1回のみになるはずだ、と推測できる。「トランペットが中心であるサイクルでは主旋律Bが2回演奏されることは無い(なぜならそもそも1回完奏することもできないのだから)」―その示唆のための17回目と18回目のサイクルなのである。

このボレロという曲は「ひたすらクレッシェンドしていく(音量が増加していく)という曲である」といった紹介のされ方をすることが多いと思うが、それは、わかっていない人の理解の仕方の典型である。この理解はたとえば、主旋律Bの4n+3回目より4n+4回目のほうがなぜクレッシェンドしているように聞こえるのか、の構造理解をショートカットしてしまっている。主旋律Bの4n+3回目より4n+4回目のほうが音量が大きく聞こえるのは、オクターブ上がるからである。つまり同じように「音量が増大して」聞こえるとしても主旋律Aと主旋律Bとでは違う原因が介在しているのである。だから、3回目(ファゴット)の回より4回目(E♭クラリネット)の回のほうが音量は小さくなっているにもかかわらず、音程がオクターブ上がっているため「音量が増大した、と言おうと思えば言える」ようなシークエンスであっても、「音量が増大した」と見なされやすくなる。「ひたすらクレッシェンド」という理解はこういう細かいところを見ないための理解の仕方である。またもちろん、「ひたすらクレッシェンドしていく曲」という理解の仕方に実際には該当しない他のシークエンスの存在も見逃す。たとえば9回目と10回目あるいは、(こちらがより重要だが)10回目と11回目といったシークエンスや、音量変化が大きすぎ唐突すぎるシークエンス(11回目と12回目)の「意義」を大きく見逃すことになる。要するにこれらを単なる偶発的なものかまたはラベルの不備や失敗や当時のオーケストラの「限界」とだけ見なして、それ以上考えることを停止させる。それはこの曲に仕掛けられたラベルの「謎かけ」をほとんど全部見なかったことにするだけの、大変虚しい営為でしかないだろう。

閑話休題。次の諸点も上記の内容から充分推測がつく。少なくとも上記の内容を踏まえるとあまり不思議でなくなる。

1.「なぜ2回目のサイクル(主旋律A)をクラリネットが演奏した後、4回目のサイクル(主旋律B)でまたE♭管クラリネットが主旋律になるのか。少し単調なのではないか」→答「主旋律Bを担当可能な楽器はある程度限られている。音量の小さい楽器であればなおさらである。このメッセージが初めて聴く人にもわかりうるように伝達されている。特に重要なのは、3回目がファゴットならば4回目はきっとオーボエだろう、という通常の期待をきちんと裏切っていることだ。この期待の裏切りによって、オーボエもまた主旋律Bが完奏できないこと、というかそもそも主旋律Bを演奏できない主要楽器というものが存在するという事実、が示唆される。のみならず、ここまでの説明は5回目がオーボエではなく、オーボエ=ダモーレであることをも説明可能である。つまり5回目がオーボエではなくオーボエ=ダモーレであったことによって、「あなたは、オーボエだと思ったら違っていた、という期待外れを感じたのはこのサイクルが初めてではなかったでしょう、以前にもう一度あったのではありませんか?」と聞き手に追い打ちをかける効果をももつのである。また、2回目と4回目がともにクラリネットであるという仕組まれた単調さは、7回目と8回目とがともにサックスであるという単調さに聞き手の意識を向けさせる効果ももつ。「どうして同族の楽器を二回も繰り返すのだと思う?」とラベルは聞き手に謎をかけ続けまくっているのである。ただし、クラリネットを2回使うのに比べると、テナーとソプラニーノとサックスを2回も使っても、音色の面で相違があり、単調な繰り返しとはあまり感じないため、その事が多少気づかれにくくなってはいる。」

2.「なぜ主旋律Bを担当する楽器が、ファゴットとトロンボーンは別として、E♭管クラリネットやサックスといった、使用頻度の低い楽器やオーケストラの正規楽器ではない楽器を使うサイクルが多いのか」→答「というか主旋律Bを音域的に演奏できない楽器が多少出てしまうように作曲したのだ。そのメッセージが伝達されるように、わざわざイレギュラーな楽器を使わせるように指示したのである。正規の楽器だけでは主旋律Bをまかなうには少々不足気味であるというわけだ。」

3.「なぜ弱音器つきトランペットに、音量のまだ小さなうちの6回目のサイクル(主旋律A)を担当させたのか。少し大胆すぎる発想ではないか?」→答「1つは、9回目から12回目にかけてトランペットが主旋律を一度も担当しないことが不自然に見えないようにするためである(後述)。もう1つは、トランペットで主旋律Aなら完奏できる、ということを一度はきちんと提示しておく必要があるからだ。」

4.「9回目から12回目にかけての音量変化が少し奇妙ではないか。9回目(ホルン・チェレスタ・ピッコロ等)より10回目(オーボエ属・クラリネット)のほうが音量が下がる気がするし、11回目(トロンボーン)から12回目(木管群)に移行するとき音量がいきなりすごく大きくなり過ぎる気がする。いきなり大合奏じみてくるのも違和感あるし」→答「11回目から12回目のその違和感は意図的に引き起こしたものである。主旋律Bを担当できる楽器はある程度限られている。そのことを強く印象づけるには、主旋律Bを2回繰り返すときに、2回目のほうが「もう楽器の独奏や小アンサンブルでは演奏できない」というメッセージを伝達することが効果的である。だからわざと1回目のBはトロンボーンの独奏にし、次のBは木管楽器の「大合奏」になるようにしたのだ。このときの音量変化が少し大きすぎることや、偶数回目開始のタイミングでその転換が起こるという、位置的に中途半端で切りが悪い、という印象はわざとである。もちろん、それと同時に「トロンボーンのソロの次にトランペットのソロという流れになるだろうと期待したら、実際にはならなかった、という期待の裏切りの既成事実」を作ることも重要だ。

で、ここでのこのシナリオが、逆算的に9回目と10回目の性質をあらかじめ拘束することになる。ホルンとトロンボーンを連続させることは避けたい。なのでホルンを使ったサイクルが先に来るしかない。またそのほうが9→10と11→12とで「金管→木管」という流れで統一されていてすっきりしている。もう一つ、10回目のサイクルでは「木管楽器だけだと音量が足りないよね」というメッセージを伝えることが曲全体での位置を考えると効果的だ、そうすることでこのサイクルでトランペット(と弦楽器)が木管の主旋律を打ち消すくらいの音量で演奏することが正当化されやすくなる。

ともかく、肝腎なことは、この9回目から12回目の間で「トランペットは主旋律Bを担当できない」というメッセージがかなりはっきりと伝わる必要があることだ。そのためにはトランペットは主旋律以外でけっこうはっきり聞こえるように使う必要がある。つまり、トランペットがちゃんと居るのに主旋律には使うことができない、というわけだ。そのために、10回目のサイクルが「木管楽器の主旋律だけだと音量が物足りない」という状況を作り出すことが有効だったのだ。このサイクルで「トランペットがちゃんと活躍している」アピールをすることが正当化されるわけだ。また、この9回目から12回目の間でトランペットが一度も主旋律を担当しないこと(特に12回目を担当しないこと)を不思議に感じさせないための目くらましとして、「すでに6回目で使っている」という既成事実を作ることが重要だったのだ」

とりあえず書けることを書いた。以下の画像は、要点をまとめた図のつもりである。

「ボレロの仕掛け」要点