古い書評:「原爆が投下された本当の理由」を解明する本:木村朗・高橋博子『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』

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  • 目次等)(amazon) (ブクログ
  • この本は高校の図書館に入っていてほしい。というのは、2019年現在、この本に書かれている内容は「当たり前」の内容では全くなくて、2019年現在「多くの日本人が信じているのとは全く違っている事」であるからだ。そして学校で教わる可能性もほとんどまず無い事柄だからだ。

    ということはつまり、この本を読んで「あっ!」と驚くためには、まず「多くの日本人が信じている事」を知っていないと話にならないわけだ。次の条件のどれかを満たしている人は、「多くの日本人が信じている事」を知らない可能性が在るので、この本よりは一般的な別の本で勉強したほうが良いだろう。

    実は、最後の一つだけは知識のテストではなく、人格のテストである。最初の4つは満たしていないが、最後の項目だけは満たしているという人は、知識や信念ではなく、人格のほうに問題が在るのでこの本は読まなくて良い。(念のために補足するが、もちろんこの最後の項目を知らなかった者こそが読むべき本であるのだ。ただ「知らなかった」という事実は大変重大だし、それは「勉強しているか否か」の次元の問題では全くないので、読む前にまずその事実を重く受け止めて欲しいのだ。ただしこの点について書き方が良くない箇所が在る。p101を読むと読者を惑わす書き方がされている。しかしp105を見ればやはりこの「大統領」が「主犯」であると考えて、全く問題無いことがわかる。)

    さてそのうえで、この本を効率よく読むことができるためには、また読むことで得た知識を適切に理解するためには、次の人名を「なんとなく」でいいので聞いたことが在ることが望ましい。というのも、もしこれらの人名の中に「まったく聞いたことが無い」名前が在る場合、連動して「他にも様々な事柄を聞いたことが無い」という知識状況であることが推察できるからである。その場合、この本が「知らない人名・事項だらけ」になってしまい読むことが苦痛になるか、または「この本に書かれている事柄はとてもよくわかった」としてもその知識が他に応用できるかどうかが多少怪しくなる、という可能性が在るのである。

    鈴木貫太郎、フランクリン・ルーズベルト、アイゼンハワー、チャーチル、スターリン、蒋介石、重光葵、阿南惟幾、東郷茂徳、米内光政、鳩山一郎、中曽根康弘、久保山愛吉、仁科芳雄、オッペンハイマー、ボーア、フェルミ、ハイゼンベルク

    また、次の用語や地名の中に全然聞いたことが無い、とか、どんな内容なのか全く見当がつかない、という語がもし在る場合は、この本を読む前段階で何かで調べておくほうがこの本の理解が早まり、効率よく読める。

    枢軸国、連合国、ナチス、ファシズム、共産主義、マンハッタン計画、ヤルタ会談、ポツダム宣言、満州、真珠湾、東京大空襲、東京裁判、国際法、国体、天皇制、御前会議、ウラン、プルトニウム、ラジウム、ミリシーベルト、内部被曝、ビキニ環礁、第五福竜丸、マーシャル諸島、占領軍、プレスコード、DNA、WHO、福島第一原発事故、チェルノブイリ原発事故、公文書

    ここまで筆者(私)は一つの重要な「思想」をさりげなく主張していたことになる。その確認もしておこう。それは、「文章の中で使われている事項や固有名が、有名なものか有名でないものか見分けがつくだけでも読解の効率や精度に大きくプラスに影響する、というタイプの文章が存在する」「反対に、使われている語が有名なものか有名でないものかの見分けがつかないというだけでも、読解の効率や精度に大きくマイナスに影響しかねない、というタイプの文章が存在する」というものである。もちろんこの本がそれである、と言いたいのである。この「思想」はもしかするとあまり気づかれていないかも知れない。しかし大変重要なものである、と個人的には思う。

    この「思想」が重要であることを私が痛切に感じるのは、英語の文章を読むときである。私は自慢ではないが英語力が全然無い。少なくとも「大学入試」で良い成績がとれるということは、ない。ただ筆者は、英語の文章をみたとき「それが有名な単語や熟語であるかないか」はかなり区別がつく、のである。すなわち「あ、この単語は主な大学受験の英単語集にいかにも載ってそうだ」ということは「けっこう判る」のである。そのため、仮にその単語の訳語がわからなくても、それだけでパニックになってしまうことは無い、という強みが在る。同じことは日本語の文章を読むときにも言えるであろう。「その単語や固有名詞が有名なものであるかないか」が見分けがつく、という「能力」は在ると無いとでは、大違いなのである。

    「その単語が有名なものか有名でないものかの見分けがつかないと読めない」という、そういうタイプの文章が存在するとしても、この本は違う、と考える人も多いと思う。実際この本の中心に在るのは「史実をもとにした推論」+「多少の科学的な推論」であり、「事実の正しさ」というよりは「推論の正しさ」のほうにこそ注意しながら読むタイプの本である。この本は、細かい知識・専門的な知識が無いと読めない、という書かれ方をしている本ではまったくない。親切な書き方をしている本のほうだと思う。しかしにもかかわらず、なのである。「語彙力の少ない人」や「知識の少ない人」のなかには、自分の知らない単語や固有名詞がたくさん出てくると、ただそれだけの理由で読解が停止してしまうタイプの人というのが、たぶん少なからずいるのである。この本で行なわれている「史実についての推論」の中心にいるのは、上に挙げたリストの人名よりもだいぶ知名度の低い人物が多い。そういう人名を見て「ファーレルって誰?」「グローブスって誰?」というように感じて読めなくなってしまうのである。もちろん「ファーレル」なんて普通知らなくてよい人名なのである(ただしこの本を読み終わった頃には覚えて欲しい)。気にするところはそこではなくて、そのファーレル(という有名でない人物)が何をしたか、のほうなのである。そういうわけで、この本が「細かい知識や専門的な知識を必要としない書かれ方をしている」ということをスムーズに理解できるための最短距離というのが、上に挙げたような人名や単語くらいはなんとなく知っている、というそういう「知識」なのである。そういう「知識」が無いと理解できない、という書かれ方はしていない。しかし、「知識」が無いと理解できないという書かれ方をしていない、ということが判るためには、やはり「知識」が少し在った方が絶対良い、というそういうことなのだ。

    閑話休題。最後になるが、ここでようやく「普通の書評」らしいことを書く。すなわち、この本を読んで「あっ!」と驚くというときに、どういう事柄で驚いているのか、の紹介である。たとえば、次の箇条書きのどれかの項目を満たしている場合に、この本を読んで「あっ!」と驚きやすくなると思う。この本はそういう読者こそを想定しているのだ、と言えると思う。

    ぜひ読まれてほしい。なお、併読して損がない、共通する方向性をもつ本に町山智浩『最も危険なアメリカ映画 『國民の創生』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで』(集英社)(amazon)を挙げておきたい。