コメント:山田規畝子『壊れた脳 生存する知』

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山田規畝子『壊れた脳 生存する知』(KADOKAWA)

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  • 文庫本の内容は私は全く知らない。当初の単行本の内容からだいぶ改稿されているらしい。だが、以下はその当初の単行本のほうをもとにコメントする。
  • 「高次脳機能障害」の患者(医師)が自分の体験を相当に明晰に語った体験記である。アドバイザーである山鳥重氏によると、この内容が語られることは相当に稀有であるらしい。そうであるらしいことは、著者の山田氏の書いている内容からも想像がつく。というのも、医療者・介護者などの「専門家」が症状を全然理解していない場合が在るのだ。また、街中にある各種の施設などの作りかたにも、その訴求内容が反映されていないからでもある。患者の立場からみた症状を世の中に知らしめたその価値は大きい。
  • 私がこの著書を高校生に薦める理由は、高次脳機能障害の症状のうち、或る種のものが知的関心の対象になると思うことだ。著者自身もそうしているように、症状を理解しようとすることは「科学する楽しみ」を含むことになる。そのような態度で著者自身が自分の症状を理解しようとしているわけである。その程度には、症状の或る部分は「意外性」があり「知的関心の対象」になりうるものだ。
  • アドバイザーである山鳥氏の専門は医師であり脳科学者である。と同時に、彼は自分の仕事を「神経心理学」と名乗ってもいる。高次脳機能障害の「原因」は脳科学や医学の担当だろうし、症状のなかでも「麻痺」「痛み」に関するものなどは同様に脳科学や医学の対象だろう。だが、症状のなかには、「文系の心理学的な関心」とも共有されているものもまた在る。それはおもに「空間認知」「記憶」「注意」「思考」「身体図式」に関するものだ。今このように五つに便宜的に分類してみたが、これらも現象としては入り組んでおり、截然と分けられるものではないだろう。これらは、「文系の心理学」や或る種の「身体論」(哲学・思想・精神医学など)にとっても関心の対象だし、理系の人工知能学や脳科学の専門家にとっての関心の対象でもある。そういう文理横断的なありかたを「神経心理学」と山鳥氏は名付けたわけである、と思う。もし山鳥氏と同様の神経心理学を専攻したいと高校生が考えるなら、たぶんそれは医学部とかの進路になる。と同時に、文系の心理学を専攻したとしても、この書からの関心はそれなりにちゃんと生かされることにもなる。空間認知や記憶や注意も思考も、そして言語能力も、心理学でも扱うことができるからだ。心理学の知見を駆使した大澤真幸『身体の比較社会学I』(勁草書房)も併せ読むのに良い。
  • たとえば、空間認知に関する症状は実に多岐にわたっていて、また意外性もあり、容易な理解をうけつけない。一つ一つの症状は「そういうことね」とわかっても、それらを総合的に理解することが難しいのだ。たとえば「アナログ時計を読み間違える」のと「点線に沿って道なりに進むのが難しい」のと「いくつもの記入欄のどこに書けば良いのかわからなくなる」のと「マンホールの僅かな段差の上を歩くのが難しい」のとでは、どれも少しずつ異なっているように思える。これらを「空間認知の困難」とまとめてしまうことはできるだろうが、それだけで理解できた気はしないだろう。また、「空間認知」以外の要素も関連しているようにも思えるだろう。この書が喚起するのは、その種の知的関心である。平易な文章で明晰に書かれている。しかも著者のキャラクターもあって、さほど暗い気分にならないで読むことができる。お薦めできる。