コメント:スチュアート・ヘンリ『民族幻想論―あいまいな民族 つくられた人種』
スチュアート・ヘンリ『民族幻想論―あいまいな民族 つくられた人種』(解放出版社)
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この本は内容が高校生向きであり、かつ重要だと思うので推薦している。しかし、最初のほうの章が読みづらい読者が多いのではないかと思う。もし最初のほうで挫折する場合、第四章から開始すると良い。大まかにいって、第三章までと第四章からでは「別の本」だと思ったほうが良い。そして、第四章から以降だけを読むだけでもためになるのだ。
第四章から読み始めれば挫折はしづらいと思うが、読んでいてたぶん少しいらつくと思う。大まかに言って「民族」と「人種」の話題なのだが、それらが行ったり来たりして、腰が定まらない。「話は変わりますが」「ついでに言っておけば」などと言って脱線したり、接続詞抜きで予告なしに話題を変えたりする。また、やむをえないことかもしれないが「ねじれ文」も散見される。つまり日本語のお手本にもなりづらいわけだ。
と、このように欠点を挙げてみたうえで、それにもかかわらずこの書の内容は重要である、と言っておきたい。まず、いかにも類書が無い。この本に書かれている内容を他書で替えることが難しそうなのだ。「民族」も「人種」も、その話題は日本で生まれて日本で暮らしている多くの人には、疎遠であると感じられる。にもかかわらず、海外まで見渡せばこれほど重要な話題もなかなか無い(あともう一つ重要なのは「宗教」)。そして、この話題を扱っている書はだいたいはこの書に比べるとぐっと難しい本や分厚い本になってしまう。高校生に読める手頃な本があまり無い領域なのだ。
この本が高校生向けとしてすぐれているのは、「呼び方」の問題を重視して紙面を割いていることにも在る。「白人」だと「民族」と表現されるのに対して、「黒人」だと「部族」「種族」などと表現される、というような呼び方の「差別」問題というものは、歴然と存在する。また、著者が縷々述べるように「人種」と「民族」とを区別せずに雑駁に使う人がマスメディアの書き手の中にもいたりする。私自身は「人種」と「民族」との違いはそれほど明確ではなく曖昧なのが正しいのではないか、などとも思っているが、事態は全然それ以前である。辞書的なレベルでの違いもわかっていない使われ方の例がいくつも挙げられている。これらをみると「ほんとうにわかっていない人」の存在をいやでも感じ入ることになる。
さて、「呼び方」も含めた人種差別問題などはわりとわかりやすいのだが、第三章までの「民族紛争」の話題のほうはたぶん読みづらいと感じる人が多い。その点について少しふれておく。そもそも「民族と人種」という話題を扱うのなら、「人種」のほうがわかりやすいのだ。だからふつうなら「人種」の話を先にして、そのあとに少しわかりづらい「民族」の話をするだろう。私見ではあるが「民族」というのは「もれなくだぶりなく」などというすっきりとしたとしたカテゴリーでは全然ない。国籍などとはその点が違う。無国籍という人は稀少かもしれない。だが「どの民族にも無所属である」という人はおそらく少なくない。そういう点でも「民族」は難しい話題になる。だが、この書ははじめにまず「民族紛争」の話題をもってきた。著者にとってはそちらのほうが「導入としてわかりやすい」と感じているからであり、かつ、読者もそうだろうと思っているからなのだ。なぜそう思うのか。それは、この書が、ベルリンの壁崩壊やソ連邦崩壊などによって、冷戦の終わりのときの「気分」を大きく残している時期に書かれたものだからだ。1990年代頃の人びとは「これでイデオロギーによる代理戦争などもなくなり、世界は平和になるだろう」と感じた、らしい。だが、実際にはそうならずに、各地で民族紛争などが多発した。「そんな馬鹿な」と思った人も居たことだろう。この書が「民族紛争」の話題から開始されるのは、「なぜ民族紛争などが多発するという意外な事態になっているのだろう」と感じるような読者層を念頭においているからなのだ。だが、この書が出版されて20年近く経ち、もうそんな事情もわからなくなっている。なので、この書を2020年にもなって推薦すると「なんでこんな開始のしかたをするの?」という疑念をもつ高校生が続発することになるはずだ。なので、上記のような説明をしておく必要が在ると私は感じたので書いておいた。
私もそうだが、外国の固有名詞を見聞するのを苦手とする人は少なくないはずだ。この本の第三章までが読みづらいと感じるのも、まずはこの層だ。そういうかたには「音読」を薦めたい。固有名詞が次々と連発し、しかも話題が次々と転変していくこの種の本に対しては、そのような対策しか無い。そして、書かれている内容自体は重要そうだと思ったら記憶すれば良い。私はなるべく記憶にとどめるようにしている。