コメント:大久保孝治『日常生活の社会学』

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大久保孝治『日常生活の社会学』(学文社)

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  • 社会学という学問は高校生にはわかりにくい。何が社会学で何だと社会学でないのかがわかりにくいのだ。「なんとか社会学」がごまんと在り、そして「社会なんとか学」もまたいろいろ在る。この状況下で、社会学を満たす必要条件も十分条件も想定しづらい。「なんとか社会学」たちに共通性が在るのかどうかも、また「これだったら社会学ではない」という条件が在るのかもわからないだろう。そしてそんなものはおそらく無いのだ。社会学を選択するためには、「典型的な社会学」「社会学らしい社会学」の観念をもっていることくらいしか対策が無い。そしてそれを提供してくれる候補の一つが、この『日常生活の社会学』なのだ。高校生にお薦めしたい。
  • 社会学がわかりにくい理由の一つは、各種の学問が多少なりとも「社会学的」になってきていることも大きい。その点を理解するために、次の例を考えてみると良い。1.街の洋食屋、2.街の中華屋、3.街の和食屋、4.ラーメン屋、5.そば屋、6.寿司屋、7.ロイヤルホスト、8.ジョナサン、9.デニーズ、10.ガスト、11.モスバーガー、12吉野家。この中から「どこへ食べにいくか」を決めるとしよう。カテゴリーが明確に異なっているものも在れば、逆に重なっているものが多々在ることに気付くだろう。「社会学」やそれに「哲学」「心理学」といった分野は、この中で言えば「ジョナサン」「デニーズ」「ロイヤルホスト」「ガスト」といったタイプのカテゴリー群に近い。この中からどれにするかを決めるのは、「何を食べたいか」というよりは、もう少し違った判断基準になるに違いない。この局面では「洋食」「和食」「中華」「ラーメン」「そば」「牛丼」などから好きなものを選ぶのとは違った選び方が求められるのだ(「中華屋」と「ラーメン屋」との違い方もさらに微妙である)。で話を戻すと、「街の和食屋」や「街の洋食屋」もまた、大手のチェーン店の味を研究し、だんだんそれらに近い味やサービスを提供するようになった、という状態を想像してもらうと良い。それと同様に、他のいろいろな学問も多少なりとも「社会学化」したり、「社会〇〇学」を新たに産出したりするようになった、というわけだ。
  • 「社会学」と「哲学」「心理学」との関係をもう少しだけ、考えてみよう。日本語の出版物を眺めてみる。「心理学」は入門書も専門書も多くは横書きである。ただし例外的に、学術的な知見を直接書かないで素人向けにアドバイスや処世訓などの読み物を書く場合に限って、縦書きであることが多いと思う。「哲学」は反対に、縦書きがほぼ大半を占めているだろう。横書きの本のほうがはるかに少ない。で、「社会学」はと言うと、縦書きと横書きとがほぼ半々のイメージなのだ。この大久保の入門書は縦書きである。縦書きと横書きとがほぼ半々であるようなジャンルであることも、「社会学」というものを捉えどころのないものにしていることだろう。と同時に、ここにこそヒントが在るとも言える。高校生にとっては、「縦書き」「横書き」のどちらが性に合うか、といったことを選択の決め手にしても良い、ということを筆者は提案しておきたい。
  • この本は「社会学らしい社会学」のイメージを読者に提供するだけではない。文章や構想や説明のしかたがよく練られているのだ。思考が緻密であり文体は緊密である。これも読んでいてなかなか気持ちが良いものである。本書を「社会」という語の使われ方という話題から開始するのも良い。そうしないと、「社会科」という教科名の連想から脱却することが高校生にはなかなかできないと思うからだ。その点でもお薦めできる。