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『日本人のための日本語文法入門』(amazon)。この本は高校の図書館に入っていたほうが良い。ただしいろいろと留保もつけたい。長所も在るが欠点も在る本だと思った。以下、つらつらと述べる。以前書いた書評の改稿でもある。
日本語学・日本語教育学による日本語文法の入門書はたくさん在る。だが、文庫・新書本はあまり多くない。そして、文庫・新書本のなかで、タイトルにはっきりと「日本人のための」と明示しているのはおそらくこの本だけだ。これがこの本が高校図書館に入っていたほうが良い理由の一つだ。つまり、日本語学の日本語文法入門書であり、同時に新書本でもあり、それが日本人読者全般のために書かれたものである、という点がその理由になる。他は、最初から日本語教師志望者向けだったり、文庫・新書本でなかったりする。日本語学の日本語文法は、多くの大学ではふれる機会がまず無い。学部ではなくて、大学院や留学生センターで教えられていることが多い分野なのだ。なので、高校生などはなおさら知らないで終わることが多い。というのも、義務教育課程でも高校でも教わる機会はおそらく皆無だからだ。学校文法とは異なる別の日本語文法の体系が存在するということを知る機会は、通常の高校生・大学生にはほとんど無い。なので、新書本であるこの本が高校の図書館に入っている意義は大きいのだ。文庫本・新書以外だと、どうしても専門家向け入門に見えてしまう。
しかし、そのように言っておきながら、すぐに修正が必要になる。この本はタイトルでは「日本人のための」と銘打ってはいるものの、結局は「日本語学の日本語文法を知りたい日本人向け」になってしまっている。つまり、日本人全般のニーズに合った形での紹介本にはなりえていない。あくまで、「学校文法とは違うという、既存の日本語学の日本語文法を学習したい」という奇特な人のため向けの内容になってしまっているのだ。ここに一般とのギャップが在る。日本人のために役立つ文法というのは、ねじれ文を書かないように防止するための文法だったり、AIよりも読解力が低いとされるような「検定教科書が読めない」中学生のための文法だったり、「私の言いたいことの力点の中心の主張は」などと書いてしまわないための文法だったりするだろう。だがこの本にはそういった問題意識は特には感じ取れないのだ。この本に在る内容は結局は「外国人には日本語はこんなに難しいのです」というものに集約される。その外国人にとっての難所を入門書で学習しようという奇特な日本人にしか、この本の問題意識は需要が無い。とは言え、そのような日本語文法が、通常の日本人の需要に応える潜在的な可能性を結局はもってはいるはずだ、とも私は思っている。そう思う人はなかなか奇特ではあるが、そういう者のためにのみ、この本は入門書として役立ち機能する。
日本語学の日本語文法を提示する際に、「非文」認定は重要だ。その点に関してこの書には、一点だけ看過できない点が在る。p123のいくつかの例文は日本語使用者が使うと紹介されているのだが、その中でも特に「太郎は窓を開けてある。」という文は、おかしい。そういう言い方は見聞きしたことが無いし、文意すら確定できない。だがこの本では、この文をはじめとするいくつかの類似した文を「日本語使用者が使う文」として提示している。この箇所は納得できない点である。またこれほど甚だしくはないが違和感を少し感じる箇所はまだ在った。これとは反対に、いくつかの箇所では「そういう言い方はしない」と著者が認定しているのだが、私がその箇所を眺めていると「その言い方が飛び出てくることも時には在りうるよな」とだんだん感じるようになってくるものも在るのだ。その言い方を優先的に使うわけではないが、言わないわけでもないだろう、と思える箇所がいくつか在る。要するに、グレーゾーンであるわけだ。だがそこで話をわかりやすくするために、「そういう言い方はしない」と著者が断定してしまっている箇所も在る、とつまりいうことだ。そこに小さな違和感は覚える。
ここまでいろいろと指摘をしてみたが、日本語学の日本語文法を学習したいというニーズがもし在るのなら、この本にはわりと良いところも多いはずだ。他書と比較したわけではないが、その良い点も述べてみよう。いちばん最初に感じるのは「見通しの良さ」である。日本語文法の中で、今学習している単元はどのあたりに位置するのか、ある単元と別の単元との関連性はどのようなものか、というものがわりと把握しやすいのだ。おそらくその見通しの良さは著者が努力を傾けた結果なのであろう。この本で、日本語学の日本語文法の全体像も掴めるだろうし、その中での単元ごとの位置関係も掴める。そういう書なので、次にもう少し専門的な書や別の入門書、或いは別の文法体系(国語学など)を学習しようというときにも、スムーズに行きそうな手ごたえというものを感じさせてくれる。これは大きいと思う。
この本の説明はしばしば「外国人からみた日本語」というしかたでなされる。その中にもいろいろと細かい、新鮮な発見というものも感じることができる。「は」と「が」の使い分けが日本語話者には無自覚的にかなり巧妙になされていることの指摘や(童話「桃太郎」の出だしなど)、何かを発見したときに「財布が在った。」と発話することが「過去形」であることの指摘などが、たとえば挙げられる。或いは、この本で紹介されている文法はわりと理にかなったわかりやすいものであるため、素人でもそこに「法則」を発見することすら可能なようにも思えてくる。そのことで文法体系そのものへの興味をもちやすくもなる。と同時に本書を読むうちに、いろいろと説明されていない点や疑念なども読者は感知しうるだろう。小さな新書本だけでは何もかもをカバーすることまではやはりできていない。生じたいくつかの疑念に対しては、その点を自分なりに考察したり、他書にあたってみたりすることもできる。そういう基礎体力がこの書では付くと期待できる。著者自身がもう少し詳しめの入門書を書いていることも紹介されているので、その書にあたってみるのも一法である。
もう一つ、意外なこの書のメリットを説いておきたい。それは三上章の主語無用論が紹介されたのちに、しかし日本語学では(著者自身も含めて)主語という語を主格の意で使うことが多いと述べていることである。その理由付けは説得的だとは私は感じないが、それでも主語という語の使用状況について述べていること自体は素晴らしいことだと思う。というのも、日本語学では「主語という語を使わないことにしている」著者もいれば、主格の意で平気で用いる著者もいるので、その違いに、つまり主語という語の使用状況自体に注意を振り向けることにつながるからだ。なので、或る程度以上日本語学に深入りしたいと考えている読者であるなら、この著者の主語概念への説明は案内になってくれる有意義なものであると思う。また、主語というものを重要な単元や話題として取り上げるようなタイプの文法体系に対しても、多少の距離をもって接することができるようになろう。
多くの人にとっての文法に関する疑問は、むしろ直接的に本格的な事典、たとえば日本語記述文法研究会の事典(amazon)に当たって解決することが多いと思う。少なくとも私はそうだった。だが、この事典を活用するに際しても、日本語文法の全体像がごく大雑把にでも把握されているほうが、やはり使いやすい。当然のことだ。その手始めになる最有力候補が、原沢のこの新書本になるだろうと思う。そういうふうにして薦めておきたい。