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インド哲学の用語。聖典リグベーダでは「自分」「身体」「呼吸」を意味し、次いで人間の「本性」「自我」を、さらに物一般の「本質」をさす。ウパニシャッドに至って宇宙の原理ブラフマン(梵)と同一視された。
インド‐ヨーロッパ語族に属する諸言語を用いる諸人種のうちのコーカサス人種(コーカソイド)。元来は人種名ではないが、ナチスは、この人種は金髪、青い目、長身、やせ型という身体特徴をもち、ゲルマン民族こそがそれであるとした。
ウェルギリウスの叙事詩。12巻。前30年―前19年に完成。英雄アエネアスがイタリアにローマの基礎を築くまでの物語。前半はホメロスの《オデュッセイア》を,後半は《イーリアス》を模している。アウグストゥスの業績を飾り,ローマの栄光と偉大をたたえるのにふさわしい国民的叙事詩として評判が高く,ホメロスの2作と並ぶ名作とされる。
新約聖書における神の人間に対する愛。また、人間の、神や隣人に対する無私なる愛。神が、罪人である人間のために与える自己犠牲的な愛で、イエス=キリストの受苦と死とにおいて実現する。
哲学で、心の平静・不動の状態。ヘレニズム時代の人生観。エピクロスはこの境地の実現が哲学の目標であると説いた。
⇒不可触民:インドのカースト制で、カースト外に置かれた最下層民。1950年のインド共和国憲法で、身分差別廃止。アチュート。パリア。ハリジャン。アンタッチャブル。
イスラム教における全知全能の唯一神。天地万物の創造主。聖典コーランには人的表現もみられるが、その図像化は厳しく禁止されている。「アラー」は訛った言い方。
[1903~1969]ドイツの哲学者・社会学者・美学者。ナチスに追われて米国に亡命。著「権威主義的パーソナリティー」でファシズムを分析。帰国後、フランクフルト大学教授。人間疎外などに悩む近代文明批判を展開。
「旧約聖書‐創世記」に出てくるイスラエル民族の始祖。「信仰の父」と呼ばれる。前名アブラム。イサクの父。神の命でカナンの地に行き、神と契約を結んだ。神がアブラハムの信仰を試みるため、イサクを犠牲としてささげることを命じた時、アブラハムは神の命令に従ったので、神はイサクの命を救った。
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神(あまてらすおおみかみ),大日?貴(おおひるめのむち),天照大日〓尊(あまてらすおおひるめのみこと)などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)生み,天(あま)の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。
阿弥陀はサンスクリットのアミターユス(無量の寿命の意)とアミターバ(無量の光明の意)の音訳。西方にある極楽浄土の仏で,日本では,浄土教の隆盛にともない諸仏のなかでも最も多くの信仰を集めた。さまざまな経典に記されているが,とくに浄土三部経とよばれる「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」は阿弥陀に対する信仰を中心として書かれている。
元来は、アラビア半島の住民。現在は西アジアから北アフリカ各地に広がる。人種的には単一ではなく、その起源も明らかでないが、ほとんどがイスラム教を信仰している。イスラム文化を築いた。アラビア人。
[1891~1956]インドの社会改革運動家・政治家。独立インド初代法務大臣。不可触民の集団の一つである「マハール」の出身。米・英国に留学後、不可触民解放運動に挺身。最晩年はマハールカースト成員約30万人とともに仏教に改宗し、新仏教運動の祖となった。
1534年ヘンリ8世の首長法によりローマ-カトリック教会から分離して成立したイギリス独自の教会
国王を教会の長とするが,実務上はカンタベリ大司教が最高責任者。教義は,当初カトリックとほとんど変わらなかったが,1549年の次王エドワード6世による一般祈祷書の制定発布でルター派やカルヴァン派の要素を取り入れて新教化が進んだ。その後,1559年のエリザベス1世による統一法の制定で国教会が確立された。しかし,主教制度などカトリックに似た制度を継承しているため,こうした教義や制度の不徹底さに反発して,その後,メソジスト派などが分離した。日本では聖公会と呼ばれる。
日本神話で、伊弉冉尊とともに天つ神の命で〓馭慮島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神。黄泉国の汚穢を禊した際に、天照大神・月読尊・素戔嗚尊などの神が生じた。
日本神話で、伊弉諾尊と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国を支配する黄泉大神となった。
ユダヤ王国の偉大な預言者。BC七四〇年頃、神エホバの預言者に召される。外敵の侵攻は国民の不信仰によるものとして、約四〇年間ひたすら神エホバへの正しい信仰を訴え、殉教した。「旧約聖書」中の「イザヤ書」は彼の預言を伝えたもの。
[1685~1744]江戸中期の思想家。石門心学の始祖。丹波の人。本名、興長。小栗了雲に師事。実践的倫理思想をわかりやすく説き、町人層に歓迎された。著「都鄙問答」「斉家論」など。
カトリック教会が、異端者の摘発と処罰のために行った裁判。13世紀にカタリ派に対して始められ、南ヨーロッパを中心に行われた。インクイジション。
室町・戦国時代に近畿・北陸・東海地方に起こった一向宗(浄土真宗)門徒の一揆。僧侶、門徒の農民を中心に、名主・地侍が連合して、守護大名・荘園領主と戦った。加賀一揆のように一国を支配したものもあったが、天正8年(1580)の石山本願寺に対する織田信長の石山合戦を最後に幕を閉じた。
この世に生を受けたすべての生き物。特に人間をいう。生きとし生けるもの。一切有情。
私利を追求する個々の意志の集合(全体意志)ではなく、共同の利益のため利己心を捨てて一体となった人民の意志。ルソーが使用しはじめた用語。
一般啓示(いっぱんけいじ、英:general revelation)とは、福音派における術語で、キリスト教において、創造主である神によって創造された自然界と人間の良心に示された神の啓示である。これに対する語が特別啓示である。
[1239~1289]鎌倉中期の僧。伊予の人。時宗の開祖。法名は智真。延暦寺に入り、太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。のち熊野に参籠、霊験により一遍と号し、他力念仏を唱えた。衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め、全国を遊行した。遊行上人。捨聖。円照大師。
プラトン哲学で、事物の本質、価値の範型をさし、いっさいの存在と認識の根拠とされた。超越的原理。
観念形態または意識形態と訳されることもあるが、今日では原語のまま使われて日本語化している。一般には、思想の体系・傾向、物の考え方や、教条主義的政治思想、保守的政治思想の意味で用いられる場合もあるが、唯物論の立場からは、観念論を批判する際に、科学的理論と対立する虚偽意識という意味でイデオロギーということばが使用される。代表的な例としては、マルクスとエンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』がある。マルクスは、社会的存在が社会的意識を規定するのであって、その反対ではないといって、自然・物質・存在の精神・観念・意識に対する規定性を主張した。また、マルクスは、階級闘争がみられる社会にあっては、観念形態のなかにも階級対立がみられ、たとえば、資本主義社会では、ブルジョア・イデオロギーとプロレタリア・イデオロギーの対立がみられるとした。そして、後者は、虚偽意識ではなく、科学理論と一致するとされたのである。
第一次大戦後国際連盟の委任をうけ、イギリス、フランス、ベルギー、日本などの戦勝国が、ドイツ、トルコの旧植民地などを統治したこと。また、その形態。
イマヌエル・カント(Immanuel Kant (中略)1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。
『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。
前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。
前3000年から前1500年ごろにかけて、インダス川流域に栄えた文明。アーリア人のインド侵入以前のもので、金石併用の文化を持ち、公共建築などを完備した高度な計画都市を建設した。モヘンジョダロ・ハラッパーなどに遺跡が残る。世界最古の文明の一。
陰陽二気が互いに消長し調和することによって自然界の秩序が保たれているように、政治、道徳、日常生活など人間のあらゆる営みは全て陰陽の変化に順応することによってうまくゆくとする考え。世の乱れは帝王の政治が陰陽の理に背くことから生じ、病気は体内の陰陽の気が平衡を失うことから起こるとする。道徳の根元を天におき、天と人の一体を説く中国思想で、長くその形而上的根拠となり、また、五行説とも結びついて流行した。
[前70~前19]古代ローマの詩人。ローマ文学の黄金時代を代表する。作「牧歌」「農耕詩」「アエネイス」など。
古代インドの神秘的な哲学説を記した聖典。「奥義書(おくぎしょ)」とも訳され、ベーダ聖典の最後部にあたるのでベーダーンタ(ベーダの末尾、極地の意)ともよばれる。ウパニシャッドの名をもつ文献は優に100種を超え、紀元前500年以前にまでさかのぼれるものから、10世紀以後につくられた新しいものまで雑多である。
ギリシャ神話で、世界の最初の支配者。女神ガイアの夫。神々の祖で、ゼウスの祖父。
7月15日を中心に祖先の冥福を祈る仏事。江戸時代からは13日から16日にかけて行われ、ふつう、迎え火をたいて死者の霊を迎え、精霊棚を作って供物をそなえ、僧による棚経をあげ、墓参りなどをし、送り火をたいて、霊を送る。現在は、地方により陰暦で行う所と、一月遅れの8月15日前後に行う所とがある。精霊会。盆。お盆。盂蘭盆会。魂祭り。うらんぼん。《季 秋》
[1141~1215]平安末・鎌倉初期の僧。備中の人。字は明庵。日本臨済宗の祖。はじめ比叡山で天台密教を学んだ。二度宋に渡って禅を学び、帰国後、博多に聖福寺、京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺を建立。また、宋から茶の種を持ち帰り、栽培法を広めた。著「興禅護国論」「喫茶養生記」など。千光国師。葉上房。ようさい。
五経の一。伏羲氏が初めて八卦を作り、孔子が集大成したといわれるが未詳。天文・地理・人事・物象を陰陽変化の原理によって説いた書で、元来、占いに用いられた。六十四卦およびそれぞれの爻につけられた占いの文章(経)と、易全体および各卦について哲学的に解説した文章(伝もしくは十翼という)とから成る。周代に流行したところから周易ともいう。易。
中国古代の政治思想。天子は天命を受けて国家を統治しているから、天子の徳が衰えれば天命も革まり、有徳者(他姓の人)が新たに王朝を創始するとするもの。
「書かれたもの」や「文字」、「書くこと」や「文体」、「書き言葉」を意味するフランス語。この語を哲学的概念として定式化したのはジャック・デリダである。
旧約聖書の創世記に記される、神が人類の始祖アダムとイブのために設けた楽園。のち二人は神の命に背いて、ここを追放された。エデンの園。
古代ギリシアの哲学者エピクロスの説を奉じた一学派。彼の生前、すでにこの学派は一つの学問・修道的共同体として成立していた。この共同体は、成員各自の分に応じた喜捨によって維持され、婦人や奴隷にも広く門戸を開放した。弟子たちは師の主要教説を聖務日祷(にっとう)的抜粋によって記憶し、深い友情のなかで日々倫理的向上に励んだ。エピクロスの死後、この学派は約600年間続いたが、その間、師の学説に大幅な変更もしくは発展を加えた者はいない。紀元前2世紀には師の主要教説のテキストや書簡集が編まれたが、前1世紀の前半にルクレティウス(前94?―前55?)が『物の本質について』という一書によって、エピクロスの原子論と倫理学説を詳細に祖述したことが、この間における最大のできごとである。ヘレニズム時代にはストア学派と拮抗(きっこう)する勢力を保ったこの学派も、ローマ帝政期以降、その非社会的姿勢によってしだいに勢力を失い、古代末期にはキリスト教の増大によって圧迫され、ついに死滅した。
知識。ドクサ(臆見。根拠のない主観的信念)に対して、学問的に得られる知識。
ルソーの書いた小説形式の教育論。1762年刊。主人公エミールの誕生から結婚までを5編に分けて叙述。児童の本性を尊重して、自由で自然な成長を促すことが教育の根本であると主張。後代の教育理念に大きな影響を与えた。
《平和の町の意》パレスチナ地方の古都。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地で、古くからの巡礼地。キリストの宣教・受難・復活の地。新市街の西エルサレムはイスラエル領。旧市街の東エルサレムはヨルダン領であったが、1967年の中東戦争後、東エルサレムもイスラエルが併合。1981年、「エルサレムの旧市街とその城壁群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。翌1982年に危機遺産に登録された。人口、行政区76万(2008)。イェルサレム。
仏の説法の由来、縁由を明かしたもの。転じて、事物の起こる因由、起源、沿革や由来。また、由来すること。
古来最高傑作の誉れ高いソフォクレス作のギリシア悲劇。前429年ころから前425年ころに上演されたと推定される。テーバイの都に突如襲いかかってきた疫病の原因が,先王ライオス殺害の汚れにあるとアポロンの神託によって知らされたオイディプス王は,早速犯人糾明に取りかかる。自己の身の潔白になんの疑いも持たない王は,テーバイを災厄から救う熱意から皮肉なのろいを未知の殺害犯人にかける。オイディプスはかつてスフィンクスのなぞを解いて王となった,その自己の知性に満腔の自信を抱いている。そして今また第2のなぞ解きに挑戦したのである。その結果,殺害犯人とはほかならぬ彼自身であること,いな,それどころか,先王ライオスとは彼の父であり,妻イオカステが母であることを発見する。それは,かつてライオスに,そしてまた彼自身にも告げられたアポロンの予言がすでに成就していたということを意味した。恐ろしい真実を知ってイオカステは自害するが,オイディプスは目を突いて盲目となり,知らずして己が身にかけたのろいを背負って放浪の旅に出る決意をなすのである。
「古事記」が設定した国つ神の首魁。須佐之男神(すさのおのかみ)の六世の孫(「日本書紀」は子とする)。伊邪那美神の死によって未完のまま放置されていた国土を、天つ神の命で少名毘古那神(すくなびこなのかみ)とともに完成。天孫降臨に際し、国を譲って隠退。「日本書紀」では、農業・畜産を興して医療・禁厭(まじない)の法を定めたとされる。民間では大黒天と結びついた福の神、縁結びの神として信仰され、また因幡の白兎の話で知られる。出雲大社、大神神社などに祭られる。
現世を去って仏の浄土に生まれること。特に、極楽浄土に往って生まれ変わること。
日本神話に登場する神。「もの」は,畏怖すべき霊威を有する意の語。「ぬし」は総領,支配者の意。大神神社(桜井市の三輪山)に祭られる。『日本書紀』の諸伝承の中には,オオモノヌシを大国主神(オオクニヌシノカミ),大己貴命の別名とするものもある。この神をめぐる所伝は特に神の結婚に関するものが多く,『古事記』によれば,大物主神は丹塗矢に変身して溝を流れ下り,勢夜陀多良比売という娘の陰部を突いた。この娘がその矢を持ち帰って床の辺に置いたところ,矢は美形の男になった。この男と娘との間に生まれた子が,神武天皇の皇后となった比売多多良伊須気余理比売だ,という。また,崇神天皇の代に疫病が大流行したとき,祟りをなしていたオオモノヌシが天皇の夢に現れ,意富多多泥古という名の大物主の娘に自分を祭らせることを要求したので,その娘を神主として意富美和の大神を祭った,という。一方,オオモノヌシの妻となった倭迹迹日百襲姫が夫の顔を見たいといったので,オオモノヌシは小さい蛇となって櫛笥の中に入っていたが,これを見て妻が驚いたのでオオモノヌシはひどく怒り,男の姿になって御諸山(三輪山)に登っていった。妻はそのことを後悔してどすんとその場に座り,そこにあった箸で陰部を突いて死んだ,という話も『日本書紀』にみえる。オオモノヌシは,もともと大和地方で圧倒的な影響力を持つ,三輪山に祭られる神であったものが,朝廷によって神話がまとめられていく過程でその体系の中に繰り込まれたものだろうし,この神をオオクニヌシと同神とする伝承は,両神の名称が類似していることにも影響されたものだろう。
中国、明代の儒学者、政治家。名は守仁。字(あざな)は伯安。諡(おくりな)は文成。陽明は号。浙江余姚(よちょう)の人。二八歳で進士に合格。龍場の山中で心即理の立場を確立し、この原理の上に知行合一、致良知の説を唱えた。その一門を陽明学派という。主著「伝習録」三巻、「王文成公全書」三八巻。(一四七二‐一五二八)
1299年、オスマン1世が小アジアに建国したトルコ系イスラム国家。地中海周辺のアラブ諸地域、バルカン半島をも支配下におき、アッバース朝滅亡後のイスラム世界の覇者として君臨。16世紀のスレイマン1世のころが最盛期。17世紀末から衰退に向かい、第一次大戦に同盟国側に加わって敗北。1922年、トルコ革命により滅亡。オスマン朝。オスマン‐トルコ。オットマン帝国。
ギリシア北部のテッサリアとマケドニアとの境にある山。ギリシアの最高峰(標高二九一七メートル)で、ギリシア神話の主神ゼウス以下一二の神々が山上に住むと考えられた。
古きをたずねて新しきを知る。先人の知恵に学ぶこと。
特に、キリスト教で神が人類に与える愛。神の恵み。
中国伝来の陰陽五行説に基づき、天文・暦数・卜筮などの知識を用いて吉凶・禍福を占う方術。朝廷は早くからこれを採用、陰陽寮を設け、平安時代には全盛を極めた。おんみょうどう。
インド社会で歴史的に形成された身分制度。インドに侵入したアーリア人が定住する過程で形成されたバルナ(四種姓)を起源とするが、社会の複雑化や階級の細分化につれて種々の副次的な階層が派生し、その数は2000種にも達するといわれる。各階層ごとに職業・交際・通婚・慣習などについて厳格な規制がある。1950年の憲法はカーストに基づく差別を否定したが、なお存続。インドではジャーティ(生まれの意)という。
漢民族が自国民を中華と称して尊び、異民族を夷狄(いてき)と称して卑しみしりぞけた思想。中華思想。
中国で古くから行われた官吏登用のための資格試験。隋・唐の時代に制定され、清末の1905年に廃止された。唐代には秀才・明経・進士など六科があり、経書や詩文について試験を行ったが、宋代からは進士の一科となり、試験も解試・省試・殿試の三段階となり、明清代でも郷試・会試・殿試が行われた。官吏としての栄達にかかわるため、きびしい競争があり、弊害も大きかった。
パレスチナ地方の古称。旧約聖書で、神がイスラエルに与えたという約束の地。「乳と蜜の流れる地」とよばれた。カナーン。
マルクス経済学において、社会のそれぞれの発展段階における法制的・政治的・社会的意識形態の土台となる経済的構造。⇔上部構造
[1697~1769]江戸中期の国学者・歌人。遠江の人。岡部氏。号、県居。荷田春満に学び、国学四大人の一人といわれる。田安宗武に仕え、広く古典を研究し、復古主義を唱えた。門人に本居宣長らがいる。著「万葉考」「祝詞考」「冠辞考」「歌意考」「国意考」「賀茂翁家集」など。
「漢意」の定義については、『宇比山踏』(寛政11年)や『玉勝間』(文化9年)に詳しく述べられているように、「理屈によって中華思想を正当化したり、物事を虚飾によって飾りたて、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度」を指す。宣長が定義した「漢意」は、単に漢学・儒学に基づく思考様式のみならず、無意識に使用している「善悪是非」や「当然之理」などの漢籍流の発想をも含むものであり、いわば宣長にとって「学問」や「道」という体系を支える主要概念であったと考えられ、この概念を使用することで宣長の論理は洗練された鋭い切れ味を見せることになったのである。
預言者ムハンマド(マホメット)の後継者の意で、イスラム国家最高権威者の称。スンニー派では、イスラム共同体(ウンマ)の合法的な政治的指導者をさしたが、13世紀半ばに廃絶。ハリファ。
宗教改革の偉大な指導者。フランスに生まれ,初めは人文主義の陣営に属したが,プロテスタントへの弾圧をみて『キリスト教綱要』でこれを弁護,一躍有名になり,スイスのジュネーヴに宗教改革者として迎えられた。一時は反対派に追放され,ストラスブールでプロテスタント教会の指導にあたったが,1541年秋ジュネーヴに復帰,敵対分子を排除しつつ55年までに同市の宗教改革を達成した。その信仰はルターの福音主義に立ちながらも,信徒の生活の聖化や規律をより重視し,礼拝形式や教会組織において一層反カトリック的,非妥協的である。盛んな宣教活動を通じてノックスをはじめ多くの有力な伝道者を育成,『キリスト教綱要』はいくどかの増補改訂をへて,プロテスタント神学の基本的な体系となった。
仏典などの日本語での解釈では「業」という意味合いで使われる。サンスクリット語では「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳される。カルマは「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。」という因果応報の法則のことであり、インド占星術の土台であるヴェーダ哲学の根底に流れる思想である。
律令制下、寺を維持していく費用をすべて官から支給され、かつ監督された寺。国分寺・勅願寺・定額寺など。
寛政の改革の一政策。寛政2年(1790)幕府の学問所である昌平黌で朱子学以外の学問を禁じ、官吏登用は朱子学を学んだ者のみとした。
?~前233ころ]中国、戦国時代末期の思想家。韓の公子。荀子に師事し、法家の思想を大成した。韓の使者として秦に赴くが、李斯の讒言により投獄され、獄中死する。韓非子。
ギリシャ神話で、最古の大地の女神。子の天空神ウラノスを夫として、ティタン神族その他を産んだ。
仏教用語。自身の存在のなかに実体的な我があると考え執着すること。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教における大天使。新約聖書では、聖母マリアにキリストの受胎を告知し、また、イスラム教の開祖ムハンマドにアッラーの啓示を伝えたという。
ローマの政治家、雄弁家、文人。雄弁術をもって政界に進出。執政官に選ばれ、カティリナの陰謀を暴露して「国父」の称号を得る。のち、アントニウスを攻撃し、暗殺された。哲学、倫理学、法律学等を研究し、「国家論」「法律論」「義務論」「友情論」など多方面に著作を残した。その文体はラテン散文の模範とされる。
喜んで寺社や貧しい人に寄付すること。浄施。施与。寄進。
ローマ‐カトリック教会の最高位の聖職。地上におけるキリストの代理、使徒ペテロの後継者であり、全教会に対する首位権をもつ。法王。ローマ教皇。きょうおう。
私有財産制を否定する主義、思想のこと。マルクス主義では人類史の最後の段階で、階級は消滅し、生産力は高度に発達して、各人が能力に応じて働き、必要に応じて消費できるような社会のこと。そこに至るまでの過渡的段階は社会主義社会と呼ばれる。二〇世紀以後の新しい用語法として、修正主義的マルクス主義やフェビアン主義的な社会主義に対して、革命的マルクス主義の立場や運動をいう。コミュニズム。
状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。特にマルクス主義において、歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう。ドグマチズム。
家族や村落など、血縁や地縁に基づいて自然的に発生した閉鎖的な社会関係、または社会集団。協同体。
西洋史では,一般に 15~16世紀以降を近代と呼び,ルネサンス,大航海時代,宗教改革などがその幕あけとされている。しかしこれはあくまで相対的な時代区分であり,たとえば中世の特徴としての封建制にせよ,政治的な意味のそれが力を失ってのちも,社会経済的な封建制は絶対主義のもとでなおさまざまな形で存続したため,市民革命による領主制,身分制の廃止で初めて真の意味の近代社会が成立したとみる立場もある。近代を特徴づける思想傾向としては,個人主義,合理主義,世俗化,自由主義などがあげられ,科学,技術の進歩と結びついた産業資本主義の発達を近代化の起動力とみなす考えが有力である。その意味では産業革命が,世界史的な規模における近代の画期とみなされ,ヨーロッパ先進諸国による非ヨーロッパ諸地域の支配,植民地化は,ヨーロッパの近代化の裏面であった。
ギリシア語の deon (義務) と logos (学問) を組合せた造語。道徳理論においては,ある行為が正しいということを正当化する根拠として,義務論と目的論の2つの立場に大別される。行為の価値は,その行為そのものの価値によって判断されるのであって,ほかに還元されるものではないとするのが義務論であり,行為の価値はその行為がもたらす結果ないしは目的によって判断されるとする立場を目的論という。前者の立場の代表がカントであり,後者の立場は快楽主義や功利主義に代表される。義務論の立場からすれば,たとえば「約束を守る」という行為が正しいのは,その行為そのものが義務だからであり,それが自分,あるいは社会にとってよい結果をもたらすからではない。そうでなければ,都合が悪くなれば約束を破ってもいいという帰結が生じてしまうからである。「正義はなされよ,よしや世界が滅ぶとも」というフェルディナンド1世の言葉はその意味で義務論の考え方を端的に表現している。近年では J.ロールズの正義論がこの立場からの社会的正義論を展開させている。
悟りに到達するための修行のこと。
奈良時代の僧。和泉国の人。百済系渡来人の末という。薬師寺で道昭,義淵らに学び,早くから諸国を遊歴し,民衆の教化,社会事業に専念。寺を建て,橋をかけ,堤を築いた。これらは717年僧尼令の禁に触れる行為とされたが,のち聖武天皇の尊崇を受け,743年東大寺大仏造営の勧進に起用され,745年大僧正の称号を授かった。仏教の民間布教に尽くしたことから多くの伝説が残されている。
[774~835]平安初期の僧。真言宗の開祖。讃岐の人。俗姓、佐伯氏。諡号、弘法大師。延暦23年(804)入唐、翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し、東寺(教王護国寺)を真言道場とした。また、京都に綜芸種智院を開いた。詩文にもすぐれ、書は三筆の一。著「三教指帰」「十住心論」「文鏡秘府論」「篆隷万象名義」「性霊集」など。遍照金剛。
[903~972]平安中期の僧。空也念仏の祖。生地・出自など未詳。諸国を巡歴して南無阿弥陀仏の名号を唱え、教化に努めながら道・橋・寺などを造り、市の聖・阿弥陀聖とよばれた。京都に西光寺(のちの六波羅蜜寺)を建立。光勝。こうや。
キリスト教プロテスタントの一派。正式にはフレンド派。17世紀半ばに、英国でジョージ=フォックスが創始、まもなく米国に広まった。キリストへの信仰により神の力が人のうちに働くとし、霊的体験を重んじ、教会の制度化・儀式化に反対。絶対的平和主義を主張し、両世界大戦時に多数の良心的戦争反対者を生んだ。基督友会。
激しく肉体を苦しめる行いによって精神を浄化し、悟りを得ようとする修行。
三種の神器の一つ。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲(いずも)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき尾の中から得た剣で、天照大神(あまてらすおおみかみ)に奉献された。のちに景行(けいこう)天皇皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの剣を伊勢(いせ)斎宮の倭姫(やまとひめ)から賜り、相模(さがみ)で国造(くにのみやつこ)にだまされて野火の難にあったとき、この剣で草を薙(な)ぎ、向かい火をつけて難を逃れたという。『日本書紀』では、このために剣名が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)から草薙剣に変わったという。
インドのカーストで、上から二番目の階級。王族および武士からなる。刹帝利。
アラビア語で書かれたイスラムの根本聖典。正しくはクルアーン。ムハンマドが最初に啓示を受けた610年から632年の死に至るまでの22年間,預言者として,また共同体の政治的指導者として活躍する折々に神から下されたとされる啓示を人々が記憶し,後に第3代カリフ,ウスマーンの時に集録されたものである。
クロード・レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss、1908年11月28日 - 2009年10月30日)は、フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギーのブリュッセルで生まれ、フランスのパリで育った。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。アカデミー・フランセーズ会員。
専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされ、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。
ギリシア神話で、ウラノスと地上女神ガイアとの子。ゼウス、ポセイドン、ハデス、ヘラ、デメテル、ヘスティアの父。ゼウスを除く自分の子どもたちを次々に呑み込んだが、結局ゼウスによってタルタロスに幽閉され、天空の支配権を奪われる。
古典の字句の注釈や解釈を主とする学問。
人間の力では知ることのできない宗教的真理を、神が神自身または天使など超自然的存在を介して人間へ伝達すること。天啓。「神の啓示」
恩寵や奇跡など、超自然的な啓示に基づく宗教。⇔自然宗教
伝統的な偏見や迷妄を打ち破って,近代的な合理主義・理性重視を主張し,またそれを一般に普及しようという考え
近代市民社会の発展に伴う科学的知識の向上・充実を背景に,人間の理性に対する絶対的信頼が生まれ,既存の非合理的な自然観・慣習・社会制度を合理的なものに置きかえてゆこうとする動きが,18世紀ヨーロッパ思想の一般的な風潮となった。これは当然,封建制度・専制主義・教会などに対する批判を生み,アメリカ独立革命やフランス革命などの近代ブルジョワ革命を思想的に準備した。ただし,民衆を無知蒙昧 (もうまい) から救うことにのみ社会の進歩を見ようとした点にその限界をもっている。ヴォルテール・モンテスキュー・ルソーや百科全書派のディドロらは代表的啓蒙思想家で,カントもこの影響を強く受けた。
日本の禁忌についての観念の一つ。不浄の忌(いみ)。出産・葬送に関するものが主で,失火,婦人の月事,家畜の死,病気などが含まれ,宮廷では朝参が禁じられ,狩猟者・炭焼などは山に入ることを忌む。祭事に携わることも禁じられ,払うには禊(みそぎ)が必要。
1 ある物事を自分の意志によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格・能力。「邪魔する権利は誰にもない」「当然の権利」「権利を主張する」⇔義務。
2 一定の利益を自分のために主張し、また、これを享受することができる法律上の能力。私権と公権とに分かれる。「店の権利を譲る」⇔義務。→ライツ(rights)
縛るものを離れて自由になる意》悩みや迷いなど煩悩の束縛から解き放たれて、自由の境地に到達すること。悟ること。涅槃。
真理にそむく説。また、その人。邪説。邪道。
原始ゲルマン人の間で行なわれた法。ローマ法と並んで、英・独・仏法の基礎となっている。慣習法主義、象徴主義、公法と私法の未分離、団体主義などを特色とする。
キリスト教で、アダムとイブが神にそむいて禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪。すべての人間は、アダムの子孫として、生まれながら罪を負っているとされる。宿罪。また、転じて、人間が根源的に負う罪。
通常イエスの死から紀元1世紀末ないし2世紀初頭までの約 100年間のキリスト教をさす。この期間にイエスの生涯と教説に基づいてキリスト教の基本形態が定まり,福音のヘレニズム世界への伝播,教会組織の整備などが漸次進んでいった。その歴史的経過の詳細については議論が分れているが,大筋はまずエルサレム,ユダヤ,そしておそらくガリラヤなどを中心にパレスチナ教団が生れ,次いで当時の世界に散在していたユダヤ人を足掛りにヘレニズム世界の各地に教会が成立した。このなかではいわゆる異邦人の使徒パウロの活躍が目立ち,教会はヘレニズム文化出身の異邦人信徒の増加によって異邦人教会が主流となり,1世紀後半にはユダヤ教の会堂礼拝と律法からの完全な離脱もなされたとみられる。この期間には純粋・熱心な信仰心,旺盛な宣教活動,信徒間の愛による一致が特徴であるとともに,律法をめぐる対立,信徒道徳の低下や教会内の不和などの事例もあったことが知られている。また1世紀後半にはグノーシス派をはじめとする異端の脅威があって教会指導者は信仰の防衛に苦慮した。しかし全体として信仰の水準は高く,ネロ帝やドミチアヌス帝による迫害も教会の伸長をとどめることはできなかった。新約聖書の各書も原始キリスト教の宣教のなかから生れたもので,その信仰のあかしとなっている。2世紀の初めには各地の教会も1人の司教の指導下に漸次おかれるようになり,異端思想との対立も激化,使徒承伝の信仰を強調する正統教会としての初期カトリシズム形成期に移行した。
平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された長編の虚構物語。正しい呼称は「源氏の物語」で、「光源氏(ひかるげんじ)の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」などの呼び方もある。後世は「源氏」「源語」「紫文」「紫史」などの略称も用いられた。主人公光源氏の一生とその一族たちのさまざまの人生を70年余にわたって構成し、王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶(ゆうえん)に、かつ克明に描き尽くしている。これ以前の物語作品とはまったく異質の卓越した文学的達成は、まさに文学史上の奇跡ともいうべき観がある。以後の物語文学史に限らず、日本文化史の展開に規範的意義をもち続けた古典として仰がれるが、日本人にとっての遺産であるのみならず、世界的にも最高の文学としての評価をかちえている。
中国,唐代の僧。三蔵法師として知られる。629年長安を出発,西域を経由してインド,マガダ国のナーランダー寺へ至りシーラバドラ(戒賢)に学ぶ。広くインド国内の学者を訪ね,多数の経典を得て,645年帰国。以後訳経に従い,20年間に訳出した経論は《大般若波羅密多経》など75部1235巻に達した。これを基礎として唯識宗(法相宗)を開いた。著書《大唐西域記》は小説《西遊記》の素材ともなった。
意見を言ったり物事を説明したりすること。また、そのことば。ごんせつ。
中国、春秋時代の学者・思想家。魯の陬邑(山東省曲阜)に生まれる。名は丘。字は仲尼。諡は文宣王。早くから才徳をもって知られ、壮年になって魯に仕えたが、のち官を辞して諸国を遍歴し、十数年間諸侯に仁の道を説いて回った。晩年再び魯に帰ってからは弟子の教育に専心。後世、儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた。弟子の編纂になる言行録「論語」がある。くじ。
人間の社会的、文化的諸事象を可能ならしめている基底的な構造を研究しようとする立場。ソシュール以降の言語学理論を背景に、レビ=ストロースの人類学でこの方法が用いられて以来、哲学や精神分析など、主として人文・社会科学の領域で展開されている。
父母に孝行で、兄によくしたがうこと。
公民としての権利。選挙権・被選挙権を通じて政治に参加する地位・資格など。参政権。
和歌山県北東部の山地。標高1000メートル内外の山に囲まれた準平原。真言宗の総本山金剛峰寺と門前町の高野町がある。平成16年(2004)「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産(文化遺産)に登録された。
経済学で、消費者が財やサービスを消費することによって得る主観的な満足の度合い。
哲学で、人間が幸福になることを、人生、または、社会の最大目的とする考え方。自分の幸福だけを考える立場、他人の幸福を主とする立場、世間一般のすべての人々が幸福になることを問題とする立場とがある。倫理学では、この最後のものをさしていい、「最大多数の最大幸福」を原理とするベンサムやミルの倫理・政治学説に代表される。功利説。
平安初期の最初の勅撰和歌集。二〇巻。延喜五年(九〇五)醍醐天皇の勅命により、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の撰。延喜一四年頃の成立とされる。読人知らずの歌と六歌仙、撰者らおよそ一二七人の歌一一一一首を、四季、恋以下一三部に分類して収めたもの。貫之執筆の仮名序と紀淑望執筆の真名序が前後に添えられている。短歌が多く、七五調、三句切れを主とし、縁語、掛詞など修辞的技巧が目だつ。優美繊細で理知的な歌風は、組織的な構成とともに後世へ大きな影響を与えた。古今集。古今。
江戸中期に興った、文献学的方法による古事記・日本書紀・万葉集などの古典研究の学問。儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたもの。漢学に対していう。契沖を先駆とし、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤らによって確立。古学。皇学。
「古事記」の注釈書。四八巻。本居宣長著。明和元年(一七六四)頃から執筆準備を始め、同四年起稿、寛政一〇年(一七九八)完成。寛政二~文政五年(一七九〇‐一八二二)刊。巻一に書名論、文体論、文字論、古道論などを含む総論、巻二に序文の注釈と系図、巻三~四四に本文の注釈、巻四五以下に索引(本居春庭作)を収める。実証的な学問的態度によって、文献学と国学の体系化を確立した。
民族や国家を超越して、世界を一つの共同体とし、すべての人間が平等な立場でこれに所属するものであるという思想。古くは古代ギリシャから今日までみられる。
《荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づく》自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえ。
明治新政府が、神社神道と皇室神道を結びつけてつくり出した神道。宗教としての神道を国家本位の立場に立って利用したもので、神道を国民精神のよりどころとし、行政的措置によって保護・監督を国家が行い、国民に天皇崇拝と神社信仰を義務づけた。第二次大戦後、占領軍の神道指令によって解体。
人間存在の基盤としての共同体の復権を唱える政治思想。共同体主義とも呼ばれる。ジョン・ロールズの『正義論』(1971)が政治哲学の復権に大きな影響を与え,当初その指導的立場にあったのが,ロールズに代表される福祉国家的な自由主義者と,ロバート・ノージックに代表される個人の自由に対する制約を最小化しようとするリバタリアン(→リバタリアニズム)であった。一見したところ対立するこの両陣営は,個人の多元的対立から社会構成の原理を導出しようとする基本的枠組みでは一致する。この個人主義的な人間像,社会像に対して根本的な次元から論争に参加したのがコミュニタリアンである。アラスデア・マッキンタイア,マイケル・サンデル,マイケル・ウォルツァーらを代表とし,その主張は必ずしも一様ではないが,人間的主体性を,共同体のもつ歴史的,社会的文脈に根づいた存在としてとらえようとする点では共通する。コミュニタリアニズムの登場の背景には,アメリカ社会が極端な個人主義に陥った結果,公共心が衰退し,そのことがさまざまな社会問題を引き起こしているという洞察があった。
ローマ皇帝(在位306~310副帝、310~337正帝)。初めてキリスト教を公認し、これに改宗した皇帝。
儒教において尊重される五つの経書。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。「ごけい」とも読む。前136年に前漢(→漢)の武帝が儒学を官学と定め,五つの経書の教授にあたる官職として五経博士を置き,前124年には五経を中心とした教育が太学で開始された。唐代には注釈書『五経正義』が編纂され,科挙の受験者などに五経の解釈の基準が示された。
中国古代の学説で、自然も人間・社会も、木・火・土・金・水の五つの元素の一定の循環法則に従って変化するという説。木・火・土・金・水の各元素が順々に次の元素を生み出してゆくとする五行相生説と、木・土・水・火・金の各元素がそれぞれ次の元素にうち克ってゆくとする五行相克説とがある。
仏法を守護する鬼神。梵天・帝釈天・四天王・十二神将・十六善神・二十八部衆など。護法神。
供物(くもつ)を火中に投じ、諸尊に供養する修法(しゅほう)。サンスクリット語のホーマhoma(焼く、焚(た)くの意)の音写。インドでバラモン教において古くから行われた祭祀(さいし)法であり、今日でも広く行われている。それは、供物を祭壇の炉中に投げると、火天アグニの手により火炎となって天に昇り、天の諸神の口に達し、諸神はそれにこたえて人間の願望をかなえてくれるとの信仰に基づく。
差異(さい)とは、ある物において、他の物と異なる(比べてみて同一ではないこと)点、すなわち、ある観点で同一の特徴を持つ事物の間にある自己を区別する別の特徴のことである。
呪術(じゅじゅつ)・宗教的職能者または指導者の一つで、世襲または任命や選出によってその地位を占め、一定の集団や信者を代表して霊的(超自然的)存在に祈願や感謝を行い、儀礼を執行する人物。仏教の僧侶(そうりょ)、キリスト教の牧師、神道(しんとう)の神主(かんぬし)などがこれにあたる。
富の再分配(とみのさいぶんぱい、英: redistribution of wealth)または所得再分配(しょとくさいぶんぱい、英: income redistribution)とは、租税や社会保障、公共事業などを通じて、総所得金額の多い世帯から別の総所得金額の低い世帯へと所得を移転させて、所得格差を抑えることをいう。
貧富の差を緩和させ、階層の固定化とそれに伴う社会の硬直化を阻止して、社会的な公平と活力をもたらすための経済政策の一つであるとされる。富の再分配・所得再分配が指し示す範囲はかなり広く、富裕層・貧困層間の所得移転から先進国・途上国間の所得移転までも議論の対象となる。
サドゥー(sadhu)とは、サンスクリット語、もしくはパーリ語で、ヒンドゥー教におけるヨーガの実践者や放浪する修行者の総称。日本語では「行者」「苦行僧」などの訳語があてられてきた。現在、インド全域とネパールに、400万人から500万人のサドゥーがいるという。
美的理念。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。単なる「さびしさ」や「古さ」ではなく、さびしく静かなものが、いっそう静まり、古くなったものが、さらに枯れ、そのなかに、かすかで奥深いもの、豊かで広がりのあるもの、あるいはまた華麗なものが現れてくる、そうした深い情趣を含んだ閑寂枯淡の美が「さび」である。老いて枯れたものと、豊かで華麗なものは、相反する要素であるが、それらが一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。「さび」はそのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とも把握しうる。
パレスチナのサマリア地方の民,またはその民によって構成された宗教的共同体で,「良きサマリア人」 (ルカ福音書 10・25~37) の比喩で知られ,現在はヨルダンのナブルス (昔のシケム) ,テルアビブに住む少数の家族に代表される。サマリア人は,サルゴン2世のサマリア占領によってイスラエル民族がすべてアッシリアへ放逐されたという『列王紀下』の記事 (17・23) を否定し,みずからイスラエル人の子孫であることを主張,また彼らだけが聖書としてトーラー (モーセ五書 ) の完全な校合を有するとし,その宗教はモーセの真の教えを代表していることを強く主張,みずからを Shomeronim (サマリアの民) といわず Shamerim (「真の律法」を守る者) と称する。サマリア人とユダヤ人は相似た歴史的運命をもちながら,サマリア陥落 (前 721) 以前からお互いに常に敵対関係にあり,ヨハンネス・ヒルカノスによるゲリジム山のサマリア人の神殿破壊 (前 129) で,その極に達した。サマリア人の信仰は,(1) 神が唯一の神であること,(2) モーセが唯一の預言者であること,(3) モーセ五書だけが唯一不変の啓示であること,(4) ゲリジム山が唯一の聖所であること,(5) 天地創造から 6000年後,ゲリジム山の神殿とサマリア人の繁栄を回復するタヘブ (回復者) が現れて新しい統治を始めること,の5つに要約される。
現在のベルギーに建国したサリ系フランク族の慣習法を成文化したもの。ゲルマン諸部族法典中,最古の代表的法典で,かつゲルマン固有法の要素を最も強く保有している。その基本テキストはクロービス王の末年,508~511年に成立した。新テキストはカルル大帝時代に改修されたものである。この法典には各種の贖罪金規定や手続規定のほかに,有名な「サリカ法典の王位継承法」の典拠とされた相続に関する規定などが含まれている。
[1905~1980]フランスの哲学者・小説家・劇作家。無神論的実存主義を主唱。第二次大戦後、雑誌「現代」を主宰。文学者の政治・社会参加(アンガージュマン)を主張し、共産主義に接近、反戦・平和運動に積極的に参加した。1964年、ノーベル文学賞の受賞を拒否。哲学論文「存在と無」「弁証法的理性批判」、小説「嘔吐」「自由への道」、戯曲「蠅」「悪魔と神」、評論「文学とは何か」など。
懺悔をして犯した罪業を消滅させること。
財産権には、所有権をはじめとする物権のほか、債権、社員権、さらに著作権や特許権などの無体財産権(知的財産権)、鉱業権や漁業権などの特別法上の権利を含む。財産法は、現行民法典でも一大分野を形成している。
イスラムの一分派。分離派とも呼ばれ、スンニー派と対立。信徒は主にイラン、インド、イラク、イエメンの一部に散在するが、その数は全イスラム教徒の一割以下。カリフ選挙制を否認し、正統カリフを承認しない。
古代ローマ軍にパレスチナを追われて以来、世界各地に離散していたユダヤ民族が、母国への帰還をめざして起こした民族国家建設のための運動。一九世紀末から盛んとなり、一九四八年、パレスチナにおけるユダヤ人国家イスラエル共和国を建設、目的をいちおう達成した。シオン運動。シオン主義。
[前259~前210]中国、秦の初代皇帝。名は政。前221年、中国を統一して絶対王制を敷いた。郡県制の実施、度量衡・貨幣の統一、焚書坑儒による思想統一、万里の長城の修築、阿房宮・陵墓の造営など事績が多い。しかし、急激な拡大と強圧政治に対する反動のため、死後数年で帝国は崩壊。始皇。
中国の《論語》《孟子》《大学》《中庸》の総称。〈学庸論孟〉ともいい,儒教思想の真髄を得たものとして宋の朱子学以来尊重されてきた。《大学》《中庸》はもと《礼記(らいき)》中の2編であったが特に重視されるようになり,朱熹に至って論孟に合わせて《四書章句集注》が作られた。孔子と孟子の言葉の間に曾子の言葉《大学》と子思の言葉《中庸》をはさんで,聖人の教えの伝統(道統)を明らかにしようというのが,朱熹の意図であった。煩雑で難解な五経よりも,簡潔でかつ要点を得た思索的な内容が当時の好みに合致し,さらに朱子学が科挙の試験科目になると,四書の勉学は必須のものとなった。
人が生まれながらにして持っているとされる権利。自己保存の権利、自由の権利、平等の権利など、国家権力をもってしても奪うことのできないもの。ロックを中心とする近世の自然法思想の所産で、フランスの人権宣言、日本の明治期の天賦人権思想などに表れている。天賦人権。
神の恩寵や奇跡などの超越的なことがらに基づく宗教に対して、人間本来の理性に基づく宗教をいう語。⇔啓示宗教。
人間の自然の本性あるいは理性に基づいて、あらゆる時代を通じて普遍的に守られるべき不変の法として、実定法を超越しているものと考えられる法。⇔実定法/人定法。
迷いと悟りの両方にわたって因と果とを明らかにした四つの真理。苦諦・集諦・滅諦・道諦。この世はすべて苦であること、その苦の因は煩悩であること、その煩悩を滅すること、八正道の実践・修行が煩悩を滅した理想の涅槃に至る手段であるということ。苦集滅道。四聖諦。してい。
福徳の神として信仰される七人の神。大黒天・恵比須・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七神。
私的所有権は、経済的自由権の1つである財産権の1つである。私的所有権を持つ個人や法人は原則として、対象の財産を自由に取得・保持・売買・廃棄できる。
欧語はギリシア語シュナゴーゲーに由来し,〈会堂〉と訳す。ユダヤ教の集会や礼拝の場所。起源は明らかでないが,前6世紀のバビロン捕囚の時代に神殿で礼拝ができなくなったため発達したとする説が有力である。神殿と違い,シナゴーグでの礼拝は犠牲を伴わない。〈モーセ五書〉の講読・解説の場所から教育・研究機関に発展するとともに,民族統合の象徴として各地に建設された。現在,世界のシナゴーグ総数は1万3000余,日本には4ヵ所にある。
インドの神。『リグ・ヴェーダ』などヴェーダ文献ではルドラの名で知られる。ルドラは暴風神の一面のほか,理由なく家畜などに害をなす恐ろしい神であった。それゆえ,「パシュパティ(家畜の主)」「シヴァ(優和なもの)」「マハーデーヴァ(偉大な神)」などの名でなだめられた。ブラフマー,ヴィシュヌと並びヒンドゥー教の三大神の一人。
漢代の歴史家。茂陵(もりょう)(陝西(せんせい)省西安)の人。史官の家に生まれ,10歳で古文に親しみ,長じて各地を旅行し見聞を広めた。父司馬談の死後,太史公の職を継ぎ,父の遺業である修史の完成に努めた。前99年匈奴(きょうど)に投降した李陵(りりょう)を弁護して宮刑(宦官(かんがん)にされる刑)に処せられ,出獄後執筆に専心し『史記』を著した。その客観的整理,総合的史観,情熱的名文は中国の歴史の父の名に値する。
封建制度に次いで現れ、産業革命によって確立された経済体制。生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。生産活動は利潤追求を原動力とする市場メカニズムによって運営される。キャピタリズム。
経済学書。三巻。カール=マルクスの主著。一八六七~九四年刊。唯物史観の立場から、資本主義社会の経済的運動法則を労働力の商品化を基軸として構造的に解明した書。生産過程における剰余価値の法則、資本の再生産と流通、資本主義的生産の問題を分析。資本主義から社会主義への生産様式の推移の必然性を明らかにし史的唯物論の立場を立証している。第二・三巻はマルクス死後、彼の構想に従ってフリードリヒ=エンゲルスが遺稿を整理して刊行した。
古代ローマの市民に適用された法。ローマ古来の慣習や法学者の解釈などから成る。
社会主義(しゃかいしゅぎ、英語: Socialism〈ソーシャリズム〉)は、資本主義・市場経済の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想・運動・体制を指す用語で、社会主義は、生産手段の社会的所有を特徴とし、さまざまな経済および社会システムを包含する政治哲学および運動である。広義には、社会を組織化することにより人々を支える制度であり、歴史的には空想的社会主義・社会改良主義・社会民主主義・無政府主義・サンディカリズム・共産主義などが含まれる。狭義には資本主義・個人主義・自由主義・私有制などの対語として冷戦時代から使用されている。社会主義と共産主義はほぼ同義の意味として扱われることもある。
1762年,オランダで出版されたJ.J.ルソーの著作。ルソーは社会契約によって正当な政治体(国家)が成立すると考えたが,この契約は18世紀において国家成立の基本原理と一般に考えられていた人民と首長とのあいだの統治契約(首長が人民を保護する代りに人民は首長に服従するという契約)ではなかった。ルソーは,各個人が自分のもつすべて,すなわち財産や,必要とあれば生命をさえ全体に譲渡し,そのことによって強い力を蓄えた全体が各構成員を保護するという契約を構想した。ところで,全体は各個人の譲渡によって初めて成立するのであるから,ルソーの言う社会契約は,市民相互の平等の契約によって全体を設立する行為を意味する。このような契約によって成立した国家の主権は,当然人民に属するということになる。したがって,君主といえども一種の行政官であるにすぎない。《社会契約論》は18世紀において広く精読されていたとはいえないが,フランス革命の指導者たちの一部(たとえばロベスピエールなど)に強い影響を与えた。
国民の最低生活を社会保険・公的扶助その他の諸制度の統一的運用で保障する制度
この制度の原則は日本国憲法第25条の精神に基づくもので,戦後,失業保険・労働者災害補償保険・生活保護法が制定され,形態的には整備されたが,給付水準,運営方法などに問題もある。
イスラム法のこと。「人間として踏み行なうべき道」を意味する。スンニー派では、コルアーン(コーラン)、スンナ(預言者の範例)、イジュマー(共同体の合意)、キヤース(類推)の四つを法源(ウスール)として体系化したもの。国際法から日常生活までのすべてを規制する。聖法。
インドのヴァルナで最下位の奉仕者階級。後期ヴェーダ時代にアーリヤ人の支配下に置かれた先住民ダーサ(ダスユ)が,隷属民として位置づけられたことが起源とされる。古典では,上位3ヴァルナに奉仕することが義務づけられている。ヴェーダの学習や祭祀を行うことができない一生族とされ,上位の再生族から差別を受けた。4~7世紀になって,農業や牧畜に従事するものがシュードラとみなされるようになり,商人層を除く一般庶民がすべてシュードラに属するという考えに変わった。現在ではみずからをシュードラと自称するカーストは少なく,農耕民,牧畜民,手工業者は多くの場合,クシャトリヤやヴァイシャに属すると称する。ただし被差別層の自称としてシュードラが用いられることがある。
人間と世界の終末についての宗教思想。現世の悪に対して、世界の窮極的破滅、最後の審判、人類の復活、理想世界の実現などを説く。ユダヤ教・キリスト教に顕著。終末観。
日本古来の山岳信仰と、仏教の密教、道教などが結びついて平安末期に成立した宗教。役の行者を初祖とする。霊験を得るための山中の修行と加持・祈祷・呪術儀礼を主とする。
中国で宋の時代に周敦頤(しゅうとんい)、程明道、程伊川などに始まり、朱子に至って大成した儒教の学説。宇宙を原理としての「理」と、存在としての「気」とからとらえる理気説と、人間の性のうち、理から生じた「本然の性」に絶対善を認める性理説をその理念とし、格物致知をもととして治国平天下を目的とする実践道徳を唱えたもの。日本には、明(みん)に渡った南禅寺の僧桂庵により伝えられ、江戸時代、幕府から官学として保護をうけた。程朱学。宋学。道学。朱学。
自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの。「動作の主体」⇔客体。
感情や意志よりも知性・理性の働きに優位を認める立場。主知説。⇔主意主義/主情主義。
旧約聖書の第二書。五書の一つ。創世記につづき、エジプトに移住したイスラエルの民の苦難とその救済者モーゼの生い立ち、エジプト脱出、シナイ山到達まで(前一三世紀)を記し、シナイ山でモーゼに与えられた十誡が後半に述べられている。
紀元前8世紀から前3世紀にかけての古代中国の変動期。春秋時代とは、『春秋』と名づけられる魯(ろ)国の史官の編年体の記録が扱っている前722年から前481年までをいう。そのあと戦国時代になるわけだが、普通には、晋(しん)国の有力貴族だった韓(かん)、魏(ぎ)、趙(ちょう)3氏が実権を握った前453年、あるいはこの3氏が正式に諸侯として承認された前403年をもって画期としている。その戦国時代は前221年の秦(しん)の始皇帝による天下統一とともに終わる。春秋戦国時代は、周の王室によって封建された諸侯の都市国家体制が、しだいに動揺、解体して、秦・漢の皇帝のもとでの中央集権体制へと移行してゆく時期にあたる。
小さな国、少(寡)ない民。政事は大国多民に向かうのでなく、小国寡民に向かう方が善いとする。
仏教の根本主張である三法印の一。世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。
中国,春秋末期から戦国期にかけての,ほぼ300年間に活躍した思想家群をさす。《史記》賈誼(かぎ)伝にみえる語。〈諸子〉とは,この期に独自の思想をかまえ,専門の学説を樹立した術芸の学士たちの意。〈百家〉は,その専門の流派の多さを象徴的に表現した量詞。またのちに,この専門家の著述を,儒教の〈経〉典や〈史〉書から区別して一括し,〈子〉部の書とよぶ。
三法印の一つ。この世に存在するあらゆる事物は、因縁によって生じるものであって、不変の実体である我は存在しないという考え方。諸法皆空。
経の題目を唱えること。特に日蓮宗で、「南無妙法蓮華経」と唱えること。
自ら修行して現世において悟りに到達しようとする自力の宗門。また、その教え。特に、真言・天台の二宗。自力門。
大日如来の秘密真実の教法。空海の開いた真言宗をさす。金剛乗。金剛乗教。
真理を悟った人。神妙の域に達した人。また、世俗を超越した人。中国の老荘思想で道を体得した人。道教で仙人のこと、また道士の尊称。
中国の周(しゅう)の末ごろ(前3世紀前後)に、燕(えん)(河北省)や斉(せい)(山東省)の方(術)士たちが説いたもので、僊人(せんにん)(仙人)にあこがれて現世を超越し、不老不死の薬を得て天地とともに終始し、空を飛ぶなど自己の思うがままの行動や生活の実現を願う思想をいう
中国哲学で、心そのものを道徳的行為の原則(理)とみる学説。陽明学の主要な命題。朱熹が心を性と情の2要素に分け、性を理としたのに対し、心と性とを峻別せず、心そのものが理に合致すると考えた陸九淵にはじまる考え方。
日本民族古来の神観念に基づく宗教的態度。自然崇拝・アニミズムなどを特徴とする。後世、仏教・儒教・道教などの影響を受けた。神社を中心とする神社神道をはじめ、教派神道・民俗神道・学派神道などに分類される。
日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説。奈良時代、神社に付属して神宮寺が建てられ、平安時代以降、本地垂迹説やその逆の反本地垂迹説などが起こり、明治政府の神仏分離政策まで人々の間に広く浸透した。神仏混淆。
[1173~1263]鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖。日野有範の子。比叡山で天台宗などを学び、29歳のとき法然に師事し、他力教に帰した。師の法難に連座して越後に流され、ここで恵信尼と結婚し、善鸞と覚信尼をもうけた。のち、許されて常陸・信濃・下野などを教化し、浄土真宗を開き、阿弥陀による万人救済を説いた。著「教行信証」「愚禿鈔」など。諡号は見真大師。
浄土教系の一宗で、平生を臨終の時と心得て称名念仏する宗派。鎌倉時代、一遍智真によって開かれ、地方を遊行し、賦算を行い、民衆を教化した。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺。遊行宗。臨命終時宗
イスラム教徒が征服民族(ジンミー)に課した人頭税。この税を納めることによって異教徒は従来の生命・財産・信仰保持を許可された。
第二次世界大戦直後、フランスのサルトルによって造語された思想運動。人間の実存、つまり理性や科学によって明らかにされるような事物存在とは違って、理性ではとらえられない人間の独自のあり方を認め、人間を事物存在と同視してしまうような自己疎外を自覚し、自己疎外から解放する自由の道を発見していこうとする立場をいう。ドイツのハイデッガー、ヤスパース、フランスのマルセルは、哲学によってこの企てを試み、フランスのサルトル、カミュは、文学作品をとおし、また、後期のサルトルは、政治への参加によって、この企てを試みている。
イスラムで、神の道のために努力すること。具体的にはイスラム世界の拡大または防衛のための戦いを指すことが多い。「聖戦」と訳される。
インドのカースト集団。内婚と共食の単位を形成し,特定の職業および身分と結びつけられる。ジャーティは「生まれ」を意味する。古典では,ジャーティの語はヴァルナと同様の身分の意味で用いられた。実体的な集団としてのジャーティが形成され,ヴァルナ概念と結びついてカースト制度が成立したのは,10世紀頃からのことであった。イギリス植民地支配下では従来のジャーティの範囲を越えたカースト的結合が形成され,現在でも行政単位や婚姻上の集団として重要性を持つ。
インドの宗教の一。開祖は、前6世紀ごろ、ほぼ釈迦と同時代のマハービーラ。ベーダ聖典の権威を否定し、無神論で、アヒンサー(不殺生)をはじめとする禁戒・苦行の実践を説く。3世紀ごろ、白衣派と裸行派に分裂。商業者に信者が多い。耆那教。
11世紀末から13世紀にかけて、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回するため、前後8回にわたり行われた西欧キリスト教徒による遠征。信仰上の動機や教皇権拡大の意図などのほか、やがて東方貿易の利益など種々の動機が絡むようになった。結局、目的は達成されなかったが、イスラム文化との接触は西欧人の視野を拡大したほか、都市の成長や貨幣経済の発展などは、中世封建社会崩壊のきっかけとなった。
中国で紀元前500年ごろ孔子(こうし)(孔丘)によって始められた学派の名。墨家(ぼくか)、道家(どうか)などと並んで九流(諸子百家(ひゃっか)を類別して九家とする)の一つ。孔子以後の儒家はこれらの諸学派と対立しつつ、同時にその長を取り入れて教学を整え、またその間に孟子(もうし)(孟軻(もうか))、荀子(じゅんし)のごとき傑出した人材を出してしだいに発展を遂げ、前漢(ぜんかん)武帝の前136年(建元5)には他学派を抑えて国教化に成功した。
中国古代の儒家思想を基本にした学問。孔子の唱えた倫理政治規範を体系化し、四書五経の経典を備え、長く中国の学問の中心となった。自己の倫理的修養による人格育成から最高道徳「仁」への到達を目ざし、また、礼楽刑政を講じて経国済民の道を説く。のち、朱子学・陽明学として展開。日本には4、5世紀ごろに「論語」が伝来したと伝えられ、日本文化に多大の影響を与えた。儒教。
中国、戦国末の思想家。名は況。趙の人。はじめ斉の祭酒となり、のち、楚の春申君に仕えた。荘周や五行説を否定し、孟子の性善説に対して性悪説を唱えた。著「荀子」。荀卿(じゅんけい)。孫卿。(前二九八頃‐前二三八頃)
上下定分の理(じょうげていぶんのり、じょうげていぶんのことわり)は、江戸時代初期に朱子学の権威確立に尽力した林羅山が打ち出した一学説。幕藩体制の根幹をなす身分制度を正当化するための理論であり、宇宙の原理すなわち「理」は、人間関係では上下の身分関係として現れるという考え。
上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)は、仏教の分類のひとつで「長老派」を意味しており、現存する最古の仏教の宗派である。上座仏教、テーラワーダ仏教(テーラヴァーダ仏教)。上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることからパーリ仏教ともいう。
一切の煩悩やけがれを離れた、清浄な国土。仏の住む世界。特に、阿弥陀仏の住む極楽浄土。西方浄土。「欣求浄土」⇔穢土。
平安末期、法然上人源空を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、特に観無量寿経を重視して、専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。
浄土宗の分派で、親鸞(しんらん)の創始。阿彌陀仏の本願他力の回向(えこう)によって往生すると説くもので、法然(ほうねん)が念仏を根本とするのに対して信心のみで往生できるとする。親鸞の没後、本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・興正派・木辺派・三門徒派・山元派・誠照寺派・出雲路派の一〇派に分かれた。また、僧は妻帯を許された。真宗。一向宗。門徒宗。
ジョン・ロック(英語: John Locke FRS、1632年8月29日 - 1704年10月28日)は、イギリスの哲学者。哲学者としては、イギリス経験論の父と呼ばれ、主著『人間悟性論』(『人間知性論』)において経験論的認識論を体系化した。また、「自由主義の父」とも呼ばれ、政治哲学者としての側面も非常に有名である。『統治二論(統治論二篇)』などにおける彼の政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、その中で示された社会契約や抵抗権についての考えはアメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。
人間が人間として当然に持っている権利。基本的人権。
人の定めた法。人為的に制定した法。人為法。⇔自然法。
シャリーア(イスラム法)に従ってジンマ(安全保障)を与えられた人々のこと。イスラム国家内の非イスラムのことで、主としてユダヤ教徒やキリスト教徒をさす。
記紀に第1代と伝える天皇。神武という名は8世紀後半に贈られた中国風の諡号(しごう)である。『日本書紀』によれば、国風諡号は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)。高天原(たかまがはら)から南九州の日向(ひゅうが)に降(くだ)った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫(そうそん)で、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の第4子、母は海神の女(むすめ)玉依姫(たまよりひめ)。45歳のとき、船軍を率いて日向を出発し、瀬戸内海を東へ進み、難波(なにわ)に上陸して大和(やまと)に向かおうとしたが、土地の豪族長髄彦(ながすねひこ)の軍に妨げられ(東征)、方向を変え、紀伊半島を迂回(うかい)して熊野から大和に入り、土豪たちを征服し、ついに長髄彦を倒して、日向出発以来、6年目(『古事記』では16年以上かかる)で大和平定に成功し、辛酉(かのととり)の年元旦(がんたん)、畝火(うねび)(橿原(かしはら)市の地)の橿原宮で初代の天皇の位につき、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と讃(たた)えられた(大和平定)。そして媛蹈?五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)(『記』では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ))を皇后とし、在位76年、127歳(『記』では137歳)で没して畝傍(うねび)山東北陵に葬られたという。
江戸初期に、山崎闇斎が提唱した神道説。儒教、特に朱子学や吉田神道・伊勢神道などを集大成した独自の思想。天照大神と猿田彦神を最も崇拝し、「日本書紀」を重視するとともに、儒教的な敬みの徳や天と人との融合を説く。また、神道の核心は皇統の護持にあるとする。山崎神道。しでます神道。垂加流。
第三三代と伝えられる天皇(在位五九二‐六二八)。女帝。欽明天皇の第三皇女。母は蘇我稲目の娘堅塩媛(きたしひめ)。名は額田部、豊御食炊屋姫命(とよみけかしきやひめのみこと)。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇が蘇我馬子に殺されてから即位。聖徳太子を皇太子・摂政として政治を行なった。冠位十二階、十七条憲法、国史の編纂、法隆寺の建立などを行ない、百済僧・高句麗僧や遣隋使によって、制度文物を積極的に摂取した。推古三六年(六二八)没。
仏教と神道とが結びついて生れた思想で,仏や菩薩が衆生を仏道に引入れるために,かりに神々の姿となって示現すること。
西洋中世の大聖堂や修道院の付属学校(スコラ)で研究教授された哲学。教会の権威を認め、伝統的哲学(特にアリストテレス)を援用して、理性的な教義学の体系をつくった。トマス=アクィナスを頂点とする。スコラ学。
日本神話の神。伊奘諾尊・伊奘冉尊の子。天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献じた。
キプロスのゼノンが前3世紀初頭に創始したギリシャ哲学の一派。哲学は論理学・自然学・倫理学の3部門からなるが、これらは相互に分かちがたく結びついて愛知を構成する3要素となり、人間生活における一切のことに正しく対処するための実践的知識を求めることであった。ストイックといわれる禁欲主義的心情をもち、世界市民主義を唱えた。
イスラム教の最大宗派で、ムスリムの約85%を占める。スンニ(スンナ)とは「慣行・規範・先例」という意味。スンニ派は正式には「スンナと共同体の民」と呼ばれ、西アジアだけでなく、北アフリカ、中央アジア、東南アジアのイスラム国のほとんどで多数派を占め、事実上イスラムの正統派になっている。
スンニ派は聖典コーラン(クルアーン)の教えに加え、預言者ムハンマドの言行録(ハディース)に基づく行動規範(スンニ)や、イスラム共同体(ウンマ)で形成された合意(イジュマー)を信仰のよりどころとする。イスラム創始期の伝統を守り、日常生活におけるイスラム法(シャリーア)の実践を重視するが、そこにはイスラム法学者のキヤース(類推)も加わっている。こうして体系化された法的解釈は、ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイー派、ハンバリー派の4学派に分かれ、各地に伝わっていった。ただし、現在のイスラム国の大半は、西欧の近代法も採用しており、厳格なイスラム法による統治国はサウジアラビアなどわずかに過ぎない。
ある社会あるいは集団の成員が共有している生活の営み方,とくに人間の基本的活動である生産(仕事),消費(余暇),再生産(家族生活)の本質と関係について共有している認識と行動の枠組みのこと。
フロイトによって始められた神経症診断の方法。また、さらに広く精神の無意識の深層を分析する方法をさす。フロイトによれば、精神過程は意識、前意識、深層である無意識の3層に分けられる。抑圧された願望はこの無意識層に押し込められると考え、それを対話・夢・連想などから発見、意識化することで治療しようとする。この方法は、宗教・芸術などの解釈にも広く応用される。
古代中国人が西方の異民族をいやしんで呼んだ語。青海・甘粛地域に住んだトルコ族・チベット族、または広く西域の住民をも含めた。転じて、西方の異民族の称。西方のえびす。
宋(そう)の程頤(ていい)が唱え、朱熹(しゅき)(朱子)が継承してその倫理説の根幹となった人間の本性に関する学説。人性に関する議論は孟子(もうし)の性善説、荀子(じゅんし)の性悪説をはじめ古くから持続的に行われてきたが、仏教・道教との交渉をもちながら、宋代に至って改めて儒教倫理の確立を企図し、体用の論理や理気説によって性の分析と定義づけが行われた。
モーセが神から授かったという十戒を刻んだ石板を納めた箱。契約の箱。アーク。
ローマ‐カトリック教会のこと。また、西欧に発展した諸教会の総称。東方教会(東方正教会)に対していう語。
キリスト教で、父なる神、子なるキリストとともに三位(さんみ)一体をなし、その第三位を占めるもの。人間に宿り、神意の啓示を感じ、精神活動を起こさせるもの。
民族・国籍・階級などにかかわりなく世界に広く伝播している宗教。仏教・キリスト教・イスラム教がその代表的な例で、開祖があり、人間性の深い理解に基づく個人の救済を教説の中心としているのが共通点。→民族宗教
江戸時代に石田梅岩により始められた庶民教学。石門とは石田梅岩の門流という意味である。心学という言葉は中国で使われ,日本でも近世初期から《心学五倫書》などの書物に使われているので,石門という文字をつけて区別した。商家に奉公しながら儒教を学んだ梅岩は,1729年(享保14)京都で町人を集めて聴講無料の講釈を始め,広く庶民に道義を訴えて,日本における社会教育の始祖となった。また月に3回の研究会を開いて,門弟の養成に努めた。梅岩は商人を市井の臣としてその社会的職分を強調し,商業道徳の確立を説いた。
他の行をしないでひたすら念仏だけを唱えること。主として法然流の念仏をさすことが多い。専念。
ギリシア神話の最高神。クロノスとレアの子。海のポセイドン、冥界のハデスと世界を三分し、天界の主神となった。手に王笏(おうじゃく)・雷霆(らいてい)を持ち、鷲を聖鳥とし、それを従えた像として描き出される。ローマ神話のユピテル(ジュピター)にあたる。
古代ギリシアの哲学者。キュプロスのゼノンともいわれる。ストア派哲学の祖。徳こそ唯一の真の善、自然に従って生きるところに幸福がある、と説いた。
サンスクリットのディヤーナ。音写は禅那。定(じょう)・静慮(じょうりょ)・思惟修(しゆいじゅ)と訳す。迷いを断ち,感情をしずめ,心を明らかにして真理を思惟し,体得すること。大乗仏教では六波羅蜜の第五。古くからインドにあった修行法の一つで,仏教で重んじられ,中国で飛躍的に発展し,日本にも伝わった。
仏教の僧尼を統轄し,大寺院などを管理する役職。中国の僧官にならって,推古 32 (624) 年に僧正,僧都,法頭が設けられたが,さらに弘仁 10 (819) 年に僧正,僧都,律師の3綱がおかれ,各階級が定められ,のちにはただの称号と化した。
中国、戦国時代の思想家。道家思想の中心人物。名は周。字(あざな)は子休。南華真人と称される。宋の蒙(河南省商邱)の人。孟子と同じ紀元前四世紀後半の人で、儒教の人為的礼教を否定し、自然に帰ることを主張した。世に老子と合わせて老荘という。著に「荘子」がある。生没年未詳。
旧約聖書の第1書。モーセ五書の一。世界と人類の創造、罪の起源と楽園追放、ノアの洪水、アブラハム・イサク・ヤコブそしてヨセフの生涯など、イスラエル民族の古い歴史を述べたもの。
一般的な意味では,唯一絶対の視点や価値観から何ごとかを主張するのではなく,もろもろの視点や価値観の併立・共存を認め,それぞれの視点,価値観に立って複数の主張ができることを容認する立場をいう。複数主義,多元主義pluralismに近く,絶対主義absolutismや普遍主義universalismに対立する。
禅宗の一派。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。名は、中国で大成した洞山良价と弟子の曹山本寂によるといい、また禅宗六祖慧能が説法した曹渓と洞山良价の活躍した洞山によるともいう。
僧侶でありながら武芸を修練し、戦闘に従事した寺院の私兵。平安中期から戦国時代にかけて見られるが平安中期がその活動の最盛期で、興福寺・東大寺・延暦寺・園城寺などがその兵力の強大さで知られていた。中世に入っては高野山・根来寺・石山寺などの僧兵が著名。法師武者。
宋明理学(そうみんりがく)は、中国の宋代から明代にかけて流行した思想を指す言葉で、朱子学と陽明学のこと。宋以後の思想史の中で最も重要な位置を占める。宋代・明代の儒学を代表するテーマが「理」であることからその名がつき、単に「理学」とも呼ばれる。
その新しい思想傾向を強調して「新儒教」とも称され、英語では Neo-Confucianism と訳される(現代の新儒家(現代新儒学)とは別物である)。また、宋明理学のうち、北宋・南宋の学術は特に宋学と呼ばれる。
真言密教の教義で、人間が現世の肉体のままで仏になること。生きたままで仏になること。
心の本体は仏と異なるものではなく、この心がそのまま仏であるということ。即心即仏。
哲学で、他のものと関係なしにそのもの自身で存在する状態。ヘーゲル弁証法では、概念が自己の発展能力を秘めた無意識的な第一段階。アンジッヒ。
[前470または469~前399]古代ギリシャの哲学者。アテネに生まれる。よく生きることを求め、問答法によって相手に自らの無知を自覚させ、真の認識に到達させようとした。しかしこの努力は理解を得られず、国家の信奉する神々を否定して青年たちに悪い影響を及ぼすという罪名で告発され、裁判で死刑を宣告され、毒杯を仰いで死んだ。著作はなく、その業績はプラトン・クセノフォンなどの資料から推定される。
《知者の意》前5世紀ごろの古代ギリシャで、アテネを中心として弁論術や政治・法律などを授けた職業的教育家たち。プロタゴラス・ゴルギアスらが代表者。後世では転じて詭弁家を意味するようになった。
(Sophokl〓s) 古代ギリシアの詩人。最盛期アテナイの人。アイスキュロス、エウリピデスとならぶ三大悲劇詩人の一人。ギリシア悲劇を技巧的、形式的に完成させた。現存する作品は「アンティゴネ」「エレクトラ」「オイディプス王」など七編。(前四九六頃‐前四〇六)
イスラエル王国第3代の王。在位、前961ころ~前922ころ。ダビデ王の子。通商を振興して経済を発展させ、エルサレムに神殿や宮殿を建設、いわゆる「ソロモンの栄華」を現出したが、国民は重税に苦しみ、死後、国土は分裂した。知者・詩人として知られ、しばしば「ソロモンの知恵」「ソロモンの箴言」として言及される。生没年未詳。
ポエニ戦争以来,ローマがイタリア半島以外に得た海外植民地。「プロヴィンキア」
第1回ポエニ戦争の結果,前241年にシチリア島が最初の属州となった。属州では総督が統治にあたり,租税を徴収したが,共和政の末期には,ローマの徴税請負人や大地主により搾取 (さくしゆ) の対象として利用された。帝政時代には,ローマ軍が駐屯 (ちゆうとん) し,ローマ化が促進された。
哲学で、ヘーゲルの弁証法の中の、即自(an sich)の直接状態から発展した第二の段階をいう。自己自身に関係し、自己を対象化するあり方。向自。
日本神話で、天照大神をはじめ多くの神々が住んでいたとされる天上の世界。「根の国」「底つ国」に対する世界で、それらの中間に「葦原の中つ国」「顕国」があるとされた。たかまのはら。
滝行(たきぎょう)とは滝に入って行う修行のこと。
平安初期の物語。1巻。作者・成立年未詳。竹取翁によって竹の中から見いだされ、育てられたかぐや姫が、五人の貴公子の求婚を退け、帝の召命にも応じず、八月十五夜に月の世界へ帰る。仮名文による最初の物語文学。竹取翁物語。かぐや姫の物語。
阿弥陀仏の本願の力に頼ってのみ救われると説く教え。他力門。⇔自力教。
ユダヤ教の宗教的典範。モーゼ律法および社会百般の事項に対する口伝的解答を集大成したもの。本文ミシュナとその注釈ゲマラの2部からなる。4世紀末ごろ編集されたパレスチナタルムードと6世紀ころまでに編集されたバビロニアタルムードがあり、一般には後者をさす。中世から現代に至るユダヤ人の精神文化を知る重要文献。
[前624ころ~前546ころ]古代ギリシャの哲学者。哲学の祖とされる。ギリシャ七賢人の一人。ミレトス学派の創始者で、万物の根源は水と考えた。日食の予言やピラミッドの高さの測定なども行った。
一五世紀から一七世紀初めにかけて、ポルトガル、スペインに代表される西ヨーロッパ諸国が、大洋航海により新航路、新大陸を開拓していった時代。バスコ=ダ=ガマのインド航路発見、コロンブスのアメリカ大陸到達、マゼランの世界一周航海の成功などが行なわれ、その後の非ヨーロッパ地域の植民地化をもたらした。
天竺(インド)の神の名。仏教に入って護法神となる。毘盧遮那(びるしゃな)または摩醯首羅天(まけいしゅらてん)の化身という。密教では障害鬼の荼枳尼(だきに)を破る神とし、青黒色、三面三目六臂、逆髪の忿怒形で、胎蔵界曼荼羅外院北方に配する。また中国では、この神を食厨の神として寺にまつり、日本ではこれを受けて、寺の庫裏に神王の形で袋を持つ像を安置する風を生じた。大黒神。
1世紀頃に興った仏教の二大流派の一つ。古来の仏陀の教えを拡大し新しい解釈を加えた教派で,自分ひとりの悟りのためではなく,多くの人々を理想世界である彼岸に運ぶ大きなすぐれた乗物という意味で,みずからの立場を大乗仏教と呼んだ。それ以前の釈迦の言行の伝承を中心とした原始仏教ならびに釈迦の法の注釈的研究を主とする保守派をいわゆる小乗仏教と貶称したが,これは適当でないので,上座部仏教,部派仏教などと今日では呼ばれている。この伝統的な部派仏教がセイロン (現スリランカ) ,ビルマ (現ミャンマー) ,タイなど南方に伝播したのに対し,大乗仏教はチベット,中国,日本など北方へ伝わり今日にいたっている。
遍照(へんじょう)王如来,大日遍照などとも。真言密教の教主。諸仏・諸菩薩の根元をなす理智体で,宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日,理徳の表現が胎蔵界大日とされ,天台宗では大日如来と釈迦如来は法身・応身で同体とし,真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。
大乗経典。600巻。唐の玄奘訳。「仁王経」「般若心経」以外の般若部諸経を集大成したもので、16部からなる。般若波羅蜜の義、諸法皆空の理を説いたもの。大般若波羅蜜多経。
ギリシア語で「超自然的霊的存在」「神」を意味する。ホメロスの世界では人間に対して不思議な仕方で現れ,誕生や運命の変転について予告するなんらかの神的存在をいい,オリンポスの神々のような人格的形姿をとらない。
西洋哲学で伝統的に用いられる統一的な全体性や二項対立の枠組みを解体し、新たな構築を試みる思考法。フランスの哲学者デリダの用語。デコンストラクション。
中国禅宗の祖とされる僧。菩提(ぼだい)達磨Bodhidharma。インド生れ。470年ごろ(異説が多い),海路南中国に入り,嵩山(すうざん)少林寺で面壁9年,法を慧可(えか)に伝えた。伝記には不明な点が多く,著書も《少室六門集》などが伝えられるが,疑わしい。
古代イスラエル王国第二代の王(在位前一〇〇〇頃‐前九六一)。ベツレヘム出身。祭司制度を設け、エルサレムを中心に、ユダヤ教を確立。「旧約聖書」サムエル記に記述があり、詩と音楽の才能にすぐれ、「詩篇」のかなりの部分の作者とされている。前九六一年没。
陽明(ようめい)学の命題の一つ。知ることと実行することとは本来二つには分けられない、とすること。王陽明(守仁(しゅじん))は、朱子学が真理の認識や道徳的是非の判断(知)を先にしてその実践(行)を後にする知先行後論に傾きがちであったことや、明(みん)代の俗学が実践を伴わない空論に流れたことを批判して、知行合一を主張した。そのため、知っているだけで実行しないのはまだ本当の知とはいえない、とし、実践のうえで知と行とが一致することを要請する実践重視・体験重視の立場(事上磨錬(じじょうまれん))をとっている。また王陽明のいう「行」の概念は幅が広く、人間の心の働き、たとえば好悪の情や心に兆す意欲・思念なども「行」に含まれる。「行」は当然、道徳的規範に合致していなければならず、そこでは行動として外に表れた不善だけでなく、心内の思念の不善をも克服する厳しさが求められる。これらを実現する心が、王陽明のいう「良知」である。
インドの神秘的身体論において,脊椎に沿っていくつかある,生命エネルギーともいうべきものの集積所。文字どおりには〈輪〉を意味する。
三元の一つ。陰暦七月一五日の称。元来、中国の道教の説による習俗であったが、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と混同され、この日、半年生存の無事を祝うとともに、仏に物を供え、死者の霊の冥福を祈る。《季・秋》
仏法によって国家を鎮め護ること。《仁王経(にんのうきょう)》や《金光明経(こんこうみょうきょう)》が護国の経典として尊ばれ,660年に仁王会が創始されて仏教の護国化が開始。天武・持統朝には国家的規模での仏教儀礼・造寺が行われた。国分寺は《金光明王経》を安置する寺である。平安時代には《法華経》を加えて〈鎮護国家三部経〉とし,また空海らによる密教の鎮護国家の修法なども行われた。
アフリカのルワンダおよびブルンジに住む牧畜民族。両国の人口の1~2割を占める。多数派民族フツ族とは長年抗争状態にあり、1994年には80~100万人のツチ族がフツ族に虐殺される事態にまで発展した。
一つの民族または国家が、政治的、経済的に他民族または国家を支配して強大な国家をつくろうとする運動。
江戸時代,個人が寺の檀家でありキリシタンや禁制宗派である不受不施派などの信徒でないことを,檀那寺に証明させた制度。農民の住居移転,奉公,結婚,旅行などの際には,この制度によって檀那寺から発行される寺請証文を必要とした。寺院は,幕府の庶民支配機構の末端の役割を果たした。
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち、山門派と寺門派、さらに真盛派に分かれた
天界に住む者の総称。梵天・帝釈天、四天王や吉祥天・弁才天など。
天の命令。天が人間に与えた使命。「人事を尽くして天命を待つ」
離散して故郷パレスチナ以外の地に住むユダヤ人。また、その共同体。
[前460ころ~前370ころ]古代ギリシャの哲学者。師レウキッポスの原子論を体系化して発展させ、原子論的唯物論を確立。自然においては、それ以上不可分な無数の原子の結合と分離によって万物は生成・変化・消滅すると説いた。
ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930年7月15日 - 2004年10月9日)は、フランスの哲学者である。フランス領アルジェリア出身のユダヤ系フランス人。一般にポスト構造主義の代表的哲学者と位置づけられている。エクリチュール(書かれたもの、書法、書く行為)の特質、差異に着目し、脱構築(ディコンストラクション)、散種、差延等の概念などで知られる。エトムント・フッサールの現象学に関する研究から出発し、フリードリヒ・ニーチェやマルティン・ハイデッガーの哲学を批判的に継承し発展させた。哲学のみではなく、文学、建築、演劇など多方面に影響を与えた。またヨーロッパだけでなくアメリカ、日本など広範囲に影響を与えた。国際哲学コレージュの初代議長でもある。
中国で、東方に住む未開の異民族をさしていったことば。黄河の中・下流地域に住む漢民族を「中華」と呼ぶのに対して、中国東北部・朝鮮・日本などの民族をさした。
キリスト教の三大分流の一。ロシア・中東・東欧を中心とする15の自立教会の連合体。1054年、東ローマ帝国圏のコンスタンティノポリスとローマの総主教座が、東西に分裂。以後、西方のローマ‐カトリック教会に対して、正(オーソドックス)教会として発展。15世紀、ギリシャ正教会がオスマン帝国の支配を受けるようになると、主流はロシア正教会(ハリストス正教会)に移った。神学と礼拝が神秘主義的性格をもつ点に特徴がある。日本には文久元年(1861)ロシアの司教ニコライによって伝えられた。日本ではギリシャ正教会または単に正教会ともいう。東方教会。
ユダヤ教で、律法のこと。律法書とよばれるモーセ五書をさす。
特別啓示(とくべつけいじ、Special revelation)とは、福音派における術語で、キリスト教における救いについての啓示。聖書に啓示されており救贖啓示、あるいは特殊啓示とも呼ばれる。これに対する語が一般啓示である。
江戸中期の心学(しんがく)者石田梅岩(ばいがん)の主著。4巻16段の問答体よりなり、石門(せきもん)心学の原理論を説いた書。1739年(元文4)刊。第1巻は「都鄙問答ノ段」以下5段、梅岩の思想体験と学問観を中心に、「孝」の道をはじめ四民の道を論じ、総論とする。第2巻は「鬼神ヲ遠(とおざく)ト云事(いうこと)ヲ問(とう)ノ段」以下4段、神儒仏諸思想の一致を説く。なかでも「或(ある)学者商人ノ学問ヲ譏(そしる)ノ段」は、商人の道が士農工の道と同等で普遍的人間の道として、時代の通念であった賤商(せんしょう)論に反論した注目すべき段である。第3巻は全巻「性理問答ノ段」にあてられ、梅岩独自の心学哲学が展開されている。第4巻は「学者行状心得難(こころえがた)キヲ問ノ段」以下6段、学者、僧侶(そうりょ)、医者、商人のあり方や信仰の問題など、多方面にわたる具体例について梅岩の主張を明らかにする。同書は全巻を通じて梅岩の誠実な人格と思索がうかがわれ、近世中期の庶民が自覚した哲学を示す代表的著作として注目すべきである。
中国に発生した民族的宗教。戦国時代末期に起こった神仙道の宗教化ともいうべきもので、仙人となって不死を得ることを窮極の目的とする。その教祖に老子を奉じ、道家の所説を主要な教義とするところから道教と称しているが、そのほかに、古来の天帝、星辰、山岳などに対する信仰や、民間の俗信を広く取り入れて、多神教的であることに特色があり、その教義は陰陽五行説、讖緯(しんい)説、儒教倫理、仏教教理などを含んでいる。日本には道教そのものとして伝来することはなかったが、神道、陰陽道、修験道などに微妙な影響を与えている。広義には老荘思想を含めていう。
[1200~1253]鎌倉前期の禅僧。京都の人。日本曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。諱は希玄。比叡山で修学し、のち入宋して天童如浄の法を嗣いだ。帰国後、建仁寺に住し、京都に興聖寺を、さらに波多野義重の請により越前に永平寺を開いた。勅諡号、仏性伝東国師・承陽大師。著「正法眼蔵」「普勧坐禅儀」「学道用心集」など。
同定(どうてい、英: identify, identification)とは、科学全般の用語で、ある対象についてそれが「何であるか」を突き止める行為(名前・正体・同一性を特定する行為)を指す。同定する、同定作業とも表記される。類義語は比定。分野によって様々な使い方がある。
道徳的行為の規準となる法則。自然法則と違い、道徳的にこうすべきだという命令の形をとる法則。法則を、平和・幸福などの理想を実現するための手段としてみなす立場と、法則そのものを絶対的規範とし、それに服従することが善で、反するものが悪だとする立場がある。また、法則の根拠として、神・国家などの外的権威に求めるものと、法則そのものに根拠があるとするもの、たとえばカントの定言的命法とがある。道徳法。道徳律。
[1925~1995]フランスの哲学者。ポスト構造主義の思想家。西欧の伝統的な哲学や近代的な知の階層的体系を批判し、より横断的・流動的なリゾームやノマドの概念を提示した。著「差異と反復」、ガタリとの共著「アンチ‐オイディプス」「千のプラトー」など。ドルーズ。
1902~79 インドのガンディー主義政治家。1920年代にアメリカでマルクス主義に接し,帰国後34年に国民会議派内で社会党を結成。インド独立後は52年に人民社会党を結成したが,しだいにマルクス主義から離れガンディー主義に傾倒。74年には反国民会議派政権のシンボルとなり,反政府運動を指導した。75~77年のインディラ・ガンディー独裁期には弾圧を受けたが,77年の選挙では野党を糾合し人民党を結成し,国民会議派政権を打倒した。
道教の仙薬,およびその製造法。道教では,不老長生の薬を丹と呼んで,それを練り,つくりだすことに道士は熱中した。しかし,現実に化学的にはそれは不可能である。にもかかわらず,丹の仙薬を求める考えは絶えず,南宋 12世紀頃になると,人間の身体を丹炉に想定し,外物を用いないで体内で丹をつくれば不死にいたれる,と説く一派が現れた。そして,古来の錬丹の術を外丹,体内にできる丹ならびにその製法を内丹と呼んだ。
[1769~1821]在位1804~1814、1815。コルシカ島の生まれ。砲兵将校としてフランス革命に参加。イタリア派遣軍司令官として勝利を得、1799年のクーデターで執政、1804年皇帝となる。ヨーロッパを征服したが、対英封鎖に失敗、ロシア遠征にも失敗。1814年退位してエルバ島に流される。翌年帰国し、皇帝に復したがワーテルローの戦いに敗れ、セントヘレナ島に流されて没した。ナポレオン法典の編纂、教育制度の設立など、近代化に功績を残した。
もと中国王朝が,中華思想によって,四方の異民族を蛮族と考え,東夷,西戎,南蛮,北狄と呼んだが,それにならって,日本でも南方から来航する諸国民を南蛮と呼んだ。初めは,シャム,ルソン,ジャワなどの東洋人がそう呼ばれていたが,16世紀中頃からポルトガル人,次いでスペイン人をこの名で呼んだ。イギリス人,オランダ人には「紅毛」の呼び名をあて,南蛮とは呼ばない。主としてポルトガル人,スペイン人を南蛮人,彼らの乗ってくる船を南蛮船,彼らの伝えた宗教を南蛮宗,彼らの風俗を描いた屏風を南蛮屏風という。当時のヨーロッパ伝来の文化を南蛮文化といい,またキリシタン文化とも呼んでいる。
[1844~1900]ドイツの哲学者。ギリシャ古典学、東洋思想に深い関心を示して近代文明の批判と克服を図り、キリスト教の神の死を宣言。善悪を超越した永遠回帰のニヒリズムに至った。さらにその体現者としての超人の出現を求めた。生の哲学、実存主義の先駆とされる。著「悲劇の誕生」「ツァラトゥストラはかく語りき」「権力への意志」など。
論理学で、二つの概念が矛盾または対立の関係にあること。また、概念をそのように二分すること。内側と外側、男と女、主体と客体、西洋と非西洋など。二分法。
395年ローマ皇帝テオドシウス1世が帝国を東西に2分し,2子に伝えて以後のローマ帝国西方をさす。東のビザンティン帝国が以後約1000年存続したのに対し,西ローマ帝国は,ゲルマン民族の大移動,帝位をめぐる内紛などにより振るわず,476年最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスがゲルマン傭兵隊長オドアケルに廃されて滅亡。しかし,中世においても帝国復興の理念は残り,800年に成立したカール大帝の帝国,962年のオットー1世の帝国(神聖ローマ帝国)も,その形式的復興と考えられる。
[1222~1282]鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房の人。12歳で清澄寺に入り天台宗などを学び、出家して蓮長と称した。比叡山などで修学ののち、建長5年(1253)「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、法華経の信仰を説いた。辻説法で他宗を攻撃したため圧迫を受け、「立正安国論」の筆禍で伊豆の伊東に配流。許されたのちも他宗への攻撃は激しく、佐渡に流され、赦免後、身延山に隠栖。武蔵の池上で入寂。著「開目鈔」「観心本尊鈔」など。勅諡号は立正大師。
日本神話で、天照大神の孫。天忍穂耳尊の子。天照大神の命令で、葦原の中つ国を統治するため、高天原から日向高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫を妻とし、彦火火出見尊を生んだ。天津彦彦火瓊瓊杵尊。
開拓地や植民地などにはいって生活すること。
滅度すなわち涅槃にはいること。釈迦の死、高僧などの死にいう。
真理に到達した人。仏陀をいう。仏の十号の一。「釈迦如来」
古代ギリシャ哲学で、心・精神・理性の意。アナクサゴラスでは、混沌状態に運動を与えて秩序ある世界を形成する原理とされたが、プラトンでは、イデアを認識する理性的能力をさす。
煩悩の火を消して、智慧の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に異なることを示す。
[1889~1964]インドの政治家。I=ガンジーの父。M=K=ガンジーとともに反英独立運動に参加。1947年インド独立後は初代首相となる。在任1947~1964年。中国の周恩来と「平和五原則」の共同声明を掲げ、また、アジアアフリカ会議を開催するなど、非同盟主義外交政策を展開。著「自叙伝」「インドの発見」など。ネール。
仏の姿や徳を心中に思い浮かべること。また、仏の名を口に唱えること。観仏と称名。浄土教では、阿弥陀仏を思い浮かべ、また、「南無阿弥陀仏」と口に唱えること。特に後者をいう。
旧約聖書の創世記に出てくる舟。神が人類の堕落を怒って起こした大洪水に際し、神の指示に従ってノアは箱形の大舟をつくり、家族と雌雄一対のすべての動物を引き連れて乗り込み、そのため人類や生物は絶滅しなかったという。
遊牧民的生活の復権を目指す思想。権力を嫌い、境界を越えて流動し、多様な生活を同時に生きることなどを唱える。フランスの思想家ジル=ドゥルーズとフェリックス=ガタリが共著「千のプラトー」の中で提唱した。
ドイツの哲学者,社会理論家。ハイデルベルク,フランクフルト,マックス・プランク研究所教授を歴任。フランクフルト学派第2世代を代表する学者で,マルクス主義に拠りつつも,K.R.ポッパー,H.G.ガダマーらとの論争を通じて,合理性概念の再考による批判理論の鍛え直しを精力的に行っている。その立場は〈コミュニケーション行為の理論〉と呼ばれる。主著《公共性の構造転換》(1962年),《史的唯物論の再建のために》(1976年)。
明治政府の神道国教化政策に基づいて起こった仏教の排斥運動。明治元年(1868)神仏分離令発布とともに、仏堂・仏像・仏具・経巻などに対する破壊が各地で行われた。
涅槃に達するための八つの正しい実践行のことで,原始仏教以来説かれる仏教の代表的な修行方法。八聖道とも書く。
江戸初期の儒学者。名は忠・信勝,字は子信,通称は又三郎・道春。羅山・夕顔巷と号す。文敏は私諡。京都生れ。建仁寺で禅学を学び,1604年(慶長9)藤原惺窩(せいか)に師事。惺窩のすすめで徳川家康に謁見して以後4代の将軍に仕え,幕府の文書行政に携わる。30年(寛永7)徳川家光から上野忍岡の地を寄進され,学寮を建設。林家の幕府学政への参与の道を開く。朱子学を基調とするが理気説などに朱子との差違がみられる。神儒合一の理当心地神道を唱え,キリスト教批判も激烈。博学を本領とし,将軍や幕閣からの諮問への応答や,文書の起草・編纂などをおもな任とした。武家諸法度,「寛永諸家系図伝」,朝鮮使節への国書の起草はその代表。「羅山先生文集」がある。
「イスラム法(シャリーア)で認められたこと(もの)」を意味するアラビア語。おもにイスラム法上で許される食べ物をさす。
神に祈ってけがれを清め、災厄を取り除くこと。また、そのための神事。はらい。
日本文学の一形態。「誹諧」とも書く。広義には「俳諧之連歌」 (連句 ) ,発句 (ほっく) ,俳文,俳諧紀行,和詩など俳諧味 (俳味) をもつ文学の総称。狭義には「俳諧之連歌」 (連句) だけをさす。「俳諧」の語は元来「滑稽」を意味する中国の語で,日本では『古今和歌集』に「誹諧歌」の部立があり滑稽な和歌を収めてある。連歌は本来機知的滑稽を主とするものであったが,高度の芸術として完成すると,本来の機知滑稽を主とする連歌は「俳諧之連歌」と呼ばれた。連歌に対して一段低いものとされたが,室町時代に山崎宗鑑と荒木田守武によって興隆の機運が開かれ,江戸時代には庶民の文学として普及し,江戸時代の文学の重要な一ジャンルとなった。松永貞徳らの貞門俳諧,西山宗因らの談林俳諧,松尾芭蕉らの蕉風俳諧,与謝蕪村らの中興俳諧,小林一茶らの文化文政期の俳諧などが,ピークを形成している。この時代には俳諧が職業として成立,無数の点者,宗匠が輩出した。また俳諧から派生したものに滑稽風刺を旨とする川柳 (せんりゅう) ,雑俳がある。明治になると,正岡子規を中心とする改革運動が起り,連句を捨去り発句だけがつくられるようになり,俳句と呼ばれるようになった。
[1889~1976]ドイツの哲学者。キルケゴール、ディルタイの解釈学の影響のもとに、フッサールの現象学を発展させた。哲学の対象である存在は、実存を通してのみ理解可能であるとする、基礎的存在論としての実存哲学を形成した。その後、1930年代以後の思索は、存在そのものの解明に向かった。著「存在と時間」「形而上学とは何か」など。
膨大な般若経の内容を簡潔に表した経典。1巻。漢訳は鳩摩羅什訳など7種あるが、日本では、「色即是空、空即是色」の句のある玄奘訳が読経用に広く用いられる。般若波羅蜜多心経。心経。
インドの四姓(カースト)のなかで第三の身分。農業・商業に従う庶民。バラモンの法典では農業・牧畜・商業に従うことが定められたが、七世紀までに商人に限られることになった。今日では商人カーストをさす。
17世紀初頭イギリスの清教徒内部から興ったプロテスタントの一教派。その起源はカルバン主義に立つものと,アルミニウス主義に立つものとの2派があり,別々に宣教していたが,ニュージーランド,アメリカなどの各地で連合体を組織し,現在では長老派,組合派と並ぶプロテスタント三大教派の一つとなっている。アメリカでは,南部バプテストとアメリカン・バプテストの二大連合体があって,アメリカ最大の教派をなしている。ヨーロッパでは 1834年にオンケンによってドイツにバプテスト教会が創設され,北ヨーロッパ,オランダ,とりわけロシアに広まっていった。この派の特徴は,(1) 信仰個条をもたず聖書のみを信仰の規準とし,(2) 洗礼は浸礼,すなわち全身を水に浸すものとし,幼児洗礼を認めず,(3) 自覚的信仰告白者のみを教会員とし,(4) 教職を認めず万人祭司主義に立ち,(5) 各個教会の自主独立を認め,(6) 国家と教会の分離を主張していることなどである。
《Babelは聖書の地名シナルの古都》旧約聖書の創世記にある伝説上の塔。ノアの大洪水ののち、人類がバビロンに天に達するほどの高塔を建てようとしたのを神が怒り、それまで一つであった人間の言葉を混乱させて互いに通じないようにした。そのため人々は工事を中止し、各地に散ったという。
古代インドで、バラモン階級を中心として行われた民族宗教。ベーダ聖典を根本として複雑な祭式規定を発達させた。インドの哲学観念や社会制度の強固な基盤となった。
インド社会の身分階層。種姓と訳される。ヴァルナはもともと「色」を意味したが,これはアーリヤ人が先住民との肌の色の違いにより集団を区別したことによる。バラモン,クシャトリヤ,ヴァイシャ,シュードラの4ヴァルナ概念は前8世紀頃に成立した。4~7世紀頃に4姓の枠外に不可触民が置かれた。10世紀頃から,ヴァルナの概念がジャーティと結びついてカースト制度が形成された。植民地行政においては,ヴァルナがカーストを構成する枠組みとして重要視され,ジャーティはサブ・カーストと呼ばれた。
第1次大戦中の1917年,英国外相バルフォアがパレスティナにユダヤ民族国家建設を認めると約束した宣言。トルコに対する作戦基地確保のためユダヤ人の協力を期待して発せられた。しかしこれはアラブ独立を約したフサイン=マクマホン書簡と矛盾し,ユダヤ・アラブの対立をひき起こした。
万物斉同(ばんぶつせいどう、中国語: 萬物齊同)とは、荘子が唱えた、万物は道の観点からみれば等価であるという思想である。
荘子は物事の真実たる「道」に至ることが、徳だと考えた。人はとかく是非善悪といった分別知をはたらかせるが、その判断の正当性は結局は不明であり、また、一方が消滅すればもう一方も存立しない。つまり是非善悪は存立の根拠がひとしくて同質的であり、それを一体とする絶対なるものが道である。
このようにみれば、貴賤(きせん)などの現実の社会にある礼法秩序も、すべて人の分別知の所産による区別的なものとわかる。それどころか、生死ですら同一であり、生も死も道の姿の一面にすぎないと言うのである。
古代ローマで、ローマ市民以外にも適用された法規範。ローマ市民にのみ適用された市民法に対するもの。普遍的規範という性格から自然法と同一視され、また国際法の意味に用いられることもある。
[前10ころ~65ころ]1世紀のキリスト教の使徒・聖人。小アジアのタルソス生まれの、ローマ市民権をもったユダヤ人。ユダヤ教徒としてキリスト教を迫害したが、のち、半生をキリスト教の伝道にささげた。新約聖書に収められた書簡にはイエスの贖罪の死と復活を中心とした神学が展開されている。
紀元前後の時代に活動したユダヤ教の一派。律法を厳格に守ることを主張する排他的形式主義の立場。キリスト迫害の主動的役割を果たした。
パレスチナ問題とは、一口でいえば、中東の一角を占めるパレスチナ地方の帰属、いいかえれば、そこに住む人たちの自決(自分たちの問題を自ら決めること)の問題である。にもかかわらず、パレスチナでは、住民の意志をなおざりに、国際政治に翻弄され、紛争が起こり、血みどろの戦いが続いているところにこそ問題の核心がある。
制度化された体系としての言語であるラングに対し、特定の時、特定の場で個人が具体的に行なう言語の使用をいう。ソシュールによって命名された。
非常に広い範囲の思想傾向、精神態度、世界観をさしていうことばで、人間主義・人文主義・人本主義・人道主義などと訳される。これらに共通の意味はといえば、人間性の尊重、人間らしさの尊重ということしかないだろう。
[1776~1843]江戸後期の国学者。国学の四大人の一。秋田藩士。旧姓、大和田。号、気吹之舎・真菅屋。通称、大角(大壑)。脱藩して本居宣長没後の門人と自称。宣長の古道精神を拡大強化、復古神道を鼓吹し、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。著「古史徴」「古道大意」など。
広義には、インドに発生したすべての宗教をさす。狭義には、バラモン教がインドの民間信仰と融合しつつ、4世紀ごろからしだいに形成されて現在に至る、インドの民族宗教。ヒンドゥー教。インド教。
仏法守護の神。四天王・十二天の一。須弥山の第4層中腹北側に住し、北方世界を守護。黄色の身で忿怒の相をし、甲冑を着け、左手に宝塔を捧げ、右手に矛または宝棒を持つ。財宝を施す神として施財天ともいわれる。日本では七福神の一とする。多聞天。
インドの神。『リグ・ヴェーダ』では全宇宙を3歩で闊歩(かっぽ)したとたたえられる神。インドラの神話に助け手として登場する。ヴェーダ祭式ではさまざまな機会に祭神となる。ヒンドゥー教では,創造の神ブラフマー,破壊の神シヴァと並び世界を維持する神として三大神の一つとなる。
ローマ領ユダヤの第五代総督(在位二六‐三六)。イエス‐キリストを裁く裁判で、無罪を認めながらユダヤ教徒の圧力で十字架刑とした。生没年不詳。
フランスの哲学者。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 卒業。 1960年博士号を取得,1968年パリのバンセンヌ大学教授,1970年コレージュ・ド・フランス教授。レビ=ストロースと精神分析学の影響のもとで,科学史,思想史の認識論の分野を開拓,西欧文明の歴史における思考形式の構造の変遷を探る。
イエス・キリストによってもたらされた神からの喜びの使信。この思想はすでに旧約聖書,特にイザヤ書によって神の使者により告げられる喜びの訪れとして表明されているが,イエスは自己の宣教活動をイザヤの預言の成就と理解し,それをとおして神の国が実現するとした。パウロによると,福音の内容はイエス・キリストの事実であり,特に彼の死と復活に結びついた救いの出来事と説いた。キリスト教史上,パウロ的な福音の概念を継受し,明確にしたのはルターで,したがって彼によって創始されたプロテスタントの信仰は福音主義と呼ばれることもある。
中国、唐代の僧。北インドあるいは中央アジア出身。密教付法第六祖。七二〇年、唐の洛陽で金剛智の弟子となる。のちにスリランカに渡って龍智に学び、密教経典を携えて中国に帰り、唐朝の信任を得て活躍。金剛頂経三巻・仏母大孔雀明王経三巻など百余部を漢訳した。不空金剛。不空三蔵。(七〇五‐七七四)
行いのよい人は幸福が訪れ、悪事をなす人には禍がもたらされること。
江戸後期に荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤らの国学者によって提唱された神道説の総称。儒教・仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという思想。
アフリカのルワンダおよびブルンジに住む農耕民族。両国の人口の8~9割を占める。少数民族ツチ族とは長年抗争状態にあり、1994年にはフツ族が80~100万人のツチ族を虐殺する事態にまで発展した。
1930年代以降、フランクフルトの社会研究所に参加した一群の思想家たち。マルクス主義・精神分析学・アメリカ社会学などの影響のもとに批判理論を展開、現代社会の総体的解明をめざした。ホルクハイマーを中心に、アドルノ・フロム・マルクーゼ・ベンヤミン・ノイマンらがおり、第二次大戦後はハーバーマス・シュミットらが活躍している。
1789年に始まるフランスの市民革命。絶対制末期の失政に抗議するブルジョアや一部貴族に一般民衆が加わって起こされた。バスチーユ牢獄襲撃に始まり、封建的特権の廃棄、人権宣言へと発展した。1791年に憲法が制定され、王政は廃止、ルイ16世は処刑された。その間、革命側の対立から恐怖政治となり、ロベスピエールらが相次いで死刑となった。1795年、安定を求めて総裁政府が樹立されたが、1799年(ブリュメール十八日)ナポレオンのクーデターによって総裁政府が倒れ、革命に終止符が打たれた。
「思慮」「知識」「深慮」の意のギリシア語。プラトンにおいて理論・実践両面に用いられ,イデア的世界(→イデア)の観想という意味で,あるいは知識の最高形態としてのヌースと同義に使用されている。アリストテレスでは性格上の徳と区別された知性的な徳として,理論的知識としてのソフィアと対立する実践的知識として特徴づけられ,倫理学の中心概念となっている。たとえば政治学は,彼の分類による学の 3形態の一つプラクシス,すなわち実践学であり,そこで要求される知識であるフロネシスは,市民の間で繰り広げられる対話による目的の設定と手段の選択を配慮する蓋然的正しさをもった知識である。
前213年、秦の始皇帝が行った、主として儒家に対する思想言論弾圧。民間にあった医薬・卜筮・農事などの実用書以外の書物を焼き捨て、翌年、始皇帝に批判的な学者約460人を坑に埋めて殺したといわれる。転じて、学問や思想に対する弾圧をいう。
ヒンズー教で、シバ・ビシュヌ神とともに三神の一。宇宙の創造神。仏教にとりいれられ、梵天となった。
シバやビシュヌとともに、ヒンドゥー教の最高神。後に、前二者にとってかわられ、仏教にとりいれられて梵天となった。
〈男〉〈人間〉〈家来〉などを意味するサンスクリットで,インドのベーダ聖典では宇宙の根源(原人)とされる。神々が供犠のためにプルシャを殺すと,眼から太陽,心臓から月,息から風,口からインドラ,アグニ,バラモン,臂(ひじ)からクシャトリヤ,腿(もも)からバイシャ,足からシュードラが生じたといわれる。
一五二九年の第二回シュパイエル国会に提出した「抗議書」(プロテスタティオ)に由来) 一六世紀の宗教改革以後ルター、カルバンらの教説を奉じてカトリック教会から分離したキリスト教の諸教義・諸派の総称。聖書を信仰の唯一の規範とし、福音への信仰だけを救いとする傾向が強い。福音主義。新教。
ドイツの哲学者。自然・歴史・精神の全世界を、矛盾を蔵しながら、常に運動・変化する、弁証法的発展の過程としてとらえた。また、欲望の体系としての市民社会概念を明らかにした。ドイツ観念論の完成者で、その弁証法は、マルクスにより弁証法的唯物論として批判的に継承された。著「精神現象学」「大論理学」「歴史哲学」。
古代ギリシャの詩人。前8世紀末ごろ活躍。ホメロスと並び称される叙事詩人で、農民の日常生活をうたった「仕事と日々」、神々の系譜をうたった「神統記」が代表作。
ギリシャ神話で、最大の英雄。ゼウスとアンフィトリュオンの妻アルクメネとの子。ゼウスの妻ヘラの激しい嫉妬により、幼時から種々の迫害を受けた。ライオン・ヒドラ・怪鳥退治など、アルゴス王エウリュステウスに命じられた12の難題解決は特に有名。死後、天上に迎えられて神になったという。
ヘレニズムという語は一般に2通りの意味で用いられている。一つは19世紀イギリスの詩人・文明批評家M.アーノルドが《教養と無秩序》において,ヨーロッパ文化の根底を成した精神的伝統の一つとして,ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教思想の源泉)と対置させた場合のヘレニズムで,以来広く〈ギリシア文化一般の本質にかかわる精神的基盤〉の意味に用いられる。
サンスクリット語で「知識」という意味で、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編簒された一連の宗教文書の総称。口述や議論などを経て、後世になって書き留められて記録された。広義でのヴェーダは、サンヒター(本集)、ブラーフマナ(祭儀書、焚書)、アーラニヤカ(森林書)、ウバニシャッド(奥義書)の4部に分類される。
英国の法学者・哲学者。功利主義の主唱者。個人の行為の判断基準が幸福の追求にあるのと同様に、社会の目的は「最大多数の最大幸福」の実現にあると説いた。著「道徳と立法の原理序説」など。ベンタム。
弁才天とも書く。インド神話のサラスバティーを漢訳し,女神の姿に造形化したもの。もとはインドのサラスバティー川の河神であり,のちに梵天の妃となったが広く信仰され,これが仏教に取入れられて音楽,弁舌,財富,知恵,延寿を司る女神となった。
ギリシアでは対話,弁論を意味したが,現在では存在と思惟の発展原理およびその自覚としての論理学。カントでは仮象の論理という否定的意味しか持たないが,ヘーゲルでは正(テーゼ),反(アンチテーゼ),合(ジンテーゼ)の3段階で進む精神の自己実現の過程とされ,合は前2者を自己のうちに止揚(アウフヘーベン=それを解消しつつ,高めて保存)すると主張された。マルクスはヘーゲルの存在と意識の関係を逆転して,唯物弁証法を展開した。
古代中国の諸子百家の一つ。道徳よりも法律を重んじ、礼楽を排して刑名を主とし、これを行なう政治を帝王の道とするもの。また、その考えを述べた書。管子、申子、商子、韓非子など。
[1133~1212]平安末期の浄土宗の僧。美作の人。諱は源空。比叡山の黒谷で天台および諸宗を学び、安元元年(1175)称名念仏に専念する立場を確立し浄土宗を開いた。洛東吉水に草庵を結んで布教し、信者の増加に伴って迫害され、一時讃岐に流されたが、後に許されて京に戻り、東山で入寂。勅諡号は円光大師。著「選択本願念仏集」など。黒谷上人。吉水上人。
中国北方の異民族の総称。春秋時代には周の北方の,今日の陝西(せんせい)省,山西省,河北省の北部に居住する異民族をさしたが,戦国時代から漢民族の北方への進出につれて北狄はしだいに漢民族に同化された。漢代以降は長城以北の匈奴(きょうど),鮮卑(せんぴ),柔然(じゅうぜん),室韋(しつい),契丹(きったん),靺鞨(まっかつ),突厥(とっけつ),回〓(かいこつ)などモンゴル系,トルコ系,トゥングース系の諸民族を呼ぶ総称となった。
《〈梵〉Saddharmapu〓〓ar〓ka-s〓traの訳「妙法蓮華経」の略》大乗仏教の最も重要な経典の一。漢訳は、竺法護訳10巻(正法華経)、鳩摩羅什訳8巻、闍那崛多ら訳8巻(添品妙法蓮華経)の3種が現存するが、ふつう羅什訳をさす。28品からなり、譬喩を交えた文学的な表現で法華一乗の立場や永遠の生命としての仏陀を説く。天台宗・日蓮宗の所依の経典。ほっけきょう。
日蓮宗の俗称。また、その流派のうち、本門流・真門流・陣門流の総称。
二身の一つ。仏の説いた教法や、仏の成就した十力などの功徳の法。また、それを体得した仏身。生身(しょうじん)に対していう。
古代ギリシアの詩人。紀元前八世紀頃の人と推察される。古代ギリシア最古最大の叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」の作者とされる。
[1895~1973]ドイツの哲学者。フランクフルト学派の指導者。米国に亡命し、第二次大戦後、帰国。批判理論によって伝統的理論を批判。著「啓蒙の弁証法」(アドルノとの共著)「批判的理論」「道具的理性批判」など。
大虐殺。とくに、ナチスによるユダヤ人の大虐殺。
仏・菩薩を本地とし、神を衆生救済のための垂迹とする説。法華経・大日経に基づいて説かれたもの。日本では、平安時代から各地の神社の本地仏が確定し、神仏習合が進められたが、明治の神仏分離により衰退。
仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者。文殊・観音・弥勒・勢至・普賢など。元来は釈迦の前生時代の称で、大乗仏教がおこると、将来仏になる者の意で用いられるようになった。
クワ科のテンジクボダイジュの別名。釈迦がその下で悟りを開いたとされ、原産地インドでは無憂樹・娑羅双樹とともに三大聖木とされる。
中国上代の諸子百家の一つ。戦国時代初期の人と思われる墨?(ぼくてき)を祖とする一派の称。兼愛交利(無差別の愛と相互扶助)を説き、礼楽を無用の消費としてしりぞけ、節倹勤労の重んずべきことを主張。当時儒家と対立する勢力を保持していたが、前漢の中ごろまでにほとんど消滅した。その思想は「墨子」五三編に見える。
インドのバラモン教における最高原理。世界創造の根本原理。ブラフマン。
盆に踊る民俗芸能。祖霊、精霊を慰め、死者の世界にふたたび送り返すことを主眼とし、村落共同体の老若男女が盆踊り唄(うた)にのって集団で踊る。手踊、扇踊などあるが、歌は音頭取りがうたい、踊り手がはやす。太鼓、それに三味線、笛が加わることもある。古く日本人は旧暦の正月と7月は他界のものが来臨するときと考えた。正月は「ホトホト」「カセドリ」などいわゆる小(こ)正月の訪問者がこの世を祝福に訪れ、7月は祖霊が訪れるものとした。盆棚で祖霊を歓待したのち、無縁の精霊にもすそ分けの施しをし、子孫やこの世の人とともに楽しく踊ってあの世に帰ってもらうのである。こうした日本固有の精霊観に、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)が習合してより強固な年中行事に成長した。盆に念仏踊を踊る例もあるが、念仏踊は死者の成仏祈願に主眼があり、一般に盆踊りとは別個の認識にたつ。
インドの哲学書ウパニシャッドに代表されるバラモンの根本思想で、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人の本体であるアートマン(我)とは同一であるというもの。
ポスト構造主義とは、文字どおり「構造主義の後」に続く思潮そのものをさすのであり、当時の思想家たちが共通の方法や主張を展開していったその動きを意味するものではない。しかしながらこの思潮には、共通して、社会や文化を構造として客観的にとらえ分析しようとした「構造主義」に対する鋭い批判が込められている。
ポストモダン(英: Postmodern)またはポストモダニズム(英: Postmodernism)は、近代から脱却することを目標に、20世紀中葉から後半にかけて、哲学・芸術・建築・評論などの分野で流行した広範な思想運動である。広義には、近代のあとに続くと考えられている時代とその傾向を指す言葉である。脱近代主義とも言われる。
マイケル・ジョゼフ・サンデル(英: Michael Joseph Sandel、1953年3月5日 - )は、アメリカ合衆国の哲学者、政治哲学者、倫理学者。ハーバード大学教授。ミネソタ州ミネアポリス出身。
コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者であり、その論述の特徴は共通善を強調する点にある。また共和主義者を名乗ることも増えている。
古代インド、マガダ国に興った王朝。前317年ごろ、チャンドラグプタがナンダ朝を滅ぼして建設。都はパータリプトラ。第3代アショカ王のころ全盛期となり、インド史上最初の統一国家を築いたが、王の没後急速に衰え、前180年ごろスンガに滅ぼされた。仏教を全インドとその周辺に広めた。孔雀王朝。
ドイツの社会学者,経済学者。
エルフルト生まれ。
ベルリン大学(法学)[1889年]学位取得。
ハイデルベルク、ベルリン、ゲッチンゲンの各大学で法学、哲学、歴史学、経済学を学ぶ。フライブルク大学、ハイデルベルク大学で教授を務めたが、1903年神経症で辞職後は主に在野で活躍した。経済学、社会学、政治学、宗教史など極めて広範囲で卓越した業績を残している。西洋文化と近代社会を貫く原理を合理主義と捉えてその本質を究明し、価値自由の精神と理念型操作に支えられた社会科学方法論を確立。主著、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」「社会科学方法論」。
仏教における一種の歴史観。釈迦の入滅後千年または千五百年、あるいは二千年後に仏法が衰え社会に混乱が起こると考えたもの。日本では平安初期すでに現われているが、仏滅年次を周の穆王五三年(前九四九)とし、仏滅後二千年とする考えが固定した平安中期から鎌倉期にかけて流行し、法然・親鸞・日蓮等による新仏教の基盤となった。
前2世紀ごろ、バラモン教徒の規範としてまとめられた法典。12章から成り、諸儀礼・日々の行事・カースト義務などを定めている。長くインド人の生活規範となり、東南アジアの諸法典の基礎ともなった。
生没年不詳
本名はヴァルダマーナ。ジャイナ教の開祖。生没年代には前599年から前372年までの幅で諸説がある。72歳で死んだとされる。マガダ国のクシャトリヤの家に生まれる。30歳で出家し,12年の苦行ののちジナ(勝者)となった。ジャイナ教の名称はそれに由来する。マハーヴィーラ(「偉大な勇者」)は尊称。教義上第24代の祖師。第23代の祖師の教義を改良,整備した。徹底したアヒンサーを強調。商人を中心に現在のインドにも信者がいる。
イエスの母。新約聖書によれば、夫ヨセフと婚約中、天使ガブリエルの告知を受け、聖霊により処女懐胎し、イエスを産んだ。カトリック教会および東方正教会において聖母として崇拝される。聖母マリア。サンタ=マリア。
[1818~1883]ドイツの経済学者・哲学者・革命家。科学的社会主義の創始者。ヘーゲル左派として出発し、エンゲルスとともにドイツ古典哲学を批判的に摂取して弁証法的唯物論、史的唯物論の理論に到達。これを基礎に、イギリス古典経済学およびフランス社会主義の科学的、革命的伝統を継承して科学的社会主義を完成した。また、共産主義者同盟に参加、のち第一インターナショナルを創立した。著「哲学の貧困」「共産党宣言」「資本論」など。
密教で、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏・菩薩などを体系的に配列して図示したもの。胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅・四種曼荼羅などがある。転じて、浄土の姿を図示したものなどにもいう。
奈良時代の歌集。20巻。大伴家持が現存の形に近いものにまとめたとされる。成立年未詳。短歌・長歌・旋頭歌・仏足石歌・連歌の五体で、歌数4500余首。仁徳天皇の皇后磐姫の作といわれる歌から、天平宝字3年(759)大伴家持の歌まで約400年にわたる全国各地、各階層の人の歌が収められる。東歌・防人歌などを含み、豊かな人間性を素朴・率直に表現した歌が多い。現存する最古の歌集で、万葉仮名を多く用いている。まんにょうしゅう。
ミスヤール婚とは、イスラーム法における結婚形態の一つで、婚姻における妻の経済的な権利を要求しないこと、夫との同居などからなる多くの義務と権利を放棄することを条件として結婚する形態である。「旅人の結婚」などと呼ばれる。
身に罪または穢(けが)れがあるとき、また、重要な神事などの前に、川原などで、水で身を洗い清め穢れを落とすこと。《季・夏》
大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持・祈祷を重んじる。7、8世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ。⇔顕教。
明呪(みようしゆ)の中の王(最も優れているもの)との意味で,真言(しんごん)の別称として用いられるが,一般には仏像を大別したとき如来・菩薩の次に来る分類名として使われることが多い。明王とは,仏(如来)が通常の姿でいては教化し難い衆生を,屈伏させて教化するために忿怒(ふんぬ)の姿に変身したものに特に命名したもので,密教特有の尊像である。単独に信仰された明王としては不動明王,愛染明王,大元帥(たいげんすい)明王,孔雀明王,烏枢渋摩(うすしま)明王(烏蒭沙摩(うすさま)明王)などがあり,数尊を一組として考えられたものとしては五大明王,八大明王がある。
帝政ローマ中期の313年、コンスタンティヌス1世とリキニウス帝がミラノで発したとされる、キリスト教徒の信教の自由を認めた勅令。増大しつつあるキリスト教徒の支持を得ようとしての政治的措置とされる。
紀元前六世紀頃、小アジアの都市ミレトスを中心に生まれたギリシア哲学最古の学派。変転きわまりない現象にひそむ原理、万物の根源を究明する自然哲学を中心とする。タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスが有名。
心理学・哲学で、意識されない心的過程、生理的活動、反射などをさす。また、精神分析学で、意識下にあり、意識や行動に影響を及ぼすが、催眠・自由連想・麻酔などの操作によらなくては意識化されないもの。潜在意識。
作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること。「無為」「自然」は「老子」に見られる語で、老子はことさらに知や欲をはたらかせずに、自然に生きることをよしとした。
インド史上、最大にして最後のイスラム帝国。1526年バーブルが建国。第3代アクバルは北インド全域を支配下に置き帝国の基礎を確立。第6代アウラングゼーブのとき最盛期を迎えた。その後、内乱、諸侯の自立、西欧勢力の進出などにより急速に衰退し、1858年、インド大反乱を機にイギリスに滅ぼされた。ムガール帝国。
イスラム教徒。アラーの教えに帰依する者を意味する。モスレム。
[570ごろ~632]イスラム教の創唱者。メッカに生まれ、神アッラーの啓示を受けて伝道を始める。厳格な一神教を唱え、偶像を厳しく否定したため迫害を受け、622年にメジナに移り(ヒジュラ)、イスラム教団発展の基礎を確立。630年メッカ征服の後、勢力はアラビア半島全域に広まった。「マホメット」は訛り。
存在の根底にある根本的な無知をいう。真理にくらい無知のことで、最も根本的な煩悩。生老病死などの一切の苦をもたらす根源として、十二因縁では第一に数える。
《ヘブライ語で、聖油を注がれた者の意。「メシヤ」とも》旧約聖書では、超人間的な英知と能力をもってイスラエルを治める王をいい、新約聖書では、イエス=キリストをさす。救世主。メサイア。
サウジアラビア中西部にあるイスラム教の聖地。ムハンマドの生地。カーバ神殿があり、全イスラム教徒の巡礼の地。アラビア語名マッカ。
サウジアラビア西部、ヒジャーズ地方の都市。メッカの北方約三四〇キロメートルのオアシスにある。六二二年ムハンマド(マホメット)がメッカを追われ聖遷(ヘジラ)した都で、第三代のカリフまでイスラム国家の首都。マホメットの墓があり、メッカにつぐイスラム教の聖地。アラビア語名マディーナ。
ギリシア神話の運命の女神。その名は〈割当て〉の意で,一般に3人の老女神とされ,複数形はモイライMoirai。ヘシオドスの《神統記》では,ニュクス(〈夜〉)の娘とも,ゼウスとテミス(〈掟〉)の娘ともされ,またプラトンの《国家》では,アナンケ(〈必然〉)の娘とされているが,両者とも一致してクロトKl〓th〓(〈つむぎ手〉),ラケシスLachesis(〈配り手〉),アトロポスAtropos(〈変えられない者〉)の名を与えている。彼女たちはひとりひとりの人間について,人生のさまざまのできごとから寿命にいたるまで,運命のすべてをその誕生時に定めると考えられ,クロトが運命の糸をつむぎ出し,ラケシスが運命を割り当て,アトロポスが死の瞬間にその糸を断ち切るとされた。ローマ神話では,もともとお産の女神であったパルカParcaがモイラと同一視された結果,やはり3人の女神とされて,その複数形でパルカエParcaeと呼ばれている。
中国戦国時代の儒家。魯(山東省)の鄒(すう)の人。名は軻(か)。前四世紀後半に活躍した。性善説に立ち、人は修養によって仁義礼智の四徳を成就する可能性をもつことを主張。また、富国強兵を覇道としてしりぞけ、仁政徳治による王道政治を提唱。後世、孔子と並んで孔孟と称され、亜聖の名がある。孟母三遷、孟母断機の物語は後世の伝説。生没年未詳。
前13世紀ごろのイスラエル民族の指導者。旧約聖書「出エジプト記」によれば、神の啓示によりイスラエル民族を率いてエジプトを脱出し、神ヤーウェとの契約により「十戒」を授けられ、40年間、アラビアの荒野をさまよったのち、約束の地カナンに到達したが、彼自身はヨルダン川を渡らずに死んだという。モーゼ。モーゼス。モイゼ。
事象を目的と手段の連関において説明しようとする考え方。機械的原因とその結果の連関によって事象を説明する機械論に対立する。宇宙を一つの目的論的システムとみなす考え方は,神話的思考のうちにすでに広くみとめられるが,哲学の歴史においては,とりわけアリストテレスがそれを定式化するにあたって重要な役割を果たした。すなわち,彼は,質料と形相の結合からなる個物にあって,その事物の本質規定をなし実現されるべき形相がその目的因をなすと考え,さらに,この考えを宇宙全体の構成にも及ぼして,万物は最高の純粋な形相である神を究極目的として生成展開すると考えたのである。この考えは,中世のスコラ哲学においては,キリスト教の創造神の考えと結合されて,時代に対して大きな影響力をもった。
[1730~1801]江戸中期の国学者。国学の四大人の一人。伊勢の人。号、舜庵(春庵)・鈴屋。京都に出て医学を修める一方、源氏物語などを研究。のち賀茂真淵に入門、古道研究を志し、「古事記伝」の著述に30余年専心。また、「てにをは」や用言の活用などの語学説、「もののあはれ」を中心とする文学論、上代の生活・精神を理想とする古道説など、多方面にわたって研究・著述に努めた。著「うひ山ぶみ」「石上私淑言」「詞の玉緒」「源氏物語玉の小櫛」「古今集遠鏡」「玉勝間」「鈴屋集」など。
言葉としては10世紀半ば平安中期ごろから用いられ,《源氏物語》には12例を見る。当時の生活意識上の一規範であった。もともと〈あはれ〉は感嘆詞の〈ああ〉と〈はれ〉とがつづまった語であり,また〈もの〉は古くは神異なもの,あるいは霊的存在をさす語であったが,中古には漠然と対象を限定しない形式語となった。〈もののあはれ〉の語はそうした漠然とした主観的感情をさらに客体化し,対象として捉え直したものといえよう。これを積極的な文芸理念として提唱したのは,近世中期の本居宣長である。その《紫文要領》および《源氏物語玉の小櫛》によれば,〈もののあはれ〉とは人が自然や人事の諸相に触発されて発する感動である。〈もののあはれを知る〉とは,そのことを通して,最も人間らしく,すなおでしみじみとやさしい情感を催し,その意味で対象を識別し得る能力を具えることであり,それは世態人情に通ずることによって得られる。物語はこういう人間自然の情感をありのままに書き表すところに趣旨があり,儒教仏教のいう教戒とは無縁である,というのである。この論は近世幕藩体制下に,その政治文化のイデオロギーであった教戒的文学観を打破し,文芸が道徳や宗教の道具ではないことを明らかにし,その自律性を確立しようとした点で,まさに画期的であった。
陰陽道で、厄難にあうから諸事に慎み深くふるまわなければならないとする年齢。厄払いをする習慣がある。普通、男は二五歳と四二歳、女は一九歳と三三歳。特に男の四二歳と女の三三歳を大厄、その前後の年を前厄・後厄という。厄まわり。やくねん。やく。
[1619~1682]江戸前期の儒学者・神道家。京都の人。名は嘉。別号、垂加。禅僧となったが朱子学を学んで還俗し、江戸・京都で教授、門下6000人といわれた。のち、吉川惟足から神道を学び、神儒一致説を唱え、垂加神道を興した。著「垂加文集」「神代巻風葉集」など。
古代日本の最初の統一国家と考えられている、大和国家の中央機関。有力な豪族であった皇室が、諸豪族を併合してつくりあげた。おそくとも四世紀の中ごろまでには中部地方から北九州までを統一し、以後関東、東北を平定、さらに朝鮮半島に進出したと考えられる。所在地は通例大和(奈良県)とされるが、諸説ある。
山岳で修行することによって超自然的な力を体得し,その力を用いて呪術宗教的な活動を行うことを旨とする修験道の宗教的指導者。山に伏して修行することから山伏と呼ばれた。山臥とも書く。また験を修めた者という意味で修験者,一宗一派にかたよらず諸山を歴訪するところから客僧ともいわれる。
中世芸術の中心的理念。静か,かすかで奥深いこと,深遠微妙であることを意味する語。本来中国で仏法の深遠であることを表現するのに用いられたが,日本では《古今和歌集》真名序以来文学に関して使われ,中世に至り藤原俊成がこれを自らの歌論の重要な概念として以降,次第に〈優〉〈艶〉をも包摂するようになりつつ,歌論,連歌論でしきりに用いられ,また能楽論にも応用された。鴨長明の《無名抄》,正徹の《正徹物語》,二条良基の連歌論,また心敬など,時代,論者によって〈幽玄〉の内容規定には幅があり,たとえば能では,初めは艶麗で柔和な美しさを意味したが,世阿弥はそれを〈冷えた美〉〈闌(た)けた美〉に深化させるなど変化している。が,おおむね余情すなわち情調的な象徴美であることについて一貫しており,文学理念として長く力をもった。
ユースティティア (J〓stitia あるいは I〓stitia) とは、ローマ神話に登場する女神。名前はラテン語で「正義」を意味する。
正義の女神であることから、裁判所などでは、天秤と剣を手にし目隠しをしたユースティティア(あるいはテミス)の像 (Statue of Lady Justice または Statue of Jusctice) を飾る習慣がある。ユースティティアの像は日本の最高裁判所にもある。ただし日本の最高裁判所にある像の様に目隠しされていないものもある。
聖堂は孔子を祀った祠堂で、孔子廟ともいう。国指定史跡。寛永九年(一六三二)上野忍ヶ岡にあった林羅山の私塾に建てられた先聖殿を元禄三年(一六九〇)五代将軍徳川綱吉が湯島の当地へ移し、以後聖堂あるいは湯島聖堂とよばれるようになった。また聖堂移転後、一帯は孔子の生地である魯の昌平郷にちなみ昌平坂とよばれた。
古代イスラエル王国がソロモン王の没後、南北に分裂し、前928年その南半に成立した王国。都はエルサレム。前586年、新バビロニア王国に滅ぼされ、多くの住民がバビロンに連れ去られた。ユダヤ王国。南王国。
イエスの十二使徒の一人。イスカリオテのユダとよばれる。イエス・使徒たち一行の会計係を務めたが、祭司長らに銀貨30枚でイエスを売り、のち、悔悟して自殺。生没年未詳。
パレスチナを原住地とし、ユダヤ教を信仰する民族。バビロン捕囚ののち、イスラエル人の総称となった。ヘブライ語を使用する。西暦70年、ローマ帝国によるユダヤ王国の滅亡後、世界各地に離散。以後、中世を通じてキリスト教社会から差別・迫害を受け、多くの職業から排斥されたため学問・芸術・金融業・商業に従事して成功者を出した。近代に至って新たに起こった反ユダヤ主義の迫害の中でシオニズム運動を起こし、1948年にイスラエル共和国を建設。
中国、明の王陽明が唱えた儒学説。形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。心即理・知行合一・致良知の説を主要な思想とする。日本では、江戸時代に中江藤樹によって初めて講説された。
冥想により心を静め、寂静の神秘境にはいり絶対者(ブラフマン・アートマン)との合一を目ざす正統バラモンの修行法。身体に苦行を与える特殊な姿勢をとる行法が行なわれ、近年では健康や美容を目的としても使われる。
イエスの母マリアの夫。大工とされる。イエスの養父。
ギリシア伝説のテーバイ王。息子によって殺されるとの神託を恐れて,王妃イオカステとの間に生まれたオイディプスを山中に捨てる。のち,それと知らず予言が実現する話は〈オイディプス物語〉で周知。
ライシテ(仏: laicite; 形容詞 ライック laique)とは、フランスにおける教会と国家の分離の原則(政教分離原則)、すなわち、(国家の)宗教的中立性・無宗教性および(個人の)信教の自由の保障を表わす。説明的に「非宗教性」という訳語が当てられることがあり、ライシテの成立過程について (laicisation の訳語として)「非宗教化 / 世俗化」(=社会における宗教の影響力の減少) という語が用いられることもある。また、日本のメディアでは「世俗主義」と訳されることもあるが、これは英語の secularism の訳語であり、これらの概念の歴史的な成立過程から、基本的には別の概念である。日本語の「ライシテ」という言葉は、世俗主義やフランス以外の国の政教分離と区別し、フランス法およびフランスの歴史に根ざした特殊な政教分離の意味で用いられ、ここ10年ほどで「ライシテ」という訳語が定着した(以下の「語義」参照)。
ユダヤ人が宗教的指導者に対して用いる敬称。ユダヤ教の聖職者。
中国南宋の儒者。名は九淵、字は子静、号は象山。江西省金渓の人。朱子と論争し、朱子が読書講学を重んじたのに対して、心即理を説き徳性を養うべきことを主張、明の王陽明の先駆となった。著書に「陸象山全集」がある。(一一三九‐九二)
物事を正しく判断する力。また、真と偽、善と悪を識別する能力。美と醜を識別する働きさえも理性に帰せられることがある。それだけが人間を人間たらしめ、動物から分かつところのものであり、ここに「人間は理性的動物である」という人間に関する古典的定義が成立する。
理性主義(りせいしゅぎ、英: rationalism)は、確たる知識・判断の源泉として(人間全般に先天的に備わっている機能・能力であると信じる)「理性」を拠り所とする、古代ギリシア哲学以来の西洋哲学に顕著に見られる特徴的な態度のこと。
キリスト教神学用語。旧約聖書の律法の真の精神を忘れ,条文にとらわれて1字1句に拘泥するような態度をさす。この立場は「パリサイ人」に象徴され,キリストは福音書の多くの個所で,愛の精神にもとるものとして痛烈に批判している。より狭義には,救いはキリストの恩恵と信仰よりも律法の厳正な遵守,もしくは結局は各人の行う善業によって得られるとするような立場をさし,これはパウロの神学によって明確に批判された。ルターの宗教改革は,中世カトリック教会におけるこの律法主義に対する一つのプロテスト (抗議) であるとされている。
律令を基本法とする古代日本の中央集権的政治制度およびそれに基づく政治体制。中国の隋・唐の法体系を取り入れて成立。二官八省を中心とする中央官制、国郡里制による地方行政組織が整い、公地・公民を原則として官僚による土地・人民支配が確立した。人民を良民・賤民に二大別し、班田収授の法により耕地を与える代わりに租庸調・雑徭などを課して中央および地方の財源とした。荘園制が発達する9世紀末から10世紀ごろには実質が失われた。令制。
禅宗の一派。唐の臨済義玄を開祖とし、のち黄竜派と楊岐派が立ち隆盛に導いた。日本には栄西が黄竜派の法を受けて建久2年(1191)に帰国、初めて伝えた。参禅問答による自己究明を宗風とする。
仏語。生ある者が迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返すこと。三界・六道に生まれ変わり、死に変わりすること。インドにおいて業の思想と一体となって発達した考え。流転。転生。輪転。「六道に輪廻する」
強者に対する弱者の憎悪や復讐衝動などの感情が内攻的に屈折している状態。ニーチェやシェーラーによって用いられた語。怨恨。遺恨。
[1712~1778]フランスの啓蒙思想家・小説家。スイス生まれ。「学問芸術論」で人為的文明社会を批判して自然にかえれと主張、「エミール」では知性偏重の教育を批判した。また、「社会契約論」では人民主権論を展開し、フランス革命に大きな影響を与えた。著書はほかに「人間不平等起源論」「告白録」など。
[1483~1546]ドイツの宗教改革者。1517年、教皇庁による免罪符発行を批判する「九五か条の意見書」によって教皇から破門されたが、これが宗教改革運動の発端となった。ザクセン選帝侯の保護下に完成したドイツ語訳聖書は、ドイツ語史上重要とされる。聖書に基づく信仰のみを説く福音主義に立ち、すべての信仰者は等しく祭司であるとする万人祭司思想を主張した。著「キリスト者の自由」など。ルッター。ルーテル。
アフリカ中部の内陸高原にある国。正称、ルワンダ共和国。首都キガリ。コーヒー・茶や錫を産出。もと王国であったが、19世紀末からドイツ領東アフリカ、ベルギー委任および信託統治領を経て、1962年共和国として独立。1990年代にフツ族・ツチ族間の内戦が起こった。人口1296万(2021)。
ギリシア神話で,ゼウス,ポセイドンらの母神。レイアRheiaともいい,ウラノス(〈天〉)とガイア(〈地〉)を両親とするティタン神のひとり。兄弟のクロノスの妻となって女神ヘスティア,デメテル,ヘラ,男神ハデス,ポセイドンを生んだが,クロノスがそれらの子を次々にのみこんだため,末子ゼウスの出産時には,夫を欺いてむつきにくるんだ石をのませ,ゼウスをひそかにクレタ島で育てたという。
神仏を祭った神聖な山。霊域である山。
イスラム教徒の支配するイベリア半島を解放しようとするキリスト教徒の運動。七一一年のイスラム軍侵攻後始まり、一四九二年のグラナダ陥落で完了した。国土回復運動。
カトリックの教理で、小罪を犯した死者の霊魂が天国に入る前に火によって罪の浄化を受けるとされる場所、およびその状態。天国と地獄の間にあるという。ダンテが「神曲」中で描写。
道家の開祖とされる人物。生没年不詳。その著述と伝えられる書物も《老子》と呼ばれる。老子に関する最古の伝記資料である《史記》老子列伝によれば,姓は李,名は耳,字は〓(たん)といい,楚の苦県(こけん)(河南省鹿邑県)の人。かつて周の王室図書館の役人となり,儒家の祖孔子の訪問を受けて礼を問われたこともあるが,周室の衰運を見定めるや西方へと旅立ち,途中関を通った際に,関守の尹喜(いんき)の求めに応じて〈道徳〉に関する書上下2編を書き残し,いずくへともなく立ち去ったといわれる。しかし,《史記》の記述はあいまいで,これをそのまま歴史事実とすることはできない。現在では,孔子にややおくれる前400年前後の人物とする説や,その実在を否定し架空の人格とする説などが有力であるが,前5世紀に道家思想の先駆的実践者としての老〓なる隠君子の存在を想定することは十分可能である。
老子道徳経(ろうしどうとくきょう) は、中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に『老子』とも『道徳経』(中略)とも表記される。また、老子五千言・五千言とも。『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。道教では『道徳真経』ともいう。上篇(道経)と下篇(徳経)に分かれ、あわせて81章から構成される。
中国の伝統思想。老子(ろうし)と荘子(そうし)をあわせた名称で、儒教を孔孟(こうもう)の教えとよぶように、道家(どうか)思想をさしていうときもある。ただ老荘を折衷して一つにまとめられた思想としての意味も強く、それがむしろ重要である。老子と荘子の思想は、もともと類似性はありながらもはっきりした違いがあり、老子では現実関心が強くて世俗的な成功主義も視野のなかにあるが、荘子では現実にとらわれないでそれを超え出る宗教的解脱(げだつ)の境地がある。それが荘子の後学によって融合され、『淮南子(えなんじ)』で初めて「老荘」という語が現れ、やがて魏晋(ぎしん)の時代(3世紀)になって、老荘思想の流行時代となった。『老子』の注が荘子の立場から書かれ、『荘子(そうじ)』の注も老子の語を交えて多くつくられたが、それに『易(えき)』を加えた三書を三玄(さんげん)とよんで尊重することも行われた。老荘の思想はこの時代に王弼(おうひつ)(226―249)によって「無」の哲学として成立した。貴族たちはその清談のなかで老荘の語を好んで用い、ときに権力に対する抵抗のよりどころともしたが、おおむねはその超俗的な境涯に個人的な慰安をみいだした。この後、隠遁(いんとん)思想に支柱を与え、宗教や芸術とのかかわりのなかでも生かされていくことになる。
キリスト教最大の教会。ローマ教皇を最高首長とし、「聖なる公同の使徒的ローマ教会」と公称する。1054年、東方正教会と分裂後の西方教会をいい、特に16世紀の宗教改革以後、プロテスタント教会に対して、こうよばれる。日本には1549年渡来。カトリック。カトリック教会。ローマ教会。公教会。天主公教会。
[1921~2002]米国の政治哲学者。「公正としての正義」の説を唱えて功利主義を批判、自由と平等が実現される正義の社会を構想した。著「正義論」など。
キリスト教で、神のことば。また、それが形を得て現われたイエス‐キリスト、およびその神性をいう。
フランスの哲学者デリダの初期の著作における用語。音声(フォーネー)中心主義、ファルス(父性的象徴としての男根)中心主義などと並んで、西欧形而上学を支配する原理の一つで、広い意味でのロゴスを真理一般の起源に据えたり、最終的な収斂の場と考えたりする立場のことをいう。この場合ロゴスとは、たんに狭い意味での「論理」のことだけではなく、無限の理性、宇宙を取りまとめる理法や究極の根拠、神の言葉、学問などを意味し、また「言われたこと」「話し言葉」なども指す。デリダはこのような意味でのロゴスが、プラトン、ルソー、ヘーゲル、フッサール、ハイデッガーなどの哲学においてのみならず、ソシュール、レビ・ストロース、ラカンなどの構造主義的な学問においても支配的な役割をもっていたことを指摘し、その脱構築を目指すのである。
中国の経書。二〇編。各編冒頭の文字をとって編名とする。四書の一つ。孔子の言行や弟子・諸侯・隠者との対話を記したもので、孔子の生前から記録され、その没後、門弟によって編纂されたと推定されている。人間の最高の徳として「仁」をおき、そこにいたる道を礼と楽とを学ぶことに求める。儒教の原初的な理念、また周代の政治、社会情況を窺い知る上でも、最も基本的な資料。日本には応神天皇一六年百済から伝来したという。古注としては何晏の「論語集解」と、それにさらに注釈を加えた皇侃の「論語義疏」、〓〓の「論語正義」があり、新注は朱熹の「論語集注」。円珠経。
哲学者、評論家。兵庫県出身。東大教授。漱石に師事。ニーチェ、キルケゴール、また、仏教美術、日本思想史の研究家。西欧哲学を日本の精神史的考察のなかで止揚し、独自の哲学体系としての倫理学を定立した。昭和三〇年(一九五五)文化勲章受章。著「ニイチェ研究」「倫理学」「風土」「古寺巡礼」など。明治二二~昭和三五年(一八八九‐一九六〇)
茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。