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戸田山和久『最新版 論文の教室』と小河原誠『読み書きの技法』とでは、似ている用語を用いてはいても、実はかなり違っている。戸田山の述べるパラグラフライティングは、ごく標準的なものだ。たとえば倉島保美『論理が伝わる 世界標準の「書く技術」』で述べられている用語や文章構造とは、ほとんどの点で同じだ。一方、少し古い1996年に出版された小河原誠『読み書きの技法』もまたパラグラフの理論を紹介すると述べ、また、似たような用語も用いているが、その言わんとするところはだいぶ異なる。この違いを簡単に把握しておきたい。
標準的なパラグラフライティングの在り方は次の図のようになる。つまり「飛ばして読む」ことを想定・前提して書かれる。
「飛ばし読み」を想定している理由は、この書式が、ホワイトカラーの忙しい管理職や、大量の学生のものを読まないとならない大学教員を読者に想定しているからだろう。で、飛ばし読み、つまり段落の冒頭文だけをつなげて読んだ場合と、そうでなく読んだ場合とで、同じ情報量が読者に得られないとならない。つまり全文飛ばさずに読んだほうが、得られる情報量が多くなる、というのではダメなのである。
さて戸田山和久『最新版 論文の教室』で奨励されているパラグラフライティングはというと、通常のパラグラフライティングから「飛ばし読み可能なように書け」という要求を除去したものになっている。
「飛ばし読み」の要請が除去されたパラグラフライティングは今後いやおうなしに大学生・院生に普及するだろうと思う。というか、こうだ。「飛ばし読みができるように書け」という要求をもし小中高の生徒にしようものなら、小中高の現代文で読まされる文を「飛ばし読み」する生徒が続出することは間違いない。ライティングの授業で「飛ばし読みができるように書け」というふうに教育すれば、リーディングの際に「読むときも飛ばし読みをせよ」という要求だと受け取るに決まっている。では「飛ばし読み」の要請が除去されたパラグラフライティングなら良いのか、と言えばそうではない。パラグラフライティングで書きなさいと教わった生徒は、現代文で読まされる文章も、段落の冒頭文が最も重要であるという態度で取り組むことは間違いないからである。だから大学生になるまではお預けである。そのうえで、大学生になら戸田山の述べるパラグラフライティングが普及しやすいものになるだろう。
で、それよりだいぶ以前に書かれた小河原誠『読み書きの技法』もまた、パラグラフの理論というものを紹介することを企図している。しかし、その内容は通常のパラグラフライティングとはだいぶ異なっている。段落ごとの冒頭文に過大な機能をもたせないで、「締めくくり文」にだいぶ力点が置かれているのだ。
小河原の述べる方式だと、たとえば「トピックセンテンス」という語の意味が異なる。パラグラフライティングでのトピックセンテンスというのは、段落の冒頭に置かれて段落全体の要約になっている文章だった。それに対して小河原の「トピックセンテンス」というのは、段落全体の内容の「予告」であったり、「問題提起」であったりするようだ。だから段落最後に置かれる「締めくくり文」とセットで読まないと、その段落を読んだことにはならない。そういう構造である。この書法は、書く側にとっては楽である場合が多いので、パラグラフライティングの陰で隠然とした形で残っていくだろうと想像される。
パラグラフライティングの紹介というものは、紹介者がわざと下手な文章を読ませ、それをやり玉にあげて、「それよりはパラグラフライティングのほうがずっと良いでしょう」という形をとっていた。が、もうそういう時代は終わったのではないだろうか。今後は、いくつかの書法が並べられて「どの書法がこの場面では適切か」というふうに論じることになってほしい。