言語習得のモデル 「いわゆる具体→抽象」ということの実際について

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少なくとも次のようなタイプの「習得過程」は理念的には存在する。 「抽象的」とか「理念的」と言われる言語使用の一部はこのタイプに分類される。学者の名前で言えばレイコフあたり。

ただし子供の言語習得は、「具体→抽象」というふうに進行しているとばかりは到底言えない。(むしろ、規範的な言語を否応なしに習得させられ、事後的に価値中立的な言い方を学習することも多い。)

これらを比喩と呼ぶのも保留した方が良い。何が比喩であり何がそうでないかは、比較的どうでも良い。

これらの表現を、受信する立場で理解できるのと、発信する立場になって使いこなすことができるのとは、別次元の能力である。後者に関しては、いわゆるコロケーションを使う能力と同様のものが要求される。つまり、「こういう表現は存在する。こういう表現は存在しない。」という「知識」である。しかし、受信して理解するだけなら、その種の言語知識は無くてもなんとかなることが多い。