コメント:数土直紀『日本人の階層意識』

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数土直紀『日本人の階層意識』(講談社)

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  • たとえばテストで前回よりも良い点がとれたとする。だが、だからといって「順位」が前回より上がるとは限らない。他の受験者もまた前回よりも良い点をとっているかもしれないからだ。だが、テストの点のようにはっきりとした「数値」も明らかにならず、「試験範囲」も明確でない事柄の場合だと、その種の判断はどうしたって勘にしかならない。テストならば「本当の順位」という「正解」が在るが、実際の社会上職業上の「地位」には「順位」「正解」は無いといって良い。「あなたは日本社会でどのくらいの地位にあると思いますか」という問いには勘で答えるしかない。この本(特に前半)は要するに、「日本人がここ数十年でどのようにその種の勘を働かせてきたか」を解明しようと試みたものだと言って良い。
  • 「階層帰属意識」「階層帰属意識分布」「階層構造」などの用語を適切に区別しながら読み進める必要の在る本だ。データに基づき合理的な推論を展開しているが、私はそのすべてが理解できるわけではない。読んでいてわかる箇所を拾いながら読んでいくのが良いのではないだろうかと思う。面白い。わかる箇所だけを読んでも「なるほど」という発見も在り、場合によっては「でも本当にそうか?」と突っ込みをいれることも不可能ではない。
  • この本を高校生に推薦するのは、「社会」という用語のかなり適切なイメージがこの書での推論から得られると思うからだ。マクロ社会学・数理社会学だけが社会学ではもちろんないのだが、それを通して得られる「社会」という語の使用は適切でもあり、有益でもある。「社会学というのは、個人的だと思っている事柄こそが社会的であるのだ」ということを解明する学問なのだ、というふうな理解に至ることができる。「自分が社会のなかでどのくらいの地位に在るのか」という「勘」にせよ、「努力する者が報われる社会が望ましい」という「考え」にせよ、個人的なものだ。だがその個人的な勘や考えが、社会によって一定程度規定されているものだ、という社会観は、高校生にももっていてほしい。少し読みづらい箇所もあるがこの書はその社会観の獲得のために好適である。
  • 「学歴の稀少性」という点に関して一つ、疑念を呈しておく。著者は「大卒者が増えれば増えるほど、大卒の価値というものが下落する」ということを推論の前提においている。だがそれほど簡単に言いきれてしまうとは思えない。「大学院修了」という学歴に関して同じことが言えるとは思えないからだ。この書のなかでは「大学院修了」という「学歴」は特に区別して取り扱われていない。が、この学歴が「数が少なければ少ないほど稀少性が在り価値が高く、数が増えれば増えるほど価値が下落する」というものでないことは、ほとんど明らかのように思う。下落するほどに大学院修了学歴の保持者が増えるはずもないからだ。稀少性というのは、単に「数が少なければ少ないほど価値が高く、数が増えれば増えるほど価値が下がる」というほど単純なものではない。大卒に関してそれが言えてしまうのは、入学や卒業がおそろしく容易な大学がすでにいくつもあるからだ。だが、大学院に関して同じことは今は言える段階ではない。むしろ大学院修了生が増加するほど価値が上がる、くらいの状況にあるのではないだろうか。と、そのように疑念を呈してみることはできる。現段階ではたとえば「慶應義塾大学大学院修了生」と「東京大学学部卒」とでどちらが「地位」が高いかなどわかったものではないのである。「慶大大学院修了生」が「いっけんすると価値が下落する」と思えるほどに増加してはじめて、「大学院修了生」のほうが「学部卒」より地位が高い、となることだって在りうることなのだ。